Ep.29 対懣〜One to One〜
ビルの外を眺めたノエルの目に映ったのは、まさに『地獄』のような光景だった。
あの時とはまた違う、鮮烈な景色。
死体の有無こそあれ、それはむしろ、前回よりも酷いものにも見える。
「……ノエルさんっ!」
こちらに気が付いた様子の雪が、慌てて駆け寄ってくる。敵を挟んで逆側では、ノエルの方を流し見しながら敵の様子をうかがっているウィルの姿があった。
その敵は、現在沈黙している。向こうも向こうで様子を窺っているようだ。
「ごめん、ちょっと遅れた」
「その事はいいですよ、今はそんなことで責めてる場合じゃないので。――それより、何か『あれ』の弱点とか何か、知ってたら教えてもらってもいいですか」
「ああ、うん。その事なんだけどねぇ。今回の敵、私に任せてもらっていいかな」
申し訳なさそうに笑うノエル。
その顔は哀しそうで――そして、心からの詫心がにじみ出ているようだった。
雪に対してではなく、過去に失った同志に対しての――だ。
「いいですよ。ただ、一つだけ条件があります」
雪は、一本だけ立てた人差し指をノエルの目の前に突き出しながら言った。
「……条件?」
「生きて、戻ってきてくださいね。絶対に」
その言葉を聞いたノエルは、もう一度笑った。
今度は――心の底から、楽しそうに。
「もちろん。私が誰だと思ってるんだい? この天下のノエル様が、死ぬわけないって」
ノエルが右腕に装着した兵装を敵に向ける。
たとえ自己満足でも、倒さなければならないのだから。
失った仲間のためにも。
失いたくない仲間のためにも。
この手で――この、自分自身の手で。
「いくよ、化け物」
そのノエルの呟きに呼応するかのように、人型が、その瞳孔の無い眼でノエルを見つめる。
次の瞬間――人型の持つ触腕の全てが、ノエルに襲いかかった。
「邪魔」
ノエルが右腕を構え、掌に取り付けられたスイッチを押す。
――次の瞬間、ノエルの周囲にあった触腕達は全て、跡形もなく消え去った。
「フフッ。残念だろうけど、もう勝ちは見えてるんだよねぇ……仲間が犯した罪、地獄の底で悔い改めな。化け物さん」
ノエルが不敵な笑みを浮かべ、再び右腕の武装を構えた。
だが次の瞬間、ノエルのその軽い身体は、何かに振り回されるように宙を舞った。
「……!?」
ノエルの脚には、先程と比べ、少し細めの触腕が絡みついていた。その触腕の伸びる先は――地面だ。
「地中からか……やられた!」
どうにか逃れようと、触腕に吊り下げられたまま武装を人型に向けようとするノエル。だが、全く狙いが定まらない――というよりも、敵の方が故意に狙えないようにしているのだろう。
「ちっ、役立たず! だったら……ユキ! 雷火貸して!」
「えぇと、はいっ!」
雪が慌てて手に持っていた刀を投げる。
隠れようとしていたところに急に声をかけられたためか、若干軌道がズレたが――ノエルは少し体をひねり、無理やり左手でそれを受け取った。
「よっしゃ、ナイスピッチぃ!」
そう言うが早いか、ノエルは足に絡んだ触腕を切り落とし、再び地面へと降り立つ。
「まったく、悪あがきもいい加減にしてもらいたいもんだよ……私を怒らせたらどうなるか、とくと教えてあげなきゃいけないみたいだねェ?」
ノエルが
一歩。また一歩。じわじわと。
襲い来る触腕を、次々に消し去りながら。
「AS-12α強酸噴射機……コードネーム『アシッド・レイン』の力、舐めてもらっちゃあ困るんだよねぇ」
また、彼女は笑う。
Asid rain――日本語では『酸性雨』と呼称されるそれは、化石燃料の燃焼や火山活動などにより発生する硫黄酸化物などが大気中の水や酸素と反応することによって硫酸や硝酸、塩酸などの強酸が生じて発生するものだ。そう呼称される雨は通常よりも強力な酸性となり、彫刻や金属を溶解させる。
それの影響を受けるのは、サテライトとて例外ではなかった。
ノエルはある時、何故サテライトが人の多い大型工業地帯ではなく、無人の都市へと侵攻するのか考えた。その結果、「サテライトは酸に弱い」という結論に結びついたのだ。その証拠に、彼等が酸性雨の多い地域に侵攻したという例は残っていなかった。
彼女は、それを利用したのだ。
――強酸噴射機。
それは文字通り、強い酸を噴射することで、敵に攻撃する武器だ。
近接戦闘でのみ、かつ使える回数も限られている対人には向かない武器ではあるが、それでも対サテライトに対しては致命傷を与えうる強力な兵器となる。
ノエルが、また右腕の武装を
「これで終わりだよ……
そう言うとノエルは再び、その右掌のトリガーを引いた。
* * * * *
シンと鎮まり返った戦場――人の蠢く音も、火砲の爆音も、敵の叫ぶ声も聞こえない、静寂。その中で、ノエルは立っていた。
「終わりましたね」
そう言いながら、雪が物陰から這い出てくる。その目の先にあるのは、人型だったものの残骸――文字通り、原型を留めていない『骸』だ。
「……うん、終わったよ。今のところは」
ノエルがその骸を見つめながら言う。
その目には、何が映っているのだろうか――雪にはまだ、何も分からない。
「まあでも、これで心の整理は出来た。それでいいんだよ……私的にはさ」
「……そうですか」
目を伏せ、口元を歪めて微笑を浮かべる雪。
一安心――とまではいかないが、彼女の心にふっ切りがついたのならば、雪はそれでいいのだ。
「……ホントに良かったです。死ななくて」
「あったりまえじゃーん。私は死なないって言ったら死なないんだよ」
ノエルが軽く、飄々と言う。先程とは違う、いつもの明るいノエルだ。
「さあて、帰ろうか……いや、その前にもう一人回収してからかな」
「あ、そういえばウィルさんがいましたね。何処に行ったんでしょうか」
「さっき向こうに隠れてたよ。薬切れて気絶してんじゃない?」
にゃははは、とノエルが高笑いする。彼女の指摘も、あながち間違ってはいないのだろう。
「……まあでも、完全には忘れられないかな。やっぱり」
ふと思い出したように、ノエルが呟く。
いくら過去を忘れたくても、忘れることはできない。あの光景が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「そうですか――でも、そのくらいでいいんですよ。忘れられなくても、縛られさえしなければ、きっと」
「ユキにしては珍しく良いこと言うじゃない。見直したよ」
「まあ、昔読んだ本の受け売りですけどね」
えへへ、と雪がノエルに笑いかける。
それを見たノエルもまた、笑い続ける。
雲の切れ間で燦々と輝く太陽が、二人を照らし続けていた。
まるで、彼女たちを祝福するかの様に。
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