Ep.18 訪問者〜A Strange Man〜

 アーリーが目を開けるとそこは、彼女にとって見覚えのある部屋であった。

 ――そこが何処なのか、すぐに分かった。

 少なくとも自分の部屋ではない。それに、寝ているベッドも心なしか硬い。


「医務室……? そうか、私は……」


 アーリーは天井をじっと見つめ、ため息をついた。

 そうか、意識を失って連れてこられたのか。痛む背骨をいたわりながら、アーリーはむくりと起き上がった。


「あ、やっと起きた」


 アーリーのいるベッドの傍から声が聞こえた。

 アーリーが声のする方を見ると、そこには眼鏡をかけたウィルが座っていた。膝の上の本の分厚さから察するに、どうやらここでずっと起きるのを待っていたのだろう。


「……すまないな。待たせてしまって」

「いいよ、どうせすることも無いしね。ちょうどいいくらいだよ」


 ウィルがにこりと微笑む。ずっと寝ていたアーリーへの心遣いなのだろうか、声も少し小さかった。


「他の三人は、大丈夫なのか」

「うん、ユキちゃんとノエルちゃんは外で訓練、ディーナは、イリスちゃんと一緒に自分の部屋にいるよ」

「……そうか、良かった」

「心配しすぎなんだよ、アーリーは。彼女たちだって、もう実力は付いてきてるんだから」


 あはは、とウィルが笑う。いつもの笑顔だ。

 ふと壁に掛けてある時計の方を見ると、時刻は既に午前十時三十二分であった。

 戦闘中に気を失ったのが午前三時くらいだったはずであるから、おそらくは一日以上は気を失っていたのだろう。実際、アーリーの身体には薬の副作用による痛みはもう残っていなかった。

 アーリーは、うつむきながら目を閉じた。先程ウィルから聞いた、三人とも無事だ、という言葉だけで、彼女の心は先程と比べても随分と楽になっていた。


「敵は、倒したのか」

「うん、ユキちゃんがね。本当に凄い成長だよ、あの子」

「……ユキが?」


 アーリーが訝しむように尋ねる。ユキが球体型を倒したなど、アーリーには到底考え難い。指示を出した、ということならまだ分からなくもないが、自分の抜けた四人である。あの強さの敵にどうやって勝ったのか、彼女には全く想像もできなかった。


「……お前が言うのなら本当なのだろう。良くやったな、と伝えておいてくれ」

「分かった。伝えておくよ」


 ウィルが微笑みながら言う。


「それにしても腹が減った。何か食べるものでも取って……ッ!」


 一息ついてアーリーがベッドから起きようとすると、腰部に鈍い痛みが走った。


「ああ、まだ動かないほうがいいと思うよ。医者の人が言ってたけど、背骨にヒビが入ってるらしいよ。数日は安静にしておくように、って」

「……っ、そうなのか。だったら先に言ってくれ、場所が場所だけにな」


 アーリーは、響く痛みを抑えながら呻くように言った。実際のところ、骨が折れたことはアーリーにも経験がある。だが、今回は折れた場所に少し問題があるのだ。


「確かに、下手に動くと脊椎を損傷しかねないもんね。そうなったら二度と戦えないかも」

「冗談じゃない。ただでさえあの作戦のせいで人手が足りないのに、これ以上失ってたまるか」

「まあまあ、アーリーに限ってそんなことは無いって。大丈夫だよ」


 まったく、怖いことを言うものだ。アーリーはゆっくり身体を元の姿勢に戻すと、痛む背骨をさすった。


「……あの敵、何か変だったと思わないか」

「え?」

「あの球体型スフィアタイプの事だ。挙動がおかしかった」


 アーリーは急に語調を強めて言った。

 あの球体型の攻撃方法は、他のサテライトとは何かが違う。アーリーはそう確信していたのだ。


「物理攻撃以外で攻めてきた……ってことだね」

「ああ。少なくともこちらに変化はない以上、向こうが何か仕掛けていたと考えるのが妥当だろう」


 アーリーは、球体型に食らった攻撃を思い出していた。

 物理攻撃ではなく、まるで念力で弾き飛ばされたかのような攻撃。実際、アーリーは壁に叩きつけられて負傷しているが、直接攻撃を食らったはずの腹部付近は無傷だった。


 「確かに、ディーナを含めてもこっちは五人。小口径弾掃射が攻撃方法に入る十六人には圧倒的に人数が足りないし、その考えは案外当たってると思うよ」

「……当たっていて欲しくはないものだな。特に、『十五人以下なら敵は物理攻撃しかしない』というあの前提が崩れれば、私たちの存在意義すら危うい」


 アーリーが自分の右腕を見つめる。

 彼女たちが戦線で主戦力として投入されているのは、少人数かつ特定の編成条件を満たせば攻撃手段を制限できる、というあくまで敵の性質を逆手に取っているためだ。その条件が確実でないとなれば、現在行われている迎撃のためのシステムが根本から崩れる可能性すらある。アーリーが危惧しているのはまさにそれであった。


「僕たちが居なくなるとすると、次に主戦力になるのは……」

「おそらく、機械化歩兵部隊だろう。確か、ウィルはあの部隊出身だったな」


 機械化歩兵。それは、二メートルほどの大きさの搭乗用戦闘パワードアーマーに搭乗して戦う部隊のことだ。

 通常の部隊と比べて若干のリスクは伴うものの、増える敵の攻撃は小口径弾の掃射のみ。新たな主力としては申し分ないレベルである。

 それに何より、防御能力が桁違いだ。アーリーたち歩兵隊は武器と服しか身を守るものがないが、機械化歩兵の搭乗する専用パワードアーマーは、サブマシンガンや軽機関銃くらいなら簡単に弾くほどの装甲を持っているのだ。


「……僕は、もう忘れたんだよ。あの部隊のことは」


 ウィルが目線を下に落とす。よほどの何かがあったのだろうか、思い出す気は一切無いようだ。


「そうか――まあ、思い出したくないのならいい。この話は終わりにしよう」


 落ち込んでいる様子のウィルに気付いたアーリーが話を切る。古傷をえぐるような話題なら、これ以上言う必要は無いだろう。


「……話が急に変わってすまないが、何か食べるものを取ってきてくれないか。腹が減って仕方がない」

「分かった。何でもいいかい?」

「ああ。出来れば、フォークやスプーンを使わないもので頼む。あと飲み物も頼めるか?」

「いいよ。じゃあ取ってくるから、ゆっくり休みな」


 ウィルは立ち上がると、部屋に一つしかない扉を開け、廊下へと出て行った。


 * * * * *


「九十八、九十九、百……はあ、やっと終わったぁ……」


 腕立てを終えた雪が地面に崩れ落ちる。たった百回でも、筋力の低い彼女にとっては苦行同然である。


「やっと終わったー? もう結構待ったんだけどなー」


 近くに座り込んでいたノエルが身体を揺らしながら、煽るように雪に話しかけた。地面の上とはいえ、一応は芝生の上である。いつものノエルの顔に、余計に爽やかさが増える。

 いや、爽やかさが増えたところであまり変化はないのだが。


「ノエルさんが早すぎるんですよ……三分で百回なんてどんな鍛え方すればそんなことできるんですか……」


 雪がハァハァと息を弾ませながら言う。対してノエルは息が乱れていないどころか、汗すらかいていない。


「日々の努力、生まれながらの才能、そしてちょっとの鯖読みが成功の秘訣っ!」

「それって結局インチキじゃないですか! 私はちゃんと百回やったのに!」


 雪が立ち上がって怒った。言われているノエルの方も聞いているのは間違いないのだが、そに顔には一切反省の色がない。いつもの飄々とした態度だ。


「ふふふっ、やったもん勝ち、っていう言葉があるのを知ってるかい?」

「話を逸らさないでください、結局何回やったんですか」

「……二十三回」


 まさかの四分の一以下である。むしろ逆にどうやってごまかせたのだろうか。

 雪がさらにノエルを言い咎めようと口を開きかけたとき、不意にノエルが声を上げた。


「あっ」

「……何ですか、ノエルさん。説教を避けようったってそうはいきませんからね」

「いや、そうじゃなくてねぇ。ほら、あれあれ」


 ノエルが雪の後ろの方を指差す。雪が振り返ってみると、そこには入り口の前に立つ一人の男性の姿があった。


「……見たことないない人ですね。誰でしょう?」

「いや、私に聞かれても。私だって人物情報データベースじゃないんだから、人の顔を見てすぐに誰か判断できるわけじゃないしねぇ」


 確かに当然の言い分である。まあ、別に人物情報データベースでも百パーセント正確に、かつ即座に判断できるわけではないが。


「声、かけてみましょうか。何か狙ってる悪い人かもしれないですし」

「何か狙ってるような悪い人があんなに堂々と入り口から入ってくるはずないと思うけどねぇ。そんなに話しかけたいなら一人でやってきな。待ってるから」

「いいから話しかけに行きますよ。用事があるなら、ノエルさんがいた方が手っ取り早いですし」


 雪が嫌がるノエルを無理やり引っ張っていく。以前は両手を使わないと引っ張れなかったが、今や片手で楽々と連れて行けるようになった。訓練の成果である。

 雪は男性の立っている方に歩いて行き、気づいていない様子の男性に後ろから話しかけた。


「あのー、何か御用でしょうか?」


 雪の声に気が付いたのか、落ち着いた様子で男性が振り返った。

 茶色でボサボサの髪、緑色のTシャツ、そして動きやすそうな薄手の長ズボン。どう見ても幹部や上官クラスの人間ではない。いや、むしろこの格好で上官であれば、普通の人間なら頭は大丈夫なのかと心配に思うだろう。


「……俺か?」

「ああ、はい。ずっとそこに立ってらっしゃるので、何か用があるのかな、と」

「チッ、面倒だな。先に連絡しておくべきだったか」


 男性が舌打ちして入り口の扉を睨みつける。別に扉に恨みがあるわけではないだろうが、その目には怒りに近い感情が浮き上がっていた。

 彼は一度下に視線を落とすと、深呼吸をして言った。


「俺はアルバート。ウィルを……いや、ウィリアム・スチュアートを、連れ戻しに来た者だ」

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