1日目-旅立ちの街・宿屋-
扉をくぐり抜けた新本が振り返るとすでにチュートリアルの教室に繋がる扉は消えており、レンガ造りの壁しかなかった。
何もない路地裏をとりあえず進んでみると月と街灯が照らす大通りに出た。そこは人通りは少ないものの、飲食店とみられる建物からは複数人の大声や笑い声が響いていた。
「……時間は現実と同じなのかな」
新本がタブレットを起動させると画面にはチュートリアルでもらったアイテムの一覧が表示され、その右上には5000Gと大きく書かれた欄があった。
目的地は分からなかったが、お金を表しているであろう数字の量が贅沢さえしなければ1日は過ごせる額になっていることに安心した新本は近くを歩いていたワインレッド色の鎧に身を包んだ、いかにも兵士っぽい男性に声をかけた。
「すいません、この近くにモンスターと泊まれてご飯が出て安いお宿ってありませんか?」
「ああ、それでしたら……雷光亭なんていかがでしょう? この先を真っ直ぐ行った所にある十字路を右に曲がって、2つ目の建物がそれです」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、困ったことがあったらこの鎧と同じ物を着てる人に聞いてくださいね」
そう言って男性は鎧の右胸にある鳥の紋章を手のひらで2回叩いてから去っていった。
新本は現実の親切な人とほとんど変わらない対応をしたNPCを目の当たりにし、感動のあまりしばらくその場を動けなかった。
他の人にも話しかけたい衝動を堪えつつ、道沿いに並ぶレンガ造りの建物を横目に教えてもらった通りに歩いて行くと「RAIKOHTEI」とローマ字のネオンサインで彩られた3階建ての大きな建物がすぐに見つかった。
入口の
財布の中身が半分以上吹き飛ぶ価格であったか、あの兵士の良心を信じるならばこの宿屋の料金は食事付き・ペット同伴可という条件でかなり安い部類に入るのだろう。
この世界の物価を察した新本は明日のクエスト探しを早々に決意しながら扉を押した。
「いらっしゃいませ! お食事ですか? ご宿泊ですか?」
入った途端に来た少年の元気溢れる応対に新本はやや気圧されながら答えた。
「えーっと、両方です……」
「では宿泊の手続きからお願いします、こちらにどうぞ!」
フロントに案内された新本は少年から差し出された契約書にサインした後、バッグからお金を出そうとするとタブレットが振動した。
気になって見てみるとタブレットには「ヘルプ:アイテムの取り出し方」という文字が表示されていた。
それをタッチすると「金銭・アイテムを出すにはタブレットで該当項目を選択してからバッグを開ける必要があります。よく使う物は
「あのー、お客様?」
「あ、もうちょっと待ってください」
不審がる少年の声に新本は我に返って右上にあった×印を押し、スクリーンを消した。
それからお金と思われる項目をタッチすると数字を入力する画面が現れた。そこに急いで「3000」と打ち込むと空っぽだったバッグの中に銅貨が30枚出現した。
「これで大丈夫ですか?」
全て取り出しカウンターに並べると少年は銅貨を無造作に掴み奥に置いてある機械に流し込んだ。すると機械の下の引き出しが開いた。
「はい、確かに! ではこちらがお客様の部屋の鍵とモンスターのカゴの鍵となります」
少年は引き出しから大小2つの鍵を取り出すと笑顔で言いながら新本の元に置いた。
「あとお食事ですが、この階の奥にある食堂で出しております。ちなみに今日のご夕食はいつ取られますか?」
少年からの質問に新本は鍵を受け取りながら「うーん」と声を出しながら少し考えた後、何度か頷いた。
「じゃあ荷物を置いてからにしようかな」
「了解致しました。では後ほどこの階にあります食堂に午後10時までにお越し下さいませ」
少年は礼儀正しくお辞儀すると奥の部屋に下がっていった。
新本は待合スペースの左端にある階段を、スライムを頭に乗せながら今日泊まる部屋がある3階まで上った。
モンスターが暴れても傷がつかないようにするためか、白色に塗装されていても硬そうな金属で出来ていると分かる廊下を進んで行き、目当ての部屋にたどり着くと新本は大きい方の鍵を扉の穴に差し込んで回した。中は周りの床や壁、備品が金属製であることと片隅に大きなケージがあることを除いて、普通のビジネスホテルの内装だった。
ベッドにショルダーバッグを投げ置いた新本は休むことなくケージが小さな鍵でちゃんと開くかどうか確認した。鍵は引っかかることなくスムーズに回った。
「よし、じゃあ食いにいくか?」
新本が話しかけるとスライムは意味ありげにプルプルと震えた。
しかしその反応を見た新本は目を覆い隠してため息を吐いた。それがYESなのかNOなのかの判別がつかなかったからだ。
朝になったら真っ先に本屋に行って、モンスターの生態についての本を買うことを決意しつつ新本はスライムと一緒に1階へと引き返した。
壁に貼られた看板の指示に従いながら奥へと進んでいくと、入口という狭い視界からでも分かるほど人獣入り乱れた食事風景が広がっている部屋が見えてきた。
「いらっしゃいませ! お客様1名、モンスター1体とご来店でーす! こちらの席にどうぞ!」
元気よく声をあげる、先ほどのとは別の少年に付いていきながら新本は辺りを簡単に見回した。
周りにはオークと思わしき2足歩行の豚っぽいモンスターから犬や猫に似た4足歩行のモンスター、さらには宙にプカプカ浮いている正体不明のモンスターまでいたが、その中にスライムの姿は無かった。
「では注文が決まりましたらお呼びください」
スライムを床に下ろし、少年からもらったおしぼりで手を拭いてから新本は極厚のメニューを手に取った。
メニューの序盤に記載された人間用の料理から自分が食べる物を早々に決めた新本は後半に描かれている、明らかに人が食べることを想定していない商品の数々に目を通し始めた。
しかしあらゆるモンスターに対応するために沢山の料理が用意されていることはわかったが、どれがどのモンスターの食事に適しているかまではわからなかった。
「スライムって何を食べるんだろうか……なぁ、お前は何が食べたい?」
困った新本がメニューを見せてもスライムはプルプル震えるだけだった。
「……お客様、いかがなされましたか?」
無意識に苦い顔になっていたのか、先程の少年が水の入ったコップを置きながら声をかけてきた。
「あのー、スライムにはどの料理を与えれば良いですかね?」
「スライムですか? スライムですと……基本的には雑食ですがこのタイプだと水分が多い物の方が良いですかね。なので料理よりもドリンクメニューの方がよろしいかと」
少年はスライムを凝視してから新本の質問に答えた。あまりにまじまじと見られたからかスライムは怖がったかのように新本の足に擦り寄った。
「じゃあ、オレンジジュース水槽盛りにしようかな。あとチーズバーガーセットで」
「かしこまりました。オーダー! オレンジ水槽とチーズバーガーセット1つずつー!」
少年が大声で厨房に声をかけながら下がっていく。しばらくしてオレンジジュースが7分目まで入った水槽をウェイトレスがリアカーに乗せて運んできた。
「お待たせいたしました、オレンジジュース水槽盛りでございます」
ウェイトレスが重そうに引きずり降ろした水槽にスライムは嬉しそうに飛び込んだ。新本は周りが忙しそうじゃないのを確認してからウェイトレスに話しかけた。
「ちょっといいかな?」
「はい、何でしょう」
「明日クエストを請けに行きたいんだけど、どこに行けば請けられるかな」
「クエスト……依頼のことですか? それならギルドですねぇ。受けたい依頼によって行く所が違うんですけど。素材の納品や商隊の護衛が目的だと商業ギルドで、モンスターの討伐や何かのお手伝いとかが目的になると狩人ギルドになるんですよねー」
「詳しいね」
小首を傾げながらもスラスラと答えた彼女の姿に新本が感心しているとウェイトレスは困ったように笑った。
「いえ、最近同じような質問を何回もされるので自然に……」
スライムがオレンジジュースの入った水槽の中を元気に動き回る横で若干気まずい空気が流れた。
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