第38話 炎の貴公子―大河内信也戦(4)



 宇多川鏡子は、固唾(かたず)を飲んで、宙に浮く大河内信也の姿を見ていた。

 朝香瞬が再び、上方からの連撃を如意棒で防ぐ。

 右肩を強打されたものの、ぎりぎり頭頂(とうちょう)、第七チャクラへの打撃はかわした。

 瞬は右肩を押さえながら、後ずさった。

 大河内が勝ち誇った笑みを浮かべている。


 重力に真っ向から逆らう上方へのテレポートは、サイを大きく費消する。そのため、予科生レベルでは、実戦向きの技ではない。

 だが、大河内は、それをいとも簡単にやってのけた。力を誇示するように、大河内は空中に浮かんだままだ。


 生半可な努力と鍛錬で身に着けられる実力ではない。

 大河内のサイは今や、十七期予科生の中でも、頭ひとつ抜きんでたと、認めざるを得なかった。


 連続テレポートでも、上方へのテレポートをあわせて使うが、せいぜいジャンプ程度だ。

 完全な上方からの攻撃の鍛錬は、瞬も、していなかった。


 鏡子に限らず、コロッセオの観客は今、準決勝第一試合の勝者を悟ったに違いない。

 瞬の如意棒を使った索敵は、平面においてしか、機能しない。

 平面の全方位に加えて、高さ数メートルほどの全半径のどこへ、大河内が、ステルスを発動させるか、分からない。


 右斜め上方か、左斜め後ろか、あるいは、直上か……。


 TSコンバットでは、わずかな隙を突かれて、チャクラがヒットされる。

 平面の全方向に加え、同時に、頭上の一円を守れないかぎり、いずれステルスによって、瞬は敗れ去るだろう。


 瞬は、如意棒を構えながら、後ずさりした。コロッセオの壁ぎわに寄り、壁を背につけた。


「……初めて、朝香君が、逃げに入った。『有効』を取ったせいかも知れない。逃げ切るつもりね。……負けるかも、知れないわ」


 明日乃の言葉に、鏡子も同感だった。


 たしかに、壁を背にすれば、背後とその上部を守る必要がなくなる。

 だが同時に、壁のせいで、瞬の俊敏な動きが封じられる。のみならず、ステルス破りの如意棒による≪索敵≫も、途中で、壁に阻まれる。回転しきれないため、次の動作に移りにくく、実際上、使えまい。


(どうしたの、瞬君? あなたらしくないわ……)


「その程度の浅知恵とは、見損なったぞ、朝香」

「君と普通に戦っても、勝ち目は、なさそうだからね」


 大河内が、勝利を確信した表情で、壁ぎわの瞬に、ゆっくりと近づいて行く。


 だが、如意棒を最大に伸ばした瞬は、意外な行動をとった。

 棒高跳びの要領で、三・五メートルの壁上に、飛び乗ったのである。


 コロッセオがどよめいた。

 瞬は如意棒を縮め、大河内に向かって、構えた。


「なるほど、アイツも、考えたわね」


 狭い壁上にあるだけで、大河内の≪全方向ステルス≫の威力は、物理的に減殺されるはずだ。


 瞬は、壁上に姿を現した大河内と、幅一メートルの壁上で、対峙した。


「俺様の全方向ステルスも、威力を発揮できねえが、お前のフットワークも華麗な動きは出来ねえ。条件は、同じだ」


 壁上作戦は、両刃の剣だ。

 瞬の移動範囲も限定され、相当の確率で、相手に読まれるだろう。


 大河内がオレンジ光に包まれる。壁上で連続テレポートを繰りだした。瞬は表情も変えずに、攻撃を受け止める。

 大河内の姿が消えた。


 瞬は、如意棒を伸ばして構える。

 中腰になり、直上に如意棒を伸ばした。

 如意棒のそばに、オレンジ光が現れる。

 そのまま、みぞおちの第三チャクラを狙って、突く。

 とっさに、大河内がよける。

 かすった。「有効」だ。


 間を置いて、大河内の身体が、後方にずれて現れた。

 攻撃を受け、難しい体勢のままで、テレポートを決めたようだ。体勢を崩しながら、壁上に着地した。


 大河内が、瞠目(どうもく)して、瞬を見ていた。


「なぜ、俺様の動きが、分かった?」

「君のサイの発動には、クセがあるんだ。この壁の上なら、君の全方向ステルスは、僕に通用しない」


 隣で、明日乃がつぶやいた。


「……浮上するサイは、重力に逆らうぶん、発動がゼロ・コンマ一秒ほど遅れる。大河内君のつま先はいつも、発動直前に移動先を向いている。壁上では攻撃パターンも限られる。……この勝負、このままなら、朝香君の勝ちね」


(すごい……。この子、いったい、何者なの……?)


 明日乃の分析は、TSコンバットをやり慣れている鏡子でさえ、気づかなかった、ほんのささやかな特徴とクセに過ぎない。

 鏡子も明日乃は、まだ親しくない。だが、おそらく天城明日乃は、序列百七十番台などという実力では、ありえない。



***

 大河内信也は、歯軋りした。

 目の前の見知らぬカイロスは、通常戦闘において、明らかに大河内の伎倆を上回っている。

 サイを使えない不適格のカイロスが、努力の末に会得した大河内のサイさえをも、競技場の形状まで利用しながら、破っていく。

 剣技の勝負にこだわれば、朝香瞬には、勝てないだろう。


 大河内は、残り時間を見た。

 試合終了まで、五分を切っていた。

 「有効」を二本奪われている。このまま試合時間が終われば、大河内の敗北だ。


 剣で勝てぬなら、サイで、勝つしかない。

 誇りなど、敗北すれば、無意味だ。


(この俺に、助真を捨てさせる奴が、いるなんて、考えてみれば、面白いじゃねえか)


「ワクワクするなぁ、朝香」


 大河内信也は、天をあおいで、腹の底から笑った。


「礼を言うぜ。空間屋も、捨てたもんじゃねえや」



***

 宇多川鏡子は、信じがたい光景を見た。

 大河内は、構えていた愛刀≪日光助真≫を、腰の鞘に戻した。両手を広げると、オレンジ光の壁を作り始めた。

 かたくななまでに、剣技にこだわり続けてきたカイロスが、敗北を覚悟し、ついに剣を捨て、サイだけで、瞬と戦おうとしていた。


 だが、朝香瞬に対し、中途半端なサイが通用しないことは、死闘を演じて来た大河内が、一番よく知っているはずだ。

 長介の用いた遠距離サイも、瞬を破れなかった。今から長介の戦法を用いるにも、時間が足りないはずだ。


 いったい、いかなる秘策を、大河内は持っているのか。


 鏡子は、瞬を見つめた。

 瞬は動かない。正しい判断だろう。今は、時間稼ぎをしていれば、勝てる。無理に動く必要はない。動かねばならないのは、追っている大河内のほうだ。


 大河内は、左手を前に出し、後ろに引いた右手に精神を集中している。

 瞬は当然、風撃に備えているだろう。如意棒を使い、また槍回しの要領で、防ぐ気だろうか。


 大河内が眼を、見開いた。


 オレンジ色に輝く右手が、瞬に向かって、突き出された。

 突然現れた火の球が、剛速球のように放たれた。燃えさかる球は、光壁を持たない瞬の左肩に、直撃した。


 瞬の悲鳴が聞こえた。コンバット・スーツが焼け焦げている。

 鏡子は、声が出せなかった。


「何、今の? 信也のヤツ、まさか……」

「……パイロキネシスね」


 明日乃の抑揚のない声がした。


 発火のメカニズムは解明されていないが、ごくまれに、発火能力を持つ者が存在する。

 発火能力は、経験的に、空間操作をよく用いる者のみが、発動できるとされていた。

 努力だけではない、大河内には、才能も味方していた。


「俺様の二つ名が≪炎の貴公子≫なのはな、炎を自在に操るクロノスになるのが、俺様の目標だったからだ。パイロキネシスは、時間屋には使えねえ。空間操作士だけに許される技だ。まだまだ未完成のサイで、使いたくはなかったんだが。光壁を全く持たねえお前には、充分すぎるほど、通用する」


 例えば、鏡子の展開する防壁があれば、予科生レベルの火球など、光壁に防がれて、鏡子の身体にまで、届くまい。だが、瞬の場合は、違う。そのまま火球として、生身の身体に到達する。


「へへっ。みっともねえ、勝ち方だがな」


 大河内は刀を鞘に収めはしたが、まだ、捨ててはいない。フェイクもありえた。これまで大河内が試みてきた攻撃パターンのいずれかで、勝利が決まるだろう。


 瞬としては、壁上で守りを固めながら、時間を稼ぐしかなさそうだった。


 後ずさりする瞬を、ゆっくりと追いかけながら、大河内は、両手に精神を集中させていく。

 オレンジ色の光がまばゆいばかりに、手を覆い始めた。


 鏡子はパイロキネシスを使えないが、サイ発動量は、優にテレポートの倍以上だと聞いている。

 おそらく大河内は、この試合ですでに、今日の発動限界をはるかに超えるサイを発動しているはずだ。過剰発動のために心身が困憊(こんぱい)し、午後の決勝では、満足にサイを発動できないだろう。


 だがもう、今の大河内は、決勝戦のことなど、微塵(みじん)も考えてはいまい。ただ、瞬との試合に勝つことしか、頭にないのだろう。

 

 大河内が踏み込んだ。瞬に向かって、両手を突き出す。

 十数個の火球が瞬に向かって、襲いかかった。


 瞬は壁上で如意棒を使い、棒高跳びの要領で、さらに空高く舞い上がった。

 大河内が、再び、風圧を伴う火球を連射する。一つが如意棒を直撃し、瞬は支えを失って落下する。幾つもの火球が、瞬を襲った。一つが、第三チャクラをかすめた。「有効」だ。


 だが、サイを放った大河内も、壁上で、両手両足を突いていた。発動限界を大きく超えたせいだろう、苦しそうに、喘(あえ)いでいた。



***

 和仁直太は、声を涸(か)らして、瞬に声援を送っていた。

 有利不利が幾度も入れ替わる、シーソーゲームのような試合だ。楽しめればいいのだが、直太は、心配が先に立った。


 如意棒で空中に上がった瞬は、かろうじて態勢を立て直し、壁上に着地した。

 瞬は、延ばした如意棒を構えた。


「君のパイロキネシスは、見切った」


 大河内が、ゆっくりと立ち上がる。


「どう意味なんや、長介?」


 隣の鹿島長介が、ゆっくりとうなずいた。


「朝香君の勝ちだよ。大河内君のパイロキネシスは、派手だけど、本人も認めているように、まだまだ完成していない。発動に慣れていないから、ぎこちない。朝香君は、二回の攻撃で、もう、どこに打たれるかを見切ってしまったんだ」


 大河内が雄叫びを上げて、火球を連射した。

 瞬は火球を避ける。避けきれない火球は、突き出した二メートルほどの如意棒の先を当てる。そうすると、瞬の持つ手に届くまでに、火球は尽きた。


 試合終了まで、残り三十秒余り。

 大河内は、全身をオレンジ色の光で包み、精神を集中した。

 身体はガタガタ震えている。サイの発動限界を大幅に超えているに違いない。


「俺様に、負けは、ねえ!」


 右手から出た火球が、手もとで消えた。


 長介が身を乗り出した。


「ま、まさか、サイコキネシスを合わせて、使った?」

「火の球、どこに行ったんや?」


 瞬が腹を押さえて、悲鳴をあげた。


 大河内の左手の火の球が、無防備な瞬の第四チャクラを打ったのは、試合終了合図と同時だった。

 大河内も、壁上で、前のめりに、どさりと倒れた。サイの過剰発動で、消耗しきったに違いない。

 他方、瞬は、壁から転がり落ちて、腹部を押さえたまま、動かない。


 競技者二人とも、倒れたまま、だった。


 競技場は水を打ったように、静まり返っている。


 何人もの係員があわただしく、競技者たちに駆け寄った。


 勝者のアナウンスは、されなかった。



***********************************

■用語説明No.38:パイロキネシス

TSCAのうち、空間操作能力に派生する特殊な発火能力。

強力なサイであり、≪輝石≫を用いても発動できる者は、ごく少数である。潜在能力に大きく依存するが、サイ発動能力が一定水準を超えたクロノス、カイロスのみが発動できるとされる高度なサイである。

サイの種類としては、空間系に位置づけられ、時間操作士には発動できない空間操作士特有のサイとされる。

**********************************

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る