第9話 消し忘れた記憶



 朝香瞬の前で、少女は微笑みを消した。表情はすでに、真剣な女戦士のそれに変わっていた。


「朝香君。私と、勝負しましょ」


 瞬は、面食らった。


 尋ねてもいないのに、鏡子はTSコンバットのルール説明を始めた。


 コンバットには防具を兼ねた競技用スーツがあり、スーツに取り付けられた十二個所の「チャクラ」と呼ばれる部分のいずれかをヒットすれば、勝ちだ。チャクラは、物理的な衝撃か、サイ攻撃を加えられれば、変色するから、勝敗は、客観的に分かる。

 だが、サイを展開できない瞬は、安全のため、剣道の防具を使ったほうがいいとの鏡子の判断だった。


「ちょっと待ってよ、宇多川さん。今日はただの見学だって」

 

 鏡子は正座して、鞘袋から、細身のAPを取り出しながら、答えた。


「ごめんなさい、朝香君。あなたにこれほどの素質があるとは思わなかったから。ウチとしても、道場荒らしに負けたみたいで、終わるわけには行かないし、それに……」


 鏡子が、APを鞘から抜くと、切っ先が両刃で、反りのほとんどない短めの日本刀が現れた。シリコン加工してあるらしいが、れれば肉が切れそうに見える。

 鏡子の愛刀で、古い名刀をモデルにした≪小烏丸こがらすまる≫という刀銘らしい。


「ぜひ朝香君には、ウチに入部して欲しいの。だから、コンバット部で学ぶことがあるって、知ってもらう必要があるから」


 さっき感じたが、どうやら瞬には、剣技の心得があるらしかった。

 いざ、敵に囲まれ、攻撃を受けると、瞬の身体は勝手に動いていた。相手の動きが簡単に読めた。身体は面白いほど、自由だった。

 実際に水中で泳いでみないと、自分が泳げるかが分からないのと似た感覚だった。頭ではなく、身体が勝手に動いていた。


 だが相手は、学年で序列二位の実力者だ。簡単に勝てるはずがない。

 駄目でもともと、負けて当然だ。とにかく瞬は強くならねばならない。鍛錬の開始は一秒でも早いほうがよかった。


「わかった。でも、何しろ初めてだからね。宇多川さんが僕に合いそうなAPを選んでくれないかな?」


「朝香君はサイが使えないけど、筋力があるから、遠距離攻撃のできる長槍タイプがお勧めね」


 気の毒そうな表情を浮かべる直太から、長槍型のAPを受け取った。槍も使い慣れている感覚があった。


「コンバットって、怪我をしたり、させたり、しないかな?」

「その心配はないわ。サイの使えない朝香君が、私に勝てる可能性はゼロだから。だいじょうぶ、ケガはさせないわ」


 圧倒的な実力差があるから、相手を負傷させない余裕があるというわけか。

 鏡子が持つ不動の自信に、瞬は、少しムッと来た。


 鏡子は、小烏丸を八相に構えている。

 対する瞬は、長槍を中段に構えた。構え方も、身体がしっかりと憶えているようだった。


 踏み込もうとした刹那せつな、ラベンダー色の光が通り過ぎた。あわてて身体を開く。振り返りざま、横に払う。


 が、鏡子の姿は、どこにも、ない。


 次の瞬間には、左から、みぞおちに向って切っ先が伸びていた。かわすだけで精一杯だ。が、体勢を崩した。

 鏡子がさらに踏み込む。返す刀で、右膝の裏をすくい上げられた。


 つむじ風に逆立ちをさせられるように、身体が吹き飛ばされた。一回転して、うつぶせに倒れた。身体をしたたかに打った。


 瞬は、呻いた。


 何という、速さ……強さだ……。


「だいじょうぶ? 朝香君?」


 刀を投げ捨てた鏡子が、慌てて瞬のかたわらに駆け寄ってきた。

 鏡子の白いうなじに光る汗が見えて、ぞくりとした。


「ごめんなさい、まさか初撃も、二撃もかわされるなんて、考えていなかったから、焦っちゃって……」


 鏡子の柔らかい腕に助け起こされながら、瞬は咳き込んだ。


「凄いよ、宇多川さんは。早すぎて、姿が捉えられなかった」


「いいえ。普通、テレポートを使う相手に対しては、サイで防壁を張るでしょ。その分、相手の瞬間移動速度を遅らせられるの。その間に、相手の攻撃を見切り、自分も攻撃できる。でも朝香君は、防壁も張っていないのに、私の攻撃をかわした。それも、二度」


 一応、誉めてはくれているようだが、空間操作能力を習得する兵学校に在籍しながら、瞬がサイを使えない事実に、何も変わりはない。


「強い相手は、立ち合っただけで分かるものよ。朝香君は、TSコンバットが、絶対に初めてじゃないわ。あなたは、記憶を失う前、カイロスになるために、相当の訓練を積んでいたはずよ」


 鏡子が防具を外してくれた。


「ごめんなさい、右足が軽い打ち身になっているわ。普通は防壁を張っているから、怪我までしないんだけど。私も、負けちゃいけないと思って、加減ができなかったの。保健室に行きましょ」


 瞬は、鏡子に肩を貸してもらって、立ち上がった。鏡子の身体が柔らかく、温かい。


「和仁君。悪いけど、鹿島君が来るまで、部長代行、頼むわね」

「鏡子ちゃん、瞬は、俺が連れて行ったるで」

「いいえ、私が怪我をさせちゃったから。じゃ、お願いね」

 

 訓練場から保健室までは、二人三脚で行くには、距離があった。


「宇多川さん。世の中には、サイ発動能力が先天的に欠落している人も、いるんだよね?」

「正確には、輝石を使っても、発動量が測定下限値に届かない人は、いる。でも、人間である以上、全くの無能力者は存在しないはずよ」


 空間操作理論を学び始めたばかりの瞬には、まだ理解できないが、最優等生の鏡子が言うのなら、間違いないだろう。


「サンジだって、弱いけれど、彼らなりに防壁を張っていたわ。朝香君が全くの無能力者なら、理論的にはガロアの防壁を全く破れないはずなの。だから、朝香君も、鍛錬を積んでいれば、必ず発動できるはずよ」

「じゃ、一にも二にも、鍛錬か」

「うん」


 レンガ造りの校舎に沿って立つケヤキ並木が芽吹いている。


「朝香君。もしかしたら、私たち一年次の時、一緒にこうやって並んで歩いていたかも知れないね」

「え? どうして、そう思うの?」

「昨日、朝香君に階段の下で会った時ね、私、何か懐かしいなって思ったから」


 特段、否定すべき理由もなかった。いずれにしても結局、誰にも分からない話だ。

「そうだね、そうかも知れない。その時も、宇多川さんにボコボコにされちゃってたかも知れないね」


 瞬は笑いを誘ったつもりだったが、鏡子は笑わなかった。


「きっと朝香君は強くなる。私なんかよりも、ずっと」

「宇多川さんは買い被りすぎだよ。現状はこれ以上ないってほど、絶望的なんだから。だって、今日も実技のクラスでみんなに嗤われたんだけど、僕のサイ発動量、見事にゼロだもんね」


 苦笑を漏らす瞬のすぐそばで、鏡子はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、ゼロじゃないわ。今は、測定下限値未満の、微弱なサイ発動量しか、ないっていうだけの話よ。全くの無能力者なら、APがただの棒になるはずだけど、さっき立ち会った時も、一応、機能はしていたもの」


 引き続き慰めになっていない気がした。

 だが、鏡子がせっかく瞬を買ってくれているのだから、素直に喜ぶことにしよう。


「宇多川さんみたいに強くなれたら、愉しいだろうね」


 数歩歩いてから、鏡子らしくない、小さな声がした。


「……私は、幼い頃から、クロノスになるための訓練を受けて来たわ。でも、強くなった後、何をするの? 戦争? 本当にそれで、≪終末≫を回避できるの?」


 無論、今の瞬は答えを持っていない。

 黙っていると、鏡子が続けた。小鳥のさえずるようなソプラノが、耳のすぐそばで聞こえた。


「私には、そんな力はないって、思ってる。だから、私は、クロノスになるより、自分の幸せを掴みたいって、思っているの。好きな人と恋をして、結婚して……。だって、≪終末≫までの人生しか、ないんでしょ? 私、専業主婦志望なの。私の考え方って、いけないと思う? 朝香君?」


「……いけないとは、思わないよ。でも、よく分からないんだ。でも、これっきりしか世界がないのなら、何かできたらなって思う。サイの発動もできない僕が言うのも、おかしな話だけれど……、」


 ボギーの言葉が頭をよぎるが、たかだか兵学校の予科生に救世の策など分かるはずもない。


「私なんかが、強いって思われているのは、大災禍のせいよ。本当は私なんて、強くとも何ともないのに」


 鏡子は、瞬のすぐ傍で、寂しげに微笑んだ。


「私の家では、幼い頃から、私を一流のクロノスにするために、英才教育を施して来たわ。道場には、私なんかがとても及ばない、強い人が一人、いたはずなの。私の憧れの人だった。強いから、好きだったわけじゃなくて……ね。六河川なら、本当は時間操作科に進むのが普通なんだけれど、私は、その人と同じ学校に行きたかったから、ここに来たんだと、思う」


 見ると、鏡子が、頬を朱く染めていた。

 なぜ鏡子は、瞬にそんな話をするのだろう。


「神様って、残酷だと思わない? だって、私の初恋の想い出まで消しちゃうんだもの。でも、まだ完全には消えていないの。だって、心が憶えているから。私は≪忘却の日≫のあの虹色の時間が終わってしまう時まで、誰かを好きでたまらなかったって、憶えているの。朝香君の身体が、カイロスとしての動きを憶えていたのと同じように。きっと神様が消しそびれた記憶なのかも知れない」


 瞬が明日乃に抱いた感情も、同じようなものなのだろうか。


 保健室に着いたが、ちょうど職員が出払っていたため、鏡子が手当てを始めた。

「宇多川さんが、その人とまた会えるといいね」


 鏡子が、患部にシップを貼ってくれていた。冷んやりとした感触が気持ちいい。


「私の母は、大災禍で存在を失ったわ。消えてしまった人は、憶えているの。失った痛み、哀しみと一緒に、ね」


 瞬はオブリビアスであるため、すべての人に対する記憶を失っているが、通常人は、消えてしまった存在の記憶を失っていない。


 オブリビアスの作り方は、ちょうど、雑草を抜く作業に似ているかも知れない。見た目は青々と繁茂している雑草は、地面にもたくさんの根を這わせている。根は記憶であり、過去だ。


 だが、時の神様は、雑草の地上部分だけを切り、そのあたりへ、ポイと投げ捨てる。さらに、残った根さえも、丁寧に抜いて行くのだ。わずか数本、抜きそびれることがあるにしても。


 後に残るのは、根無し草となって、放り出された雑草の上物うわものだけだ。


「朝香君、こうは考えられない? どうしても思い出せないってことは、その人が消えていないってこと。その人についての記憶だけを奪われたってこと。つまり、その人が、オブリビアスだからでしょ? お互いに記憶を奪われているから、会っても分からないけれど……」


 鏡子が手際よく、包帯を巻いて行く。


「朝香君は、≪忘却の日≫に保護された時、どこにいたの?」


 全世界を突然襲った大災禍は、昨年のクリスマス・イブに起こった。目の前で、三人に二人の存在が、虹色の光の中で、消滅していった。


「……何か、恥ずかしいんだけどね。虹色の時、僕はTDSにいたんだ。来場者二万人ほどの中に、ね。減った後の人数だけど」

「朝香君のそばには、誰か、いなかったの?」


 瞬は小さく首を横に振った。


「僕は、二人分の食事をプレートに持って、歩いている途中だったんだ。混んでいるから、一緒に行った誰かが、席を取ってくれていたんだろうね。僕は、その人の元へ、向かっていたんだと思う」


 鏡子は黙ったまま包帯の端をハサミで切り、丁寧にちょうちょ結びをしてくれた。


「宇多川さんは、何をしていたの?」

「私は家にいて、独りでピアノを弾いていたわ。目の前で母を失って、気づいたら記憶も一部、奪われていた……」


 多くの人間が経験した喪失感だ。オブリビアスの瞬のほうが気は楽なのかも知れなかった。ただ、知らないでいるだけなのだが。


「さ、終わったわ」

「ありがとう」


 瞬は立ち上がって、右足を動かしてみた。


 鏡子は、豊かな胸に付けている薄紫のペンダントを示しながら、にっこりと笑った。


「私、ほんの少し、ヒーリングの能力があるみたいなの。たぶんもう、大丈夫だと思うから」

「本当だ。腫れが引いている気がするね。ありがとう、宇多川さん。助かったよ」


 鏡子は手際よく、物を片付けながら、訪ねた。


「それで、朝香君。明日から、部活に来る?」

「そうだね。君みたいに、強くなりたいから」

「よかった」


 鏡子が嬉しそうに、白い歯を見せて笑った。


「じゃ、今日は安静にして、明日からね。部活の予定は、また教えるから」


 鏡子に続いて、保健室を出た。

 お別れの挨拶をすると、鏡子に呼び止められた。

 振り返ると、鏡子の恥ずかしそうな顔があった。


「朝香君。私の初恋はね、甘くはなくて、すっごく甘酸っぱかったの。どうしてかって言うとね、私の初恋の人には、とても素敵な恋人がいたようなの。顔も名前も忘れているから、心で憶えているだけなんだけど。だから、朝香君は、私に会っても、懐かしく思わなかったのかも、知れない」

「……え?」

「じゃ、朝香君。また、明日ね」


 鏡子は逃げるように、きびすを返して走り去った。


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■用語説明No.9:大災禍(カタストロフィ)

二〇五二年十二月二四日夕刻(東京時間)に起こった、人類の大量消滅。人類の約三分の二に当たる約六十億人が、虹色の光と共に数秒で、地上から消滅した。

消滅と同時に、全人類の記憶が消去され、あるいは改変されたために、≪忘却の日≫とも呼ばれる。原因は不明だが、来たる≪終末の日≫に同様の現象が起こり、残りの人類が消滅すると考えられている。

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