第05話 転校生の噂と真相

「どうしたんだよ、宗一郎」


 不思議そうに社が、宗一郎に尋ねる。

 その声には心配する響きも少しばかりこもっている。


 いつものように剣道部の朝練前に合流した社と宗一郎。

 二人の通う登美ケ丘高校までの、僅か五分の登校時間である。


 常に穏やかな表情を浮かべ、どちらかと言えば社のくだらない話の聞き役に徹するのが宗一郎だが、いつもであればうまく水を向けてくる。

 話すのはもっぱら社になるのだが、そのきっかけを作るのは宗一郎であるのが常なのだ。


 今朝はそれがない。


 一見した表情はいつもと同じ穏やかなそれを、整った顔に浮かべている。

 だが付き合いの長い社には、それがであり頭……というか肚の中でめまぐるしくその優れた頭脳を回転させている時の表情だ、という事がなんとなくだがわかる。


 ――しかしこういう表情していると、やっぱり宗一郎は「ジン」そのものだな……


 珍しく考え込んでいる宗一郎の顔を見ながら、社は思う。


 すでに己の妄想に過ぎないことが確定したとはいえ、社は変わらず「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語を愛している。


 その中での己――「ブレド」の片腕である「ジン」の《中の人》が宗一郎なのだ。


 ブレドとは似ても似つかない社とは違い、宗一郎は「ジン」そのものだ。

 違うのは瞳と髪の色くらい。

 さすがに宗一郎が全国レベルの剣道の腕前を持っているとはいえ、「ジン」のように魔晶石で創られた魔導兵を一刀両断したり、剣戟を飛ばしたりは出来ないだろうが。


 ――実は出来たりしてね。


 もし宗一郎が竹刀で車を一刀両断しても、さほど自分は驚かないかもしれないと社は思う。


 同時に自分の往生際の悪い思考に辟易もする。

 宗一郎が人間離れした「ジン」の剣術を使えれば、「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語が己の妄想であったを覆せるから、そんな風に考えてしまうんだろう。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語が自分の妄想の産物に過ぎないという事は、自分が「RIO」の淫夢を見たあの朝に確定したというのに。


 我ながら、諦めの悪いことだとため息が出る。




 が確定したあの朝、社は真剣に宗一郎に謝った。


 どうやら自分は子供の頃、宗一郎や理真ともっと仲良くなりたくて自分の妄想に二人を登場させてしまっていたようだ、と。


 宗一郎は笑って許してくれた。


 もしそうだとしたら光栄ですよ、と。

 理真もそれ聞いたら喜ぶんじゃないですか? と社が「ないわー」と思う感想も付けてではあったが。


 理真が知ったら、顔を真っ赤にして怒るんじゃないかと思う社である。


 いやもう疎遠になってしまった今では、社が世界で一番綺麗だと思っているあの顔の表情を変えることなく、「そう」と興味なさげに言うだけかもしれない。

 いや口さえきいてくれず、一瞥すらくれないかもと想像して、社は盛大に落ち込んだ。


 ――そりゃ高校生にもなって、今更子供の頃の与太話が妄想だったよと言われてもな。


 しかも一方は非の打ちどころのないお嬢様、もう一方は完璧なモブ夫と来ている。

 キモい話題ふってくるなってなもんだろう。


 ――理真の中では、もう黒歴史化してるんだろうしなあ……


 それが正解だと自分でも思ってしまうのが物悲しい。

 宗一郎は笑って許してくれたが、己の願望妄想に勝手に登場させて申し訳ないというのが数日前からの社の思いだ。


 それでもやっぱり社は「黒の王ブレドとその仲間たち」の冒険譚を好きなままで、それがより一層侘しさを強くする。


「だけどなぜ今更そんなことを?」


 と宗一郎に当然の疑問を投げかけられ、社は大いに懊悩した。

 親友とはいえ、その結論に至った顛末を話すのはさすがに躊躇われた。


 だが結局申し訳なさもあったことから、洗いざらい話してしまったのだが。


 その際に、大笑いする宗一郎というものを久しぶりに社は見た。

 おなかが痛いと言って、しばらく会話が途絶えたほどだ。


「い、淫夢って……しかも相手が現役アイドルって……社君も男の子なんですねえ」


 そういって、目に涙を浮かべるくらい笑われた。


 宗一郎は社をいったいなんだと思っていたのか。


 モブでも男だ。

 男として一揃いの欲望くらいは持ち合わせているとも。

 それが現実世界では実現するはずもないから、妄想に磨きがかかるわけですね、わかります。


 大事にしてきた物語が自分の妄想に過ぎないことが確定しても、いつも通りに接してくれることに対する安心と、その親友に己の淫夢を笑われる羞恥に複雑な思いを得つつ、社は宗一郎が笑い終わるまで耐えていた。


「で、どうだったのですか?」


 ひとしきり笑い終わった宗一郎は、その端正な顔にめったに浮かべない表情を浮かべてそう聞いてきた。

 よく言えば興味深げ、ぶっちゃけて言えば下世話な表情。


――ずりぃよな、オトコマエがすればにやにや笑いもになるなんてさ。これがこの世で最も無慈悲な真理と呼ばれる「ただしイケメンに限る」の法則ってやつか。


「ど、どうって?」


「ブレド様を通してとはいえ、社君は経験してしまったようなものですよね? しかも相手は今をときめくトップアイドル「RIO」なんでしょう? それはご感想のひとつくらいは聞きたくもなりますよ」


 しらばっくれてみたが、意外と直球で聞かれた。


 社は宗一郎に、「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語をどんなふうに夢で見るかを、それこそ飽きるくらい何度も詳しく説明している。

 その疑似体験を述べろと仰っているわけだ、このエロ貴公子殿は。


 考えてみれば不思議な話だ、と社は思う。


 ――がまるでない自分の妄想であるにもかかわらず、まるで破綻なく最後までいたしておられた、ブレド殿は。


 肝心なところでソフトフォーカスがかかることもなく、謎の光に遮られることもなかった。


 ――まあ弛まぬ映像学習の賜物かな。


 侘しい結論で疑問を打ち消し、社は宗一郎へ聞き返した。


「そんなの宗一郎の方が詳しいんじゃないの? おもてになりますからなあ、三条の剣士殿は」


 世界に冠たるSANJOグループの次男、成績は全国レベル、剣道の腕も全国レベル。

 そして「ジン」そのもののような見た目ルックス


 もてない訳がない。


 社が宗一郎とこの手の話をすることは実はほとんどないが、宗一郎がすでに経験があっても誰も不思議には思わないだろう。

 どちらかと言えばないという方が奇異に感じるのではなかろうかと社は思う。


 ――まあ俺に気ぃ使ってその手の話はしないんだよな、宗一郎。


「そこまで深い関係になりたいと思った相手にはまだ出逢えていませんね。ためしでするようなものでもないと思いますし」


 ああさよですか。

 「ただしイケ(略)」の真理は、童貞カミングアウトにまで適用されるんですな。


 とはいうものの、社にとっても意外な返答であった。


「マジで? その……理真とかでも?」


 どさくさに紛れて、宗一郎と理真がでないことを確認してしまうあたり、自分はどうしようもないヘタレだなと社は思ってしまう。


 だが社の目から見ても、それほどにお似合いな二人なのだ。

 明晰夢の中で、ブレドがマリアとジンに似たような感想を持っていた。


「――それ冗談でも理真に言ったらだめですよ、社君」


 瞬間でいつもの様子に戻って、素で注意をされる。

 こういう言い方を宗一郎がするという事は、という事だ。


 宗一郎は社の問いに偽りを返すことはない。

 聞かれないことまであえて語る事はないが、聞かれたことには誤魔化しなく正直に答えてくれる。

 それ言っていいの? と聞いた社がたじろぐような事であっても、それはもうあっさりと。


 先の童貞カミングアウトもその類だ。


 宗一郎の答えにほっとしている自分を情けなく思いながら、社も答える。


 ――宗一郎とそうじゃなかったからって、俺がどうこうできるわけでもないのにな。


「そんな会話できる関係じゃないよ、


 数年前ならそんなことをうっかり聞いて、「バカじゃないの? バッカじゃないの?」と顔を真っ赤にした理真に叱られることもできただろう。


 だけど今はもう無理だ。


 女の子にその手の話題を振って赦される男というのは、選ばれしものだけだ。

 今の社が理真にそんな話を振った日には、登美ケ丘高校という、狭くはあるが今の社たちにとっては世界そのものと同義である社会から完全に抹殺されかねない。

 

「そういう意味ではありませんし、そんなこともないと思いますけどね」


 ――フォロードウモ。


「しかし宗一郎でも興味あるのな、その手の話」


「それは健全な高校生ですからね。人並みにはありますよ」


 ――人並み、ねえ。


 社が話題を切り替えれば、宗一郎はそれ以上深く突っ込んではこない。

 二人が居心地のいい関係を維持できているのは、宗一郎が大人だからだというのは社にもわかってはいる。


「まあ朝っぱらからする話でもないし、部活帰りに家よっていけよ。もうこなったら開き直っていつもの物語口調で詳しく聞かせてやるよ、むっつり貴公子殿がお望みとあればな」


 さすがに理真にはできないが、宗一郎とそういう話をするのは面白そうだ。

 高1の親友同士となれば、エロ話の一つや二つしていて当然だろう。


 災い転じて福となすではないが、これで宗一郎とより仲良くなれるというのであれば、妄想話だと明確になってしまった「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語も浮かばれる。


「社君と18禁トークですか。僕たちも成長したものですね」


「宗一郎お前ね? なんでも爽やかにイケメン微笑で語れば赦されると思ってないか? 世間様はお前が思ってるより厳しんだからな、主に俺に」


 宗一郎と社では、御腐人方のネタにもなるまい。

 イケメンをキモい道に引き込む腐れヲタクとして断罪されるのはさすがに避けたい。


 宗一郎と仲良くなったきっかけがきっかけだけに、あながちハズレているわけではないという点が地味にキツイ。


「おや、それは以後気を付けましょう。――しかしそうなると社君はこれから楽しみが増えましたね」


 再び先のにやにや笑いを浮かべる宗一郎。


「なにが?」


「いえ、のも明晰夢で見るようになったというのであれば、ブレド様の側室たち全員分を見る可能性もあるわけですよね。たしかかなりの数がいたと記憶していますが……」


 素で聞き返す社に、ヘクセンヴァール世界の歴史を諳んじられる宗一郎がにこやかに答える。


 確かにのなかでも、明らかに「ブレドの女」として登場しているのはたくさん存在している。

 そのシーンを社が明晰夢で見ていないだけで、ブレドとであるのが間違いない女性は、社がぱっと思いつくだけでも二桁に上る。


 クリスやリリンとも、なんとなくそういうことを仄めかせる会話もあったはずだ。


 それに社は「黒の王ブレドとその仲間たち」の物語を最後まで見ているわけではない。

 今見ている時間軸からもっと進めば、今の時点ではそういう関係ではない相手とも――


「もしかしたらマリア……理真とのそういうのもあるかもしれませんね?」


 悪魔の囁きのような宗一郎の言葉に、一瞬で社の顔に朱がさす。


 ――やめてください、お願いします。


 そんなことになったらまともに理真の顔が見れなくなるし、現実とのあまりの乖離に死にたくあるかもしれない、と社は思う。


 ただでさえ申し訳ないんだ、そんな事態にだけはなってくれるなと社は心の底から自分の妄想力が自重してくれることを祈った。


 それが別の世界での本当のお話だというなら、この世で疎遠になってしまってもまだ救われる。

 だが手が届かない現実の代替だというのであれば、それはあまりにも寂しすぎる。


 ――それなら理真本人相手の淫夢を見た方がいくらかマシだ。


 だけどいつか、理真が自分以外の誰かのものになる日はやってくる。

 それまで無駄に近い努力でも続けるつもりではあるけれど、その時は相手が宗一郎だったらまだ救われるかなあ、と社はぼんやりと考えた。


 それはそれできついんだろうなあ、とも。




 そんなバカ話をしていたのが数日前。

 それからの毎日は、特に宗一郎に変わったところはなかったように思う。


 「黒の王ブレドとその仲間たち」初の18禁語りの翌朝は、「続き見ましたか?」の質問に鉄拳制裁を加えるという一幕がありはしたが。


 それが今朝、突然この様子だ。

 さすがの社も心配する。


「社君、冗談ごとではなくなったかもしれません」


 宗一郎がもなく話し始めることは珍しい。

 それほど頭の中で考えていることが膨大なのだろう。


「?――なにがよ?」


 とはいえこのままでは理解できないので、社は宗一郎に聞き返す。

 はっとした表情をして、「これは失礼を」などと言いつつ、


「あのした会話を覚えていますか?」


 とらしくなく迂遠に聞いてくる。

 ここ最近で夜に宗一郎と話したのは、例の18禁話の時だけだ。


 高校生同士のエロ話を想い出して深刻な顔をされましてもー。


「は? あ、ああ、あれな。そりゃ覚えてるよ、まだ15だぞ俺」


 そんな耄碌するような歳でもねえよと茶化してみても、いつもならどんなくだらないにも乗ってくる宗一郎が乗ってこない。


が現実になりました」


 あれってどれよ、と社は思う。


 というかあの夜した中で、社ではなく宗一郎が「現実になった」と確認可能な与太話と言えば……


 ――これで万が一「RIO」が転校してきたりしたら、「黒の王ブレドとその仲間たち:現代編」の幕開けなんだけどなあ。


 ――アイドルに傅かれる普通の高校生ですか。開幕としてはまあまあですかね。


 ――そうなりゃ宗一郎と理真も俺の両翼ジンとマリアとして覚醒だぞ?


 ――それは夢がありますねぇ。


 ってな話を確かにしていた。


「は? マジで?」


「――はい。社君が「黒の王ブレドとその仲間たち」の明晰夢で見た「RIO」――「リオ・ラサス・ウィンダリオン」が……僕たちの高校、それも同じクラスに転入してきます」


 普通であればとても信じられない宗一郎の言葉は、数日後に全校の噂となり、ほどなく現実となる。

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