46 ありがとう
46
会議は終わり、再び根谷は幸一たちに謝罪の言葉を述べてから、その場を後にした。そして幸一の周りに、稲尾や薫たちが集まっていた。
幸一を労い、または幸一の妹のことを察して励ましてきた。そんな中、稲尾は黙って近づき、幸一を熱く抱擁してきた。
「い、稲尾市長!?」
「よく言ってくれた。よくやってくれた!」
「……稲尾市長が、あの時、自分の背中を押してくれたお陰ですよ」
あの時――市長室で、幸一が稲尾に美幸のことなどを打ち明けた時。幸一の話を最後まで聞いた後、稲尾は潤んだ瞳で幸一に口添えした。
『それを、そのまま言いなさい。理屈が通らない相手を説得させるには、いつだって誠心誠意の純粋な思いだ』
稲尾は満面の笑みを浮かべ、
「さあ、これからだぞ! これから、新しい伊河市が始まるんだ」
既に明日の伊河市を見据えていた。
その後ろで茂雄がきまりが悪そうな、なんとも微妙な顔で幸一の方を見ていた。茂雄もまた目が充血しており、先ほどの決議で再公開の一票を投じてくれた。
「そ、その。なんだ……。これまで通りに、頑張ってくれよ」
そう言葉を掛けると、照れを隠すかのようにすぐさまその場を達去っていった。
ある意味一番反対していた茂雄の心変わりに、幸一は自分の気持ちが伝わり、解ってくれたのだと充分感じ取った。
「それじゃ、高野先輩。早く、美湯ちゃんのサイトを再公開しましょうよ!」
薫に引っ張られて、会議の片付けを余所に幸一たちは観光課に戻っていった。
稲尾は、遠ざかっていく幸一たちを見守るように見送る。そして稲尾は、自ら会議の片付けを始めたのであった。
まだ残っていた職員たちが慌て止めに入り代わろうとしたが、
「良いんだよ。今回ばかりは、私が後片付けをさせてください。あの時、最初の会議に居なかった罪滅ぼしだよ」
職員たちは困惑しつつも、稲尾の後片付けを手伝った。
観光課に戻ってきた幸一たちは、早速自分のパソコンに保管していた美湯のサイトのHTMLデータなどをサーバーの方へと再アップを行った。
本番に反映されるまで少々の時間が掛かるのだが、今の幸一たちにはその待ち時間が非常に長く感じる。
暫くすると、再び美湯の特設ページが伊河市のサイトに掲載された。
幸一はすぐに特設ページの方へ移動すると、美湯の声がスピーカーから再生されたのであった。
薫はまた涙目になりつつ拍手をし、他の観光課の職員たちも拍手で祝福してくれた。その光景に幸一の瞳が潤んだ。
そして、この事をある人物に一刻でも早く伝えたかった。
「飯島さん。この事を伊吹さんに伝えたいから、ちょっと席を外すよ」
「あ、はい。解りました。あ、私の分も伊吹さんに宜しくって、伝えておいてくださいね」
「ああ、解ったよ」
薫との会話の途中で、幸一は背中を向けて足早で退出していった。
幸一を見送った後、薫は確認がてら美湯の特設サイト内を見て回り、美湯の声を再生していく。
「うん。やっぱり、これだよね!」
久しぶりの美湯の声に、そしてそれがサイトから聴こえる事に、薫は喜びを噛み締めながら美湯の声に耳を傾けた。
◆◆◆
幸一は早歩きしながら休憩室に向かう中、携帯電話を取り出して伊吹にいつでも電話をかけられる準備を整えていた。
職員として非常に宜しくない行為だったが、幸一の頭の中は伊吹に連絡するということで一杯だった。
だが、これまで伊吹に連絡を取ろうと電話をかけたことがあったが、いつも留守番電話になっていた。
しかし、今電話をすれば、電話に出てくれる予感がしていた。
それは美湯が再公開されたことで、アドレナリンが分泌され、プラス思考に溢れていたからだ。
休憩室に着くと同時に、伊吹のダイヤルへと発信ボタンを押す。数回コールがした後、
『は、はい、伊吹です』
「あ、伊吹さんですか。お久しぶりです、高野です。あの、今大丈夫でしょうか?」
『はい、大丈夫です』
幸一はいつもよりも大きな声で、今の心の高鳴りをそのまま伝えるかの如く、美湯が再公開されたことを伝えたのであった。
一通り話しを終えると、
『ほ、本当ですか!?』
伊吹から戸惑いに似た声が返ってきた。
「はい、本当です。今、伊河市役所のサイトが見れたりしますか?」
『今すぐ見たいんですけど、今、外出していまして……』
「あ……。そう、なんですか……」
伊吹に今すぐにでも見て欲しかったこともあり、無意識に落胆してしまい声のトーンが低くなってしまった。
「で、でしたら、ご帰宅なさった時にでも見てください。あの日と変わらないままに、美湯が見ることができますよ」
『解りました。必ず……』
伝えたいことを全て伝え終わり、幸一の用件が終わってしまった。
「そ、それじゃ、これで……」
『あ、高野さん』
「はい、なんですか?」
『こういうのも、おかしいと思うんですけど……。今、私、何処にいるかと思いますか?』
「えっ? 何処にいる、かですか?」
突然の伊吹の問いかけに、首を傾げる幸一。
こんな時に訊いてくるものかなと訝しげるも、先ほど外出していると言っていたので、近所のスーパーとかに出掛けているかと思っていると、
『伊河~、伊河~。ご乗車ありがとうございました。伊河。伊河です』
聞き馴染みのあるアナンス声が受話口から聴こえてきたのである。それは伊河駅のホームで電車が到着したことを知らせる放送であった。それが聴こえてきたということは、つまり……。
「今のは……」
『あ、判っちゃいましたか。そうなんです。今、私、伊河市に来ているんです。というより、今さっき着いた所なんですけど』
伊吹は伊河駅のホーム設置されているベンチに座り、幸一からの電話をうけていたのである。
「えっ!? あ、その……どうしてですか?」
『それは……その。なんというか、罪滅ぼしですかね』
「罪滅ぼし?」
『美湯ちゃんのサイトが公開停止になったのは、ある意味、私の所為みたいでしたから……』
「伊吹さんは悪くはありませんよ。現に悪くないから再公開された訳ですから……」
『それでも公開停止になってしまったじゃないですか。
ですから、高野さん、伊河市にご迷惑をお掛けしてしまったので、湯乃花祭りの期間だけでも、ボランティアとして何かお手伝いが出来れば思いまして、伊河市にやってきたんです』
「そんな……。わざわざ、それだけの為にですか?」
『はい』
「その、お気持ちはありがたいのですが……。それに、こういうことは事務所の方から禁止されているものではないんですか?」
『その点は大丈夫です。実は、本日付けで事務所の方を退職しました』
辞めるという事を前々から聞いていたことだったが、それでも驚かずにいられなかった。
「ほ、本当にですか?」
『はい』
どことなく元気で明るい返事だった。
もう一日でも早く、美湯の再公開が決定して伊吹にその事を伝えていたら、辞めることを思い留まらせていたのではと、負い目を感じてしまう。
「そうですか……」
憂虞な気持ちが声に出ていたのか、それに察しってか、伊吹は心配させないように少しでも明るい声で答える。
『気にしないでください。前にもお伝えしていた通り、このお仕事で最後にするつもりでしたから……。
それは今頃、事務所のサイトにでも発表されていると思います。辞めるとなったら、なったで、やっぱり寂しいものでしたし……。
こちらに向かっている時も、景色とか見ている気持ちはありませんでしたから……。それに、美湯ちゃんの公開停止の件もありましたし……。どんな顔で、高野さんに向ければ良いのかなと……』
「伊吹さん……」
『あっ! 高野さん、私はもう伊吹まどかじゃありません。私の本名は、桑井園子と言います』
「桑井、園子さん……」
初めて知る本名。伊吹まどかに比べて少し古風な感じする名前だが、伊吹まどかより妙に合っているような気がした。
それが園子の本名なのだから至極当然のことではあるが。
『はい。これからは伊吹まどかではなく、桑井園子と、呼んでくださいね』
本名を呼ばれた園子は、一段と明るい声で返事した。
今まで伊吹まどかと呼んできたので、今から桑井園子と呼ぶのは若干抵抗が有ったが、彼女がそう望むのならと、
「……解りました、桑井さん」
そう呼ばれることへの嬉しさが溢れ、園子は『はい』と弾んだ返事だった。
まだまだ園子と話していたかったが、幸一はまだ勤務中である。しかも美湯や湯乃花祭りについてのタスクが残っていた。
「桑井さん、すみません。自分、まだ仕事中なんです。仕事が終わったら、迎えに行きますので、伊河駅周辺などで時間を潰してください」
『そんな! わざわざ、迎えに来て頂かなくても……』
「いえ、折角来てくださったんですから。そ、それに、前にウチの母親とも約束したじゃないですか。また伊河市に来たら、是非とも我が家に遊びに来て欲しいって!」
『……そうですね。高野さんのご両親や、妹の美幸さんにこの事を説明しないといけませんね。解りました。お待ちしております。あ、待ち合わせの場所は?』
「そうですね……。やっぱり、油谷熊七像の前ですかね」
園子は何かを思い出したかのように吹き出す。
そう伊河駅前に鎮座する、ひょうきんなポーズを取っている油谷熊七を象った銅像。それが、一瞬にして園子の脳裏にプレイバックしたのである。
『あれですね、解りました』
幸一が相槌を打ち、これで電話を幕引きしようしたが、『あ、高野さん……』と呼び止められ、
「 「 「 ありがとう 」 」 」
その感謝の言葉は、まるで三人の声が重なって聴こえた。
冷静に考えれば、電波などの影響での現象だったと思うのだが、幸一は園子からだけではなく、他の人物……。
そう、美湯と美幸からも言われたような。そんな気がしたのであった。
また瞳に涙が溢れ、出そうになった嗚咽をすすり込んだ。
『ど、どうしましたか?』
「いえ……。桑井さん……。こちらこそ、ありがとうございました」
幸一の涙混じりの言葉に詰まった想いは、園子だけでは無く、美幸に。そして美湯に向けての言葉だった。美幸と同じ声だったから園子を知り、美湯が生まれた。そして、園子が美幸と同じ声だったから、美湯を守ることが出来た。
これからも、三人が生んだ声……命の声が聴こえることへの感謝だった。
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