*横たわる修羅

「今は戦闘中だ。気を抜くな」

「は、はい」

 ベリルはライフルを手に持ったダグラスを一瞥し、負傷した仲間に目を移す。

「ダグラス」

「はい」

「ジャンを連れて下がれ」

「え?」

 足に怪我を負ったジャンを仲間が必死に引きずっているが、一人では大変そうだ。あれでは狙い撃ちされてしまう。

「解った」

 ライフルを肩にかけ、仲間と共にジャンを運ぶ。苦笑いを見せるジャンの青い瞳には複雑な表情が浮かんでいた。

「すまない」

 それは怪我をしてしまったことへの自責の念なのか、自分を助けることで戦力が減ることへの感情なのかは解らない。

 きっと両方なんだろう。怪我をしたかった訳じゃないし、痛い思いをしているジャンを誰が責めたりするものか。

「気にしない」

 ダグラスはそんな仲間に笑いかけ、仲間と彼の両肩を抱えて後方に下がる。そうして西門の近く、トラックを盾にして仲間が怪我人の応急処置を行っている場所にたどり着いた。

 そこには──

「エ!?」

 ダグラスは、の当たりにした光景に目を見開き、喉を詰まらせた。

「こんな……」

 怪我人は五人や十人どころじゃない。ざっと数えても二十人以上はいるだろう。

 戦地に取り残された一般市民じゃない、戦う力を持つ仲間がこんなにも横たわっている。経験のない光景に、夢ではないかと思ってしまう。

「いま前線には何人いるの!?」

 怪我人の治療をしていた仲間は、その問いに表情を険しくした。

「おそらく、二十人ほどだ」

「そんな」

 半分以下だなんて! 背後から聞こえてくる銃声と、目の前の無数の怪我人に戦慄する。

「これが」

 これが──現実なのか! 戦いに大義名分などありはしない、そこにあるのは生と死だけだ。誰が生き残るかなんて解らない。

 死だけが全てに平等なのだと思い知らされる。未だ死人は少数ながらも、このさき増える可能性は充分にある。

 だめだ、目を背けるな。現実から逃げちゃいけない……。ベリルの作戦ミス? 違う、ベリルだからこれで済んでるんだ。

 住人たちに被害が及ばないように、仲間たちが必死に戦っているんだ。傷つかなくて済む者を護ること、そうでなければ自分たちのいる意味が無い。

 そのために、仲間たちはいま戦っているんだ。

「ダグ」

 呼ばれて目を向ける。

「行けるか?」

 ダグラスは数秒ほどその無骨な顔を見つめたあと、ニヤリと口角を吊り上げた。

「とうぜん」

 ライフルを掴み足早に戻っていく。

 多分みんなこうなる事は解っていたんだ。だけど、これ以上の数は増やせなかった。誰も死にたい訳じゃない、だから必死に生きようと戦ってる。

 ──戦場に戻ると、先ほどよりも仲間たちが包囲を狭めていた。見回して、ライフルのスコープを覗いているベリルを見つける。

 狙いを定め、引鉄ひきがねを引いた先の敵が倒れ込んだ。それに警戒してか、敵の体勢が低くなる。

 ベリルは口の中で舌打ちをしてライフルを投げ置いた。

「五分でケリをつける」

 鋭く視線を宙に移し、ひと呼吸してヘッドセットを指で軽く押さえる。

「徐々に接近。油断するな」

 すでに敵も味方もバラバラで混戦状態になっていた。生き残っている相手の人数も見当が付かないほどだが、こちらと同程度の数だろうと予測はしている。

 このまま続ければベリル側の勝利だ。仲間たちもそれを感じ、武器を持つ手に力を込める。

 しかしダグラスはベリルを見下ろし、意を決したように飛び出した。経験も浅く、高揚した気分は人を思いがけない行動に走らせるものだ。

 視界の端で疾走する影に驚き目を向けたベリルは一瞬、体を強ばらせた。

「ダグラス! 待て!」

 手を伸ばしたが間に合わず、するりと抜けて駆けていく背中に眉を寄せる。

「──っあの馬鹿」

 舌打ちしてあとを追う。障害物を盾にしながら進んでいるのか、ダグラスの姿をなかなか見つけられないでいた。

 そうして飛び交う銃弾の嵐のなか、その後ろ姿を見つけたとき、ダグラスに向けられた銃口が視界に入る。

「ダグラス!」

 この距離では間に合わない。全身の血が凍ったように冷たくなった。

「ハッ!?」

 突然、目の前に影が飛び出しダグラスはギョッとした。しかしその影は、胸を貫かれたと同時に引鉄を引いて敵を道連れに倒れ込む。

「ローランド!?」

 まさか潜入していたのかと驚きつつも、赤く染まっていくローランドの胸に思わず駆け寄った。

 銃弾はお構いなしに飛び交い、それを避けるように彼を障害物に引きずっていく。

「──大きく、なったな」

「喋っちゃだめだよ!」

 震える唇に笑みを浮かべるローランドにダグラスの声は詰まる。状態を確認するベリルを見やると、苦い表情を向けた。

「うそだ……」

「よう、ベリル」

「喋らないで!」

 動揺しているダグラスを一瞥し、ローランドは構わず続けた。

「すまなかったな……。あんたと対立することが、奴らに信頼される、一番の早道だったんだ」

 それに無言で応えるベリルに同じく笑みを返して再びダグラスを一瞥する。

「無鉄砲な、ガキの世話ってのは、大変だな」

 涙を浮かべて覗き込むダグラスの頭に乱暴に手を置き、喉に詰まる血で咳き込みながらも口角をつり上げる。

「気にすんな」

 ぱたりと音を立て、するりと手が滑り落ちた。横たわるローランドは動かなくなる。

「──っ!?」

 ダグラスは目の前が真っ白になった。

「右から攻めろ」

 ベリルはそれを視界に捉えながら指示を与える。戦いは待ってはくれない。これ以上、仲間を犠牲にする訳にはいかない。

「うそだ……」

 眼前の出来事を認められず、転がっているローランドの胸ぐらを掴んだ。

「ベリルと対立しても死ななかったじゃないか! なんでっ──あんな奴にられるんだよ!」

 どうして助けたりなんかしたんだ。助けたって国の利益になんかならないじゃないか。大して親しくもない人間をなんで助けるんだよ。

「ダグラス」

 ベリルの手が背中に触れると、ダグラスはその手を振り払って声を荒げた。

「なんとかしてよ! ベリルは怪我の治療も出来るんじゃないか!」

 どうにもならない感情に涙を一杯に溜めて、動かないローランドに再びすがりついた。つい先ほどまで生きていたというのに、今は人形のように動かない。

 生暖かかった血は生臭い赤い液体となって、それがなんとも言えない気持ち悪さを沸き立たせる。知らない感覚じゃないというのに、どうして今はこんなにも衝撃的に見えるんだろう。体の震えが止まらない。

 こんなことになったのは──

「……僕のせいだ」

「違う!」

 ベリルはヘッドセットを乱暴に外し、ダグラスを振り向かせて強く抱きしめた。体は大きくなったけれども、伝わる震えはあのときと同じだった。

「そうじゃない」

「──っベリル」

 壊れそうな自分を支えてもらいたくて、必死にベリルの背中に腕を回す。

「ローランドは自分の意志でお前の前に出た。決してお前だけのせいではない」

 ダグラスの脳裏に甦るかつての記憶、父親に殺されかけた記憶は深く心に突き刺さっていた。

 絶望の笑みを浮かべ、「だって……僕はいらない人間なんだろ」と発したその時の言葉は、ベリルの心までも締め付けた。共に、そのときの記憶が蘇っている。

 どんなに月日が経とうとも、あの傷が完全に癒えることは無いのだと解ってはいた。ベリルは、自分と同じ道を歩むことでその痛みが呼び覚まされることをずっと懸念していた。

 ダグラス自身もそれを充分に感じていたただろう。それでも目指したいというのなら、私に止める権利はない。強い意志の止め方を私は知らない。

 落ち着きを取り戻したダグラスを見つめ、その額に願いを込めたキスを落とす。

「己のせいで誰かが傷つくのを恐れるならば強くなれ。誰かを救いたいと願うなら優しくあれ」

 それが、私とローランドの願いだ。

「彼の死を越えていけ」

 タグラスに発してヘッドセットを装着し、戦いを終らせるため最後の言葉を放った。

「今夜の酒を選んでおけよ」

<イエッサー!>

 耳が痛くなるほどの仲間たちの大きな声にダグラスは苦笑いを浮かべ、ライフルを握りしめた。

「彼を頼む」

 ベリルはダグラスにローランドの遺体を運ぶよう指示した。すでに戦いは終りを告げている、銃声の止んだ工場を見渡しダグラスは強く頷いた。

「解った」

 重そうに運んでいく背中をしばらく見つめたあと、ベリルはその瞳を険しくして足を進める。

 その先にいたのは組織のトップ、サティムだ。

 汚れたコンバットジャケットに疲れた表情、クセのある黒髪は激しい戦闘を物語るように乱れていた。

 いくつも銃口が向けられ、ふてくされたようにしゃがみ込んでいるダークグレーの瞳が目の前に立つ影を見上げた。

 サティムはその影を苦々しく睨みつける。

「貴様か。化け物め」

 男の悪態にさして興味を示さず、目線を合わせるようにベリルは膝を曲げる。

「顔を合わせるのはこれが初だな」

 そんなベリルに男は奥歯を噛みしめ、さらに鋭い視線を刺した。ある程度裏の世界を生きていれば自分にとっての危険人物が解ってくる。

 ベリルという人物に注意はしていても、その動きを逐一把握出来はしない。大抵はこうして手遅れになる。

 それでも負けた悔しさを押さえきれずに身を乗り出し、

「貴様は死ぬことがない。だからそうやって平然としてられるのだ。周りを見てみろ! 一体、何人が死んだと思っている。貴様は化け物だ!」

 最後のあがきなのか、鼻息荒くまくし立てた。

「こいつ殴っていい?」

 ぼそっと発したノリスにベリルは肩をすくめる。オルソンは豪快に笑い、大きな体を折り曲げてサティムを鋭く見やった。

「違うね。ベリルだから俺たちは命を張れるんだ」

「なに?」

 男が周囲を見回すと、彼らの表情はその言葉が当然のように笑みを浮かべていた。

「言いたい事はそれだけか」

「うっ──」

 感情の見えないベリルの表情に血の気が引く。殴られた訳でも、罵倒された訳でもないのに、えもいわれぬ絶望感がサティムを襲った。

「知らせなくていいのか?」

 ベリルはオルソンの言葉に、険しい視線を工場の外に向ける。

「放っておけ。どうせ見ていただろう。勝手に回収に来る」

 そう言って周囲を確認するように見回した。

完遂かんすいだ」

「イヤッホウ!」

「終わった!」

「やったぜ!」

 仲間たちは一斉に声を上げ、戦いの終わりとその勝利に喜んだ。ダグラスはようやくの終わりに安堵しふと、スーザンの姿が見えない事に気が付いた。

「どこに行ったんだろう」

 そういえばかなり前から姿が見えなくなっていた。探しても無駄だろうとため息を吐いて仲間たちの撤収作業を手伝う。

 ──撤収作業のなか、ベリルは並ぶ遺体に眉を寄せエメラルドの瞳を曇らせる。そして、毛布を被せられたワイトの遺体の前にしゃがみ込む。

「無茶をしおって」

 いつもと少し違った声色に、ダグラスはその背中を見つめた。

「ベリル」

 かけられた声にベリルは振り向かず、もはやワイトの面影すらも残らない遺体の胸に手を置いて目を閉じる。

「私よりも早く逝く奴があるか」

 無表情にも、切なげにも聞こえるその声は、ベリルの限りない哀しみを表しているようにダグラスには感じられた。

 それはベリルの今の年齢、五十二歳よりも早く死んでしまった事を意味していた。

 長生きの出来る仕事では無いことくらい解っている。それでも、出来る限り生き続けて欲しい。そんなベリルの願いは、いつも悲しい終焉を迎える。

 懸命に掴み留めようとする指の隙間から命は虚しくすり抜けていく。

 遺体の前で片膝をつき、うつむいている姿はいつもの強いベリルを弱しく映し出す。ダグラスは、ただじっとそれを眺めているしかなかった。

 ──バイクにまたがり、遠方に見える工場をスーザンは眺めた。

「あなたの能力、見せてもらったわ」

 口角を吊り上げて走り去る。ベリル・レジデントについては今後も調査を継続し、活用していく事がベストだろう。

 そうして、ダグラスの初めての大きな戦いは苦いものと終った──

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