◆第三章

*索敵-さくてき-

 遺伝研究所にいた頃、ピアノの教師をしていたアリシアは二十歳も年の離れていたベリルに恋をした。

 襲撃のあったあの日──十五歳だったベリルの目の前で銃弾が彼女の頭部を貫き命を落とした。彼女との最後の記憶は血の味の口づけ。

 恋愛感情のないベリルでも、それがどういう事なのかは理解出来た。徐々に冷たくなっていく体をどうする事も出来ず、その苦しみがベリルの心を締め付ける。

 彼女が生き残ったとしても、その恋が成就したかは解らない。

 あの時の、命が消えゆく感覚は例えようもなく。息が詰まる程の孤独感と焦燥感が全身を襲い、足下からゆるゆると支配してゆく虚無感は慣れるものじゃない。

 叫びたくなる声も突いて出る事は無く、冷たくなる体を抱きしめる他に為す術が無い。それを経験する度に、ベリルは奥歯を強く噛みしめる。

 そんな感覚をダグラスには味わって欲しくないというのも、ベリルが彼を傭兵にしたくない理由の一つだ。

 それでも少年はベリルの背中を追いかける。死というものを知っているダグラスを無理に止める事など出来ない。

 しかし、その傷をさらにえぐりはしないだろうかという恐れもあった。

 ベリルはふと、端末が震えている事に気付き車のカーナビの前にある凹みに差し入れて通話をタップした。

 傭兵の一部には、こうした特殊な機械を使用している者も少なくはない。半ば道楽でそういった開発を手がけて流している会社も多いという事もある。

<ベリル! 戻ってきてくれ!>

 先ほど別れたミハエル捜査官の大声が車内に響いた。

「なんかあったの?」

 尋常ではない様子にダグラスは聞き返す。

<ニールが連れ去られた>

「えっ!?」

 ダグラスとベリルは互いに顔を見合わせ車を反転させた。声色からして嘘でもないらしい。

「なんで隣のニールが?」

 一体、何があったというのだろうか。少年はいぶかしげに眉を寄せた。


 ミハエルは戻ってきた車に大きく手を振り、車から出てきたベリルに駆け寄る。青みがかった金髪を揺らし、グレーの瞳で不安げにやや見下ろした。

「すまない、実は──」

 深い緑のスーツを整える事もなく促した視線の先にはマクスウェル家の人々と見慣れない男性が一人、芝生の上でこちらを見つめていた。

「何があった」

「ニールを助けて!」

「まず説明してよ」

 ダグラスはベリルにすがりつく少女をなだめた。

 話によると、ベリルたちが去ったあとミーナとニールは久しぶりに外で遊ぼうと玄関を出たそのとき、いきなり知らない男たちがニールを抱きかかえ車に押し込んだという。

 それを見たニールの父ディエゴが慌てて出てきたが、男たちは父親を突き飛ばし何かを発して走り去った。

「た、頼む! ニールを助けてくれ」

「ニールが連れ去られた理由は」

 ミハエルに懇願するディエゴにベリルが静かに問いかけると、ディエゴはビクリと体を強ばらせ言い出しにくそうに視線を泳がせる。

「原因はお前のようだな」

「そ、その──」

 一斉に視線が注がれたディエゴは言葉を詰まらせた。

 硬いセピア色の髪と彫りの深い顔立ちに黄色い瞳、身長は百八十センチは軽くあるだろうか。白いタンクトップに厚手のジーンズ姿はいかにもな体格だ。

「言えないのなら何も出来ん」

 躊躇う男に冷たく発した。いつものベリルなら相手が話せるようになるまで待つのだが、今回はそうもいかない。

「おれっ俺は、その、ま──っ麻薬の運び屋をやってるんだ」

 その告白に驚いた一同だが、ベリルだけが冷静にディエゴを見つめていた。

「初めは金のために少しだけだったんだが、段々と量が増えてきて」

 さすがに恐くなったディエゴが運び屋を止めると言うと、相手は脅迫を始めた。

「いいか、お前は止められない。俺たちが止められないようにしてやるからな」

 組織の下っ端が吐き捨てた言葉が、まさかこんな結果になろうとは思いもしなかった事だろう。

「組織の名は」

「シャーク・メナス」

「結果を充分に噛みしめると良い」

 頭を抱えるディエゴに冷たく言い放ち端末を取り出す。

「ヤン、調べて欲しい組織がある。シャーク・メナス──うむ、頼む」

「協力してくれるのか?」とミハエル。

「さてね」

 端末をパンツのバックポケットに仕舞い、ディエゴに向き直る。

「私は傭兵だが、こういう組織とも何度かまみえた事がある」

 男はその言葉に情けなくしおれた顔をベリルに向けた。

「あなたは運が良い。彼がいれば大丈夫ですよ」

 ミハエルが付け加える。

「保証は出来ん」

「頼む! 助けてくれ!」

 ディエゴはベリルにしがみついた。

「それなのだが、私は雇われて仕事をこなす。それには契約が必要だ」

「けっ、契約する! どうすればいいんだっ?」

「相手の規模で変動する。私一人ならおよそ五千オーストラリアドルだが、仲間を要請すれば金額は加算されていく」

「どれくらいなんだ」

 モリスが横から口を挟んだ。

「規模にもよるが最低でも五人、上限はまだ決められん。私以外は一人一万だ」

「五万五千!? そんな大金ある訳が無い!」

 ディエゴは頭を抱えた。

(※作中でのレート:一オーストラリアドル=九十円)

 それを見たモリスがキリリとベリルを見据え、

「わしが代わりに支払おう。頼む、ニールを助けてやってくれ」

「モリス!?」

「相手の規模によっては十万を超えるが」

 モリスはそれに少し驚いた顔をした。

「今回は戦闘になる可能性がある。その金額だと思ってくれ、ああ──」

 言ったあと思いついたように発した。

「ダグラスがプラスされる。それで私一人分として八千だ」

「うむ……。いいだろう、払ってやる」

「モリス、しかし!」

 確かに嬉しい申し出だが、そこまでしてもらうのは気が引けた。全ては自分が招いた種なのだから。

「ディエゴ、同じ子を持つ親として心配なのはよく解る。何か協力させてくれ」

「すまない、すまない」

「一つ提案がある」

 ベリルは左の人差し指を立てた。

「警官なら八千で済む」

 ミハエルに視線を送ると、彼はそれに目を丸くして苦笑いを浮かべた。

「おいおい、警察が傭兵の指揮で動くって?」

「住民が困っているのだぞ」

「う──っ」

 ベリルのひと言に声を詰まらせ感情の読み取れない瞳をしばらく見つめたあと、溜息を吐きつつ携帯端末を手にした。

「あ、部長。折り入ってお話が──」

 通話相手と言い合っているミハエルの様子を眺めていると、ベリルのバックポケットの端末が震えて着信を知らせた。

 電話の相手は先ほどのヤンだ。世界の情報を集めてそれを売買している会社の社員で、オーストラリアの情報を仕切っている人物である。

「そうか──うむ。すまんな」

 通話を切り、バックポケットに仕舞いながらミハエルを遠目に窺う。彼は十メートルほど先にある乗ってきた覆面パトカーに左腕を乗せてリアクション大きめに未だ上司と言い合っているようだ。

「了解、得られると思う?」

「ふむ」

 ベリルは少年の言葉に小さく唸りミハエルに近づいて端末を渡すように手を差し出した。

「確かホーネストだったかな」

<なんだ貴様は?>

 聞き慣れない突然の声にいぶかしげな声色が返ってきた。

「今話題の人物だよ」

<貴様がベリルか!>

「相手はシャーク・メナスだ。手強い」

<それがどうした! 我々だけで充分だ、貴様などの手を借りることは──>

「手柄はお前が取れば良い。私ならば最高の手柄をお前に与えてやれる」

<──っ>

 黙り込んだ相手の返事を待つ。かなり考えている様子だ、男の小さな唸り声が耳をくすぐる。

<保証出来るか?>

 低く、くぐもった声で問いかける。

「約束しよう」

 ベリルが断言するのは珍しい。確実な保証など出来かねるが、曖昧な言葉では動いてくれそうにない。

<必要な人数を後で連絡しろ>

 切られた端末をミハエルに投げ渡し、モリスたちに歩み寄る。ミハエルは慌ててその後ろを追いかけた。

「奴らの拠点はキャンベルタウンだ。中規模程度の組織だろう」

「結構でかいじゃん」

 すかさずダグラスが返す。ミーナたちにはよく解らないが、それなりの組織なのだろう。

「あまり無茶な事は出来んな」

 動かすのは警官だ、いつものようにはいかない。

「ヘッドセットは用意するの?」

「ホーネストにキャンベルの街警察への協力要請を」

 ベリルは少年の問いかけに頷き、ピックアップトラックのドアを開きながらミハエルに指示をした。

 そうして、ベリルとダグラスの二人は再び買い出しに向かった。


 ──路肩に車を駐めると、ベリルは少年にカードを手渡す。

「見せるだけで良い、ヘッドセットを二十だ」

「わかった」

 頷いて路地裏に入っていく後ろ姿を見送りながら端末を取り出す。

「詳細を頼む」

 相手は情報屋のヤンだ。いま持っている情報だけでは作戦を立てるのは難しい。

「データを送ってくれ」

 ひと通りを聞いて通話を切った数秒後、再び端末が震える。そうして送られてきたデータをカーナビに移動し、映し出された見取り図を眺めて眉を寄せ思案するように小さく唸った。

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