*少年の過ち
「へえ、ベリルってそんなに凄いの?」
ミーナはキッチンで明日の料理の下準備をしながらダグラスの話を聞いていた。
「うん、仲間たちからは素晴らしき傭兵って呼ばれてるんだ」
照れながらも誇らしげに語る少年の手にはパプリカが握られている。お菓子作りを終え、ミートローフのおさらいの手伝いをしている。つまりは明日の昼食にはミートローフが並ぶ。気をつける所をベリルに聞き、明日お披露目である。
明日のミートローフは夏向けの爽やかなものにしようと少女はパプリカを持ち出し、それをダグラスに切ってもらっている。
「若いのに凄いんだ」
「あ、うん」
本当は五十一歳なんだけど……。
まあ、二十歳で名が広まったらしいから間違いではないよね。二つめのパプリカを切り始める。
「何か基本とかあるの?」
「え? うーん」
手を止めて考える。いざ訊かれるとすぐには出てこないらしい。
「ああ、携帯端末は絶対に着信音を鳴らすなって言われてる。あと、僕たちの携帯には必ずGPSがついてて──」
「あたしのにもついてるよ」
「だろうね」
肩をすくめて苦笑いを返した。
──その頃、父のモリスとベリルはリビングでくつろいでいた。
「傭兵という仕事は大変かね?」
おもむろに問いかけたモリスを一瞥し、苦笑いを浮かべる。
「そうだな、内容によってはかなり変動する」
ベリルに来る依頼は重要度と難易度の高いものが多い。彼が不死だからというよりも、その成功率によるものだ。
「君は不思議な男だ」
モリスはぼそりとつぶやき、グラスを傾けたあと柔らかな眼差しで宙を見つめた。
「ミーナのあんな笑顔は久しぶりだよ」
脅迫状のあと、警護を増やしても少女の怯えは消えることがなかった。
「君が来てくれてミーナは元の表情を取り戻した」
その言葉にベリルは目を細め、手に持つグラスに注がれている琥珀色の液体に視線を揺らし小さく笑った。
「ダグラスのおかげだろう」
同じ年代のダグラスがいたからこそ、少女は緊張感を解きほぐした。
「おお、あの子は成長したらさぞ聡明になるだろう。どうだね? ミーナの婿に」
「はっはっはっ」
乾いた笑みで返す。
「君もまだ若いのだから恋人の一人くらいはいるだろう」
ベリルはそれに少し困った表情を浮かべた。恋愛感情を持たないベリルは言い寄られる事はあっても自分から恋人を持つ気にはなれない。
もちろん、不死や仕事に関する事も理由には挙げられる。
「パパ! そんなこと聞いたら失礼よ」
下準備を終えたミーナがリビングに戻ってきた。手にあるソータゼリーをそれぞれに手渡し、ダグラスがジュースを運んでくる。
「これはすまない」
娘の忠告に父親らしい笑顔で返す。
「いや」
ベリルはそれにブランデーを口に含んだ。
「大体、この
「悪かったね」
しれっと応えたダグラスに顔をしかめる。
「えー、そう? とってもステキだけど」
「それとこれとは別の問題」
ダグラスはゼリーを口に投げ込み、当惑した様子のベリルを一瞥し勝ち誇った表情を浮かべた。
ベリルに勝てるチャンスなどほとんど無いのだ。ささやかな勝機を見逃しては一生、勝てないかもしれない。
どんな勝ちだって取っていく! 少年はそう心に決めていた。
「お酒って美味しい?」
少女は美味しそうにグラスを傾けている二人を交互に見やった。
「そうだな。飲む理由は様々だ」
「ミーナもいつか解るさ」
「ふーん?」
生返事でゼリーを口に含んだ。
──夜も更けてベリルとダグラスも寝床に潜り込む。
「ベリルはどんな理由で飲んでるの?」
ベッドの中でダグラスが小さく問いかけた。
「さあ、何かな」
装備している銃をナイトテーブルに仕舞い、寝る準備をしながらぼそりと応える。
「何それ」
ダグラスは眉を寄せた。ベリルが酒を飲んでいる姿はよく見るけれど、何を考えているのかは解らない。
楽しいのか、寂しいのか悲しいのか。それとも……?
「好きなんだよ。それだけだ」
ダグラスは笑みを浮かべて寝転がったベリルの背中を見つめる。ベリルの考えていることはいつも解らない。
思考をめぐらせても掴めない。一歩でも近づきたいのに少しも近づけない、それがとても歯がゆかった。
背後からの視線にベリルは目を据わらせる。理由を訊かれても「好きだから」としか応えられない。そこには重い感情も何も無い。
そういえば、カイルも酒が好きだった事を思い出す。彼はブランデーではなくウイスキーを好んでいた。
彼に数多く影響されていた事につくづくだと口角を吊り上げた。
硬い黒髪と空のような青い瞳──ベリルの全てを受け止め、静かに見守ってくれた。口数は少なめだったが、おおらかに笑い豪快な性格だった。そして、発せられる言葉には力があった。
そんな昔を思いつつ、ベリルは意識を遠ざける。
──朝、ベリルの端末が振動し、リビングに向かう階段を下りながら端末をタップした。相手はミハエル捜査官だ。
ミハエル捜査官とは旧知の仲で、彼がまだ小さな街の警官だった頃から友人関係である。
三十五歳でイタリア人の妻と六歳になる息子がいる。
「そうか、ありがとう」
通話を切りリビングに入ると、隣のニールがミーナと遊んでいた。
「あ、ベリル」
手を振るミーナに笑みを返し、ニールに目線を合わせるように片膝をつく。
「ニール」
「なに?」
積み木に夢中なのかベリル目を向けずに応える。
「パソコンはいじれるな」
「うん」
「ベリル?」
なんでそんなことを訊くの? ミーナは少し不安になった。
「アレを書いたのはお前だね」
「ベリル!? なんてことを──!?」
ミーナは驚いて勢いよく立ち上がった。こんな子供を疑うなんて信じられない!
「怖がらなくて良い。怒りはしない」
黙って下を向いている少年に優しく語りかける。
「ホント?」
ニールは当惑する少女を一瞥し、促されたソファに素直に腰を落とした。降りてきたダグラスはその様子に無言でソファの後ろに立った。
「お姉ちゃんが、最近お父さんと一緒にいられないって寂しそうにしてたから」
少年は三人の顔を窺いながら少しずつ語り始めた。
「買収のせいだって、言ってたから」
ミーナのために何かしたくてテレビでよく見る脅迫状を真似て出したら、早く帰ってくるようになった。
「それで、やった! って思ったの」
しかし、ミーナが日増しに元気を無くしていき、どうしたらいいのか解らなくて黙っていた。
「だからあんな内容だったのか」
ダグラスは納得したように声を上げる。
「あたしのためにやってくれたのね」
「ごめんなさい」
「相手のためを想うのは良い事だ。だが考えて行動しなくてはな」
「うん」
反省している様子の少年の頭をポンと優しく叩き立ち上がった。
「私から言ってあげよう」
「ホント!?」
「ちゃんと隣にいるのだぞ」
「うん!」
ベリルはまず、モリスとリサに説明をしニールがその隣でペコリと頭を下げる。次にミハエルに連絡して彼が駆けつけると、同じように説明してニールが謝った。
ミハエルにはこっぴどく怒られたが、悪気はなく子供のした事だからとげんこつ一発で終わらせた。
「なんで解ったの?」
「違和感があると言ったろう。文面だけなら頭の悪い馬鹿か知能犯に思えるが、観点を換えれば子どもだと推察出来た」
ひと段落終えて尋ねるダグラスに応える。ニールと初めて対面した時の、少年の表情をベリルは見逃さなかった。
「あ、そう……」
ニールの表情なんか気にして見てなかったとダグラスはあっけにとられた。
ベリルはいつも「どこに真実が隠されているか解らない」とは言うものの、見つけるのはとても難しい。
常に冷静でいなければ判断を誤る。瞬時の判断が要される世界にあって、それをないがしろには出来ない。
傭兵は集団戦闘がほとんどだ。少しの判断ミスが己だけでなく、仲間の命をも危険にさらす事になるのだから──
ベリルは特にそれを考える。死ぬ事の無い自分に仲間が巻き込まれる事を最も嫌うからだ。
──事件は解決し、ベリルたちは帰り支度を始めた。
「ありがとう」
「僕は何もしてないけどね」
ミーナの礼にダグラスは苦笑いを浮かべたが、彼女は首を横に振る。
「ううん、側にいてくれたから安心出来たもの」
「だったら良かった」
「代金は振り込みでいいのだね?」とモリス。
「今回は割引させてもらう」
「それは助かるよ」
そう応えたベリルと笑顔で握手を交わした。
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