◆第二章

*胸の奥の志

 どうして傭兵の世界に入ったのかを訊いた事があった。

 ベリルは、「それが適正だと判断したからだ」と答えた。その言葉には、どれほどの重みがあるのだろう。

「いつか私を必要としない時代が来る事を願っているよ」

 いつもの柔らかな笑みでつぶやいた。

 ベリルは死なないから、いつも無茶をすると仲間たちが言っていた。自分を盾にして護ろうとするのだと。

 だけど、痛みや苦しみは僕たちとなに一つ変わらない。逆に言えば死ねないんだ。酷い痛みや苦しみに遭っても、ベリルは死ぬ事が出来ない。

 きっと、何度もそんな痛みや苦しみを味わってきたと思う。それでも生き続けなければいけないんだ。

 嫌なら辞めたって構わないのに、ベリルは傭兵を続けている。歳だけ見れば引退したっていい年頃だ。それだけで、ベリルの言う「適正と判断した」という言葉は重たいのだと解る。

 ベリルは感情の起伏があまり無い、涙を流した所も見た事がない。でも、その方が辛いと僕は思う。

 ベリルの腕の中で男の子が息絶えた事があった。内戦で取り残された村の救助に向かったけれど、間に合わなくて煙が立ち上るなか悔しげに空を見上げてた。

 しゃがみ込み、その子を強く抱きしめて人形のような目で地面をじっと見つめていたのを覚えてる。

 ベリルは心の中で泣いていたんじゃないだろうか。吐き出せない感情に苦しんでいたんじゃないだろうか。

「どうやっても救えない命がある」

 それが現実──それでもベリルは自分の出来る限りをしようとする。

 どうしてそこまで自分を犠牲に出来るんだろうとダグラスは不思議でならなかった。きっと昔に何かあったんだとは思うけど、それはベリルの心の中に仕舞っておきたい事なんだろう。

「どんなに多くの人を助けても人殺しに代わりはない。正義なんて思っちゃいない。だけど誰かがその罪を背負わなければならないのなら、俺たちがその役になればいい」

 ベリルの仲間たちは、そんな強い志で戦場を駆け抜ける。

 もちろん全ての傭兵がそうじゃないことだって解ってる、中にはベリルと敵対する傭兵もいるのだから。

 生きるために傭兵になった人もいる、戦うことを選んだ人たちの理由は様々だ。むやみに責めることは良い方法じゃないってベリルは言っていた。

 僕は、天国なんかに興味はない。だけど天国に行く人たちのために戦いたい、その笑顔を護りたい。

 目の前に見える背中はそれを実現させてくれる。だから、僕は追いかける。


 ──その夜、ベリルは庭に出て星空を見上げていた。レンジャーとしての才能も併せ持つ彼は、こうしてよく大気を探る。その肌で予兆と予感を感じ取るために目を閉じた。

 ベリルは己の存在を良しとは思っていない。だが自分を造り出した科学者たちと、命をして逃がしてくれた人たちのために自ら死を求める事はなかった。

 研究施設の中でも、ベリルの正体を知っている者はごくわずかだった。

 専門知識を教授していた学者たちは「天才少年」だと国から聞かされていたからだ。

 ベリル・レジデントという名は科学者たちが付けた名前だ。ベリルとは緑柱石から作られる宝石の総称。そして、緑は悪魔の色とされる。

 レジデントは「居住者」を意味し、それは「悪魔の器」という意味合いとなる。科学者たちはそう名付けながらも、彼にどんな未来を思い描いていたのだろうか。

 自分たちのした事に酷く後悔したのかもしれない。それでも、自分たちのした事は正しかったのだと思いたかったのかもしれない。

 施設にいた頃、ベリルは人間の生活を学ぶうえで中継カメラの映像を眺める時間があった。

 そこにいるであろう人々、笑顔、死。ディスプレイ越しに映される外の世界。現実に存在しているのに、決して触れる事の出来ない向こう側の命──淡々と流される風景をベリルは無表情に見つめていた。

 その心の奥に何を抱いていたのだろうか。

「ベリル」

 呼んだダグラスに振り向くと、エメラルドの瞳が曇ること無くその輝きを放っていた。異様とも思える輝きだが、初めのうちは驚いていたダグラスも今ではもう慣れてしまった。

「少し見回る。もう寝ろ」

「解った」

 二階の寝室に向かうダグラスの背中を見送り、家の周りをゆっくりと回る。裕福な家庭の平均的な敷地面積だ、ひと通り見回ったが嫌な気配は無い。

「ふむ」

 他に異常が無いか確認し、夜警にひと声かけて寝室に向かった。

 ダグラスとベリルは同室だ、すでにベッドに潜り込んでいる少年の寝顔を一瞥し、反対側にあるもう一つのベッドに体を滑り込ませる。

「おやすみ」

 小さく発して目を閉じた。


 ──次の日、ずっと家にこもりきりも良くないという事で、フランス料理店に行く事になった。

 ベリルはサングラスをかけ、いつもの軽装ではなく、ややフォーマルな恰好をしている。ダグラスも同様にカジュアルなものではない。

 モリスは濃いグレーのスーツを着こなし、リサとミーナはエレガントなドレスに身を包み鮮やかなスカーフを肩に羽織った。

「わお、いいね」

 十五歳の少女がとても大人びて見えてダグラスは口笛を鳴らした。車までの短い距離だが、ベリルとダグラスや他の警護も周りを警戒する。

「お姉ちゃん」

「あら、ニール」

 およそ百五十センチほどの少年が笑顔でミーナに近寄る。十歳くらいだろうか、バーリーウッド(黄土色よりもやや茶色)の短髪に黄緑の瞳が少女を見上げる。

「これからお出かけ?」

 少年は少女の目の前に来ると、照れたような表情を浮かべた。

「え? うん、そうよ」

「そか。じゃあいってらっしゃい」

 笑顔で手を振るニールに同じく手を振って応え、乗り込んだ黒いリムジンがゆっくりと発進した。その後ろには警護の車がぴたりとついている。

「今の子は?」とダグラス。

「隣の子よ、ニールっていうの」

「仲が良いのかね」

「ミーナをとても慕っているの」

 リサが笑って応える。

「いつもミーナの後ろをくっいて歩いていてね。まるで弟のようだよ」

 それにモリスが付け加えた。

 たわいのない話をしている間に予約しているフランス料理店に到着し、ベリルとダグラスがミーナを挟むようにして店内に足を踏み入れる。

 静かな店内には落ち着いた音楽が流され、ナイフやフォークが立てる小さな食事の音に上品な笑い声と間接照明が質の良い店を引き立てていた。モリスは荷物とコートを預け番号札を受け取る。

 マクスウェル家の人たちを壁際に、その両端には警護ガードが腰掛けた。ベリルはフロア内に背中を向ける形になるが、目視での警戒は警護たちに任せ背中で気配を探る。

 素早く動けるようにするための位置だが、ガードたちが若干の不安をその目に表していた。

 ダグラスは慣れたものでメニューを呑気に眺めていた。背中に目でも付いているんじゃないだろうかと思うほどにベリルの反応は素晴らしいからだ。

「このコース料理でどうかしら」

 リサが提案し皆がそれに頷いた。そうして、ナプキンを移動させるベリルの動きにリサとモリスが目を丸くする。

 違和感のまるでない上品な動き、そしてワインを訊きに来たソムリエにも完璧な対応を見せ一同を感嘆させた。

 順序よく運ばれてくる料理にミーナは笑顔を浮かべる。

 日本では間違われがちだが、ナイフやフォークはフランス料理では外側から使っていく。日本の洋食における食べ方はイギリス方式が広く伝わっている。

 しばらくして色とりどりの洗練された料理が運ばれ、それぞれに舌鼓を打つ。そして最も驚かされたのはベリルの食事だろう。

 その上品な身のこなしは容姿も相まって本当に傭兵なのかと疑われるほどだ。

「君は本当に傭兵かね?」

 楽しい会食も終わり、店を出たモリスが発する。ベリルはそれに苦笑いを返した。

「ニールという少年とはよく話しを?」

 ベリルは家路へ向かう車内でミーナに問いかけた。

「ええ、色んなお話をするわ」

「十歳くらいだよね。仲がいいんだね」

 ダグラスの言葉に、「うん。パパが言ったみたいに、弟みたい」とミーナは微笑んだ。

 マクスウェル家に到着したベリルは、すぐに着替えながら携帯端末を手にした。彼はその見た目と違い、あまり堅苦しい服装を好まない。

「ミハエル捜査官を──うむ、少々訊きたい事があってね。指紋は──そうか、送ってくれ」

 通話を切り着替えを済ませると端末が振動した。送られてきた画像は脅迫状に付いていた指紋を映したものだ。

 指紋は色分けされていて、青は家族や親類、赤は雇っているガードのものである事を示していた。

「ふむ」

「どんなの?」

 ダグラスが横からのぞき込む。そんな少年を一瞥し、脅迫状の画像を見つめて眉を寄せる。

 示されている以外の指紋は検出されなかったようだが、手袋を使用して手にした人物がいた事が出ている。疑うのもすまない気持ちだが、内部に犯人がいる可能性も想定しなくてはならない。

 小さく溜息を漏らし端末を仕舞った。


 ──その夜、

「付き合ってくれんかね?」

 モリスがソファに腰掛けているベリルにブランデーの瓶とグラスを二つ示した。酒が嫌いではない彼は快くそれを受ける。

「いやはや、多感な年頃でね」

 キッチンを一瞥し、モリスが苦笑いを浮かべてつぶやいた。ダグラスとミーナはキッチンでリサのお菓子作りを手伝っていた。

 モリスは同じ年頃のダグラスを連れているベリルにどこか共感したのだろう。

「私の真似をしたがる」

「ミーナも母親の真似をしたがるよ」

 父親という枠組みでくくればベリルはモリスにとっては仲間となるのだろうか、共通の意見に男は大きく頷いた。

 大人の真似をしたいのは理解する。しかし、ベリルたちの場合はそれが命取りにもなる。

 家庭の何気ない会話では済まされない。ダグラスもそれを解ってはいても背伸びをしたくなる年頃だ。

 憧れている人物が大きいからこそ、少しでも早く近づきたいと思うあまり反抗してしまう。

 保護した子供を長く置いた事がないベリルは間近で見るダグラスの成長に心中では驚嘆していた。自分の幼い頃など基準に出来るはずがなく、もちろんダグラスでさえ一般人と比べれば異なる。

 それでもまだ少年の事象は現実に起こり得ることであり、実際に起こった事だ。日々、かつての盟友の影を色濃くしていく少年に時折、記憶が呼び覚まされる。

 再開していれば彼の運命は変わったのだろうか。ほど遠い世界にいた訳でもないのについぞ再び出会う事はなかった。世界は狭いようでいて、なんと広いのかと思わずにはいられない。

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