*小さな痛み
これでは折角、歓迎会を考えたミーナのテンションが一番低くなってしまう。なまじベリルが料理上手いのがいけないんだ。
とにかくミーナをどう励ませばいいのかダグラスは思案した。
「あ! そうだ。何か教えて欲しい料理とかない? ベリル教え方上手いから教わるといいよ」
これは逆にベリルを利用して元気づければいいのだ。若干のオーバーリアクションだがミーナのためだ仕方ない。
「え? オレンジムースが上手く出来ないけど」
「じゃあ連れてくるね。他の料理は隠しておいて」
ミーナはパタパタと遠ざかっていくダグラスの後ろ姿を見送り、ローストチキンや他の料理を隠した。
「オレンジムース?」
読んでいた雑誌から目を離したベリルは、唐突に声をかけたダグラスを見上げて眉を寄せる。
「うん、ミーナが教えてほしいって」
どういったいきさつで料理の話になったのだ? その経緯が気にはなるがと笑顔のダグラスにいぶかしげな表情を浮かべた。
頼みを断る理由もない、ベリルは小さく溜息を吐きながら立ち上がる。
キッチンでは、テーブルの上にひと通りのものが揃えられていた。ベリルはそれらを見回す。
「コアントローは」
「あ! ──っと、これ!」
ミーナは慌てて棚から取り出した。
コアントローとは、フランス産のリキュールの一つだ。ムースにではなく、上に乗せるオレンジゼリーに使う。
「卵白と卵黄を分けてくれないかね」
「はい」
「板ゼラチンを水に浸す」
「了解~」
手際よく指示を送り、よく通る声がキッチンに響く。レシピも見ないで的確に分量を計るベリルにミーナは感嘆した。本当に彼は料理が得意なんだなと納得する。
そうしてムースが完成し、冷蔵庫で固める間にオレンジゼリーを作って固まったムースの上に流し入れ、再び固めれば完成だ。
「ウフフ、完成が楽しみ」
少女は嬉しそうに笑った。
ベリルは冷蔵庫にもたれかかって喜ぶミーナのエプロンに付いている汚れに目を留めて笑みを浮かべた。
「今夜が楽しみだな」
発してリビングに戻る背中に、「うん!」と少女が元気よく応える。
そんなベリルの表情を見ていたダグラスは、あれは気付かれたなと顔を手で覆った。
ベリルに隠し事は難しい──色恋沙汰にはとことんうといくせに、ちょっとした隠し事にはすぐに気が付く。
学校で「親にサプライズプレゼントをしてみよう」というものがあった時も、ベリルはすぐに気が付いた。
もちろん気付かない振りをしてくれていたが、「気付かないハズがない!」と問い詰めたところ、気付いていた事を白状した。
自分も訊かなきゃいいのにわざわざ訊くものだから、ベリルも答えなければ仕方がない。
ベリルの弟子をしているがダグラスはまだ十六歳だ。ベリルからは「学校には行くように」と言われて、半ば仕方なく通っている。
その学力の高さ故に、学校側もダグラスを自由にさせている所がある。そういった訳で今の彼は「仕事につき休学中」である。
とはいっても、全ての仕事に連れていってもらえる訳じゃない。ベリルが確実に危険だと判断した仕事は留守番になる。
ミーナは普段でも家庭教師をつけているため、学校を休んではいるが学力の低下はない。ベリル本人にその気は無いが、彼が教える事も可能だ。
その天才的な頭脳は先天的か後天的なものなのか定かではない。施設では、彼の才能に気付いたA国が専門的なほぼ全てのものを学ばせていた。
戦闘における知識もその中に組み込まれており、十歳から武器や兵法について学び、襲撃を受けた十五歳にはその知識が役に立った。
そんな過去を持ち、気品すら漂わせるベリルを傭兵たちが不思議に思うのも無理はない。しかし、この世界にいる者の多くは過去を語りたがらない。
だからなのか、あえて尋ねる者はほとんどいない。もちろん、訊かれたとしても答える訳も無い。
ダグラスは、ダイニングからリビングで雑誌をめくっているベリルを半ば呆れて眺めていた。彼が読んでいるのは科学系の専門雑誌だ。新しい論文を読みながら、時には小さく唸ったりつぶやいたりを繰り返している。
科学は常に進歩し、新たな発見がある。自分の持つ知識が古くなっていく事をよく知っているベリルは、そうして過去と現在の記憶を照らし合わせて記憶していく。
「ダグ、庭にテーブル置いて」
「庭? だめだよ」
「どうして?」
少し強ばった口調で応えたダグラスに小首をかしげた。
「君は狙われてるんだよ。どこから撃たれるか解らないのに外に出るなんてだめだよ」
「あ、そか」
そういえば、いつもは庭でゴルフの素振りをしているパパがここ最近は家の中にずっといる。楽しくて二人がうちにいる理由を忘れていた。
「
やや陰りを見せたミーナを元気づけようと目一杯の笑顔で提案した。
──リビングでくつろいでいたベリルの前に、ドン! とジュースの瓶が置かれて眉を寄せる。
「喉乾いたらこれ飲んでね」
ダグラスは言ってすぐ、キッチンへと消えた。その残像を追い、ジュースの瓶に目を移す。
つまり、「当分キッチンの方には来るな」という事かと理解して、再び雑誌に視線を戻した。
「面白いものを読んでいるな」
書斎で仕事をしていたモリスがベリルの雑誌をのぞき込む。いち段落してテレビを見に来たらしい。
「腹が減ったな」
「パパ!? もう少し待って」
キッチンに向かうと、手前の食堂でテーブルに料理を並べていたミーナが慌てて両手を突きだし父を制止した。
「おお、言っていた歓迎会というやつか? すまんすまん」
笑って引き返し、リビングに戻ったモリスはテーブルに置いてあるジュースを手に取った。
ベリルと目が合い、互いに苦笑いを交わす。
──食堂では、ミーナと母が歓迎会の準備を続けていた。いつもより二人分多い料理はテーブルに乗せきらないほどだ。
壁の飾りはダグラスが担当し、折り紙で作られたチェーンが食堂を華やかにする。
「準備出来たわ!」
「二人を呼んで来るわね」
リサがリビングに足を向けた。
「二人とも、夕食よ」
「ようやくか」
モリスが立ち上がり、続いてベリルもゆっくり腰を上げる。
「ベリル! こっち!」
ミーナがベリルの腕に手を回し、笑顔で席に促した。なんとなくそれが気に入らないダグラスは、ムスッとベリルの隣に腰を落とす。
「何か気に入らない事でも」
「別に」
プイとそっぽを向いたダグラスに訳が分からず首をかしげた。そうして一同が席に着くと、ミーナは立ち上がり嬉しそうにみんなを見下ろす。
「これから二人に守ってもらうあたしから、ささやかな気持ちです。よろしくお願いします」
少女は、はにかみながらもしっかりと発して腰掛けた。
「さ、切り分けるわね」
リサがナイフを持って立ち上がり、ローストチキンを薄切りにしていく。食堂は料理の匂いに満たされ、自然と食欲がそそられる。
「これあたしが作ったんだよ!」
「ほう」
ベリルの前に切り分けられたローストビーフを示すと、彼は感心したように応えた。
「ミートローフは?」
「あ、あれは……」
ダグラスの言葉に少女は目を泳がせた。その様子に、自分が言った事を気にしているのだと痛みがチクリと胸を刺す。口が滑る癖は治さなきゃなあと反省した。
ベリルはそんな二人を一瞥しミーナに微笑む。
「いただこう」
「でも──っ」
「これね?」
リサが冷蔵庫からミートローフを取り出しミーナは慌てたが、ベリルの柔らかな表情に言葉を詰まらせる。
いびつなミートローフが切り分けられ、その一つが乗せられた皿を受け取る。ミーナは口に運ばれていく様子を息も出来ずに目で追った。
「良い味だ」
「本当、美味しいわ」
ベリルのあとにリサが続く。
「ホントに!? 良かったぁ~」
胸をなで下ろし椅子に体を預けた。
「形なんか気にしなくていいんだよ。大事なのは味なんだから」
誰のせいでこんなに思い詰めたと思ってるのよ。少女は軽くダグラスを睨みつけた。
当のダグラスはそんな視線に気付かない振りをして、しれっと料理を口に運ぶ。
──夕食を楽しんだあと、ミーナは人数分のオレンジムースをリビングテーブルに並べた。ダグラスはそれを一つ手に取り、ミーナたち家族の背後に回って壁に背中を預ける。
テレビを見ながら笑い合う家族団らんの風景は、ダグラスの胸に少しの痛みを与えた。自分にもそんな過去があったと、遠い記憶をたぐるように目を眇めた。
まだ父さんが自分を血のつながった子どもだと思っていたとき、そこには確かに愛があった。
その手の温もりを今でも覚えている。両親の笑顔も鮮明に記憶の中にある。
笑顔で囲む食卓、優しい父と母の笑顔……。しかし、それはもう戻ってこない。愛されていると信じていた自分に向けられた殺意があまりに深く、強く、激しくて愕然とした。
それでも、憎むことなんて出来なかった。だって、それまでは本当に愛してくれていたから。
ふと、肩をポンと叩かれて振り返るとベリルがそこにいた。いつものように無表情だがその瞳に険しさも冷たさもなく、何も言わずに優しく背中を叩き、片付けを手伝うためキッチンに消えていく。
たったこれだけの事がダグラスには嬉しかった。見ていないようで、いつも側にいてくれる。ベリルの優しさがいつも心を軽くしてくれていた。
自分一人だったらどうなっていただろう。そう思うと、とても怖い。
「──っ」
ダグラスは、涙がこぼれ落ちそうなのをぐっとこらえてオレンジムースをかきこんだ。
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