第四十七話:主役はなくとも事態は進んで
リバシオン山系での戦闘は、膠着状態に突入していた。
戦地の中心となっているのは三ヶ所。
オルギオとエキトゥの古代機兵同士の北側での激突。
エナとラトリバードのエトスライアを巡る南面での戦闘。
そして、エネスレイク王国軍と帝国軍とが直接ぶつかっている中央部。
それぞれの距離は決して大きく外れているわけではないのだが、特に中央部は南北の戦闘に極力介入しないように努めていた。
どちらも、巻き込まれた瞬間に敗走することが分かっていたからである。
エイジ・エント・グランニールは膠着状態に至った戦線をどのように動かすか、思案を尽くしていた。
最悪の事態――アルズベック王子が流狼を討ち果たし、この戦場に戻ってくる可能性もそこには含まれる――が起きる前に、何かしらの結果を出しておかなくてはならない。
「南北に手は出せませんね。それぞれの将の力を信じて任せるしか。……正面を動かすしかない、と」
帝国も南北の戦闘には機兵を送り込んでいない。巻き添えを食らうことを警戒しているのだろう。
事実、先ほど南面で大きな魔力が迸った際には、エネスレイクの機兵だけでなく帝国の機兵も大きな被害を受けたようだった。
自軍の兵を切り捨てる決断は、将には常について回る課題だ。それ自体を咎めることはできない。しかし、そこには決然とした意図が必要となる。
明確な意図もなくそれをしたのであれば、その将は器ではないということだ。
「そしてそれは、我々にも言えること。帝国の優位を取り払う盤面ですね」
エイジは口元に涼やかな笑みを浮かべると、たった一言指示を出した。
「全軍、疾く攻めよ!」
守勢に回っていたエネスレイクの機兵たちが、その言葉を受けて盾を地面に突き立てた。こうすることで、身軽になるのと同時に相手方の突撃を阻害する効果を見込める。
『応!』
杖の石突を槍のようにして敵の機兵に向け、走り出す。
帝国の機兵たちが浸透衝撃や貫通衝撃の魔法を繰り出すが、機兵たちは止まる様子を見せない。
帝国軍に明らかな戸惑いが生じる。
「浸透衝撃の魔術は実に恐ろしい。機兵の中にいる乗り手を的確に殺害するのは、確かに効率的でしょう」
レオス帝国の発展は、浸透衝撃という魔術の発明から始まったと言っていい。
浸透衝撃で打ち倒した敵国の機兵は、操縦まわり以外の損耗が少ない。接収すれば使うことが出来るのだ。
血なまぐさい話だが、そのようにして戦力を増やしてきた帝国は、大陸の中西部を瞬く間に制覇した。そして接収した機兵の
グロウィリアの王機兵が勇躍しなければ、今頃は大陸を統一出来ていたかもしれない。
「……ですが、使い続けるということは対策も練られるということですよ」
四領連合は盾を使った。守勢に回れば、直接接触を必要とする浸透衝撃を防ぐ手段は存在したわけだ。そしてその打開策として、帝国は貫通衝撃という魔術を開発することとなる。
エネスレイクは表向き同盟国として彼らに資源を提供しつつ、探ってもいたのだ。浸透衝撃という魔術の理論を。
完全に解析できたわけではなかったが、アルから技術供与を受けるうえで、その研究は大きく役立った。
帝国との決戦であるこの場に、対策を間に合わせることが出来たのは。エネスレイクという国のたゆまぬ努力が背景にあるのだ。
「帝国の機兵の性能は侮れません! 状況の優位を最大限に活用するのです!」
浸透衝撃を無効化する外装への魔術式の刻印。
アルによると、王機兵建造の頃に浸透衝撃の魔術自体は一度発明されており、そしてその防衛策も同時期に作り出されたという。
大陸の魔法技術の衰退によりそれらの魔法も失われた――明確な防御方法のある魔法は残されなかった――のだが、帝国が再び同様の魔術を生み出したことで帝国の版図が爆発的に広がった要因となったわけだ。何しろ防御方法のみが失伝しているのだから。
アルは昔と今の浸透衝撃の魔術の性質を解析したうえで、魔術式を用意してくれた。無論、間違いなく効果があるという保証はなかった。最悪でも威力の減少が出来れば良いと思っていたが、ここまでの盾を使った接敵で確信を持てたのは極めて大きい。
精神的に浸透衝撃に依存していた帝国の混乱。
この好機を、逃すわけにはいかない。
「歩兵隊、前進! この機を逃してはなりません!」
浸透衝撃を防がれて混乱している帝国の機兵を、王国の機兵が二機がかりで抑えにかかる。四領連合を相手に戦ってきた帝国の機兵の性能は、エネスレイクの機兵よりも高い。アルも王国の機兵の改造計画には協力してくれたが、残念ながら量産については乗り手の育成も含めて間に合わなかったのだ。
王国側が運用できる高性能機は、アルがアルカシードの修理の傍らで創り上げた四機の機兵と、オルギオの白鎧のノルレスだけだ。
歩兵部隊は、戦場の要だ。
動き回る機兵たちの間を縫って、戦場を走り抜ける。
それがどれ程の恐怖か、エイジには分からない。しかし、彼らの顔に悲愴感はないのだ。
「間合いに入った者から撃て!」
現場指揮官の怒号が飛び交う。
歩兵たちの持つ杖が、次々に瞬いた。
古代機兵相手でなければ、歩兵による魔術行使でも機兵を打倒し得る。そして、資源や生産力の違いはあっても、どの国も機兵よりも歩兵の方が数多いものだ。
帝国は圧倒的な生産力を持っているため、機兵戦力がどの国よりも充実している。
「……だからこそ帝国の歩兵戦力は
帝国の対歩兵戦術は簡単だ。
浸透衝撃を展開して、向かってきた歩兵を文字通り粉砕する。本来ならば、この突撃は自殺行為でしかない。
だが、歩兵たちは気にせず駆けた。駆け抜けたのだ。
浸透衝撃が封じられた衝撃は、帝国の機兵乗りに相当の衝撃を与えたようだ。
歩兵に対して浸透衝撃を使えば、この状況は容易に覆せる。しかし、機兵が浸透衝撃を意にも介さず向かってきたことで、彼らは誤認したのだ。
エネスレイクは浸透衝撃を完全に防ぐ技術を開発したと。
自分たちの武器に疑問を持ってしまえば、残るのは混乱だけ。
眼前の機兵か、足元の兵士か。帝国の機兵は更に精神的に追い詰められている。
「急ぐのです。急いで……!」
しかし、エイジはこの状況を決して楽観してはいなかった。気まぐれに機兵が歩兵に向けて浸透衝撃を打ち放てば、歩兵たちは良い的になるだけ。機兵の魔術出力で使われる浸透衝撃は、歩兵たちの装備している魔術陣程度では防ぎきれないとアルからも言われている。
エイジは唇を強く噛みしめながら、しかし頭脳だけは冷静に戦況を頭に叩き込み続けるのだった。
クルツィアに乗り込んだフォーリは、まず周りを見回してみた。
操縦席の中は、思ったよりも広い。彼が座っているのは、大きな球体の中心だった。操縦席だけが浮いていて、何となくむずむずする。
「ええと、ルッツ。僕はどうしたらいいのかな」
『主よ、そうではない』
「え?」
『主がしたいことを言ってくれ。私はそれを最も良い形で達成するために今ここにいるのだ』
「そんなこと言われても」
ルッツの言葉に、フォーリは目を白黒させた。何をどうしたら良いのか、まったく見当もつかないのだ。
先ほどまで学生だったのだ。この一年で、自分の未熟さだけは徹底して教えられた。自分が乗り込んでいるのが流狼と同じ王機兵であることにも実感がないというのに。
「ルッツ。僕はまだまだ色々なことがよく分かっていないんだ」
『そうだろうな』
「ただ、最初に頼むことは分かったよ」
『ん?』
「この風、止めてくれない?」
前面から見える表では、機体が吐き出している強風によって周囲の物が揺れたり飛んだりしているのが見える。
風が収まり、足の裏が地面に触れた感触。驚いて足元を見るが、広々とした空間は変わっていない。
『主よ。現在クルツィアは主の動きとある程度だが同調している。足の裏の感覚もその副産物だと思って欲しい』
「そ、そうなんだ」
『今より翼王機クルツィアは主の所有物として、主の望むあらゆる自由を叶え、主の望まぬあらゆる不自由から守ることを誓う』
「自由と、不自由」
『そうだ。我が翼はそのためにある』
フォーリは空を見上げた。青い空。元の世界にいた時には空腹を紛らわすために見上げていた。灰色の空の下、貧しいフォーリは確かに自由の中にあった。
視線を下ろす。士官学校が見える。自由は減っていたが、フォーリは確かにかつて自由だった頃よりも幸福な日々を過ごしていた。
『あまり思い悩むことはない、主よ』
「え?」
『自由とは強要するものではない。主がその建物の中でこれからも過ごしたいのであれば、それもまた自由だ』
ルッツの声は、どこまでも優しい。
『自由の持つ恐ろしさを知り、そしてその自由を不当に奪われた者。私が主を選ぶ基準はその一点に尽きる。主よ、教えてくれ。その果たしたい自由は何かな?』
「この国の人たちの、力になりたい」
フォーリの口をついて出た言葉は、自然なものだった。
不思議なほど、考えるまでもなく出てきた言葉だ。ルッツは意外とは思わなかったようで、問い返してはこない。
口にすると、不思議と何がしたいかが見えてくる。
少しだけ浮かんだ高揚とともに、ルッツに聞く。
「ルッツ。僕には機兵での戦い方はまだよく分からないんだ。このまま戦場に向かって、敵を倒せる?」
『無理だな』
返答はにべもなかった。優しい口調だったが、そこは極めて断定的に。
『このクルツィアは、空を主戦場にする王機兵だ。地上の敵を相手にするには残念ながら多少の訓練が必要だ。そして、これが最も重要なのだが』
「うん」
『先ほどこの機体はアルカシードの乗り手と一戦やらかしてな。直接機体を殴られたわけではないのだが、正直戦闘には心もとない損傷を受けていてな』
「は!?」
その発言はさすがに聞きとがめる。ルッツが当たり前のように話してくるのでうっかり忘れていたが、そういえばこの機体は元々帝国のものだった。
「る、ルローさんと戦ったの!? え、まさか」
流狼と戦ってこの機体がやってきたとなると。その意味することが脳裏に浮かんでフォーリは悲鳴じみた声を上げた。
だが、乗り手を捨ててこの機体だけがここに現れたのも事実だ。混乱する頭で詰問しようとする主に対して、ルッツはあくまでもマイペースだった。
『心配は要らない。アルカシードの乗り手は死んではいない』
「そ、そうなの!? そっか、それなら」
『送還の魔術によってこの世界から放り出されて行方不明だが』
「大問題じゃないか!?」
頭がキリキリと痛む。おかしい、王機兵に乗るというのはもっとこう名誉なことであるはずではなかっただろうか。こんなに王機兵の精霊というのは普通じゃないとは思わなかった。
この時点で、フォーリは自分一人での問題の解決を諦めた。
「よし、みんなで考えよう」
『みんな?』
ルッツの反問に頷いて、胸を張る。
視線は今もこちらを見上げている学友たちの方に。
ここには自分だけではなく、この国の未来のために命がけで学んでいる仲間がいるのだ。
「戦えないなら戦えないで、役立てられる方法をね。僕一人よりもみんなの知恵も借りた方がきっといい」
『ふむ。そういう形の自由も面白い』
何だか楽しそうにフォーリの決断を支持するルッツ。
なるほど、深く考える必要はないんだ。
ようやくフォーリは、この独特な相手とどう付き合えば良いかのとっかかりを掴んだような気がしたのだった。
静寂の中、流狼はぼんやりと宇宙空間を眺めていた。
アルとラナが作業を続けている間、することがないのだ。
『マスター?』
「どうした、アル」
『大丈夫? 気分悪くなったりとかはしてない?』
「心配いらない。思ったより楽しんでいるよ」
時折こうして声をかけてきてくれるのは、一人だけ生身である流狼を心配してくれてのことなのだろうが、当の流狼は初めて触れる宇宙に意外なほど高揚していた。
と言っても、宇宙空間そのものへの感動からではない。
瞬く恒星の光、去っていく地球の光、その合間を縫うように飛び交う岩石や小惑星。
水中で泳ぐ魚を見るように。遠ざかっていく地球へと引き寄せられ、燃え尽きていく様は自分より巨きな魚に飲み込まれる小魚のようにも見えて。
「不思議だな」
『なにがだい、マスター?』
「いや、何故だろう。小惑星や隕石ってやつは石くれだろう?」
『そうだね』
「だけど、そう。生きているように見えてね」
流狼の言葉を、アルは笑わなかった。ラナもだ。
宇宙空間を見る流狼に、言葉を選びながらの様子で返してくる。
『マスターの世界の技術レベルは、アルカディオの世界の技術レベルと比べると残念ながら低いと言える』
「そうだな。俺の世界には機兵を創れる技術理論なんてものは存在しない」
『だけど、アルカディオも知らなかった氣の技術がある。だから』
「ああ、気にしなくていい。別に気を悪くしたりはしないよ」
『ありがとう、マスター。僕たちの持つアルカディオの世界の知識には、『全てに存在する命』の観測結果が存在するんだよ』
「全てに存在する命?」
流狼の問い返しに、ラナが返してくる。
アルでは言いにくいことと考えたのだろう。作業をしながら流狼の問いに答えてくれるのはありがたくもあるが、一方で申し訳なくもある。
『生物の体を構成している要素の、どこに命が含まれているのか。その構成要素は全て、自然界に存在するもの。生物には命がある。命を観測できる。では、命の有無を分けるものは何か。そんな問いがあったの』
「分かるよ」
『アルカディオの世界では古典と呼ばれる知識よ。彼の世界では、全ての元素に存在する微細な命を観測することに成功しているわ』
ラナが説明してくれる命の意味。
流狼には上手に理解することができないのだが、例えば呼吸している空気にも命があるということなのだろうか。
今、宇宙空間を飛び交っている岩石や輝く星の光にも、それぞれに命が宿っているのだとすれば。
「俺たちに宿る命は、それぞれの元素に存在する命の集合ってことか?」
『その認識で正しいわ。アルカディオの世界では、私たち情報生命にも権利が保証されているの。それは、私たちの構成要素にもそれぞれ命が存在すると認められているから』
「なるほどなぁ」
何かがすとんと、体の中に納まったのを感じる。
それはきっと、流狼の振るう拳の技術にもつながることで。
流狼は我知らず、口元に笑みを浮かべていた。
と。
『マスター!』
「どうした、アル」
『岩が!』
言われなくてもすでに視界に捉えていた。
アカグマを直撃するコースで、機体の倍ほどもあろう岩が向かってきている。
「アル。機体のコントロールを俺に」
『マスター!?』
流狼は静かに構えを取った。アカグマが同じく構えを取る。
踏ん張る地面がないことで、何とも足元が頼りない。
だが、流狼の顔に焦燥の色はない。一緒にいるアルとラナの方が慌てている。
『まずいよマスター! 地面がないと、威力が!』
『あの岩のスピードでぶつかられたら、アカグマも保たないわ!』
二人の言葉にも、流狼は動じなかった。
迫る巨岩を見据えて、打つべき場所を探る。
頭に浮かんでいるのは、先ほどのラナの言葉。
「すげえな。これが、そうなのか」
見えているのは巨岩だ。それは変わらない。だが、目とは違う部分が別の何かを捉えている。
間合いに入った岩に、拳を突き出した。中心よりわずかに下、アカグマの頭のわずかに上に拳がぶつかる。
「うおっ」
音はなかった。あったのは確かな手ごたえだけ。
岩とアカグマがぶつかったことで、機体が背後に流れる。しかし、機体にダメージは一切ない。
一方、拳を打ち込まれた岩の方には破滅的な破壊が起きていた。
たったの一撃で無数の破片に粉砕され、アカグマを避けるように散っていく。これは流狼の差配ではないから、アルかラナが防壁を張ったのだろう。
『何、これ。マスター、一体何をしたの!?』
『アルカシードでもないのに、こんな破壊力が!?』
アルとラナが驚愕している。
流狼はしかし、二人の反応に注意を払う余裕がなかった。
拳に感じた手ごたえを、忘れないように心に刻む。
「初代はすげえな。これを理解していたのか」
ほぅと息をつく。
宇宙にいたわけでも、ラナの言っていた命のかたちを知識として知っていたわけでもないはずなのに。
飛猷流古式打撃術の初代が定めた、数多くの奥義。創始こそされたものの、その多くは後代の子孫が使えずに失伝してしまっている。流狼は口伝として伝わるそのいくつかを復活させたことで、十六という若さで元の世界で二級師範の地位を与えられていた。彼が道場で天才と呼ばれた所以である。
さて、口伝の中に唯一、初代すら会得できなかったとされる奥義が存在する。最終到達奥義と呼ばれる
『マスター!』
「ああ、すまないなアル。奥義のひとつのきっかけを掴んだよ」
『奥義の、きっかけ?』
「うちの初代は、あのざわざわした地球にいながら、この奥義に近づいたってことだものな。本当にすごい人だ」
宇宙空間では、命を感じない。飛び交う岩や星から感じられる『命の気配』。それを捉えたことで、流狼は一族で初めて神解一殲の入口に踏み込んだと言えた。
「うん。命の観測って、こういうことなのかもしれない」
『マスター?』
「こう、周囲に何もないところにいるからかね、ああいう岩にも命があるって信じられるよ」
『いや、人の身で観測できるようなものじゃ――』
ラナの言葉に、笑みを浮かべる。そういうものなのかもしれないが、自分の中に存在する理解を最早否定することができない。
流狼は何もないはずの虚空を見つめて、言い訳するように呟いた。
「何て言うのかな。むき出しの命を感じるんだ」
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