第二十五話:砂塵を従え

 魔獣は、顔でもあればおそらく半狂乱にでもなっていたのだろう。

 再び飲み込んだ異物――要するに一緒に飲み込んだ機兵の残骸だ――を何やら体液で固めたらしき物体をいくつか吐き出した。散々吸い込んだ魔力を使ってだろう、体の周囲でそれらを回転させ始める。徐々にその速度が上がってくる。

 こちらにぶつけようという様子はない。こちらを近寄らせない為の工夫か。


『なるほど、回転や毒針の射出じゃ対応出来ない事態になった時、体内に消化できずに残っていた物体を吐き出して便利に使うんだね。合理的な事だよ』


 氷壁に隔離されていた時にはその物体を氷壁に打ち込み、跳ね上がる際に利用していたのは確認した。

 本能と餓えがもたらす工夫には舌を巻くが、機兵の残骸を振り回すという手段は結果的には悪手であった。


『マスター、気軽に叩いておくれよ』

「はいはい」


 形のいびつさと空気抵抗のせいか、魔獣の周囲を回転する物体の軌道は一定ではなく、何とも読みにくい。しかし、腰を入れて殴り壊すのでもなければ、動きに拳を合わせるのは難しいことではなかった。

 流狼はアルの要望に応えて、拳を軽く放つ。

 拳が当たった瞬間、物体は淡い光に包まれた。そのまま光の粒子に変わってアルカシードに吸い込まれる。

 アルカシードの修理の際に、見飽きるほど見た光景だ。


「どうだ?」

『不純物は多いけれど、この際贅沢は言ってられないよね』

「なあ、アル。もしかして、あの殻も吸収できたりするか?」

『どうだろ。本体にへばりついているのは無理だったけど。地面に落ちている破片とかで試してみるかい?』

「何となく、足しになる気はするよな」


 境界線はどこにあるか、という話である。

 時折飛来する物体を迎撃――という名の吸収を――しながら、アルカシードは魔獣とつかず離れずの距離を保ちつつ破片を探す。

 フニルグニルはまだ復活しないのか。


「向こうがこちらの動きをどう解釈する事やら」

『攻めあぐねていると思ってくれると助かるよね』


 そんな事を言いつつ、ようやく大きな破片のもとに辿り着く。

 標準的な機兵のサイズと比べると半分くらいの大きさだ。そこそこ分厚く、魔獣の重量と無茶な動きを支えているのがこの殻だというのがよくわかる。

 触れようかと思ったところで、右斜め上から飛来した物体をカウンターで叩く。偶然だとは思うが、少し嫌な予感を覚えるタイミングの良さだ。

 物体は残り四つ。流狼は念のため、拾う動作をせずに破片に足を乗せた。


「アル、行けるか?」

『警戒しすぎじゃないかな。お、いけそうだね』


 言うや否や、足元で破片が蒼く瞬いた。光の破片となり、吸収される。


『おぉ! これはいいよ!』

「そうか?」

『うん。マスター、かなり良い資材になるよ。この甲殻を砕いて修理に回せばだいぶ大きく機能回復が出来るね』

『ちょっとアル! あんた、悠長な事を言ってないでさっさと印をつけなさいよ!?』


 二人の会話に横合いから入ってきたのはルビィだった。


「おや、ルビィ?」

『す、済みませんルルォ様。姉様が横入りしてしまって』

「ミリスさん、久しぶり。通信の横入りって出来るんだね」

『王機兵同士だからね。たぶんフニルの奴も聞いているんじゃないかい?』

『聞いている。ルースの奴も聞いてはいるが、どうも拗ねているようなので居ないものと思ってくれて構わない』

「そ、そうなんだ。お、俺は別にあまり気にしていないから」

『……すまんな義弟』


 暗い口調のルースと、なぜ義弟なのかはやはり確認する時間もなく。

 残り四つと数えたうちの二つ目を吸収しながら、アルに問う。


「それでアル、印って?」

『他の王機兵の攻撃を、一点に集中させる時とかに誘導するためのものでね。この距離からでもベルフォースが狙った場所を撃ち抜けるようになるんだ』

「それはいいな。さっさと終わらせてしまおう」

『え、マスター?』

「どうした、アル?」

『いやね、ベルフォースの火力だと、中身だけじゃなくて殻ごと消し飛ばしてしまう事になるよ。それじゃ修理できる資材が』

「なんだ、そんな事か。ならその話はなしだ」

『マスター!?』

「修理は他のものでも出来るんだろ? アルカシードの修理には替えがきくが、損なわれる命には替えはきかんぜ」

『う』


 アルが口ごもる。それが流狼の望みである以上、本来の目的を捨ててでも優先してくれるのがアルだ。

 彼がアルカシードの修理を口にするのは、ひとえに流狼の安全を何よりも大切に考えているからだ。それも分かるので、流狼はアルに改めて言葉をかける。


「お前がいつも俺の安全を最優先に考えてくれている事は分かっている。済まないな、アル」

『構わないよ。確かにアルカシードの修理は普通の鉱石でも事足りるからね。踏み潰される危険を冒してまで長引かせる必要はない』


 フニルグニルを庇う形で、アルカシードは魔獣の前で構えを取った。

 わざわざ伝えてきたという事は、本当にすぐに回復するものではないのだろう。時間を稼がなくてはならない。

 先程使った『千手鎧貫』は、鎧の奥に衝撃を浸透させる打撃術だ。体液を噴き出した以上、多少なりともダメージはあったと見るが。

 飲み込んでいた物体を吐き出した理由についても気になる。単純に攻撃の為か、時間稼ぎの為か。衝撃を受けた時に物体が内部を傷つけたと見る事も出来るし、重いものを少しでも吐き出して身軽になりたかった可能性もある。


「最悪なのはまた転がって逃げられる事だ。どうしたものかな」

『フニルグニルは感応波の障壁を張る事で空気抵抗や衝撃を防ぐからね。正直なところ、素早くてちょっと丈夫なだけの機兵程度の力しか発揮できないよ』

「随分辛辣だな」

『もう一回体当たりで突進を止められても同じ事だからね。フニル、君のマスターが馬鹿なのは十分に分かったから、君が知恵を絞ってくれなきゃ困るよ』

『面目ない』

「アル、言い過ぎだ。そもそもアルカシードが魔術を使えれば問題はなかったんだ」

『うぐ。現行の修理状況で整備出来るのはそこが限界だったんだよね』


 魔術を通す。その一点さえ確認が出来れば良いのだが、流狼は魔術が得手ではなく、アルカシードが単独で使える魔術的な機能はまだ修理されていない。

 流狼は自分に向かってきた塊を打ち据えると、光の粒子が機体に吸収され始めるより前に動いた。


「そろそろ動くぞ、アル」

『逃げるか暴れるか分からないから、動きには気をつけておくよ』


 踏み込んで、斜め上に浮かせる方法を選択する。先程からの様子を見る限り、魔獣は空中での方向転換は出来ない。


「まずは、浮かせて――」

『下がってマスター!』


 拳を当てる為に近づいたところで、アルの警告が響く。魔獣の外殻が音を立てて開いた。

 同時に吐き出される、大量の液体。


「十歩無音!」


 明確な命の危機に、魔獣が何もしてこないはずがない。

 降り注ぐ液体から瞬間的に間合いを外せば、液体は地面に触れて青黒い色の煙を上げた。


『消化液!?』

「フニルグニルは!?」


 止まっている間に溜め込んだのか、相当な量だ。

 アルカシードは避けられたが、背後にいるフニルグニルの方まで届いていてもおかしくない。

 慌てて後ろに視線を向ければ、やはりフニルグニルの周囲にも消化液は届いていたが、その周囲だけは煙を上げていなかった。


『ああ、大丈夫だ。機体は動かないが、触れなければ障壁は張れる』

「安心したよ」

『こちらも王機兵だからな。もう少し機体性能を信用してくれて構わんぞ』


 端々に含まれる毒は、ここぞとばかりに乗り手に向けられたもののようだ。

 その向こう側で無言を貫くルースの様子が気にはなるが、大丈夫であるならひとまず置いておく。


「初めて反撃ではなく回避をさせた、という事は」

『合理的ならきっとこう考えるだろうね。って』


 外殻を閉じた魔獣は、再び上部から塊を吐き出した。今度は数が多い。

 魔獣がこの戦術に一縷の望みを賭けた、その気持ちは分からなくもない。

 海に逃げても餓えて死ぬ。陸に逃げても追われて殺される。勝たねば死ぬのだ。


「だがまあ、時間稼ぎには好都合だ」

『殻が奪えないなら、あの塊を出来る限り分解しよう。アルカシードの復活は優先事項だからね!』

「はいはい」


 心なしか、魔獣の周囲を飛び交う塊の速度が上がっている。

 どうやら、殻に貯蓄した魔力を使い切ってでも、アルカシードを破壊するつもりらしい。

 つまり、一番危惧していた行動を取る恐れは著しく低くなったと言える。


「さて、アル。俺からひとつ頼みがあるんだ」

『何だい?』

「塊を分解した資材を使って、こと」

『マスターは最高だね』

「よし、それでは相手が消化液を吐き出すタイミングになったら教えてくれ」


 流狼は躊躇なくアルカシードを塊の間合いへと踏み込ませた。






 レオス帝国の帝都で、アルズベックは実に精力的に政務をこなしていた。

 ようやく残り二機の王機兵が動けるようになってきたのだ。度重なるテストと乗り手の訓練の成果が出始めている。龍羅と宗謙がテストを重ねている機兵開発の進捗も悪くない。


「こう言っては何だが、この大襲来は帝国にとって更なる好機となるかもしれない」

「あら、人がたくさん死にますのに?」

「我が帝国は一度目の大侵攻によって国力を高め、二度目の大襲来によってその覇業に足止めを食らった。三度目を好機とするのは今の代を生きる私達の義務なのだよ、ヒヨ」


 大襲来の後は被害の程度に関わらず、終結後一年の停戦期間が設けられる。その間に国力を高め、被害を受けた国家は復興に努めるのだ。

 帝国は今までに二度、大襲来と大侵攻による影響を受けている。そのうちの一度がオルギオ・ザッファの勇名を大陸中に轟かせたエネスレイクの大襲来であり、その前になるとアルズベックの祖父の代になる。

 アルズベックの祖父メヴィアス帝はまだ小王国だったレオスの王位を継ぐと、周辺四国を併呑し、帝国の基礎を築いた。

 しかし当時の大陸中西部にはまだ十七に及ぶ国々が存在し、勢力を高めるレオス王国に危機感を高め、連合を画策していたという。

 連合軍による包囲殲滅を避け得たのは、その直前に起きた大陸南東部の大侵攻だった。万に及ぶ海棲魔獣の侵攻では大半が陸上に適応できなかったと言うが、その数への対応と大型魔獣との戦闘で多くの者が命を落とした。

 レオス王国はその一年後、戦力の大半を失った国々を更に攻め落とし、帝国を号した。レオスが帝国として繁栄した理由のひとつは、まさにこの大侵攻にあったと言っても過言ではない。

 逆に二度目の大襲来では、オルギオが早期に事を収拾してしまった為に戦力の損耗が起きなかった。そこからは散々で、一年の停戦期間をフルに活用した隣国達が防備を固めた為に数年に亘って帝国は攻めあぐねる結果となってしまった。更には旧帝都ダイナ狙撃事件までもが起きてしまった事で、帝国の統一事業はその頃に著しく後退した。

 紐解けば良くも悪くも帝国は、その歴史に於いて大襲来・大侵攻の余波を大きく受けている。


「アルズベック様の有能な部下が、トラヴィートで工作をしていたと聞きましたけれど」

「ダミア・コロネル将軍だね。有能なんだが、何というか間の悪い男だ」


 数日ぶりの休養を自室で取っていたアルズベックは、陽与の温もりと柔らかさを胸板に感じながら部屋に持ち帰った書簡に目を通している。

 ここの所、帝都の賑わいはいつもとは違う喧噪にとって代わられていた。城内も心なしか慌ただしい。

 大襲来により、前線に配置されていた軍のほとんどが帝都に戻ってくるからだ。


「この機に帝国の技術水準を十年早める。私達の代で大陸を統一するには、それくらいしなくてはな」


 距離として一番近いのは、大陸北東部だ。北方平原に住まう遊牧民族と帝国は良好な関係を維持しており、南部のグロウィリア戦線よりものどかな状況だと言って良いだろう。近くには商業国家と名高い都市国家ラポルトがある。

 機兵資材の貿易先がエネスレイクならば、食料や生活必需品の貿易先はラポルトが窓口だ。特に軍部に食わせる糧秣はどれだけあっても余る事がない。

 食料を格安で卸す代わりに、ラポルトを積極的には攻めない。これが帝国とラポルトとの密約であり、同時にそれは半ば公然の秘密でもあった。


「いつ魔獣を討伐出来るかにもよるが、前線に最低限の兵を残してまずは帝都に戦力を戻す事になる。トラヴィートに援軍を送るには二週間はかかるだろう」

「なら、アルズベック様が前線に立つような事はないのですね?」

「もちろんさ、ヒヨ。あるいはトラヴィートが魔獣によって滅亡し、送り出した我が軍の機兵達が全滅させられればそれもあり得るかもしれないが」

「良かった」


 アルズベックの胸板に頬を寄せた陽与が、安堵の息をつく。

 その様子に笑みを浮かべたアルズベックは、しかしベッドから降りて、軍服ではなく私服に袖を通し始めた。


「アルズベック様?」

「この部屋で二人きりで心静かに過ごすのも悪くはないが、天気も良い。ヒヨと出かけたいと思うのだが、どうだね?」

「ええ、ぜひ」


 その言葉に破顔した陽与もベッドを降り、隣部屋のクローゼットに向かう。

 控えているメイドが今日の陽気とアルズベックの私服に似合うドレスを誂える事だろう。

 彼を始めとした帝国の皇族にとっては、大襲来の報は特に意識を割くような事件ではないのだった。

 ドレスに着替えた陽与が出てくるのをゆったりと待つ。

 と、廊下に繋がる方の隣室――無論、クローゼットのある部屋とは逆側だ――の扉がノックされた。


「申し訳ありません、殿下は本日は休息の日と――」

『それは存じております。私も本日はちょうど登城しておりましたので、ご迷惑でなければご挨拶をと』


 執事の対応する声が聞こえてくる。が、その後に聞こえてきた声にアルズベックは直ぐに反応した。

 扉を開け、執事に声をかける。


「何をしている。お通しせよ、ガナム」

「しかし殿下」

「良いのだ。いかに休息の日とは言え、恩師の訪いを無視する事はあり得ぬ」

「はっ、失礼致しました」


 執事が頭を下げ、扉を開ける。

 向こうにいたのは、褐色の肌と鉛色の髪が特徴的な人物だった。


「久方ぶりです、ミシエル師」

「アルズベック殿下もお元気そうで何よりです。不躾とは存じましたが、ご挨拶に伺いました」

「こちらこそ、本来は私の方が出向かねばならぬ立場、申し訳ありません」


 中世的な美貌と、男とも女ともつかない声。

 ミシエル・ジオットは幼い時分のアルズベックに帝国の皇族としての教育を施した教師だ。現在はサンドリウスの教師として三日に一度、登城している。


「本日はサンドリウスの授業の日でしたか」

「はい。アルズベック殿下はご休息の日とか。あまり根を詰め過ぎになりませんように」


 と、ミシエルは少しだけ視線をずらして部屋の奥を見やった。


「本日は奥方様とお出かけでしたか」

「ええ、ちょうど思い立ちまして。よく考えてみればあまりこの国を案内してやった事もありませんので」

「そうですか。殿下の奥方様にふさわしい、お美しい方ですね。アルズベック殿下が見初められたのもよく分かります」


 振り返れば、青色のドレスに身を包んだ陽与が小さく会釈をしていた。

 アルズベックの髪の色に合わせたチョイスなのだろう。非常によく似合っている。


「それでは、数少ないお二人の時間を邪魔しても申し訳ありませんね。私はこれで」

「わざわざありがとうございました、ミシエル師」


 頭を下げて去っていくミシエルを見送り、陽与の方に振り返る。


「素晴らしく似合っているな、ヒヨ」

「ありがとうございます、アルズベック様。では、参りましょう?」


 左腕に両腕を絡めてくる陽与。その足取りに合わせながらアルズベックは自室を後にした。

 今の二人にとって、大襲来などは対岸の火事に過ぎないのだった。






 ダミア・コロネルはガルゴッソ平原を東に向かって急いでいた。

 今ならば、意識を失ったケオストスの方に誰もが集中していて、誰もダミアの事に気を配っている余裕がないと判断したからだ。

 ヴィエゼ級の機体――に偽装した帝国ダヴォル級――を駆けさせるダミアの表情は焦りも露わになっている。


「馬鹿な、馬鹿な!」


 蒼白な表情になった理由は簡単だ。

 現れた王機兵の性能を見て、ダミアは愕然としたのだ。


「性能が違い過ぎる!」


 ダミアはアルズベックの側近の一人として、彼が操る王機兵クルツィアの動きを見る機会があった。

 その性能は確かに古代機兵よりも素晴らしいものだったが、決して追いつけないと思わせるようなものではなかった。

 しかし。現れた王機兵は、その常識を飛び越えていた。

 城ほどもある巨大な魔獣を、どの古代機兵が拳一つで浮かせる事が出来ると言うのか。

 慌てて東へと走り出したダミアが次に見たものは、地平線の向こうから土煙を上げて駆けてくるもう一体の王機兵。その速さもまた、クルツィアのそれを大きく上回っていたのだ。


「報告せねば、殿下に!」


 敵前逃亡は重罪である。特に、大襲来においては。

 だが、ダミアはこのまま生き残れたとして、その後も生き延びられるとは思っていなかった。

 彼の立場は現状レイアルフの客将だ。戦後には大襲来で有耶無耶になってしまったレイアルフの処断が待っている。

 帝国の将として顔を知られた自分もまた、間違いなく帝国からの工作を疑われる。同時に帝国からも見捨てられるだろう。当然、知り得た情報を伝える手段もなくなるだろう。

 今しかないのだ。どうにか帝国に戻り、アルズベックに報告を行わなくては。研究を根底からやり直さなければ、帝国の王機兵を基準にしては必ず敗れてしまう。

 そう思って機体を駆けさせていたところだったが、ふいに妙な音が聞こえてくる事に気付いた。そして、機兵に乗っていて気にしていなかったが、地面が小刻みに震えている事に。

 震動は徐々に大きくなってきている。一旦足を止め、やり過ごそうと機兵を伏せさせる。


「地震か? こんな時だと言うのに不運な事だな」


 地面の鳴動が大きくなる。

 がたがたと揺れる視界の中、南の方から砂塵が大量に巻き上がっているのが見えた。

 山崩れでも起きたかと思ったが、すぐに否定する。ガルゴッソ平原から見える範囲に、そこまで大きな砂嵐が巻き起こるほどの山はない筈だ。

 では、一体何が起きているのか。

 気のせいだろうか、砂嵐はこちらに向かっているように思える。


「まさか。あれは」


 震える声で呟く。じっと見つめればよく分かるが、間違いなく何かに導かれるように砂嵐が北上してきていた。

 何かが中心に居るとすれば、機兵しかいないだろう。だが、遠目に見えるほどの砂塵を操る存在など、ダミアには一人しか心当たりがなかった。


「そんな馬鹿な! いくらあの男でも、あれ程の規模で砂を操作する事など!」


 ケオストスがル・カルヴィノを使って作り出した氷壁も巨大だったが、砂嵐の規模は比ではない。

 先程横を駆け抜けて行った王機兵と遜色のない速度で、砂嵐は魔獣を一直線に目指して進んでいく。その中心にかすかに見えたものを、だがダミアは確信を持って断じた。

 土の魔術において、空前絶後の才を持った王。帝国軍の必勝魔術として開発された浸透衝撃を無力化せしめ、王機兵を除いては唯一帝国軍を単機で防ぎ切った伝説の古代機兵。


「正気を取り戻したか、魔導王レフ・トラヴィート!」


 王機兵二機と古代機兵ル・マナーハ。ダミアはもう程なく大襲来が終結するだろうと理解した。今以上に急がなくてはならない。


「急がねば。殿下、に……」


 立ち上がり、砂嵐に背を向けて走り出す。いや、走り出そうとした。

 機体が揺れた。

 腹部に奇妙な熱が走る。

 痛み。

 突如として思考がまとまらなくなる。

 喉から熱いものがせり上がってくる。

 思わず吐き出した。赤い。


「なに、が」


 視線を下に下ろせば、腹から下が見えなくなっている。

 鈍く輝く銀色が、操縦席を後ろから貫いていた。


『敵前逃亡は重罪だそうだ。特に大襲来では』


 機兵の頭を後ろに向けるが、何も居ない。

 声は幻聴だろうか。


『ヴィエゼ級の動力関係の中枢はこの位置で良かったんだよな。ほら、機体はもう動かないぞ、諦めて出てくるんだ』


 いや、確かに聞こえた。

 ヴィエゼ級機兵の外装を上から貼り付けた形のダヴォルは、本来のヴィエゼ級とは操縦席の位置が微妙に違う。

 だが、そんな事を指摘する力は、もう彼には残っていなかった。


「ばか、な。こんな……ところ、で」


 致命的な破壊に、殆どが停止したスクリーンに最後に映ったのは。

 まるで湧き出るように景色の中から現れた、奇妙な姿をした機兵の姿。

 その機兵が何なのか、乗り手はどこの所属か、そもそも何が起きたのか。

 ダミア・コロネルはそれらの疑問に答えを得る事はついに出来なかった。

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