第十五話:ならば女の本懐なるは

『ルルォ殿、良い言葉だ。男の本懐、これにあり……その通りよ』

「どうも」

『だがな、一つだけ訂正を求めたい』

「ん?」

『フィリア様と姫様ではなく、姫様とフィリア様と言っていただきたいな、姫様の婚約者であらせられる貴殿には特に』


 デュノーの言葉に、流狼は苦笑を漏らす。

 その通りの順序で言えば、おそらく今度はオルギオ辺りが同じような事を言い出してくるだろう。


「俺はフィリアさんの近衛ですからね。それに、話はありましたが受けた訳でもありません、よっ!」


 群がる触腕を次々に打ち落としながら。

 だが、流狼の言葉に今度はデュノーが激した声を上げた。


『貴殿ッ! 姫様の何が不満か!』

「不満はありませんがねっ! うちの地元じゃ会ったその場ですぐ婚約なんてしないんですよ、これが!」


 甲板に生身の存在が居なくなったからか、触腕の攻撃が激化する。数機が海中に引きずり込まれているから、機兵の中に人間が居る事は学んでいる筈だ。

 船は非常に大きい為、魔獣の力を以てしても水没させる事は出来ないようだが、とは言えどれほど触腕を破壊しても疲れた様子は見せてこない。痛痒を感じていないのだろうか。


「ち、こいつは我慢比べになりそうだ」

『そのようだな。姫様と貴殿の縁談の件については、終わった後にでも散々に絞らせていただく!』

「お手柔らかに!」


 守るべきミリスベリアとルビィが去った事で、騎士団の目的は魔獣の撃退に統一された形だ。瞬く間に陣形を再編し、迫りくる触腕を迎撃し始める。

 前方に集中出来るようになった為か、不用意な被弾がなくなった。ミリスベリアを囲うようにしていた盾役の大型機兵が前に出たのが大きい。砲火を潜り抜けた触腕を敢えて受け止め、動きが拮抗した所に周囲の機兵が魔術の集中砲火で触腕をずたずたに薙ぎ払う。

 上手く連携が取れている。

 となれば、彼らにとっての異物である自分とアカグマは邪魔にならないように動くべきだろう。


「デュノーさん、改めて船首につかせてもらう」

『任せる。そちらの精霊殿、勝つ算段はついているのか?』

『何故ボクに聞くんだい?』

『……む? 戦略と戦術は精霊殿の役割ではないのか?』

『ああ、ルビィがそうしているんだね。ボクの役割は、マスターがやりたい事、成し遂げたい方針を叶える為のサポートだよ。ルビィと同じ役割を求められても困るね』

『ふむ、ルビィ様のようにはなされぬのか』

『なっ、心外だなぁ! ボクはルビィのようにマスターの行動を拘束したりしないし、マスターはボクの導きがなくても選択を間違えない! 出来ない訳じゃなくてしないんだ、間違えないで欲しいね!』

『何を!?  まるでルビィ様や姫様が足りていないような仰りようではないか!』

「……どちらも、今はそれどころではないんじゃないかな」


 流狼はアルとデュノーの益体もない会話を聞き流しながら、海中に潜む魔獣の姿に意識を向ける。

 船の動きを止め、周囲からくまなく触腕を伸ばす姿から浮かぶ姿は、流狼の知識としてはイソギンチャクがそれに近い。

 しかし、イソギンチャクはそこまで速く動くものではない筈だし、触腕を水の外で自在に動かしている辺り、流狼の常識は通用しないと見るべきだろう。

 触腕を斬られても焼かれても粉砕されても、痛痒を感じている様子はない。が、出来れば何らかの手段で痛撃を与えたいところだった。


「アル。海の魔獣が苦手とする魔術は?」

『ああ、ごめんマスター。そうだねえ、生き物である以上過度な高温や低温には弱いだろうけど』

「海中ではどちらも無理か」

『いや、無理ではないぞ!』


 会話に割り込んで来たのはデュノーではなく、船長だった。


「船長、無理ではないとは?」

『この船はもともと軍艦……それも旗艦として造られている。俺達はいつでも、レガント族と魔獣どもを仮想敵として訓練を積んできた! 船だってそうだ、こういう事態を想定していなかった筈がないだろう!』

『想定していた? 実行していないからには何か理由があるんだね?』

『ああ。この手を使うと暫く船足が落ちるんだ。体よく逃げられても、すぐにまた捕まってしまっては意味がないからな』

『なるほど』


 機兵が甲板で暴れ回れる程の巨大な艦だ。当然、動かしているのは魔術陣であり、稼働する魔術陣を変える事で様々な効果を発揮するのだという。


『高熱の魔術陣なら内臓している。だが、加速の魔術陣と相性が悪くてな。出来れば引き剥がした後に切り替えの時間が欲しい』

「という事は、やはり『本体』に痛撃を与えないと無理だな」


 触腕を破壊している間は、まだ余裕があるという事だ。

 だが、数本ではこちらを止められないと学習したのか、今度は多数の触腕が一気にこちらに襲い掛かってくる。


『どうやって本体を引きずり出すつもりかな、ルルォ殿』

「どうしたものかね」


 だが、流狼はこのまま消耗戦を続けていれば、程なく活路は拓けるのではないかと感じていた。

 根拠もそれなりにあるのだが、保証がないのが困りものだ。

 デュノーの問いをはぐらかし、流狼は襲い来る触腕に右腕をかざした。


『マスター、来るよ!』

「アル、氣塵百勁を使う」

『了解! ……感応波収束、力場固定。性質を攻性に変換! 行けるよ、マスターッ!』

「飛猷流古式打撃術、『氣塵百勁』!」


 機兵では殆ど練る事が出来ないが、それでも何とかある程度練り上げた氣を掌部に集え、魔力の塊を打ち据える。

 塊は伝えられた衝撃によって爆散し、無数の微細な攻性魔力が周辺の触腕を無差別に蹂躙する。

 一つひとつは大した威力ではないものの、無数の粒に穿たれた触腕が瞬く間に弾け飛んだ。


「……こんなに凄まじい威力だったか?」

『マスターがどういうコンセプトの技術を使いたいかが分かれば、最適な形に準備を整えるのがボクの仕事さ』


 前にレフ機に対して使った時と比べれば、威力が向上するのは当たり前だと。

 つまり、事前にどういう技を使うのか、使えるのかを教えておけと遠回しに言ってきている訳だ。


「戻ったら一通り使える技については教える」

『了解! あと、アカグマでは出来ない事も、アルカシードに乗れば出来るようになるかもしれないから、期待していてね』

「ああ、期待しておく」


 ぽっかりと、まるで触腕の林に穴が開いたような。

 文字通り粉と砕いた流狼の眼前に、海中から再び触腕が林立してくる。


「さて、音か、温度か、振動か」

『或いはその全部かもね』


 目で見ている訳ではないこちらの様子を、果たして何で感知しているのか。

 だが、それを知る必要があるとは思えなかった。どうにかしてこちらを察知していると分かればそれで良い。


「さて、元々売る程生えているのか、切られた端から生やしているのか」

『まあ、どちらもだろうね』


 触腕は限りなく海中から伸びてくる。船体に沿って這いずってくるのではなく、樹木のように伸ばしているのは逃げるのを防ぐ為か、それ以外の理由からか。

 どちらにしろ、動けば動いただけ生き物というのは腹が減るものだ。


「さて、このデカブツはどれくらい腹を空かしているのやら」

『わざわざ大きい船を狙ったくらいだ、よっぽどだろうね』


 生き物は総じて、大きければ大きいほど燃費が悪いものだ。

 流狼は拳を硬めて構えを取った。

 少ない数で押さえにかかっても駄目、だからと言って一度にかかる数を増やしても駄目。それを学習した魔獣がどう動くのか。

 ちらりと背後を見ると、目に見えて騎士団に襲い掛かる触腕の数が減っていた。


「さて、あと何度打ち据えれば理解するかね」

『いつまで経っても理解しないかもしれないよ?』


 アルの軽口に、流狼は口許を緩めた。

 この魔獣は決して馬鹿ではない。少なくともくらいには。

 時間稼ぎをするには、何度でも数を恃みに襲ってきてくれた方が周囲の被害は少なくなるが、果たして。


「さあ、我慢比べだ」


 流狼の言葉を受けたアルが、再びアカグマの前に魔力を収束し。

 一度では理解しなかったか、先程よりもたくさんの触腕が船首付近に現れたのである。






 グロウィリア公国の首都グロウィリア・グロウィリウスは、公国で最も安全な位置に存在する。

 即ち、撃王機ベルフォースが護る大城壁のすぐそばだ。

 曰く、敵国の王都を狙撃した。

 曰く、飛来する魔術すら撃ち落とした。

 曰く、一度の銃撃で百の機兵を撃ち抜いた。

 ベルフォースはいつしか、鉄壁の代名詞として有名だった重王機エトスライアを差し置いて鉄壁と呼ばれるようになった。

 ベルフォースがそこに在り、城壁を守護している限り、王機兵でもない限り通す事はない。それが公国の常識であり、だからこそ公国は海軍と海運を何よりも重視していた。

 軍港と軍艦、そして艦上で運用される前提の機兵の数は大陸では群を抜いて多い。

 そして、だからこそヘレニセーラ二世号は持ちこたえる。

 大公が住まう邸宅、陽光館。長距離転移を使って戻ってきたミリスベリアのすぐ前には、驚いた顔をする父、ソルナート・グロウィリアの顔があった。


「と、父様!」

「み、ミリス!? どうしたんだ、随分急だね」


 転移陣を使おうとしていたのだろう、そこに突然娘が現れたのだから驚きもする。

 と、魔術を起動したルビィがミリスベリアよりも先に一言で切って捨てた。


『済まないね、ソルナート。緊急事態だ』

「姉様? 緊急事態とは」

『端的に言うよ。海上でヘレニセーラ二世号は大型魔獣の襲撃を受けている。至急支援を要する為、私達だけで先行してきた』

「大型魔獣ですか。『大侵攻』であると?」

『さてね、大教会は動いているかい?』


 大侵攻とは、海の魔獣による陸地への侵攻である。陸生が可能な生態を得た大型の魔獣が、餌を求めて襲来する事を指す。また同時に、その大型魔獣から逃れようと外海から大小様々な魔獣が大陸目がけて逃れ来る事も含まれている。

 大陸国家憲章に於いて、大陸の全国家が戦争状態を即時・無条件で停めなくてはならない事態は二つ設定されている。

 一つが神兵の出現。そしてもう一つが、大侵攻である。


「いえ、今の所その報はありません」

『大教会が大侵攻の発生を宣言していない以上、大侵攻ではないという事だわね。他の船が魔獣に襲われた報告は?』

「そちらも今のところありませんな。おい、至急軍港と港町に確認を」

「はっ!」


 転移陣を起動しようとしていた側近にソルナートが指示を出せば、側近は慌ただしく走り去っていった。

 ルビィはその様子を見送ってから、ソルナートに告げた。


『では私とベリアはベルフォースに戻る』

「お待ちください、姉様。それはつまり」

『ああ。位置が悪い。今からでは船を出しても間に合わない距離だ。狙い撃つしかないだろう』

「しかし、それでは船と騎士団が」

『ああ、心配しなさんな。船にはアルカシードの乗り手が残っている。巻き込みはしないよ』

「アルカシード……? まさか、エネスレイクの王機兵ですか!?」

『そうだよ、やかましいねえさっきから。いいかい、急ぐんだ。話は後にしてくれないか』

「姉様ッ!」


 怒声を上げたのはソルナートではなく、ミリスベリアの方だった。

 悠長に話をしている暇はないのだ。父の疑問や狼狽には同情するが、事態は一刻を争う。

 今度の転移は短距離で済む。陽光館から飛ぶのもいつも通りだ。

 長距離転移を使うとしばらく出発点と到着点の周辺では転移魔術が使えなくなるからと、この場所まで三つほどの転移陣を経由している。

 まったく寄り道せず――ついでに周囲に説明もせず――ここまで戻って来たのだから、とにかく今は急ぐべきなのだ。


『と、言う訳だ。船の方はアルカシードの乗り手が何とかするだろう、ありゃ出来る男だからね』

「済みません父様。説明は後ほど!」

「あ、待ちなさいミリス!」


 いかに敬愛している父の制止であっても、今のミリスベリアを押し止める事は出来なかった。

 ルビィも心得たもので、ソルナートの承認を受ける前に短距離転移を発動する。

 意識が一瞬だけ途絶えた感覚と、座り慣れた柔らかいシートの感触。

 ベルフォースの操縦空間である。

 目の前には銃の引鉄を模した操縦桿が一本。右手で柔らかく握り、宣言する。


「準備できました、姉様」

『オートモード解除。今回は加減している余裕はないよ。一気に行きな!』

「はい! 速射します!」

『ああ、装備を変えるよ!』


 ルビィの言葉と同時に、もう一本の操縦桿が左手側に現れる。

 そちらも握り締め、ミリスベリアはベルフォースと同調する。ベルフォースの目がミリスベリアの目となり、眼下に迫り来る帝国軍を見下ろす。

 引鉄が勢いよく絞られた。






 グロウィリア公国への『侵攻』部隊の隊長であるオウヒ・ウォズ将軍は閑職とも言えるこの役割をそれなりに気に入っていた。

 城壁への一本道をひたすらに駆けさせ、撃王機の銃砲を消耗させる。あるいは注意を城壁に釘づけにする事を目的とした特攻は、普通に見れば馬鹿馬鹿しい限りなのだが、帝国上層部がかつて感じた恐怖がどれ程のものだったかを物語ってもいる。

 使われているのは戦争で破壊した他国の機兵を回収、最低限の修理を施して動けるようにしたものや、旧式になって使い道のなくなった機兵だ。

 いわば帝国にしてみれば廃品の有効利用であり、戦争を続けている限り数多出てくる類のものではある。

 公国はいつからか動けなくした機兵を回収し、国内に運び込むようになった。そして暫くして、機兵の乗り手を生かしておくようになった。撃ち抜いてしまうと単純に操縦席周りの分解が手間になるからだ、と公国の外交官が嘯いていたと言うがその真偽は定かではない。

 重要なのは、公国の王機兵は帝国の機兵乗りを殺さないという事だ。

 長い事かけて無傷のまま防がれ、じっくりと固められた城壁は分厚い。運良く城壁に一機や二機が取りついて、自爆しても壁を僅かに削る事も出来ない。だいたいの策は実行され、そして全て効果を発揮出来なかった。

 現在の南方戦線は完璧に頓挫しており、トラヴィート方面からの海路侵攻という方針も潰えた今、公国への対策とは無為に機兵を消費する事しか残されていない。

 せめて公国の王機兵から狙われないように。ひどく後ろ向きな方法だが、オウヒにとってそれは天職と言っても良かった。


「さて、今日も機兵を食いつぶすとしよう」


 オウヒにとって、戦死とは最も馬鹿馬鹿しい死に様である。

 そして、それを部下に強いるつもりもなかった。大過なく定年を迎え、大過なく老後を過ごす。まだまだ先は長いが、この役割を続けている限り遠くない未来である。

 その筈だった。

 機兵を駆けさせ、駆動部を撃ち抜かれた所で機体を乗り捨てさせる。彼らにしてみれば毎日の定期的な作業であり、命の危険もないので動きもおざなりになっている。

 それもまた日常、その筈だった。

 駆け出した機兵達の先頭が、城壁まであと半分辺りまで迫る。平時であればそろそろ銃撃が始まる。その筈だった。

 ふと見上げると、普段は片膝を立ててこちらを狙っていた王機兵が立ち上がっているではないか。

 不安を感じつつ注視していると、王機兵は銃を手放した。

 機兵の体高程もある細長い銃が虚空に消え、今度はひどく小さな、二丁の銃が王機兵の両手に納まった。


「なんだ? なんだあれは」


 怖気を覚えたオウヒが、一歩下がる。

 背筋を走るこの感覚は、この戦線に来て一度も感じた事のない感覚だ。

 これではまるで、戦争のような――


「ひ、退け! 退けぇぇっ!」


 ひどく作業じみた動き、それは変わらなかった。

 だが、降り注ぐ光の数が尋常ではない。大量の魔術光が銃口から撃ち放たれ、城壁に近い方から機兵を蹂躙していく。

 狙い定めてなどいない。地面をも抉り削りながら、光の雨が機兵を破壊し、粉砕していく。

 雨が近づいてくる。こちらが後ろに走るよりも遥かに速い。


「何故だ! 何故今更!」


 恨み言を吐くほか、出来ない。

 同じように事態に気付いた部下達も走るが、徐々に呑み込まれていく。


「くそ、くそおおおおっ!」


 オウヒの機体、その左踵がとうとう追いつかれた。

 バランスを崩し、倒れる。

 恐怖に振り返った視界に、一切の隙なく降り注ぐ無数の光。

 ――美しい。

 それが、彼女の最期の感情だった。






 流狼とアカグマが触腕に向けて、三度目の氣塵百勁を放った後。

 ついに触腕が伸びてこなくなった。


『学習したかな?』

「デュノーさん、そちらの被害は?」

『今のところ、大きくはない。それにしても凄まじい魔術だな、それは』

「そうでもないよ。という事は、そろそろかな」

『そろそろ?』


 アルとデュノーが同時に発言する。

 流狼の言葉を聞いていた訳ではないが、海面が大きく揺れる。

 まるで海中で何か大きなものが蠢いているような。


「さて、デュノーさん。この魔獣は、どうしてこの船を狙ったと思う?」

『どうして? それは姫様が……』

「魔獣にとって、王機兵の乗り手が乗っているなんて事は襲う理由にはならないだろう?」


 誰かに操られているというなら別だが、魔獣に見境があるとは思えない。

 野生生物が襲ってくる理由など、流狼には一つしか考えられなかった。


「腹が減っているんだ。それも尋常じゃなく」

『そうか! 大型の船……船であるかどうかさえ問題じゃない』


 右舷側の海面がぼこりと盛り上がった。

 船を大きな横揺れが襲う。


「そう。この船を大きな生物だと思った。下から締め上げて、食らいつく為に」

『馬鹿な、それでは』


 ざばりと大きな音を立てて出現したのは、一瞬だけ人の上半身に見えた。

 それだけ大きかったのだ。


「頭が四つと、指三本の腕……前脚って言ったほうがいいのかな? 何とも統一感のない」


 腹部に犬のような頭が三つ。頭部には髪に似せたような無数の触腕。頸の部分にあるのは鰓か。だが顔面の部分は異様の一言だった。

 まず、鼻はない。眼球は一部のエビやシャコのように飛び出しており、口の部分には繊毛のような歯が並んでいる。

 人の足のようなものが口から一本突き出しているが、これは引きずり込まれた機兵のなれの果てか。


「かみ砕くのは腹の頭の役割で、飲み込むのは上の頭の役割ってところかね。なるほど、貝の類とでも思われたかな」


 デュノーからの反応はない。

 相手のあまりと言えばあまりの姿に、絶句しているのか恐怖しているのか。

 海中から上がってきた瞬間は人のように見えただけに、悍ましさは層倍だろう。


「下半身がイカで、上半身がこれじゃなあ。ますます食欲なくすよ」

『マスター。そういう問題じゃないと思う』

「馬鹿言うな、アル。魚介類は美味いんだぞ」


 ひとまず流狼の視線は四つの頭に向けられている。

 どう見ても本体は上の頭のような気もするが、三つある犬の頭も魚のような目でこちらを捕捉しているように見える。

 こちらを脅威と見ているのか、群れから離れている間抜けな獲物と見ているのか。


「デュノーさん!」

『ああ!』


 デュノーは流狼の声に我に返ったらしく、周辺の警戒に最小限の人数だけを指示して本体への攻撃を開始した。大小様々な魔術が全身を打つが、応えている様子はない。

 と、上の頭から伸びている触腕の一つが高速で振われた。


『うわぁ!?』


 先程までは十分に受け止められていた盾役の大型機兵が引っ掛けられ、耐える間もなく空中へ放り出される。

 いや、厳密には空中ではなく――


『いぎっ! ぎゃあああああああああ!』


 犬の頭の一つに放り込まれた機兵が、けたたましい音を立てて噛み砕かれる。

 腹部の頭は散々に機兵を噛み砕いたと思うと、舌を伸ばしてそれを見せつける。

 いや、見せつけるつもりではなかったのだろう。程なく頭の触腕がそれを掴み上げて、上の口に運び込む。

 得も言われぬ音を立てて飲み込まれる残骸を見送る騎士団は、呆然と動きを止めていた。

 笑みの形に歪む上の頭。やはり余程餓えているのだろう、頭の触腕が一斉に蠢き始める。


『貴様ぁぁあああっ!』


 状況に最も早く反応したのはデュノーだった。杖を掲げて、渾身の炎の魔術を犬の頭に目がけて放つ。


『ビャビィィィッ!』


 噛み砕こうとした口の中で炸裂した魔術に、犬の頭が悲鳴を上げる。


『効く! 痛みを与えているぞ!』

『腹だ、腹の頭を狙え!』

『口だ、口の中ならば効くぞ!』


 口々に叫びながら、騎士団が犬の頭めがけて魔術を放ち始める。


『ジイイイイ……ジャアアアアアアアアアア!』


 不気味な音を立てて怒りを表した魔獣が、再び触腕を振り抜いてくる。


「ならばこちらは俺の役、だろうなっ!」


 今度は明確にデュノーを狙い定めてきた触腕がデュノー機を吊り上げる前に、流狼はデュノー機に駆け寄ってその触腕を強かに殴りつけた。

 先程の触腕と比べて随分と硬いが、打撃の効果は十分だったようで先端が弾け飛ぶ。


『感謝する!』

「触腕は任せろ! 腹は任せた!」


 恐らく船足を止めていたのはあの触腕だろう。硬さもそうだが、先ほどとはパワーが違う。

 どのような体勢で船足を止め、下半身の触腕を拡げたのかは分からないが、あるいは軟体動物のように下半身を裏返すくらいの事は出来るのかもしれない。

 鞭のようにしなる触腕をカウンターで迎撃する。魔力を込めた打撃であれば、打ち込まれた衝撃と連鎖して部位が弾け飛ぶというのはアルの言だ。


『マスター! 複数来るよ!』

「俺を狙うなら好都合だ!」


 先端は目に留まらぬ程の高速だが、だからこそ打撃には一瞬があれば良い。

 迫りくる三本の軌跡に置くように拳を動かし、裏拳で二本を、右の拳で一本を打ち弾く。

 先端を弾かれた触腕の先が再生する様子はない。が、まだまだ触腕は数多い。蠢く触腕の、次はどれが動くのか警戒を強くする。

 と、犬頭の一つが、内部からバラバラに爆発した。


「何だぁっ!?」

『杖を口の中に放り込んだのさ。火の魔術で自爆するようにしてな!』


 そんな方法があるとは。

 頭の一つが吹き飛ぶのは流石に痛撃だったようで、魔獣は声もなく体を捩らせて悶える。


『おお、拘束が緩んだ! ……まだ駄目だ!』


 船長も喜んだり沈んだりと忙しい。

 頭を一つ失った痛みは拘束を緩めるのには有効だったようだが、それでもその程度では魔獣も折角の獲物を逃がす気はないらしい。

 流狼は、そう言えば杖を拾ったままだったな、と腰に差しておいた杖を左手で引き抜く。


「あと何本使える?」

『ルルォ殿のそれと合わせて、あと四本だな』

「外せないな」

『ああ』


 杖は魔力の収束・導引・発動を行う大切な器具だ。

 アカグマはアルが改造した結果、魔力の収束・導引は杖を使わずとも十分に出来るのだが、現代の機兵はその辺りの機構がオミットされてしまっているらしい。

 再現できない類の技術だったのか、杖の方が効率が良いから排除されたのか。

 杖を手放してしまえば生身が使える規模の魔術しか使えなくなるとなっては、他の騎士の杖を手放させる訳にもいかない。


『マスター!』


 と、アルが焦ったような声を上げた。

 触腕による攻撃を諦めたのか、魔獣が右脚を船に叩きつけて来たのだ。


『うわあっ! 何だあっ!?』


 轟音とともに船が軋む。叩きつけ方は脚というより腕のようだが、受けてしまえば最後、並の機兵ではスクラップになってしまいそうな膂力だ。

 甲板がひしゃげている。船の航行に問題がないといいが。


『船長! 船は!』

『まだ大丈夫だ! だが続くと拙いぜ!』


 力任せに船を叩き折る事でも思いついたのか、苛立ちも露わに再び脚を振り上げる魔獣。


「ちいっ!」

『マスター!?』


 飛び出した流狼は、そのまま甲板を蹴って中空に飛び出した。

 口を閉じて警戒を示す犬の頭を踏み台に再度跳ね上がり、上の頭の顎を全力で殴り飛ばす。

 のけ反らされた魔獣が脚を振り下ろすが、船体には当たらずに水面を叩く。

 ぬるりとした魔獣の体に着地した流狼は、魔獣が体を起こす前に船へと飛んだ。


『危ないよ、マスター! 何してるんだい』

「船が沈んでしまったらそれどころじゃないだろう?」


 問題なく船に着地したアカグマだったが、足裏に粘液が残っていたのか一瞬体勢を崩す。甲板に足を擦りつける事で粘液をこそぎ落とした流狼は、魔獣の方に視線を戻した。


「……大して効いてないか。そろそろきつくなってくるぞ」

『腹の頭も口を閉じちゃったね。船を壊してから、じっくり食事しようとでも思っているのかな』

「普通ならいい加減逃げるところだろうに」


 やれやれと息をつく。顎への打撃はのけ反らせるには効果があったが、ダメージとしては大した効果はなかったようだ。

 上の頭に氣塵百勁を叩き込みたいところだが、十分な威力を伝えるには距離が遠い。

 魔獣が心持ち距離を離した。触腕は届くが、アカグマが飛んでもぎりぎりで届かない距離だ。警戒の度合が増した割に、こちらを諦めようという気配は微塵も感じられない。実は魔獣にとっては、犬の頭でさえも大した急所ではないのかもしれない。

 と、八方塞がりを感じていたところに、ようやく待ち望んでいた通信が入った。


『待たせたね、アル。こちらは準備が出来たよ』








『助かるよ、ルビィ。流石に船上の戦力だけじゃきつくなってきたところだ』


 アルの珍しく弱気な発言に、ルビィは驚いたもののすぐに納得した。

 機体がアルカシードではないのだ。アルの手製とは言え、王機兵とは比較するべくもない。


『まさか今になってアンタの役に立てるなんてね』

「姉様? もしかして……」


 感傷的な言葉を漏らすと、聞きとがめたのかミリスベリアが口を挟んできた。

 眼下には銃弾の雨に削られた地面と、帝国機兵の残骸が散乱する。

 我ながら現金なものだと自嘲しながら、心配そうなミリスベリアに答える。


『昔の話さ。さ、準備するよ』

「は、はい!」


 ベルフォースを西に向けて、片膝を立てて腰を下ろす。

 今までとそう変わらない姿勢だが、吹き上がる魔力の奔流は隠しようがない。

 背部排気孔から噴き出す空気からはほぼ全ての魔力が奪われており、集結した周辺の魔力は空気と共に肩部に吸い込まれていく。


『武装変更、魔銃『鐘を鳴らす者キーウィ・ソノール』!』


 構えを取るベルフォースの手に、しっかりと納まる長銃。

 普段帝国機兵を相手に使っている銃よりも銃身が長く、大きい。

 操縦席では景観ががらりと変わり、ミリスベリアが掴んでいた操縦桿が消え、中央から赤を基調にした操縦桿がせり出してきた。


「姉様、これは……?」

『ルナルドーレが帝国の旧帝都を狙撃した話は知っているね?』

「ええ。これが?」

『ああ、それをやった時にも使ったんだよ。こいつはが取って置きの時だけ使う特別な銃さ』


 距離を考えると、旧帝都ダイナよりもヘレニセーラ二世号は遠くにある。

 そして、ヘレニセーラ二世号を撃ってはいけないのだ。ルビィが考え得る限り、最良の武装の選択である。

 帝国からこの銃を見られる心配もない。後は。


『自信がないかい、ベリア』

「……は、はい」

『そりゃ仕方ないね。アンタの引鉄一つで、あるいはアル達は消し飛んでしまうかもしれない。この銃自体も初めて使うんだ、心配になるのは無理もない』


 ミリスベリアの表情はいつになく強張っている。

 ルビィは、船から転移した直後の流狼の言葉を口にした。


『アタシ達の為に、率先して馬鹿をやるのが男の本懐ってやつならさ』


 アルとの通信を通じて、流狼が言い放った言葉はルビィも聞いていた。

 王機兵の乗り手と精霊は、通信内容を念話で共有しているからミリスベリアも聞いていた事だろう。


『その馬鹿を認めて、後ろからそっと手助けしてやるのが女の本懐ってやつなんじゃないかとアタシは思う』

「姉様」

『ああいう男には、惚れちまうものさ。まったく、そういう所ばかり前のマスターと似てやがる』


 苦笑を漏らすルビィに、ミリスベリアの顔が少しだけ和らぐ。


『失敗なんて心配しないんだよ、ベリア。アタシはアンタが願った事を叶えるのが役目で、それを可能にするだけの力を持っているんだ』

「……はい!」

『行くよ、特殊機動『撃王機の狙撃フランクォソティラード・デ・ベルフォース』。撃ちなぁ、ベリアァッ!』

「撃ちますッ!」


 ミリスベリアが、気勢とは裏腹に柔らかく引鉄を引いた。






『さて、ここからはタイミング勝負だ』


 打ち合わせをアルに任せ、こちらを狙って触腕を振ってくる魔獣には流狼が対応する。

 どうやら狙いはアカグマに絞られたようで、背後では機兵達が下半身の触腕に警戒を密にしているものの、海面が動く気配はない。


『ベルフォースが撃ったら、ものの数秒で弾が飛んでくる。それが船に当たるのは気にしなくていい。ただ、出来ればわずかでも魔獣からは離れておきたい』

『ですが、魔獣が動いてしまっては射撃がずれてしまうのでは』

『そこはルビィを信じてもらうしかないね』

『信じましょう。それで、我々は何を?』

『魔獣はいい加減こちらを警戒して距離を取っているから、下を引き剥がせば大丈夫だと思う。デュノー君には魔獣の注意を下半身から逸らす知恵を借りたい』

『……ふむ。あの目がこちらを見ているのであれば……』


 ぶつぶつと呟くデュノーだったが、思いついたのか騎士二人を呼んで杖を手渡した。


『お前は合図と同時にこれを投げて白光の魔術を暴走させろ。お前は爆響の魔術だ。残りは一拍遅れて防壁の魔術を使う。防壁が起動したら船長、頼むぞ』

『任せろ!』


 方針が決まったらしく、きびきびと動き出す機兵達。

 ミリスベリア達の方も準備が整ったらしい。ルビィから通信が開かれる。


『撃ちますッ!』


 その声を合図として、一同が動き出す。

 流狼は二体の機兵が杖を投じる様子を眺めながら、アルに声をかけた。


「なあ、アル」

『何だい? マスター』

「この杖を使って、海中に放電を起こす事は可能か?」

『それは……いい案だね、マスター』


 高熱だけでは下半身が船を手放さなかった時の為に。

 光と音が炸裂し、魔獣が目を抑えて悲鳴を上げる。アルのお陰か、アカグマは光も音も遮断してくれたようだ。

 しかし。


『駄目だ! 離れない!』

『何だって!?』

「やれやれ、アル」

『了解、マスター!』


 何事もないように流狼が杖を海中に放り捨てる。

 どぷん、と音を立てて海中へ沈んでいく杖。

 騎士達は混乱し、魔獣は今も顔を抑えて暴れている。


『信号探知。放電開始』


 アルが呟いた直後、海面が一瞬だけ純白に輝く。

 魔獣の体がビクビクと痙攣するのが見えた。


「今だよ!」

『……うおお、野郎ども、魔力を振り絞れェッ!』


 船が動き出し、ゆっくりと魔獣から離れ始める。

 魔獣も気付いたらしく、赤く腫れあがった眼球をこちらに向けて、何やら叫び声を上げた。


『来た!』


 だがその瞬間には、既に勝負はついていたのだ。






 引鉄を引くや、ミリスベリアは銃口に膨大な魔力が集中したのを知覚した。

 そして、魔力が集中していた肩の部位から光る鳥のようなものが無数に飛んでいくのが見える。


「姉様、あれは?」

『あの子達は撃った弾道を調整してくれる役割を持っているのさ。ちょっと距離があるから三十七羽必要だったけどね』

「はぁ」


 と、準備が整ったのか、銃口から一条の光線が発射された。

 ミリスベリアの目には、何故か光線の動きが後を追うように見えていた。


『あの子達の視界と同期しているからね。よく見えるだろう?』


 光線は鳥の近くを通るたびにわずかにその軌跡を歪める。

 程なく、海岸線が視界の端に映った。


「あれが、本体?」


 見るからに不気味な獣が悶えているのが見える。

 船が僅かだが離れていき、威嚇するかのように口を開けて吼えている。

 だが、光線の軌道は明らかにそこから逸れている!


「姉様!?」

『心配しなさんな! 撃った後は静かに見ておいで!』


 と、光線がぐにゃりと進路を変えた。

 その位置には光る鳥が十羽以上。


『何があっても、どれ程遠くても。標的は外さない――』


 魔獣が吼えている、その口蓋を。

 光線が真っ直ぐに貫いた。


『撃王機ベルフォースを舐めてもらっちゃあ、困るね』


 光線は魔獣を貫くや光と炎に転化し、海中の体ごと周辺を呑み込んで消し飛ばす。


「ね、ねね姉様!?」

『どうしたね、ベリア』

「あ、あれ! ルルォ様達が離れていなかったら」

『ああ、巻き込まれていただろうね』

「なんて事を!」

『まあ、アルとルロウがついているんだ。大丈夫だっただろ?』

「そういう問題ではありません!」


 光と炎が納まったあと、そこには魔獣の跡形もなく。

 ただ、随分と見た目にも被害を受けたヘレニセーラ二世号が浮かんでいるばかりだった。

 ルビィのあまりの言い様にミリスベリアが膨れていると、視界に突如現れたのは流狼の顔。


「る、るるルルォ様!?」

『ああ、アルとルビィが繋いでくれたのか。ありがとう、ミリスベリアさん。お陰で命拾いしたよ』

「ど、どうという事はありません! と、殿方の無茶や無謀を後ろからお支えするのは女の本懐というものですから!」

『え? ……参ったな、聞かれていたのか』


 照れたようにはにかんで頭を掻く流狼に、ミリスベリアの胸が何とも強く高鳴る。

 ごくりと一つだけ喉を鳴らして、ミリスベリアは一歩だけ踏み出した。


「それと! ……ミリス、です。同じ王機兵の乗り手なんですから、そう呼んでくださいな」

『うん? 分かったよ、ミリスさん』

「はい、ルルォ様」


 自然とこちらも笑顔になる。と、流狼が顔を赤らめて視線を逸らした。


「どうされました? ルルォ様」

『いやその。通信越しとは言え、ミリスさんのように綺麗な人とこんなに顔が近いと、ほら』

「っ!」


 確かに、距離が近すぎるように感じる。これもきっとルビィとアルの悪戯なのだろうか。

 ミリスベリアも自分の顔が熱くなっていくのを感じる。こんな距離でそんな事を言われてしまったら、もう。


「もう……馬鹿」


 甘い声で呟くほか、ないではないか。

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