第九話:かくて加速する運命こそ
「それは、事実ですか?」
凄味を利かせて、噂話をしていた兵士の肩を掴むのは、均整の取れた体格の青年だった。
レオス帝国の帝都グランダイナで、彼を知らぬ者は今や少ない。
そして、彼に敬意を払わぬ者も。
リューラ・アオイ。
帝国に追従した『招かれ人』の一人であり、その中でもトップクラスの評価を受ける人材である。
彼は現在、帝国機兵研究施設で新機軸の機兵を造り出す極秘プロジェクトの一員として活動していた。
アルズベック・レオス・ヴァルパーが望むのは、大陸の制覇である。
その為には王機兵とその乗り手を確保するのが早道ではある。
しかし、現時点で帝国が押さえている三機のうち、起動可能なのはアルズベックが操る翼王機クルツィアのみ。
だが、乗り手が帝位継承権のある皇子である以上、敵国の王機兵と軽々しく相争わせる訳にはいかない。
帝国が求めていたのは、クルツィア以外の乗り手と、それ以上に王機兵をも凌ぐ性能の機兵の開発だ。
リューラ・アオイこと葵龍羅は、帝国が用意した王機兵の乗り手としての適性はなかった。現在は当初の予定通り、新機軸の機兵を製造する為のテスターとして多くの実験を行う立場だった。
「ど、どうされましたアオイ様?」
「エネスレイク王国の王機兵の乗り手が、殿下に刃向かった男だという話です」
「あ、ああ。その話ですか」
今日の実験を終え、着替えて廊下を歩いていたところで、研究所の所員と兵士とが話していた内容を聞きとがめたのである。
所員も困惑気味だったが、龍羅もその場に居合わせた事を思い出したのだろう、頷いて話し始めた。
「トリスベン卿……元トリスベン卿ですね。彼と親しくしていた貴族からの情報です。殿下達が立ち去った後に、もう一体の王機兵が下から現れたと言います。殿下に刃向かった黒髪の男が乗り込み、彼の機兵を軽くあしらったと言います」
「そうですか」
龍羅は小さく息をついた。従弟の流狼を見捨てる形で帝国に渡ってしまった事を思い悩んでいたのだ。無事で居てくれた事に安堵したが、同時に不穏な事にも思い至った。
どうにか表情に出ないように気をつけつつ、話を振ってみる。
「そうなると、エネスレイク王国とも争う事になるのでしょうか」
「いえ、どうでしょうね。現時点で機兵を組み上げる為の鉱山資源はエネスレイクから輸入していますから、殿下も即時開戦に踏み切る事はないでしょう。タウラント大鉱床を再奪回して、輸送状況が整った後という事になります。タウラント鉱山都市は現在リーングリーン・ザイン四領連合に擦り寄っていますから、イージエルド殿下の戦況次第という事ですね」
「ありがとうございます、ルザード研究員。よく分かりました」
「いえいえ。アオイ様が初陣を飾るのはまだ先になります。戦況を気にしていただくのは大事ですが、今はテストと訓練を重ねて機兵に慣れる事です」
ルザードは、鷹揚に頷いて龍羅を安心させようと微笑む。
素直に頷いた龍羅は、報告があるからと頭を下げて、ルザードと兵士の前から立ち去るのだった。
角を曲がり、二人から視線が届かなくなったところで表情を崩す。
何にしろ、無事でいてくれて良かった。
龍羅が帝国に渡ったのは、一つは流狼と陽与の為だった。流狼をよく知る龍羅は、流狼ならば一人でもしぶとく生き延びるだろうと思っていた。だが、陽与は武術の心得もない。皇子に見初められたとは言え、アルズベックに飽きられたらどうなるか。
いざという時に彼女を護る事を自分の責任と考えて帝国に渡ったのだが、帝国の国力を目の当たりにした龍羅はその考えを放棄せざるを得なかった。それ程に帝都グランダイナは巨大で、山ほどの機兵の立ち並ぶ姿は壮観だった。
流狼がエネスレイク王国に所属して、王機兵の乗り手となっているのであれば、戦端が開かれれば帝国所属の自分ともぶつかる事になる。
龍羅には既に帝国を去ってエネスレイク王国に付く、という選択肢はなかった。
「流狼をこちらに懐柔するしかないか。でも陽与ちゃんの事もある」
ぶつぶつと呟きながら歩いていたところで、背後から肩を叩かれる。
「っ!?」
「おっと、どうした葵君」
「そ、宗謙さん!」
肩を叩いてきたのは、龍羅と同じくテスターとしてプロジェクトに参加している志渡宗謙だった。龍羅より四つ年上で、同等以上の機兵適性と武術の腕を持っている好漢である。
「いえね、エネスレイク王国の王機兵の乗り手について、ちょっと」
「ああ、自分も耳にした。殿下の不手際とは言いたくないが、むざむざ隣国に渡してしまったのは不手際と言わざるを得ない」
歯に衣着せぬ発言ではあるが、恐らく彼は帝国に渡った招かれ人の中で誰よりもアルズベックに心酔している人物だった。
「とは言え、奥方様を迎えて幸せそうな殿下に無粋な事を言うのもな。最早投げられた賽の目は変わらんのだ、我々が早期に王機兵を超える機兵を造らねば殿下も御安堵されるまい」
「そうですね」
「まあ、気を揉む事はない。葵君は模擬戦でも騎士殿を相手に一歩も引かないではないか。大丈夫だとも」
龍羅の心配がどこにあるかを理解している訳ではないが、気遣う心は感じられる。龍羅は表情を和らげると、頷いた。
「ありがとうございます、宗謙さん。少し悩みが取れました」
「ならば良かった。そうだ、葵君。たまには一緒に食事でもどうだね? 海奈も楽しみにしているんだ」
「そうですね、時間があれば」
「む? ああ、いかん。自分はこれから三次起動試験だった! 葵君、この話はまたいずれ」
「はい。ではご武運を」
「ありがとう!」
自分が歩いてきた方へと走り去る宗謙を見送ってから、龍羅は再び歩き出した。
ひとまず相談しなくてはいけない相手が居る場所へ向かって。
王都リエネス、王城内サロン。
王城三階に設営されたこのサロン、色水晶を使った天井は陽光を美しく取り入れ、窓を開ければ王都の様子が一望出来る。休みの折にはここで茶菓子を楽しむというのが、王族達の娯楽の一つにもなっているのだが。
フィリアは注がれた
席を囲むのは苦笑いを浮かべたディナスと姉たち、ユコとエナ。ユコとエナは同席する面々に恐縮しきりで、そもそも何故ここに呼ばれたのかを分かっていないようだった。
「フィリア。オルギオに同行できなくて機嫌が悪いのは分かるけれど、お二人の事を放置してはいけないな」
「知りません」
取り付く島もないとはこの事だ。
だが、次のディナスの一言でフィリアは表情を真っ赤に変えた。
「ルウ殿が心配かね?」
「な、なな何故ここでロウの話が出てくるのですか! 私はあくまで、従兄弟であるケオストス殿の手助けに王族が参らない事が」
「何だ、フィリアはあの堅物が好みか? ならばケオストスが王位に就いたら、早速縁談を」
「誰があんな細弱い従兄弟殿を好みだとッ!」
「ならばルウ殿ならばどうかね?」
「どうか、と言われましてもっ!?」
不機嫌から一転、あわあわと取り乱す愛娘を微笑ましく見守るディナスだったが、フィリアをからかうのもそこまでとして、エナの方に顔を向けた。
「さて、エナ殿」
「は、はっ」
「今回、何故あなたをこの場に呼んだかという事なのだがね」
途端に空気が引き締まる。
エナは居住まいを正すと、ディナスの顔をしっかりと見据えた。
「ティモンに対する人質の立場である、と考えておりましたが」
「いやいや。ルウ殿もそうだが、我が娘を助けてくれたあなたがたにそういった無粋は考えていないよ。聞きたい事があったのだ」
ディナスは笑顔のまま、だが眼光鋭くエナを見据えた。
虚言は許さんとばかりの視線に、エナも小さく息を呑む。
「あなたのあの大金鎚、あれは我々では加工すら出来ない得物だった。アル殿は何かをご存知のようだが、一体あれはどういった出自であるのか」
「その事でしたか」
ようやく得心行ったと、エナが息を吐き出す。
柔和な笑みを浮かべて窓の外を見る。
「あちらが南東ですかしら」
「いや、そちらは北東だな」
「あら?」
そのやり取りに、フィリアの姉二人が小さく吹き出す。
フィリアとは違った意味で顔を赤らめたエナは、ディナスの方に視線を戻した。
「ええと。あの大金鎚と、ティモンが使っていた短剣は我が家に代々受け継がれてきた機兵の武装でした」
「成程。それはノルレスのような古代機兵かな」
「いえ」
エナもまた、この場で虚言を弄するつもりはなく。
しっかりとディナスを見据えて、言い切った。
「古代の、という意味では間違っていません。ですが、古代機兵よりも偉大な機兵です」
「まさか」
「重王機エトスライア。私の本名はエナ・ブルヴォーニ・エトスリオ。帝国による兵糧攻めに遭い、戦わずして降る事となったエトスリオ領の領主一族です」
「エトスリオの
「きゃ!?」
ディナスが瞳を輝かせて叫ぶ。
悲鳴を上げるエナに構わず、ディナスはふんすと鼻息荒く問いかける。
「エトスリオは三十年ほど前に陥落したはずです。あなたはどのように?」
「降伏時の混乱に乗じて、と聞いています。当時はまだ国外に協力者がいたようで、帝国の機兵に乗った協力者が武器と一緒に私の母を連れて脱出したそうです」
「風の噂では、重王機は戦争当時は乗り手となれる人材が居なかった為、兵糧攻めを破る事が出来なかったと聞いています。では?」
二人の会話を真剣な顔で聞いているのはフィリアだけで、姉二人はユコの淹れる茶を飲みながら自分達の趣味の話に花を咲かせている。
ディナスの確信めいた言葉に頷き、エナは彼女の本意を明かした。
「私はエトスライアを取り戻す為に帝国騎士となりました。幼い頃にはエドワルト、エトスライアの精霊の声が聞こえていたのは確かです」
「ほう、ではあなたが重王機の乗り手であると。では何故あなたは王機兵に乗らず、帝国の機兵騎士となっていたのですか?」
王機兵の乗り手であると知ったからか、あるいはエトスリオの姫君である為か。
ディナスの口調も丁寧なものに変わったが、誰もそれを気には留めていない。
ディナスの問いに、エナは辛そうに眉根を寄せた。振り絞るように、口を開く。
「乗れなかったのです」
「乗れなかった? それには何か理由が?」
「分かりません。ですが、帝国は王機兵を運用しようと様々な実験を繰り返しています。恐らくその間に、精霊がその姿を消した。私が運用試験を受けた時には、エドワルトの声はもう聞こえなくなっていましたから」
フィリアは口を挟もうとして、しかし言葉をかける事が出来なかった。
エトスリオの民にとって、エトスライアが象徴であったのは想像に難くない。アルカシードでさえ、その姿を見た者達はそれがエネスレイクの象徴のように扱うようになったのだから。
「ですから私は、ルウ殿とアル殿に賭けました。戻ってきたらこの話を打ち明け、エトスライアを私達エトスリオの元に取り戻す為に手を貸していただきたいと思っています」
そして、そんなエナの覚悟と決意に口を挟む事も出来なかった。
グランダイナ近く、機兵練兵場。
龍羅がそこに足を運んだ時、陽与はクルツィアを駆るアルズベックの姿を観覧する為、練兵場の貴賓席に座っていた。
「あら、龍羅さん」
「やあ、妃殿下」
「もう、やめてください。妃殿下と呼ぶのであれば、やあなんて言っては駄目じゃないですか?」
苦笑いを浮かべて冗談を言う陽与は、誂えられたドレスとティアラがよく似合い、別人のような美を示していた。
元の世界でも美少女で聞こえていた彼女だが、その美貌は増すばかりだ。
「話があるのですが、構いませんか」
「構いませんよ。でもここで良いかしら。アルズベック様は私が見えない所に居ると悪い虫がつくんじゃないかって不安がるから」
悪い虫扱いされるのは嫌でしょう? と。
龍羅はその言葉に驚きを禁じ得なかった。
陽与は受け入れているのではなく、積極的にアルズベックの妃であろうとしているのが分かったからだ。
強制されている悲壮感はないようだった。龍羅は既にここまで割り切っている所に相談するべきではなかったかと少しばかり後悔したが、今更とりやめるわけにもいかない。
ここで引いてしまえば、それこそ悪い虫扱いされてしまう。
「流狼は生きています」
「え?」
どうやらアルズベックは彼女の耳に、その情報は入らないようにしていたようだ。
流狼の生存が分かったら彼女がどう思うか、アルズベックにも自信がなかったのだろう。その辺りの奇妙な姑息さが、龍羅には鼻について仕方ないのだった。宗謙と違い、帝国に心からの忠義を示せないのもその辺りが理由である。
「エネスレイク王国に王機兵がついたという話は?」
「ええ、それはアルズベック様から。その王機兵の乗り手が流狼君を助けた?」
「いや。その王機兵の乗り手が、流狼だそうです」
「!」
今度こそ絶句する陽与。
ようやくリアクションが見えて、ほっとした龍羅だったが、陽与が放った言葉に今度は彼が言葉を失った。
「そ、そうですか。でしたら龍羅さん、何とか流狼君を説得できませんか。帝国につかないか、と」
「え?」
「アルズベック様は約束してくれました。大望である大陸制覇を終わらせれば、必ず送還の魔術を研究してくれると。その為には、王機兵は一機でも多い方が良い」
「ま、待ってください陽与ちゃん。君は、流狼を」
「今の私はアルズベック様の妻、です。流狼君には、申し訳ないと思うけれど」
その瞳に迷いも躊躇もない事に、龍羅は思わず数歩後ずさっていた。考えていたことは陽与と龍羅では大差がない。しかし、思考の方向性が違い過ぎた。
ここまで、彼女は平然と昔の恋人を切り捨てる事ができるのか。
と、そこに。
『どうかな、ヒヨ? おや、そこに居るのはリューラか』
練兵場で訓練相手の機兵を散々に翻弄したクルツィアから、アルズベックが陽与に注意を向けた。
少しばかり口調に険が混じる。陽与の言葉は間違っていなかったようだ。
「素晴らしかったですわ、アルズベック様。これなら戦場でも敵なしですね」
『ヒヨに褒められるともっとやる気が出てくるな。それで、リューラ? 一体どうしたのかね』
「え、ええ。それは」
龍羅は一瞬言い淀んだ。流狼の事を口にしてもいいものか。
「アルズベック様。私の昔の恋人が生きていた事、黙っておられましたね?」
『ひ、ヒヨ。それをどこで!? リューラ・アオイ! お前か!?』
「龍羅さんはその彼、ルロウ・トバカリの従兄なんです」
『何だって!?』
龍羅がばらした事に激怒したアルズベックだったが、陽与の言葉に驚愕する。
龍羅もまた、陽与がここまで明け透けに事情を話すとは思わなかった。
二人が押し黙ると、陽与は更に口を開く。
「彼は流浪君を説得すると言ってくれています。帝国に一機でも多く、王機兵があった方が良いだろうと。それで旧知の間柄である私を頼ってくれたのです」
『そ、そうか。良い話を持ってきてくれた、リューラ。後は私がその話を引き継ごう。私もすぐ戻るから、執務室へ来てくれ』
アルズベックは龍羅への怒りも忘れたようで、陽与に声をかける事もなくクルツィアを降りる為に訓練場を後にする。
クルツィアの姿が消え、通話機のスイッチが切れたのを確認した龍羅は、思わず陽与を睨みつけた。
「陽与ちゃん、君は」
「あら、龍羅さんは元の世界に戻りたくないの?」
「いや、それは」
「戻りたいわよね、だって元の世界には婚約者の方がいるものね?」
「っ!」
笑みを浮かべたままの陽与に、龍羅は反論が出来なかった。
確かに龍羅はずっと、元の世界の事が忘れられなかったのだ。戻る理由の事を言われては言い返す事が出来ない。
「私はアルズベック様の妃としてこの世界に残ります。流浪君と龍羅さんは元の世界に戻るべきだわ。流浪君には道場があるし、龍羅さんは婚約者さんが待っているでしょ?」
「その為には、流浪がどんな思いをしても構わないと?」
「私はもう割り切りました。流浪君にも割り切ってもらわないと」
随分と酷い事を言う。
だが、龍羅は既に自分が陽与に命綱を握られている事を理解していた。
「君がそういう人だとは思いませんでしたよ」
「そろそろ行かなくてはまずいのではありません? アルズベック様は時間を無駄にする事を嫌います」
「くっ!」
せめてもの嫌味もいなされた龍羅は、苦い顔で貴賓席を後にした。
陽与がどういう表情をしているか、確かめる事もせずに。
スーデリオン砦都は、壁を破壊こそされなかったとは言え、その傷は決して軽いものではなかった。
所々から黒煙が上がっており、外から見ても何かがあった事は一目瞭然に分かるだろう。
流狼とアルは城壁の上から河向こうを見張る仕事を請け負っていた。
もしもトラヴィート軍が動けば、傷ついたこの街と戦力で護り切るのは難しいと誰もが分かっている。
サイアーは程なく熱を出した為、流浪達が逗留している屋敷の一室に運ばれていった。外傷がなく、後は栄養を取って休めば大丈夫と医師のお墨付きが出たからだ。
「アル。戻ったらサイアーにも機兵を用立ててやってくれるか」
『そうだね。思ったよりちゃんとしているようだから、エナとティモン、フィリアの機兵を造り終えたらかかるとしようか』
「フィリアさんの機兵?」
『うん。フィリアはマスターの後ろ盾になってくれるだろうからね』
「後ろ盾、ね」
『この国に腰を落ち着けるつもりなら、後ろ盾は大事だよ。この際フィリアの婿になるのも手だよね』
「婿なあ」
流狼はぼんやりとその言葉に応じる。その心の内には、奪われていった恋人の笑顔が浮かんでいる。
彼女は帝国で幸せを掴んでいるだろうか。忘れなくてはならないと思うが、思い返すだけで胸が痛む。
「まだそういう事は考えられそうにないな」
『ふうん? まあいいや。もうすぐ交替の時間だよ、マスター。トラヴィート軍が動く様子はなし、と』
報告書を書き上げるアル。言葉は分かるが、流浪はまだこの国の文字を書く事が出来ない為だ。
「アル。あいつらが動いたら、俺とアカグマはどれくらいやれるかね」
『率直に言うと、一直線に大将を倒せれば何とかなる。アカグマの性能であれば二日後の増援までは耐え凌げる。マスターがミスしなければだけど』
「だが、それだけじゃ意味がない」
『今動かれれば、手段はないね。門が破られるか壁が壊される前に降伏するしかないんじゃないかな』
アルの言葉は冷静で道理に沿っている。だが、アル自身もそのような手段をこの街は取らないだろうと判断しているような口ぶりだった。
なぜなら――
「だが、この街の人達は降伏をしないだろうな」
『そうだね。この街が降伏すれば、マスターはトラヴィートの尖兵となって帝国との戦争に駆り出される。彼らはそれを良しとしないだろうさ』
「始まる前に、俺がこの街を出ればどうかな」
『と言うより、始まる前に彼らがマスターを逃がそうとするだろうね。それで時間を稼ぐために徹底抗戦』
「それなら残った方がまし、だな」
『だね。取り敢えずこの分なら、今日は怪しんでも動かないんじゃないかな。壁が破られていたならともかく』
確かに黒煙だけならば、トラヴィート軍には領土を超える大義はない。これが壁を破壊されていれば、街の安全確保を理由に越境されていても不思議ではなかった。
サイアーの捨て身の行動は、スーデリオンに貴重な時間を齎してくれたと言えるだろう。
そしてそれは同時に、昨日の襲撃にはやはりトラヴィート軍が関わっていない事を意味していた。
捕虜となった襲撃犯の生き残りは、今頃尋問されている最中だろう。
同時に、接収された機兵から情報を取り出そうとしているはずだ。
整備班は機兵の修理、医療班は怪我人の治療。警備隊は鎮火と捕縛出来なかった襲撃犯がいないかの見回りに余念がない。
見張り台に兵士が上がってきた。
「ルウ殿、お疲れ様です! 交替のお時間です」
「ありがとうございます。今の所、動きはないようです」
「そのようですね。動きがありましたら主力はルウ殿です。この後はしっかり休息をお取りください、と隊長から伝言です」
「分かりました。お気遣いに感謝します」
「いえ、こちらこそ! 哨戒班には同期がいました。奴が生き残る事が出来たのはルウ殿のお陰です!」
敬礼する兵士に、見よう見まねで首元に掌を当てる形の敬礼を返す。
見張り台を降りながら、流浪は昨日の事を思い返す。
敵の機兵騎士はエネスレイクの機兵騎士を殺し、流狼は敵を討ち果たした。
飛猷流古式打撃術が本来の役目を果たしたのは何年ぶりの事だろうか。戦場で敵手の急所に最速で必殺の一撃を打ち込む、が要諦の武術だ。
常在戦場の心得は道場でも散々教え込まれてきたものだが、いざその場面に遭遇した時の事など、考えた事もなかったのだ。
「慣れるかどうか気にする前には慣れていた、か。冗談にもならないな」
『どうしたの? マスター』
「いや、何でもないよ」
更に梯子を降りれば、やっと土の感触を足元に感じる。城壁の上が悪い訳ではなかったが、何とも落ち着く。
「さて、ではお言葉に甘えるとしようか」
『そうだね。あまり気負っても出来る事は限られてるよ。何せ』
「アルカシードがないから、だろ?」
アルの言葉を先取りして、流狼は歩き出す。
器用に流狼の肩に座るアルが、ちょっとだけ不機嫌そうに聞いてきた。
『で、これからどうするのさ』
「飯食って寝る。やれやれ、観光は復興するまでお預けだな」
ここに来る前にエイジから勧められた観光だったが、流石に街の住人は流狼が見て回るのを喜ばないだろう。
どうせ見るならば、復興して美しさを取り戻した街並を見て回りたい。
流狼は兵士達からかけられる声に一つひとつ応対しながら、屋敷への道を歩くのだった。
結果として、スーデリオン砦都に再びの戦火が飛び火する事はなかった。
だが、街に居た者達は城壁の上から河向こうの戦争を目の当たりにする事となる。
大陸の覇権を狙うレオス帝国と、周辺国家の動きが激化を始める切っ掛けとなる最初の事件。
トラヴィート王国内乱が、すぐそこに迫っていたのだった。
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