第八話:突き付けられる敵意と
サイアー・エストラはこの日ほど、自分の巡り合わせに感謝した日はなかった。
視覚で魔力の流れを捉える者は、実は軍では非常に重宝される。
まず、数が少ない。
魔力は様々な色彩を持つ為、普段正常な色合いで見えていたものが、非常にサイケデリックな視界になってしまうという副作用がある。彼らのおよそ半数が精神に変調をきたす事は古くから知られていた。
しかし、通常の色彩ではなく、魔力の流れでものを見る事が出来る能力は強い長所となる。
具体的な長所は不可視の魔術が見える点だ。風の魔術など、効果が見えにくい魔術を事前に察知する技能は、奇襲を警戒する上では極めて有用なものだ。
その為、各国の軍には視覚による魔力感知を抑える道具が支給されている。
サイアーは与えられた機兵に乗り込むと、支給されていたサングラスを仕舞う。
その直後、世界の色が変わった。
モニターに先程まで映っていた世界は、篝火のオレンジと夜の闇色。それが青を基調とした色合いに変わり、機兵が動き始めると黄色が弾ける。
昼間は差し込む陽光が七色に周囲の景色を書き換え、人々が生活に使う魔術が無数の色に周囲を書き換える。なまじ世界の色合いを知っているだけに、そのカラフルな変化に慣れる事は到底出来ないだろうと思えた。
サングラスがなければ早くに心が疲弊してしまっていただろう。当初サイアーは自分の選択を後悔する程の負担を強いられていた。
夜間は色彩の変化が落ち着いており、この視界にまだまだ慣れていない自分でも何とか正気を保っていられる。
機兵の操作には手放しで才能を認められた。ここに来るまでは巨大な荷車を牽くだけの地味な仕事だったが、ここで目に見える成果を挙げる事が出来れば。
「エリケ・ドやクフォン達にも、もう少しいい目を見せてやれるよな」
サイアーは流狼の事を嫌いではなかったが、彼の存在によって自分たちの扱いがぞんざいになっている事に複雑な思いを持っていた。
自分たちもまた、被害者である。意に添わずこの世界に来る羽目になったのはエネスレイクと帝国の所為だ。
流狼と扱いに差をつけられる筋合いがあるとは思っていない。
実際はその辺りを遠まわしに表現しようとした彼の
「襲撃の予兆は見逃さないぞ。僕たちだって生活がかかっているんだ」
流狼は居るが、王機兵はない。
乗っているのは一般の騎士が乗る機体だ。サイアーは自分の実力を過信はしていない。
この一カ月の間に『機兵の操作は天才的だが、ベテランの乗り手の経験には勝らない』事は十分に思い知らされていた。
いざという時の助けはない。まずは堅実に託された役目を果たすとしよう。
機兵騎士サイアー・エストラの初陣は、こうして始まった。
二機一組で哨戒は行われる。
どちらかが奇襲によって倒されても、もう片方が信号弾で奇襲を知らせる。それ一つを指しても、命の危険と隣り合わせであるのは確かだった。
城砦化されたスーデリオンを襲うには、中で騒動を起こすか、門を破るか、あるいは城壁を取り除く他ない。
砦内部の取り締まりは始まっている。哨戒班の役目は、後詰の発見だ。
トラヴィート王国軍は、河を挟んでスーデリオンを――そしてその先の王都リエネスを威圧している。彼らの目的は戦争ではなく、王機兵と乗り手の貸与だ。しかし方法が良くない。
国王であるレフにしてみれば当然の要求であっても、エネスレイクにしてみれば自分達の気遣いに後足で砂をかける行為でしかない。
本来ならば即時開戦も辞さないところではあるのだが、レフ王は彼らの敬愛する国王ディナスの義弟である。一応は静観の構えを見せたとは言え、対峙するスーデリオンの民からトラヴィートへの悪感情は育つ。
エネスレイクとトラヴィート王国との間に決定的な亀裂を作るには、もうあと一押しあれば良い。関係悪化を望む者達にしてみれば、そこが狙い目である訳だ。
今スーデリオンで大きな騒ぎを起こせば、誰もがトラヴィート軍の一部が暴走したと思うだろう。
その為には奇襲。奇襲ならば夜。
ここまではエイジの予測通りであった訳だ。『救援物資』を送り届けたのもそれが理由で、実際に事が起きる前に輸送部隊は増援としてスーデリオンに入っている。
流狼とアルは哨戒には参加していなかった。現在は司令室を兼ねた邸宅に部屋を用意されており、そこの窓際で表の様子を眺めていたのだ。
どちらかと言うと、この砦内で彼らの素性を知る者は皆、流狼を戦場に出す事を避けたいと思っているようだった。
『それで、どうするんだいマスター?』
「どうするって?」
『事態が動いた場合、さ。戦うのかい?』
「うん? 聞きたい事が分からないんだが」
『分からない?』
アルにしては珍しく察しの悪い事だ。
流狼はアルがどういう答えを期待しているのか理解しつつ、少し遠回しに説明する事にした。
「ああ。どちらにしろオっさんが来るまでは俺達はこの街に留まる事になるよな?」
『そうだね。サイアーの監視と保護がボク達への依頼だから』
「で、それまでにエイジさんの言う通りに帝国の連中から奇襲されれば、俺達は好むと好まざるとに関わらず、戦闘には巻き込まれる」
『それは分かるよ』
「その場合、生身で隠れていたり怪我人の手当てをしているのと、お前が用意してくれた機兵の中にいるのと、どっちが安全なんだ?」
『そりゃ機兵の中だけど……そういうことかぁ』
「機兵は目立つからな」
アルは流狼の安全を最優先するが、託された役目を放棄して逃げることまでは選択しない。そうした場合、流狼の安全は徐々に国内からの不信感によって脅かされていくと判断しているからだ。
そして機兵の中に居る限り、敵からは優先して狙われる事になる。
結局、戦わないという選択肢は存在しない。
『悪かったね、マスター。マスターの方が状況をよく理解しているようだ』
「なぁ、アル」
部屋の窓から外を見下ろす。
暗くなってはいるが、眼下の道では人々が賑やかに往来している。
不安はあるだろう。だが、彼らに悲壮感はない。
「俺は思っていた以上にお人よしらしい。この国の人達の事を嫌えそうにない」
『そうだね。ボクも好きではないけど、嫌いではないから』
ひどく遠回しな言い方に苦笑を漏らし、流狼は席を立った。
首を傾げるアルに、頷いてみせる。
「庭なら十分な広さが取れるか?」
『呼び出すだけなら問題ないね。どうしたんだい、マスター?』
「勘だよ」
空気の質が変容した事を上手く説明出来ず、そのような言い方になってしまったが。
明らかに街から伝わる感情の質が、敵意を強くしつつあった。
街の住人はまだ少なからず歩いている。
帰宅するまで動かないで欲しいとは思うが、そうは問屋が卸さないだろう。
「サイアーのやつ、いきなり当たりを引かないといいが」
『マスター? さっきからどうしたのさ』
「言ったろ? 勘だよ」
流狼は理由を説明できない事に困りながらも、確信に満ちた言葉を紡いだ。
「おそらくもうすぐ、事態が動く。こちらも準備だけは済ませないとな」
サイアーの目にそれが留まったのは、半ば偶然ではあった。
魔力を視覚で捉える者が哨戒でも役に立つのは、つまり隠れている者を見つけやすいからなのだが、全て見えてしまう事には弊害もある。
隠れるそぶりをしていれば良いが、普通に歩いている者は隠れていると認識しないのだ。
当初サイアーも、『後ろ向きに』『何かを警戒するようなしぐさで』『城壁に向かって後退する動きの』機兵達を見ても、それを僚機だと思っていた。
砦の周囲をぐるぐると回って哨戒するだけの下っ端である自分達と違い、積極的に潜む敵を探す役目を負っているのだ、と。
だが、隣を歩くもう一人。サイアーとは比較的仲が良く、結果として彼のお守りを押し付けられたヴィーグは、哨戒メンバーに選ばれたものの視覚で魔力を見る事が出来ない。
八つに分けられた哨戒班の中で、ヴィーグだけが視覚による魔力探知が出来ない。その彼が、一切反応を示していないのだ。
サイアーの脳裏に疑念が浮かぶ。自分と違い、彼は社交的だ。エネスレイクの軍人であれば、同じ部隊でなくても気さくに声をかけている気のいい好人物なのだ。何よりサイアーと仲が良いのもその人柄による訳で。
無論、作戦行動中に気軽に声をかけるものでもないのだが、先程すれ違った哨戒六班とは片手を挙げて挨拶していた。向こうを向いているからと言って、視線すら向けず無反応なのはおかしい。
「まさかな」
呟きつつ、サングラスをかける。
と、視界が闇に包まれ。
「!」
居る筈の三体の機兵が姿を消した。
サングラスを外せば、同じようににじり寄って来る姿が。
「なあ、ヴィーグ」
『どうしたサイアー。気分でも悪くなったか?』
「いや、違う。そこに居る三体の機兵の事は、見えているか?」
『そこ? どこだ』
「斜め前だ。もうすぐ横切る。門に向かって後ろ向きに歩いている奴らだ」
『居ないぞ? 俺はお前と違って視界で魔力は……って、まさか!?』
「敵襲だ! ヴィーグ、信号弾を撃て」
『分かった!』
流れるような動きで、ヴィーグが杖をかざす。
杖の先から火の玉が上がり、気の抜けた音を立てて上空で弾けた。
これで敵の場所が伝わったとは思うが。
『黒い機体か! 俺にも見えたぞ、サイアー!』
「まずい」
サイアーは額から汗が落ちるのを自覚した。
三体と目が合ったのだ。
こちらは迷彩を施してはいない。あちらから丸見えなのは確かだが。
迂闊だったかと唇を噛む。だが、既に三機は城壁に近かった。今すぐ撃たなければ工作にかかられていたのは疑う余地がない。
「退くぞヴィーグっ!」
『うぐぁっ!』
サイアーの声と、ヴィーグの悲鳴はどちらが早かったか。
ヴィーグの機体に何かが投げつけられたのだ。魔力を伴っていたからサイアーには見えたが、彼には見えなかったようだ。
機体の胸部に何かが刺さっているのが見える。拙い、操縦席が近い。
「ヴィーグ、無事か!?」
『あ、ああ。何とか意識はある』
反応があった事にほっとしつつ、視線を戻してサイアーは顔色を変えた。
見つかった事で開き直ったのか、三機はこちらに対峙している。だが、それだけではなかったのだ。
後ろから続々と出てくる機兵。十機はあるか。
「逃げるぞ、ヴィーグ」
『しかし、ここで奴らから目を離せば――』
「なら今すぐ中に戻って誰かを呼んで来いッ!」
『馬鹿を言うな、サイアー。ならばお前が』
「それこそ馬鹿を言うな、ヴィーグ。お前、こいつらの姿が見えているのか?」
『舐めるな、さっきの三機くらい』
「既に十機を越えている! 後ろから増援が来ているんだ」
『何っ!?』
ヴィーグがまったく見えていない事を再認識したサイアーは、改めて怒鳴りつけた。
「さっさと行け! 僕ならこいつらの姿が見える。心配するな、他の哨戒班もすぐに来てくれる筈だ! 僕は時間稼ぎをすると言うか、まだそれくらいしか出来ないぞ! ……急いでくれ」
言い様、手に持った杖でヴィーグ機に飛来する何かを叩き落とす。響く金属音に、ようやくヴィーグも理解したらしい。
『足手まといは現状俺の方だな。分かった、待っていてくれ! 死ぬなよ、サイアー!』
「冗談じゃあない。初陣で死んでたまるか」
『それもそうだな。任せた!』
反転し、西門へと走るヴィーグ。
距離が離れ、相互通信が使えなくなったのを確認して、サイアーは通信を切り替えた。
十機以上の敵機相手に、自分が勝てるなどとは微塵も思っていなかった。
ヴィーグに告げたのは、まったくの本心だ。
とにかく、格好悪くても打てる手を打つしかないのだ。
震えそうになる声を抑えながら、叫ぶ。
「もうすぐ周囲を哨戒していた仲間達も来る。あ、諦めるんだな! 逃げるなら今のうちだぞ!」
哨戒班は全部で八つ。残り七班の仲間達を合わせれば、十四機だ。
数の上ならば同数以上。自分が半ば役立たずだとしても、どうにかなる。
この時のサイアーはまだ、そう考えていた。
『て……敵、敵襲……ッ!』
胸部から何かを生やした哨戒班の機兵が駆け戻って来た。
叫びながら駆け込んで来た彼は、力尽きたようにその足を止める。
司令部は街の中央にあるが、西門からの大通りで一本道でもある。
一心不乱に駆けて来たのだろう、街中の様子まで確認していないようだった。
『ご苦労だった、ヴィーグ。む、サイアーはどうした?』
『は、はい。じ、自分に応援を、呼べと……。わ、私では目視出来ませんでしたが、じゅ……十機以上は居ると』
『なっ』
輸送部隊の隊長であり、現状のスーデリオン砦都防衛の責任者であるユンカーは、自身の機兵の中でヴィーグを迎えた。同時に報告に言葉を失う。
彼の立場では部下の命に優劣をつける事は出来ない。しかし、サイアーがただ一人で残っている事実は看過できないのも事実だった。
それを理解しているのは、だがヴィーグも同様だった。心底申し訳なさそうな声で詫び言を口にする。
『も、申し訳ありません、隊長。じ、自分が負傷さえしなければ……ッ』
『負傷? まさか、その槍のようなものは』
『ええ。脇腹を少し掠めました。申し訳ありませんッ』
『構わん! お前は為すべきを為した! 誇れ』
怪我を押して機兵を駆けさせたヴィーグを労うユンカー。だがその口は重い。
『で、では急ぎサイアーを』
『……機兵がない』
『え?』
『落ち着いて、周囲を見てみろ』
機兵の高さからならば、邸宅の堀を越えて周辺の様子を見る事が出来た。
その向こうで起きている、先程とは違う喧騒も。
『何ですか? これは……』
『お前達は正しい行動を取った。信号弾がなければ、一切の準備も出来なかっただろう』
『何故、街が……ッ! お、俺達は敵兵を通していないッ!』
『その通りだ。だが、街に潜んでいたのはやはり別動隊だった。信号弾を合図に蜂起したのだ』
『そんなッ』
『現在、この邸宅周辺に部隊の機兵も警備隊の機兵もない。哨戒班の機体だけで何とか対応してもらわねば……!』
苦悶の表情で呻くユンカーに、ヴィーグも言葉がない。
と、そこに第三者の言葉が挟まれた。
「ならば俺の出番という事で」
ユンカーとヴィーグが、こちらに視線を向ける。
流狼は口許を緩め、頷いてみせた。
『ル、ルウ殿。しかし』
「こういう時の為の機兵ですよ。ユンカー隊長、俺と違って、貴方はここを動けない」
『その機体は王機兵ではありません。……任せて、よろしいのか』
「ええ」
根拠はなかったが、断言する。
ヴィーグが安心したように首を垂れる。ユンカーは尚も逡巡しているようだったが、
『お願いします、ルウ殿。敵は未知の武器を使います。お気をつけて』
「任せてください。何とかします」
既に機兵に乗り込んでいた流狼は、西門に向かって走り出した。
「その身を挺して僚友を逃がす、か。やるなあ、あいつ」
『そうだね。見誤っていたのは認める』
「俺もだ。そういう男を死なせるには惜しい。急ぐぞ、アル!」
『了解、マスター!』
南城壁前での戦闘は熾烈を極めていた。
程なく現れた哨戒班は、二機ずつ徐々に増えていく。
最初の二機が来なければ、サイアーも今頃命はなかったと脂汗を流していた。
当初から避けに徹していた為か、致命的な損傷はまだない。
相手も、こちらが少数なのをいいことに、牽制しながら工作に取り掛かろうと思っていたようだった。五機ほどが城壁に取りつき、何か作業を始めている。
僚機がそれを邪魔すべく、戦闘の合間合間に杖から魔術を放って作業を度々中断させる。
サイアーもまた二機を相手に避けながら、僚機が全部集まるのを待っていたのだが。
「ん、何をする気だ?」
城壁に取りつき、準備をしている様子だった機兵までが立ち上がり、こちらに向かって杖を振りかざす。
術を使おうとしているのは分かったので、しっかりと視界に収める。何をされても避けられるように――
「う、うがああああああッ!?」
突然、視界が白で埋まった。
何も見えない、目が痛い。
『馬鹿、避けろッ!』
と、背後から聞こえた僚機の声は、確かまだ参加して来ていなかった最後の二機のどちらかだった筈。
そんな事がふと頭に浮かび、同時に強い衝撃を受けて体が揺れる。どうやら薙ぎ倒されたようだ。
「うぐ、痛い。な、何が……」
『カーギィ!』
今度は別の声と粉砕音。シートに強かに体をぶつけた所為で激痛が走るが、何が起こっているのかは分からない。
ようやく目を開けると、映っているのは空の星々。
「え?」
そしてこちらに鈍器を振りかぶる、敵機の姿。
「うおおおおっ!?」
振り下ろされる杖を何とか避けるが、衝撃が機体を揺らす。
見れば胴体は無事だったが、避けきれなかった左腕が肩から粉砕されていた。
「く、くそっ、一体何が」
『無事か、サイアー!』
聞こえて来たのは後の声。ラーントと言ったか。ヴィーグ同様、部隊内で浮いているサイアーに比較的良くしてくれる男だった。
「ああ。済まない、左腕が」
ラーント機の攻撃に、追撃を出来ずに敵機は退いた。
何とか立ち上がると、そこには倒れ伏して身じろぎもしない僚機が一つ。
胸部から黒煙を上げている。まさか。
「あれは、カーギィ?」
『落ち着け、サイアー。お前は『白光』の魔術で目を焼かれたんだ。迂闊だった。俺達も教えていなかったからな。ヴィーグは?』
「あ、ああ。増援を呼びに街へ。なあ、カーギィは?」
『今、お前を突き飛ばしたのはカーギィだ』
「まさか」
『ああ。『浸透衝撃』だよ、くそっ!』
毒づくラーントだが、サイアーを責めたりはしなかった。
それどころではないと、分かっているのだ。
見れば、カーギィ機の他にも三機が倒れていた。敵機は一機が倒れている。
『サイアー、お前は逃げろ』
「え」
『左腕がないんだぞ。ただでさえお前、機体が傷だらけだ。俺にはお前を護りながらあいつらと戦う技術なんてない。頼む、逃げてくれ』
ラーントの言葉は道理だった。
ヴィーグと違い、彼らはしっかり敵機が見えているようだ。自分がここに居ても、足手まといになるだけだ。
自分を納得させて後退しようとする、が。
「簡単には逃がしてくれそうにないぜ」
サイアーとラーントを四機が包囲している。
と、聞き慣れない声が響いた。
『行け、ドス!』
『はいよぉ、隊長ぉ』
どうやら工作の仕上げを優先する腹積もりらしい。視線を巡らせれば、今まで見かけていなかった大柄の機兵が何かを抱えて城壁に走り出すところだった。
まだ居たのか、と思うより先に、その機兵の腹に映る真紅の魔力に目が行く。
「真っ赤な魔力!? ラーント、あれは」
『まずい、あれは『爆裂』の魔術だ! 奴らあれで城壁を爆破するつもりか!』
今まで出て来なかったという事は、目的を果たす前に破壊されては拙い機体という事だ。そして、他に替えはない。
城壁は突貫工事だったと言うが、十分に堅固だ。いかに『爆裂』の魔術が高い威力を持っていようと、一機の魔術で破壊するには足りないように思えた。
「まさか――」
ふと、その前に彼らが城壁に取りついてしていた作業に思い至る。
あれが『仕込み』であったならば。
減速する様子のないあの機兵の役割は。
「自爆かっ!」
歯を軋らせながら、サイアーは駆け出した。
何を思っていた訳でもなかった。立ちはだかった機兵に右手を全力で叩きつけて、そのまま抱え込む。
『サイアー!』
「ふざけるなあああッ!」
『うわっ!?』
抱え込んだ機兵をそのまま押し込むように、ドスと呼ばれた機兵に体当たりを敢行する。
十分に加速していた機体は横倒しになり、その上に抱え込んだ機兵を押し付けながら馬乗りになる。
『え、あ、まずいよ。隊長ぉ』
『ドスッ!』
『もう駄目だ、止まらない!』
騒ぐドス機と、隊長機の声が飛ぶ。何体かがこちらに向かってくるようだったが、もう遅い。
拳を叩きつけた機兵は動かない。気絶でもしているのか、あるいは運よく討ち取ったか。
「サイアー・エストラ。撃破機兵は二機か。……初陣にしては、まあまあかな」
真っ赤な魔力が視界に広がる。
発動した瞬間、それは白い衝撃となってサイアーの意識を刈り取ったのだった。
流狼が城壁の角を曲がったのと、爆発は同時だった。
爆風が機体を叩く。感触が薄いのはアルカシードではないからか、等と考えていると。
『マスター。サイアーが城壁の破壊を防いだようだよ』
「何だって?」
『一機が自爆したようだ。サイアー機が押さえつけていたようだね』
「まずいな。無事か?」
『無事とは言えないね。機体の両腕と両足が壊れてる。お、でも胴体は破壊されていないね。何かを盾にしたのかもしれない』
「サイアーの方はどうだ?」
『生命反応あり。生きているよ。ただ、気絶しているみたいだ』
「了解!」
ならば悩む事は何もない。流狼は更に加速を意識し、戦場を駆け抜ける。
『ドス! ドス! くそ、やってくれたな!』
広域回線で罵声を吐く機体が見えた。
爆風は決して小さくなかったようで、哨戒班の機体も敵機と見られる機体も地面に倒れ伏していた。
何体かはゆっくりと起き上がって来たが、数としては哨戒班の機体の方が少ないか。
サイアー機だとアルが指定した機兵の傍に駆け寄り、いち早く立ち上がった機体に向き直る。
『何だ? 王国の新型か?』
どうやら衝撃的な事態に、広域回線になっている事を忘れているようだった。
「お前が頭目か?」
『だと言ったら?』
どうやら流狼の言葉で漸く広域回線であることを思い出したらしい。だが、律儀に返答を返してくる。
流狼は大きく息を吸い、そして吐いた。
倒れている機体は哨戒班のものが多い。気絶しているのか、あるいは既に絶命しているのか。
だが、サイアーを含め、まだ生きている者もいるはずだ。
敵機の数は多い。逡巡していては、この機体はともかく僚機が危ない。
(覚悟を決めろ、飛猷流狼。お前は今日、人を殺す)
命には価値がある。だが、今この場で流狼にとって、等価ではない。
割り切れなくとも割り切れ。
戦争状態のこの世界で、いつかはこんな日が来ると頭では分かっていたはずだ。
友を護るためなのだ。誇れ、誇りたくなくとも誇らねばならない。
「お前が頭目であろうと、そうでなかろうと関係はないんだが」
流狼はひどくすらすらと言葉を吐きだす自分自身に内心で驚いていた。
心臓がいやに強い鼓動を示すが、心の奥底は奇妙に凪いでいる。
「お前を一人生かしておいても、黒幕を語ってはくれそうにないな」
『威勢が良いな。新型に乗って気が大きくなっているようだが、将軍か? 城壁の破壊はならなかったが、お前の首で不手際を帳消しにするとしよう』
「将軍ではない。俺の名は飛猷流狼。なに、そこら辺に居るような、何の変哲もない『王機兵の乗り手』さ」
『は?』
「機兵『アカグマ』、参る!」
名乗りを終えた以上、語る事もない。流狼は勇躍、アルカシードに代わる当面の相棒である機兵『アカグマ』を奔らせた。
『ねえ、マスター。いくらなんでも王機兵の乗り手に変哲がない訳がないよ』
「うるさいよ、気分だ気分」
アルの気の抜けたツッコミに律儀に返答しつつ、流狼は周囲を睥睨した。
立っている敵機の残りは六機。哨戒班の機兵よりもこちらを多大な脅威と認めたのだろう、彼らを無視してこちらを包囲している。
『ところでマスター、聞きたかったんだけど』
「うん?」
アカグマの拳を引き抜けば、胸部を陥没させた隊長機が力なく地面に倒れ臥す。
機兵の操縦席であるのは胸部だ。流狼は今の一瞬で人ひとりの命を奪った。
アルが軽口を叩いているのも、それが流狼自身の心を圧迫しないかと心配しているからだろう。
流狼は、確かに自分が命を奪った実感があるにも関わらず、それをそれ程気に病んでいない自分に戦慄していた。軽い調子で声をかけてくれるアルの厚意に感謝しつつ、その軽口に付き合う。
が、ちょうど僚機からの通信が入ったので、一旦そちらに対応する。
『ル、ルウ殿か。助力に感謝する』
「構わない。サイアーは生きているようだ。こいつらは俺がどうにかするから、そちらは気絶しているお仲間を助けてくれ」
隊長機を叩いた事でアカグマとサイアー機の間には距離が出来ている。
包囲はどの僚機をも含んでいないから、救助は可能だろう。
『わ、分かった。他には』
「立っている敵機は全員生かしておくつもりはないから、今そこらで気絶している奴らは捕えておいた方がいいかもな」
『了解した。武運を祈る』
「ありがとう」
通信が終わり、がしゃりがしゃりと動き出す彼らから意識を戻す。
敵機はこちらの動きを把握しきれなかったのだろう、遠巻きにしているが手を出してこない。
「それで、アル。どうした?」
『ああ、うん。マスターのその『トバカリ流古式打撃術』だっけ。それ、どういう技術なのさ』
「その事か。なに、俺が元の世界で習得していた格闘術だよ」
『それは聞いた。そこの
「端的に言えば、拳による打撃だけで相手を制圧する武術だな」
『拳だけ? 足は』
「足はいざという時に走って逃げる為のものだ。足さばきは大事だが、傷めると困るから蹴りは使わないな」
『へえ。さっきの動きは凄かったけど、あれもなのかい?』
「奥義『
話してばかりいる訳にもいかないので、そこまで告げて流狼はアカグマを走らせる。
アルの問いに答えながら、敵機の一つを間合いに捉える。
「万、千、百、十と難度の高い奥義ほど、数が減っていくのさ。数万回の修練の先に待つ、最終到達奥義『
『で、さっきのはその十と』
「ああ。こいつらには必要なさそうだ」
的確に胸部を狙い、目にも留まらぬ速度で打ち抜く。
強い衝撃音が響き、倒れた機兵は二度と動かない。
と、二機が杖を構えた。近寄られる前に撃ち抜こうという考えか。
「甘い!」
飛来する魔術を、最小限の動きで回避する。
爆発で周囲の草木に火がついているお蔭か、機兵の動きは丸見えだ。
「もう少し暗かったら危なかったかもしれないな」
『その場合はちゃんとこっちで見えるようにするよ』
なんともありがたい話だが、ひとまず迷彩は現状意味を為さない。
術を使って動きを止めたその二機を打ち据えて、残りは三機。
特に長引かせるつもりもないので、流狼はまるで作業のように機兵の胸部を叩き穿つのだった。
「う、あ?」
サイアーが目を覚ました時、周囲は既に明るくなっていた。
目に入る極彩色に、反射的に手がサングラスを求める。
「ほら」
「ああ、ありがとう」
手渡されたサングラスをかけてから、サイアーは誰にサングラスを手渡されたのかを理解した。
「ラーント?」
「おう、サイアー。お疲れさん」
記憶が混濁している。しばらく唸ってから思い出したのは、確か自分は敵機の自爆に巻き込まれたはずだという事で。
目を見開いてラーントを見れば、頷き返してきた。夢ではなかったらしい。
「お前が奴を押さえてくれなければ、ここの城壁は崩壊していた。ありがとうな」
「僕は、無事だったのか」
「ああ。ルウ殿が助けに入ってくれてな」
自分が気絶した後に何があったのかを説明してくれるラーントの言葉が、頭を素通りしていく。
状況のあまりの落差に、理解が追い付かないのだ。
「ま、街は?」
「俺達の戦闘が終わったのと同じ頃に終わったみたいだ。こっちも何人か亡くなってる」
「そうなんだ」
今は後片付けの最中で、砦の外で倒れている味方の機兵を運び込んでいる途中なのだと。敵機は完全に沈黙しているので、危険物がないかどうか外で解体してから運び込むのだとか。
と、そこでふと思い出す。
「そうだ、ラーント。ヴィーグは? ルーロウが来てくれたって事は、彼が伝えてくれたんだろう? 怪我をしたらしいのは知ってる。まだ休んでいるのかい」
「ヴィーグは死んだよ」
「……え?」
言葉の意味が理解出来ない。
呆然とするサイアーの耳に、聞きたくない言葉が、ラーントの苦渋に満ちた口調で入って来る。
「ヴィーグは、奴らの鉄槍で脇腹を抉られていた。本人も気付いてなかったらしいが、敵襲を伝えに来た時にはもうだいぶ血が流れてしまっていたそうだ。あいつの、あいつのお陰で、俺達は生きているんだ」
ラーントの言葉に嗚咽が混じる。
「嘘だ」
「サイアー。お前の、所為じゃない」
サイアーは立ち上がった。全身に激痛が走るが、それどころではない。
「嘘だ、嘘だろ」
「待て、サイアー。お前も怪我を」
ラーントの制止は耳に入らなかった。サイアーはふらふらとした足取りで、病院を後にするのだった。
「サイアー?」
『もう起きて大丈夫なのかい?』
流狼とアルは、広場に運び込まれる機兵の姿を目で追っているところだった。
寝間着姿のサイアーを見かけて声をかけるが、彼は頷き返すだけで機兵の方へふらふらと歩いていこうとする。
「危ないな」
「離してくれ、ルーロウ。ヴィーグが」
「ヴィーグさんか。彼の事は残念だった」
「残念!? 残念だって!?」
「……済まない、無神経だったな」
ヴィーグがサイアーと組んでいた事は聞いていた。戻ってみれば怪我人と戦死者で阿鼻叫喚の様相を呈していたので、そこまで気が回らなかったのだ。
流狼とアルの世話役だったウィッジも、魔術の直撃を受けて意識不明の重体だという。治療系の魔術師は総動員で疲労困憊だ。
ヴィーグは流狼が出た直後に意識を失ったそうだ。操縦席を空けたら血塗れだったと聞く。抉られた傷は決して深くはなかったが、本人は使命感に痛みを一時的に忘れていた、結果としてそれが止血を怠らせたのだろうと。
病院に運ばれた時には既に手遅れで、増血の魔術も効果はなかった。
「あれは」
流狼は殴られる事も覚悟していたが、一向に次の言葉が飛んで来ない。
見れば、サイアーはその向こうに見える機兵に目を奪われていた。
「カーギィの機体だ」
呆然と、再び機兵に向かって歩き出すサイアーに付き添う。
アルはずっと無言だ。こういう場で軽口を叩くほど無神経ではないのだろう。そして、そうであってくれた事が素直に嬉しい。
両足を投げ出して座る体勢のカーギィ機。ひしゃげた操縦席が、三人がかりで開かれる。
「うあ、酷いな」
「うっぷ……!」
中を覗き込んだ整備員が、眉を顰めて顔を背けた。
流狼達の目に飛び込んで来たのは、溢れ出した大量の赤い液体。
「『浸透衝撃』だ。カーギィ様、せめて安らかに」
気丈にも吐き気を耐えている整備員が、祈る声が聞こえる。
「ルーロウ」
「ん」
「カーギィは、僕を庇ってくれたんだ。魔術で目を焼かれた僕を突き飛ばして、僕の代わりに」
「ああ」
蹲るサイアー。
流狼はその背中を見下ろし、そして視線を上げた。
今のサイアーを見ないでやる事。それが友情なのだろうと思ったからだ。
「カーギィ! ヴィーグ……! ううう……うああああああッ!」
サイアーの慟哭は、同じように広場に来ていた皆の耳と心を打ち。
そして同じように皆、涙したのだった。
『マスター』
流狼もまた涙を流しながら。
二度とこんな悲しい思いをしなくて済むよう、決意を新たにするのだった。
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