第8話 苦い復活(師匠と弟子その後)

 晩秋と言うより初冬と言った方が良い季節。やたら天気が良く、これが小春日和かと思っていたら、神社の係の人が俺を呼びに来て

「新婦さんは準備出来ました。新郎さんはどうですか?」

 大きな鏡の前に座ってる俺に尋ねてくれた。

「大丈夫です。何時でもOkです」

 そんな返事をして立ち上がる。軽い目眩を覚えた。考えたら朝からろくなものを食べていない事に気がついた。傍のテーブルに置かれたドリンク剤をたて続けに二本飲む。糖分が多いから暫くはこれで持つだろう。

「それじゃご案内致します」

 巫女さんの格好をした。いや、この場合は巫女さんと言うべきなのだろう。その人の後を付いて行く。俺の後ろには両親が続いている。

 拝殿に入ると反対側から俺の花嫁の薫が入って来た。白無垢に綿帽子を被っている。普段と違う白めの化粧がいつもとは違う雰囲気を醸し出している。俺と目が合うと僅かに嬉しそうな表情をした。

 長い裾が擦らないように、褄(ツマ)を持って歩いていて来る。その感じがとても様になっていて見とれてしまう。やや俯きながら伏せ目でいる薫は正直、美しいと思った。

 拝殿の前に金屏風が置かれ、写真屋さんが撮影してくれる手はずになっていて、二人で仲良く金屏風の前に並ぶ。

 それまで撮影の準備をしていたカメラマンが

「花婿さん、花嫁さんが気になるのは解りますが、正面を向いて下さいね」

 そう言われてしまった。いつのまにか薫だけを見つめていたらしい。

 撮影が終わると、巫女さん、俺、薫、俺の両親、薫の両親。俺の親族、薫の親族の順に式の会場へ入場する。本来は俺達の後には媒酌人が続くのだが、今回、俺達は仲人も媒酌人も立てなかったので親族だけとなった。最後に斎主が入場していよいよ始まる。

 それぞれの位置に着席すると巫女さんが、

「これより、神山家、立花家の婚礼の儀をとり行います」

 そう宣言をした。全員が起立をして、斎主が拝礼をする、全員が礼をしたままだ。その後、神前で斎主が俺達二人が結婚する事を神に申し上げ、神の加護を願う。それが終わると、三三九度の儀式だ。

 巫女さんが儀式に使う盃を持って来て、俺達に手渡ししてくれる。

 最初は俺だ。盃に別の巫女さんがお神酒を注いでくれるが、並々と注がれてしまい、仕方なく口からお迎えして三度に分けて飲む。

 次が薫の番だ。同じ盃にお神酒を注いで貰い、これも三度に分けて飲む。これを三度繰り返して、三三九度の儀式は終わった。

 次が誓の言葉の読み上げだ。二人が前に出て、渡された奉書に書かれている事を読み上げる。

「今日のよき日、大神の御前で、私どもは結婚の式をあげました。ここに結びました夫婦の契りを、変わらぬ愛情と信頼をもって育て、互いに協力して健全なる家庭を築き、社会に寄与し、明るく正しい人生を送ることを誓います。幾久しくお守護りお導き願いあげます。夫、 神山孝之、妻、薫」

 読み上げた奉書は神前に捧げる。

 その次が玉串を神前に捧げる儀式だ。二人で、玉串を神前に捧げ「二拝二柏手一拝」の順で拝礼して、お尻を神様に向けない様に内回りで体の向きを変えて席に戻る。

 そして、本来は媒酌人が玉串を奉納するのだが、俺達の場合はいないので、両家の親族代として、両家の親父さんが奉納した。そして、親族固めの儀で親族全員にお神酒を配り、全員で乾杯する。

 これで式は終わりだ。そのことを斎主が宣言し、

「本日はお目出度う御座いました。幾久しくお幸せに」

 とお祝いの言葉で終了する。その後、両家の親族の紹介をした。

 これで、既に婚姻届を提出してるので、俺達は完全な夫婦となった訳だ。

 この後はすぐ傍のレストランで簡単な披露宴が開かれる。そこには俺や薫の友人も来ているだろう。そのレストランまで二人で一緒に歩いて行く。拝殿を出る時に履物が揃えられていた。

 階段を薫の手を取ってゆっくりと降りて行くと、神社の境内に既に知った顔が幾つかあった。その中に、麗々亭柳生の顔があった。


 俺は、薫が友人や野沢せいこうに挨拶をするというので、一緒に付いて行き、俺も挨拶をする。同じように薫も俺の友人達に挨拶をする。その後、薫が「少し話しても良い?」と尋ねるので「ああ、いいよ。俺も話したい者がいるから」と言って柳生の元に向った。

「暫くぶりですね。今日はどうしてここへ?」

 柳生は笑いながら

「『よみうり版』に電話したら、編集部の人が、今日結婚式を上げる。と教えてくれたので、今日はひと目晴れ姿を見ようとやって来ました。本日はおめでとうございます」

 そう言って包んだ袱紗を開こうとするので、

「それは良いですよ。返ってご迷惑になります。それより、本当は別な話があったのでしょう?」

 そう水を向けると柳生は軽いため息をついて

「やはり、判ってしまうんですね。さすがです。実は相談したいことがありまして。いつでも良いのですが時間の都合をつけて貰えませんか?」

 柳生が相談したいこと……それはひとつしかないだろう。明白だ。

「いいですよ。社に帰らないと予定の詳細が判りませんから、携帯の番号を交換しましょう」

 そうして、俺と柳生は連絡先を交換したのだった。

「それでは、今日は帰ります。お幸せに」

 そう言い残して柳生は去って行った。その後ろ姿は何かを決意したように見えた。


レストランでの披露宴では何と野沢せいこうが余興で自分でギターを引きながら、はしだのりひこの「花嫁」を熱唱してくれた。芸能記者がいればスクープネタだったろう。最後に俺に向って

「女優としての薫子を宜しくお願い致します。多分主婦としては役に立たないでしょうが……」

 そんなことを言って帰って行った。まあ、俺としても主婦としての薫よりも女優としての薫に興味があるのだと実感していた。

「野沢先生、弾き語りなんて出来るなんて思わなかった」

 真紅のカクテルドレスを纏った薫は半分泣き顔だった。

「どうしたんだ?」

 実は判っていたが、素知らぬふりで敢えて訊いてみると

「野沢先生が歌ってくれた『花嫁』って歌。懐メロで聴いたぐらいだったけど、改めて聴いてジーンと来ちゃった……」

 薫はそう言って俺の腕に自分の腕を絡めて来た。俺も薫の手を強く握り返したのだった。

 

 結婚したからと言って、新婚旅行には行っていられない。薫も正月の特番ドラマの撮影があるし、俺も寄席などの正月興行にむけて紙面の構成が待っている。

 寒くなった風を受けて俺は色々な場所に取材に向かうのだった。

 そんな時だった。柳生と連絡がつき、週末に会うことになった。場所は、かって俺が薫と出会った頃に良く飲んでいた居酒屋だった。

 その日、時間より早めに到着すると柳生は既に来ていた。

「早いな」

「いいえ、単に暇なだけですから」

 とりあえず生ビールを頼んで俺の結婚を祝って乾杯する。

「神社の境内に姿を見た時は驚いたよ」

「いきなりで、申し訳ないと思ったのですが……」

「で、相談とは、いったい……」

 正直柳生の話は見えていた。自分の趣味の話ならわざわざ俺の所に話しなぞ持っては来ない。柳生は僅かに俯きながら話始めた。

「実は先日のことなのですが、師匠に呼び出されまして、あ、ちゃんとした話です」

「それで? 師匠の柳太郎師は何と?」

「お前は、このままでいのか? もう一度高座に復帰するつもりはないのかと……師匠は『どうしてもお前の芸は惜しい。お前なら今から復帰してもすぐにブランクなぞ取り返せる。それだけのものを持っている。復帰するつもりはないのか?』と言われました」

 やはり俺の想像通りだと思った。柳太郎師が柳生の芸を惜しまない訳がないのだ。こいつはそれだけの芸を見せるのだ。

「それで、どう返事したのですか?」

 二杯目の生ビールを飲みながら一息つくと

「考えさせて下さい。とお願いしました。今の私には師匠が全てです。復帰するということは、関係を清算して普通の師匠と弟子の関係に戻るということなんです。簡単には返事出来ません」

 そりゃ、柳生からすれば、その通りだろう。だが、柳太郎師はそれも含めて柳生の芸が惜しいと思ったのだろう。

「一生、噺に背を向けて生きるつもりですか? あれだけ多くのファンが未だ待っているというのに、それには見向きもしないのですか? あなたには、多くのあなたのファンを喜ばせる使命があると思いますね。こう言っては失礼ですが、歌手でも芸能活動の為に愛を捨てたカップルも沢山いますよ。それと同じだと思いますがね」

 俺は、落語界に関係する者としてハッキリと柳生に伝えた。キツかったかも知れないが、芸を捨てて腑抜けになった柳生にはこの位のことを言わないと駄目だと思ったのだ。

「そうですか……やはり、そうなんですよね……」

「それに、柳太郎師はもし、それを断ったあなたに未練があるでしょうか? あなたの愛を受け入れたのも、高座で光り輝くあなたを自分のものにしたい。という気があったからではないのではないですか?」

 今まで、言わなかったこともハッキリと言う。それを聴いた柳生はうなだれて

「それは、判っていたんです。でも、逃げていました。怖かったんです。それに気がつくのが……」

 柳生だってもうそろそろ四十に手が届く年齢だ。復帰するなら今しかない。未だ年齢よりも若く見えるから、高座でも映えるだろう。

「判りました。噺家として復活する道を選びます。高座で輝いて、今度は師匠から求められる自分になります。いや、なって見せます」

 柳生は力強く言い放った。その目はかっての売れに売れた頃と同じ目だった。


 それからが大変だった。三ヶ月後に「麗々亭柳生復帰独演会」が組まれた。場所は東京国立演芸場。国立劇場の隣、最高裁の傍にある。独演会にしてはキャパが大きいが柳生なら埋まると俺は踏んだ。

 準備期間が短いにも関わらず、前売りのチケットも良く売れた。我が「東京よみうり版」には復活のインタビューを載せたり、独演会の広告も載せた。

 師匠の柳太郎もお礼に編集部まで来てくれた。チケットが売れたのは、何と言っても師匠の柳太郎師がゲストで出るのと、噺家芸術協会の会長の桂音丸師が仲入り後のくいつきの鼎談に出てくれることになったからだ。

 問題は当日の演目に何をやるかだ。俺と柳生はコーヒーショップで落ち合っては演目の選定を考えた。

「二席やるんだろう?」

 俺が当日のプログラムを尋ねると

「はい、まず一番に得意だった『狸賽』で、師匠が仲入り前で「権助魚」をやります。仲入り後が会長と師匠と私の鼎談です」

「鼎談のテーマは?」

「『伝統を残すということ』です。だからその後の演目をどうしようかと……」

 独演会のトリの演目だ。それも、かって活躍していた噺家の復活の独演会だ、簡単には決められない。時期としては既に年が明けている。それも演目選びとしては考えなくてはならない。落語の季節としては既に春なのである。色っぽい噺もやっても構わない。春の噺というと「長屋の花見」や「明烏」などが考えられるが、ちょっと弱い。

 何が良いか、俺も「落語手帳」等を見ながら考えていたが、同じように自分のネタ帳をめくっていた柳生が

「決めました。『木乃伊取り』をやります」

 それを聴いて俺は噺がつくと思った。

「師匠と同じ権助ものじゃないか! 不味いぞ」

 落語会や寄席では当日は同じ傾向の噺はやらないと言う不文律がある。だからお客は色々なバラエテイある演目を聴くことが出来るのだ。

「いいんです。同じ権助ものですが、当日は師匠と同じ傾向の噺をして、それも師匠の後に演じることで、これからの私の心意気を見て貰うのです。

 そこまで思っていたのなら、俺が何かいうことはないと思った。

「判った。それを聴いて、安心したよ。本気なんだとね」


 その他にも色々な準備があったが、かっての後援会が復活して、ボランティアの人達が手伝ってくれたので、何とか開催にこぎ着けた。

 俺は当日、国立演芸場のロビーに立ってお客の流れを見ていた。すると後ろから声を掛けられた。振り向くと柳生の師匠春風亭柳太郎だった。

「神山さん。今回は本当にお世話になりました。やっとアイツも目を覚ましてくれて嬉しいです。本当は、私との関係なんてどうでもいいのです。あれだけの噺家を埋もれさしてしまっては駄目だと思いましてね。心を鬼にしてアイツに言ったのです。それを判ってくれたのと、神山さんが押してくれて本当に助かりました。ありがとうございます。会が終わったら改めて御礼にお伺いします」

 柳太郎師の表情は晴れ晴れとしていた。きっと、今言ったことが本音なのだろう。愛情がなくなったからではないと言うことが良く判った。

「それに、トリの演目がいいじゃないですか、同じ『権助』で勝負しましょう。それも頼もしいですよ」

 やがて、鼎談が終わり、一旦柳生が楽屋に引っ込むと、トリの出囃子「中の舞」が鳴り出した。それに乗って、黒紋付の柳生が出て来る。トリの演目に「木乃伊取り」という演目を選んだのも本気だが、今日の黒紋付にも本気度が見て取れた。


「木乃伊取り」という噺は……

 道楽者の若旦那が、今日でもう四日も帰って来ない。心配した大旦那、番頭の佐兵衛を吉原にやって探らせると、江戸町一丁目の「角海老」に居続けしていることが判明。

番頭が「何とかお連れしてきます」と出ていったがそれっきり。五日たっても音沙汰なし。

大旦那は「あの番頭、せがれと一緒に遊んでるんだ。誰が何と言っても勘当する」と怒ると、

お内儀が「一人のせがれを勘当してどうするんです。鳶頭ならああいう場所もわかっているから、頼みましょう」ととりなすので呼びにやる。

鳶頭がやつて来て「何なら腕の一本もへし折って」と威勢よく出かけるが、途中で幇間の一八につかまり、しつこく取り巻くのを振り切って角海老へ。

若旦那に「どうかあっしの顔を立てて」と掛け合っているところへ一八が

「よッ、かしら、どうも先ほどは」

後は、ドガチャカで、これも五日も帰ってこないと言う有様。

「どいつもこいつも、木乃伊取りが木乃伊になっちまやがって。今度はどうしても勘当だ」

 と大旦那はカンカンになる。

「だいたい、おまえがあんな馬鹿をこさえたからいけないんです」

と、夫婦でもめていると、そこに現れたのが飯炊きの清蔵。

「おらがお迎えに行ってみるべえ」

 と言いだします。

「おまえは飯が焦げないようにしてりゃいい」と言っても

「仮に泥棒が入ってだんながおっ殺されるちゅうとき、台所でつくばってるわけにはいかなかんべえ」

 と聞き入れません。結局

「首に縄つけてもしょっぴいてくるだ」と、手織り木綿のゴツゴツした着物に色の褪めた帯、熊の革の煙草入れといういでたちで勇んで出発します。

 吉原へやって来ると、若い衆の喜助を

「若だんなに取りつがねえと、この野郎、ぶっ張りけえすぞ」

 と脅しつけ、二階の座敷に乗り込みます。

「番頭さん、あんだ。このざまは。われァ、白ねずみじゃなくてどぶねずみだ。鳶頭もそうだ。この芋頭」と毒づき、

「こりゃあ、お袋さまのお巾着だ。勘定が足りないことがあったら渡してくんろ、

せがれに帰るように言ってくんろと、寝る目も寝ねえで泣いていなさるだよ」

 と泣くものだから、若旦那も大弱り。あまり言うので、

「何を言ってやがる。てめえがぐずぐず言ってると酒がまずくなる。帰れ。暇出すぞ」

 と意地になってタンカを切ると、清蔵怒って

「暇が出たら主人でも家来でもねえ。腕づくでもしょっぴいていくからそう思え。こんでもはァ、村相撲で大関張った男だ」

 と腕を捲くる始末です。そこまで云われたら若旦那は降参です。

 一杯呑んで機嫌良く引き揚げようと、清蔵に酒をのませます。もう一杯、もう一杯と勧められるうちに、酒は浴びる方の清蔵、すっかりご機嫌。頃合いを見て、若旦那の情婦のかしく花魁がお酌に出ます。

「おまえの敵娼に出したんだ。帰るまではおまえの女房なんだから、可愛がってやんな」

 と若旦那。花魁は

「こんな堅いお客さまに出られて、あたしうれしいの。ね、あたしの手を握ってくださいよ」

としなだれかかってくすぐるので、清蔵はもうデレデレ。

「おい番頭、かしくと清蔵が並んだところは、似合いだな」

「まったくでげすよ。鳶頭、どうです?」

「まったくだ。握ってやれ握ってやれ」

 そんなことを三人でけしかけるから、

「へえ、若旦那がいいちいなら、オラ、握ってやるべ。ははあ、こんだなアマっ子と野良ァこいてるだな、帰れっちゅうおらの方が無理かもすんねえ」

「おいおい、清蔵、そろそろ支度して帰ろう」

「あんだ? 帰るって? 帰るならあんた、先ィお帰んなせえ。おらもう二、三日ここにいるだよ」

とサゲる噺だが、この清蔵を権助で演じる噺家もいるので、先程、師匠が演じた「権助魚」と同じ傾向の噺となっている。

 高座の上の柳生は晴れ晴れとした表情で演じているが、その胸中はいかばかりだろうか?

 苦い想いを胸に抱いての再出発となった。だが、やはり見事な芸だ。師匠柳太郎や周りの目は確かだったと思った。

「やはりものが違いますね」

 振り返ると師匠の柳太郎だった。

「大きな犠牲を払ったのです。アイツにはもっともっと大きくなって欲しいです」

 いつになく真剣に言った言葉が耳に残った。


 独演会の打ち上げに顔だけ出して家に帰ると薫が帰っていた。

「おかえりなさい!」

 輝くような笑顔に癒される。俺は今までの経緯も言っていたから、今日の柳太郎師の言ったことも伝えると

「愛情よりも芸を選んだということなのね……私だったら迷いなく孝之さんを選ぶ。だって私を越える女優はこれからも沢山出て来るかも知れないけど、孝之さんにとって、そして私にとってお互いに唯一無二の存在だから」

 思わず薫を抱きしめると、その豊かな表情を崩した。

 今夜は長くなりそうだった……

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