第2話 伝説の噺

 我が「東京よみうり版」は中小出版社だ。自慢じゃないが編集部の狭さでは中々のものだ。それは人の使い方にも現れていて、本来はカメラマンの高梨もその職種での業務が無い時は、色々な仕事をさせられる。今日、彼に与えられたのは、我が「東京よみうり版」には毎号巻頭に噺家のインタビューを載せているのだが、創刊以来過去三十年間のインタビューのリストを作る事だった。

 その高梨が首を傾げながらリストの一部を俺に見せて来た。

「神山さん、これ見てくださいよ。この今から二十五年前のインタビューなんですが、六月号の相手が、柳家柳丈って言う噺家なんですけど、僕全然知らないんですよ。録音なんかも残って無いみたいで……知ってました?」

 柳亭柳丈……随分久しぶりにその名前を聞いた気がする。柳丈は確か最初の師匠は八代目春風亭柳枝で枝太とか言っていた。師匠が亡くなった後に柳家小しん師匠の預かり弟子となり名を、しん左と名乗り、柳丈で真打に昇進。それからは余り名を聞かなかった。

「久しぶりに聞いた名だよ。記憶を手繰ってた」

「どんな噺家だったのですか?」

 高梨は興味深そうに俺に尋ねて来たので、覚えている限りの事を話して聞かせた。

「地味だがしっかりとした噺をしていたと思う。ところで、そのインタビューは何か特別な事でもあったのか? その時期じゃ真打昇進では無いと思うし、何か賞でも取ったのかな」

 俺の疑問に高梨は

「いや、それが記事を読む限りでは協会を抜けて、名前も師匠に返してフリーで活動するって書いてありました」

 そう言ってその六月号の記事を見せてくれた。確かにそのような内容だった。これは引退では無いのか?……フリーになるなんて体の良いことを語っているが事実上の引退宣言だろう。名前も無く、協会の後ろ盾も無い……そんな状況では寄席や落語会は勿論独演会だって出来やしない。第一、その個人的な会の前座だって回して貰えないだろう……そこまでやるなら普通は「廃業」だ。

 今までに廃業する噺家は結構多い。毎年「噺家協会」だけでも二桁は居る。もう一つの「芸術噺家協会」も合わせると、かなりの数になる。珍しいことでは無いが、真打になった噺家が廃業というのは、無いことはないが珍しい。一旦廃業しても、また戻って来た例も数多い。

 だが柳丈という噺家はどうなったのだろうか? 俺は非常に興味が出て来た。そんな俺の様子を見ていた佐伯は

「神山、また余計な事に首を突っ込むなよ。くだらない事にうつつを抜かしてるなら、薫ちゃんを幸せにしてあげろよ。あんだけのいい女を放りぱなしなんだから」

 佐伯は良い奴だが口うるさいのが玉の疵だ。

「ああ、大丈夫だ。変な事に首は突っこまないよ。それに薫は大丈夫だ」

 その時は、それで話は終わったのだが、俺の心の隅に残っていた。


 その事は取材の時についでに柳丈の事を訊いていたのだが、五代目小しん師亡き後、実力ナンバーワンと目されていた小しん冶師匠が人間国宝を授与される事が決まった。そのインタビューの時の取材で、小しん冶師匠が

「そうねえ、もう十年ぐらい前だったかなぁ~ あいつの田舎の近くで落語会をやった時にね。楽屋に尋ねて来てくれた事があってね。名前なんかは師匠が許してくれたからそのまま使ってるって言ってたね……まあ、そうだよね、真打になった名前だからね。捨てちゃうのは勿体無いよね」

 そう言って情報をくれたのだ。

「それで今でも噺家やってるんですか?」

「ああ、確か訊いたら、何でも地元で頼まれればやってるそうだよ」

「それって何処でしたっけ?」

「会津の……」

 師匠がそこまで言った時に思い出した。

「会津から日光に抜けるあたり……」

 俺は何回も礼を言って下がろうとしたが、師匠は

「う~ん、あんまりね、追い詰めない方がいいよ」

 そう言ったのが印象的だった。そして、その言葉に何かを感じたのだった。

 小しん冶師匠は何かを知っている。それが何かは判らないが、普通のことでは無い。そうで無ければ、師匠は何故復帰を薦めなかったのだろう? 今や大勢の噺家が居て、それぞれが皆上手くやっている。ウチの様な情報誌は、そのおこぼれに預かって食べていける情勢だ。一人くらい暮らして行ける余裕のある業界だ。それも下手な噺家ではなかったのだ……やはり疑問が残った。


 家に帰りネットで色々と情報を探るが、これと言ったのは出て来なかった。

 俺の思い過ごしか……そう思いかけた時だった。マンションのブザーが鳴った。こんな時間にやって来るのは一人しかいない……俺は黙って玄関のドアを開けた。

「やっほう! 元気だった? 明日休みだから来ちゃった」

 玄関のドアの先に立っていたのは芸名「橘 薫子」(たちばな ゆきこ)本名「立花 薫」という腐れ縁、もとい俺の大事な彼女だ。この頃は良く俺のマンションにやって来る。無論泊まって行くのだが、最近はニュースバリューが無くなったのか、芸能マスコミの話題にもならない。

 薫は自分の家のように上がり込み、自分でグラスを出して冷蔵庫から梅酒を出して。ソーダで割り、それを二つ作り俺に差し出した。

「孝之さんは明日仕事だから、少しね」

 ソファーに保たれながらも片手は俺の肩に手を差し伸ばして来る。俺も片手を薫の脇腹に回して、二人だけの甘い夜が始まるはずだった。

「今度ね、劇団でお芝居をやるんだけど、わたし、主人公の妻役なの」

「ほう、どんな芝居なんだ?」

「孝之さんなら知ってると思うけど、明治の落語家で談洲楼燕枝って人の話なの」

 談洲楼燕枝は三遊亭圓朝とほぼ同時期に活躍した噺家だ。当時の東京の落語界は三遊派と柳派に別れており、お互いが自分達の寄席で興行を行っていた。中にはこの両派を交互に出演させている寄席もあったが、お互いが一緒に出演するということは基本無かったのだ。その柳派の頭領が談洲楼燕枝で三遊派の頭領が三遊亭圓朝だった。

 一般的には三遊亭圓朝の名前が有名だが、実は談洲楼燕枝も落語界には大きな影響力を持っていたのだ。

「じゃあ、稽古が始まったら忙しくなるな。ドラマはどうしたんだ?」

「うん、今のクールはもう撮影終わったから。次のクールなんだけど、今度は舞台中心だから、大した役は無いんだ。だから……ね!」

 薫はグラスを置くと唇を近づけて来た。抱き寄せて重ねると甘い吐息が漏れる。

「お風呂入って来るね」

 薫はそう言い残すと自分の衣服が入っているタンスから着替えを出すと風呂場に消えて行った。俺はぼおっとしていたが、不意に談洲楼燕枝について調べてみる気になった。燕枝は基本的には柳派だが、今の柳本流ではなく春風亭の系列だ。そして春風亭一門でも柳枝の系列だ。燕枝の師匠は初代柳枝だ。弟子には三代目春風亭柳枝がいる。俺はここに何かを感じたのだ。理由は無い。しいて言えばかの柳丈も柳枝の系列に入る。考えすぎだろうか……


 薫が風呂からバスタオル一枚で出て来た。入れ替わりに俺が風呂に入る。湯に浸かりながらガラス越しの隣のパウダールームを見ると、薫が鼻歌を歌いながら髪を乾かして、とかしている。

「なあ、こんどやる舞台ってどういう話なんだ?」

 ガラス越しの薫に問い掛けると

「あら、珍しい! 何時もは私のお芝居やドラマなんて興味も示さないのに……どうしたの?」

 別に何時も無関心だった訳ではない。画面の向こうで芝居とは言え薫が他の男とラブシーンをしているのを見たくは無いだけだ。

「う~んとね。明治維新のゴタゴタで新しい時代になったら落語なんて、無くなってしまうと考えた初代春風亭柳枝が弟子の談洲楼燕枝に自分が作って好評だった「子別れ」という噺を稽古して伝えるの。談洲楼燕枝は未だ柳亭燕枝の時代で二つ目なんだけど、その噺の才能を師匠に認められて受け継ぐの。背景には戊辰戦争や各地での戦火が描かれて、それこそ命がけで噺を伝えるのよ……そんな話。来週の後半から本格的な稽古に入るんだけどね。見に来てね!」

 無論言われなくても見に行くつもりだ。そうか、面白い話を野沢せいこうは考えるんだと思った。

「野沢せいこうの作か?」

「うん、何でも変な噂を訊いて、それを参考にしたって言ってた」

 変な噂……なんだろう?

「なあ、その噂って知ってるか?」

 薫はガラス戸を開けて

「どうしたの? やけに乗り気で……答えはベッドで待ってるからね」

 髪をとかし終わり、寝る前の肌の手入れも終わった薫はガラス越しにその姿を消した。俺はシャワーを頭から被りながら、やはり柳丈が半場引退同然になったのは訳があると思った。


 薫はその言葉通りベッドの中で俺を待っていた。風呂あがりの火照りを冷ますと俺もバスタオルを脱いでベッドに滑り込んだ。

「その噂って何だ?」

 薫の頭を左手で支えて、右手を顎から体の方になぞらせると

「あん、それはね。先生が言ってたのだけど、そんな事が実際にあったらしいと言うのよ」

 一見何でも無い事のようだが、とてつもない事を言っている。

「芝居の話は野沢せいこうの作なんだろう?」

「そうよ。先生のオリジナルよ」

 でも、本当にそんな事があったらしいと言う噂がある……

「わたしが知ってるのはそこまで……ねえ……」

 その晩、二人は何もかも忘れた……


 翌日、編集部に出ると、高梨に言ってもう一度そのインタビューを見せて貰う。何かヒントになるような事は書いていなかったが、当時の編集長が

「前の師匠の柳枝師からは色々な噺を教わりましたか?」

 という問いに対して

「そうですね。色々と教わりました。「それはとても多くて、言えない演目もあります」

 そう言っていた。一見すると『多すぎて言えない』と言う意味にも取れるが、そのままの意味だったら話は違って来るだろう。

 俺はもしかしたら、柳派には代々伝われている門外不出の噺があるのではないかと思い始めていた。

「まさかな……」

 自分でもおかしな妄想だと思う。第一、そんな事をしても意味が無いだろうと言う事だ。実際落語の噺なんて、その当時のお客に受けなくなると自然に淘汰されて行くものだ。明治からこちらだって演じられて無い噺は沢山ある。かって三遊派の大師匠が演じていたという「名人比べ」と言う噺はかの古今亭志ん生師匠が抜読みで演じただけで、今では通しで演じる噺家は居なくなってしまった。そのようにして朽ち果ててしまった噺は膨大にあるのだ。

 だから、たった一つの噺を代々伝えて行く。なんて言うのは割に合わない事なのだ。だが、俺はこの考えを捨てきれなかった。


 俺は柳丈に会ってみたくなった。田舎に引っ込んだというが、会津と言うが、どの辺なのだろうか? それに未だ存命なのだろうか……編集部の資料では住所等は判らなかった。

 俺は思い切って「噺家協会」に電話してみた。幸い、馴染みの事務員が出てくれた。

「どうしました神山さん。今日は何か?」

「ああ、すいません。実は昔、小しん師匠の弟子で柳丈さんという真打になって間もなく協会を辞めた人がいるでしょう?」

 俺はてっきり辞めたと思っていたのだが

「いいえ、辞めて無いですよ。今でも協会の会員です」

 これは驚いた! てっきり辞めてフリーになったと思ったのだが……

「実はですね。今だから言いますが、柳丈師匠から、『暫くの間、自分が良いと言うまで、協会を辞めた事にしておいてくれないかな? そう対外的に……』そう言われたんですよ。だからこちらの記録は変わりなかったのですが、「よみうり版」さんなどにはあの当時辞めたと言っていたのです。それが昨年ですかね。『長い事ありがとうございました。もう結構ですので堂々と会員である事を公表して下さい』って連絡が来たのですよ。今年、「よみうり版」さんは演芸年鑑出さなかったでしょう。だから判らなかったんですよ」

 俺は本当に驚いてしまった。そしてやはり、これには何かあると、確信を強めたのだった。


 事務員さんは今の柳丈師の現住所を教えてくれた。しかも電話番号もだ。早速電話を入れて、自分が「東京よみうり版」の記者であること。そして取材したい事を申し込むと

「こちらに来て戴けるなら色々とお話しますが」

 と拍子抜けするほど簡単にOKの返事が貰えた。

 だが、これが出張扱いにはならないと覚悟していた。取材する内容が万が一公表出来ない類のものならその価値は無くなるからだ。

 結局自費で行く事に決めた。自費なら薫も連れてってやろうと思う。もしかしたら芝居の糧になるかも知れないと思った。

 薫に連絡すると二つ返事で乗って来た。

「うれし~い。孝之さんとなら何処でも行く! 今度の土日なら未だ暇だから大丈夫よ。また、温泉に泊まりたいな」

 場所は、会津田島だ。泊まるなら少し会津若松方面に戻った所にある「湯野上温泉」だと思った。もう少し行って「芦ノ牧温泉」でも良いが、薫に選ばせたら「湯野上」だと即決した。何でも学生時代に国道121号線を通って、その時「泊まりたい」と思ったそうだ。何処に縁があるか判らない。

 柳丈に連絡をすると「土曜で構わない」との事だったので、「お昼前には伺います」と連絡を入れた。


 金曜の夜に薫は泊まりに来ていた。明日の朝早く出発するからだ。

「今夜は早く寝るんだぞ。明日は温泉だからな」

 俺の言葉をどう受け止めたかは知らないが、やけに素直に薫は言うことを聞いた。俺が風呂から上がってくると、俺のベッドで夏掛けを掛けて寝息をかいていた。そっと夏掛けをめくると何も身に付けていなかった。こいつ、何時もこうして寝るのか……意外と知らない事があると思った。

 俺も夏掛けに入りながら考える。昨年、協会にも会員だった事を公表しても良いと言ったのには訳があると思う。それが何なのかは判らないが、何か代々伝えていくべきものが次の世代に継がれたという事なら、もはや柳丈の役目は終わったのかも知れない。

 そんな事を考えていたら、薫の寝息が首筋に掛かったので、寝返りをして薫の寝顔を見る。舞台が終わったら結婚の準備でもするか……そう思ってるうちに眠りについた。


 翌朝は暗いうちに家を出た。薫は出発して高速に乗る頃にはまた寝てしまった。疲れているのかも知れない。そのままにする。

 行き方は、東北道を白河ICで降りて国道4号から289号に入り更に121号で会津田島に到着する。今夜泊まる湯野上温泉は眼と鼻の先だ。

 地図で調べておいた柳丈師の家を探して行くと程なく見つけた。何と家の前に本人が立っていたからだ。

 道の脇に車を止めて挨拶をする。

「どうも初めまして『東京よみうり版』の神山孝之と申します」

 そう言って名刺を渡す。

「すいません。劇団『役者座』の橘薫子です。今日は落語のお芝居を今度するので、勉強の為に神山さんに連れて来て貰いました。お話の邪魔はしませんのでどうぞ宜しくお願い致します」

 薫が気の効いた挨拶をすると柳丈師は少々驚いて

「いや~橘さんでしたか、我々夫婦でファンなんですよ。後でサイン下さい!」

 逆に喜ばれてしまった。

 柳丈は昔見た時と体格等はあまり変わって無かった。芸人としては華が無い感じだったが、逆にそれが堅実な印象を与えていた。


 家に上がらせて戴くと、柳丈師の女将さんが

「まあ、まあよく遠い所をいらっしゃいました。どうぞ上がって下さい」

 言われて上がるとそこで、薫の事を橘薫子と気がついたみたいで、やはり「後でサイン下さい」とねだっていた。本当にファンなのだろう。

 お茶を出されて口をつけると、いよいよ俺は自分の仮説を話始めた。

「まず、これは私の妄想なのですが、もしかしたら、柳派には一子相伝みたいな門外不出の噺があるのでは無いですか?」

 そういきなり訊いてみると、柳丈師はあっさりと

「ええ、確かにそのような噺はあります。でもそれと私がここに引っ込んだのは関係が無いです。ここは私の故郷なんです。真打になって暫くしてですが、カミさんが喘息になりましてね。色々と医者を変えて見て貰ったんですが、一向に良くなりませんでした。そこで都会ぐらしを諦めてここに引込みました。ここは環境には申し分ありませんから、カミさんの喘息も直ぐに良くなりました。でもここでは噺家としては辛いです。近所の公民館で独演会をやったり、湯野上や芦の牧で演芸の余興で一席噺をする事ぐらいしかありません。そこで土地だけはありあますから、農家をやって生計を立てていました.協会を止めようかどうしようか迷っていたのも事実で、本当は辞めないですぐに復帰を公表するつもりでしたが、こっちで暮らしてると、どうでも良くなりましてね。昨年まで忘れていたんです。それが真相です」

 俺は、多分そのような暮らしをしていたのだろうと思っていたが、やはりその通りだったし、事実はミステリアスでも無かった。

「師匠、その門外不出の噺とはどのような云わくがあるのですか?」

 俺の質問に柳丈師は遠くを見ながら

「そうですね。最初からお話しましょう。これは私も師匠柳枝から聞いた話です。

 その昔、初代柳枝は色々な噺を作りました。一番有名なのが「子別れ」です。これは一門や柳派に広く伝わって行きました。実は、その時に「子別れ」と対になる噺を作ったそうです。でもそれは演じるのが難しく誰でも演じる訳には行かなかった様です。そこで、弟子の中で、これは、と思う者を選んで伝える事にしたそうです。そして、最初のその弟子が談洲楼燕枝だったそうです。

 それから代々、その噺は一人の弟子や、弟子にその候補がいない時は代々の柳枝を継ぐ者が受け継いで行きました。

 そして、私の師匠八代目柳枝は、普段から血圧が高かったので、将来が不安だったのでしょう『枝太、この噺をお前が受け継いでくれないか、私の弟子は皆達者な者ばかりだが、この噺を受け継いで行く器量があるのはお前だけだと思う』そう言ってその噺を私に教えてくれたのです」

「それで、受け継いだのですね」

「そうです。ゆくゆくは私も柳枝を襲名していたかも知れませんが、ああいう形で師匠が亡くなってしまい、襲名も消えて仕舞いました。私は同じ柳派の小しん師匠の所に行きました。他の兄弟弟子は圓生師の所に行きました。やはり彼らには受け継ぐ資格が無かったのですね。その点では私で良かったです。でもそれも、昨年で終わりました」

 それを訊いて、俺には昨年の事がピンと来た。

 柳家小しん治師の弟子の柳家三四師だ。若手ナンバーワンと言われる噺の上手さで、落語会や独演会の切符は直ぐに売り切れる程である。

 その彼が昨年「三四 談洲楼 三夜」と題し、通しで「島鵆沖白浪」(嶋千鳥沖津白浪)(しまちどりおきつしらなみ)を演じたのだった。そうか、考えれば判る事だった。

 あの時で、三四に伝説の噺は受け継がれたのだった。あの会は自分が柳家の正当な後継者だと言う証だったのだろう。あの時の口上でも良く訊けば、色々な意味に取れる発言をしていた。

 今になって気がついたのは、遅かったという事だろう。

「やはり、彼が受け継いだのですね?」

「そうです。彼は師匠に付いて会津田島での落語会に荷物持ちや前座、あるいは共演者としていつも付いて来ました。その時に、彼の筋の良さを見て決めました。それだけの度量がありましたね」

 そうだ、三四なら間違いはあるまい。門外不出の噺はこれからも続いて行くのだ。

「良かったらお聞かせしまようか?」

「良いのですか? 私達門外漢が聴いても……」

「聴くだけなら構いません。その代わりここで聴いた事は秘密にして貰えますね」

「それは、確実に……」

 俺がそう言うと今まで黙って聴いていた薫が

「わたしも誓って……」

 そう言って頷いた。

「なら、それでは……」

 それから、柳丈師匠は俺たち二人を百五十年前の世界に連れて行ってくれた……


 薫が、柳丈師が買って来た三十枚の色紙にサインをして「お昼でも」と言うのを固辞して、俺と薫は会津田島を後にした。

 街道沿いのドライブインで昼食を済まして「塔のへつり」等を見物して旅館に着いた。

 ガイド雑誌によると、この湯野上温泉は「国道121号に並行して流れる大川の渓谷沿いに旅館や民宿などの宿泊施設が25軒点在し、湯の街を形成している。江戸時代には、街道を行き来する旅人たちが、ひと足延ばしてここまで旅の疲れを癒しに訪れたという。源泉が8本もあるほど湯量が豊富だ」

 としてあった。その中でも一番良いとされる旅館に予約を取った。部屋に案内されると、窓の外は渓流が流れていて、露天風呂も全て渓谷が眺められるとの事だった。

「ああ、気持ちが良いなあ~、それにしてもさっきの噺凄かった……落語と言うものに対して考えが変わったわ、わたし……きっと良い演技が出来ると思う」

 薫がそう言って喜んだ。女優と言う職業を通じて表現の幅が広がったのだろう。それに対して、俺は一つの事実が心に残った。たしかに凄い噺だが、お客に聴かせることの無い噺は果たして噺家として幸せなのだろうか? と思うのだった。

 まあ、良い、とりあえず喜んでいる薫を見るだけでも吉としようと思うのだった。

 未だ陽は高い。今夜も長そうだと思った。

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