*サファイアの誘惑
「これは最高だ!」
データ室のキリアは、ベリルを監視していた者から届いた映像に、バンバンとデスクを叩いてヒィヒィ笑っていた。
「ずいぶんと楽しそうだ」
それを見ていたマイクは、聞こえないように口の中で発し眉を寄せた。
「ま、まんまと誘導されてるじゃないか」
完璧にこちらの動きを読まれている。
遠方からの撮影で音声までは録音されてはいないため、詳しい状況は解らない。しかし、それなりの度胸はあるようだ。
囲まれてなお、焦りなど少しも垣間見えず淡々と倒していく様子に嬉しくて身を震わせる。
そのとき、キリアの端末が着信を伝えるため震えた。
「どうだ──なんだと!? 失敗した? ふざけるな!」
受けた報告に腹が立ち、端末をデスクに投げつける。
「雑魚を送った訳じゃないぞ」
怪我の後遺症で片足を引きずっているんじゃないのか。それでも勝ちやがるとは、さすがはあいつの師匠ってところか。
これじゃあ余計にベリルって奴が気になって仕方がない。
「ちょっとだけ、挨拶しちゃおうかな」
「え?」
聞き返したマイクに応えず笑みを浮かべた。
──移動中のベリルたち
<さすがに相手さんも思案しているようだな>
「どうだろう。戦術の変更を考えているのかもしれん」
ここ二日、敵が攻撃してくる気配が無く、これからの対応をジェイクと話し合っていた。
ミレアとアレウスは未だ、狙われる理由を話してはくれない。敵の攻撃が激しくなっていくなか、話してくれないからと留まってもいられない。
<このまま、街に入るのはどう考える?>
「あまり得策とは言えんな」
街に入れば相手は大きな動きが取りづらくなると同時に、こちらも大勢での行動が出来なくなる。
<一長一短か。じゃあ、街の近くでキャンプを張るのはどうだ?>
「それも考えていた」
知らない人間が行き交う街中より、その近辺でキャンプを張り仲間同士でいる方が安全だ。
街の近くということに相手もしばらくは警戒を示すだろう。業を煮やして攻撃をしかけてくる潮時を、こちらが見誤ることがなければ実にいい選択だ。
<とりあえず。今日はここらでキャンプ張ろうぜ>
決めかねて会話を切った。
──いつものようにキャンプが張られ、仲間たちとミレアは談笑しながら楽しく夕飯を食べている。アレウスもようやく、数人とではあるけれど打ち解けてきているようだ。
食事を済ませ、監視が数人歩き回る深夜、ベリルは寝付けずに車から出て星空を仰ぐ。
寝付けない時は決まって何かある。彼の持つ闘いのセンスなのか、きわめて勘がよいだけなのか。
交代で火の番をしている仲間たちに軽く手を挙げて挨拶を交わすと、思案するために一人キャンプから少し離れた。
近くには小さな森がある。森といっても、木が数十本生えているだけの、雑木林と呼ぶにもおこがましい程度だ。
目を閉じて、微かに聞こえる虫の声に聞き入る。そうして乾燥地帯であるにも関わらず、肌にねっとりとまとわりつく違和感に眉を寄せた。
強い違和感の方に目を向ける。
「ホントに勘がいいねぇ」
森の中から現れた影は人なつこい笑みを浮かべているが、隠しきれない殺気にベリルは険しい表情でやや身構えた。
「俺はキリア。以後、お見知りおきを」
「どういうつもりだ」
丁寧に腰から曲げて挨拶をする男に怪訝な表情を浮かべる。
しかし、キリアと名乗った男が顔を上げたその瞬間、見えた笑みにゾクリと背筋に冷たいものが走った。
それでも、視線を外さないベリルにキリアは嬉しくなる。
「やっぱり勿体ないねぇ、そのセンス。どうして殺しをしない?」
「なんの事だ」
「とぼけちゃって」
まるで、友達と冗談話でもしているようにおどけて笑う。その瞳に、黒い何かを残したままに──
「人を殺した時の感覚、好きだろ?」
澱んだ青い目がベリルを見つめるが、それには応えない。
「否定も肯定もしないんだな」
「どうせどちらの答えも、お前を喜ばせるだけだろう」
「さっすが! よく解ったね」
さも楽しげに指をパチンと鳴らしてベリルを指差した。
「でも。これを聞いたらきっと、あんたは俺に従うようになる」
サファイアの瞳を輝かせる。
「ミッシング・ジェム──って、知ってる?」
紡がれた言葉に、ベリルの心臓が激しく鼓動した。
「人類の中にあって、人類の歴史の中には無い方がいい存在のことだってね」
キリアは、ベリルの顔色を窺うようにゆっくりと丁寧に発する。
そこに存在していても、
キリアが何を言いたいのか解っている。それでも、認める訳にはいかない。
「それがどうした」
「あっれえ? またとぼけるんだ」
慎重に言葉を選ぶベリルに、いたずらっ子のごとき笑みを浮かべる。
「ここまで言ってとぼけても意味が無いことは、解ってるんじゃないの?」
鋭いエメラルドの瞳に複雑な色を見つけた優越感に低く続けた。
「偶然の産物が、えらく出来の良いものになったもんだよな」
自分でもそう思うだろ?
「No.
「──っ」
ベリルはとうとう、このときが来たのかと震える手を押さえた。
覚悟がなかった訳じゃない。それでも現実を目の前にすれば、想像していた衝撃など可愛いものであったと実感する。
「今のところ、それを知ってるのは俺だけだ。俺の
ベリルは動揺を抑え、差し出された手を無言で見つめる。当然、了解するだろうと思っているキリアは余裕の笑みで返答を待った。
「どうした? 俺がお前を認めたから、こんな交渉してやるんだ。でなきゃ殺してる」
早くしろと言うように、喉の奥で舌打ちをして差し出した手を振る。
だが、
「好きにするといい」
言い放ち、キリアを見据えた。
「なんだって?」
思ってもみなかった回答に顔を歪ませる。
「おまえ、馬鹿なのか」
「従うつもりはない」
その瞳には、共に殺しを楽しむ事などあり得ないとあからさまに示されていた。
「へえ」
よくも拒否したと口角を吊り上げ、冷たい青い瞳にベリルを映す。
「言ってくれるね。作り物のくせに──」
「っ!?」
素早く投げつけられたナイフをかろうじてかわしているその間に、キリアは森に身を隠した。
「いいか。つぎはぎのくせに、舐めたこと言ってんじゃねぇよ。次に会ったとき、同じことが言えるのか見ものだな」
声だけがベリルを威圧し、尖るような気配は消え去った。
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