*キリア

  男は、同じ目線に合わせてしゃがみ込んだ青年から目を逸らした。それでも感じる視線に戸惑い、思わずぴたりと合わせた目が何故だか外せなくなった。

「組織の名を教えてもらえないか」

 威圧的でもなく、静かに問いかける。

 睨まれている訳でもないのに、底知れぬ緑の瞳が怖くて目を眇めた。

「何故、彼女を狙う」

 男はそれでも、聞こえない振りをして沈黙を続ける。

 黙っていることが、これほど苦痛だとは思わなかった。ただ見つめられているだけなのに、冷や汗が止まらない。

「少し、痛い目を見ないと吐かないんじゃないか?」

 仲間の一人が指の関節を鳴らし一歩、前に出た。

 しかし、ベリルは小さく手を挙げて仲間を制止する。

「組織については、またあとで質問するとしよう」

 立ち上がり、彼らを車に積んでくれと指示をした。

「いいのか?」

 ジェイクがいぶかしげに問いかける。確かに尋問への対策は訓練されているかもしれないが、痛めつければ吐く可能性だってある。

とらえろと命令はされたが、その理由まで聞かされてはいないのだろう」

「下っ端なんて、そういうもんか」

 なるほどとジェイクは小さく唸った。

 彼らが失敗し、命を落としたとしても組織自体にさしたる支障はない。そう考えれば、彼らの組織はそれなりの規模であることが見えてくる。

 ベリルは溜息を吐き、ピックアップトラックのそばでこちらを窺っているミレアを見つめた。

 彼女が何を持っているのかは解らないが、組織自体に関係しているものでは無いらしい。

 ではなんだ──?

「上の人間が、彼女を必要としている?」

 口の中でつぶやく。

 少なくとも、命令の理由を述べずとも部下を動かせる立場にある人間だ。彼女の秘密を知る者は、組織にどれくらいの数がいるのだろうか。

 ごくわずかだとするならば、組織内の人間に彼女を狙う理由を知られる前に事を急ぐ可能性がある。

「それが、こちらに吉と出るか凶と出るかだな」

 狙っている者の組織での地位にもよるだろうが、理由を述べず部下を動かし続けるのも限界がある。

 殺せと言われれば疑問もなくやり遂げる者たちも、理由も知らされず組織と何の接点も見いだせない少女を捕らえろと言われれば多少の疑念を抱くだろう。



 ──ひとまず移動を始める事にしたベリルたちは各々、車に乗り込む。

「心強いですわね」

 ミレアは後ろを一瞥し微笑んだ。

一癖ひとくせ二癖ふたくせもある連中れんちゅうだが、腕は確かだ」

 守りを固めたとはいえ、相手の正体が掴めない現状では不安が残る。

「このまま続けば、こちらが不利だな」

 目を眇める。

 攻める側にならない以上、守りばかりのこちらは明らかに不利の状態だ。向こうの情報を少しでも得られれば、そこから活路を開くことが出来るというのに。

 いつまでこの状態を続けなければならないのか。



 ──ベリル襲撃の結果を聞いたキリアは口元を緩ませた。

「失敗した?」

 これは、予想より早く俺の番が回ってきそうだ。組織のボスであるセラネアは相当、怒っているだろうが俺にはどうでもいい。

 自分が失敗した訳でもなし。むしろ、失敗してくれたことは俺にとって喜ばしい。相手も戦力を増やしたようだが、こちらに比べれば補給だってままならないはずだ。

「俺とお前、どっちが上かな?」

 口の端を吊り上げる。

 キリアという男は戦闘において、単独で行動するだけではない。大勢を指揮し、その能力を発揮してきた。

 ベリルもそれをキリアと同じくしている。

「早く俺の番が来ないかな」

 通路を歩く足取りは喜びからか軽く、鼻歌までもがついて出る。

 そうして自室に戻り、薄暗い空間で喉の奥から笑みを絞り出す。これほど楽しみだと感じたことが今まであっただろうか。

 組織の兵士も育成しているキリアだが、ベリルはまさに天性の才だと感心した。判断力、決断力において秀でるものがある。

 さらにキリアは、ベリルから自分と同じ臭いを嗅ぎ取っていた。

「ククク──」

 明かりを点けもせず、静かに低く不気味に笑う。まるで久しく会えない恋人のように、対峙するその時を待ちわびていた。



 ──移動していたベリルたち一行は、暗くなる前に野営の準備を始めた。

「うお~い。そこのテーブル、こっちに置いてくれ」

 たいまつやたき火、電灯があちこちで灯され、なんとも賑やかに夕飯の準備が進んでいく。

「食料もたっぷり持ってきた。存分に食べてくれ」

 ジェイクはミレアとアレウスにアルミの皿を手渡した。

「ありがとう」

 ニコリと笑って簡易テーブルに向かうミレアの背中に、ジェイクの口元が緩む。

「可愛いな」

「少女趣味か」

 しれっと発したベリルに生ぬるい笑みを固めた。

「おい。俺はまだそんな歳じゃねえぞ」

「三十五歳だったな」

 改めて言われると十七歳の年齢差は微妙だなと眉を寄せる。

「本当に信用出来るんだろうな」

 アレウスはいぶかしげに男たちを見やり、ベリルに歩み寄る。

 食事をしているミレアの周囲には男たちが集まっていた。その光景にピリピリと神経を尖らせる。

「皆、私の顔見知りだ。知らない者がいれば、今は私も警戒しただろう」

 素直に今の考えを応えたベリルにやや驚く。

 敵の姿は未だ見えない。その状況で知らない者を仲間に加える事はベリル自身、避けたいようだ。

 アレウスが考えている以上に、ベリルは慎重に動いていた。飄々ひょうひょうとした態度に惑わされ、名のある傭兵であることなど、すっかり忘れ去っていた。

「ベリルの通り名とはなんだ?」

 通りすがりの傭兵にぼそりと問いかける。

「ん? 素晴らしき傭兵だよ」

「素晴らしき傭兵──」

 二十五歳という若さで、そう呼ばれるだけの戦闘センスをベリルは持っている。ミレアが言ったように、ベリルに出会った事は幸運だったのかもしれない。

 しかし、幸運だったかどうかの結論を出すにはまだ早すぎる。もちろん、幸運であったと思いたい。

 アレウスは屈強な男たちの中にあって小柄ながらも一際ひときわ、存在感を放っているベリルに目を細めた。



 ──朝、傭兵たちは移動準備に追われていた。

「ジェイク」

「おう」

「十人リストアップした」

 ベリルは、軽く手を上げたジェイクに同じく手を上げ返し、一枚の紙切れを手渡す。

「交代要員か。しかしよ、ベリル」

 ジェイクはリストを一瞥いちべつし、仲間たちと挨拶を交わしているミレアを遠目で見やる。

「そこまでしてあのを護る意味って、あるのか?」

 それにベリルはミレアを見つめる。総勢二十名以上の報酬を、ベリルは最終的に支払う事になる。

 ジェイク以外は一人一万オーストラリアドルだとしても、それ以外の経費もバカにならない。(作中でのレート:一オーストラリアドル=九五円)

 ベリルは彼女からの報酬など、はなから見込んではいない。嘘も方便、行き詰まった彼らの便宜上の手段であることは初めから解っている。

 解ってはいても──

「乗りかかった船だ。途中で降りる訳にはいかない」

 冗談めかしに肩をすくませる。ジェイクはそれに口の端をつり上げた。

「お前らしいけどね」

「金は使って初めて価値を持つ」

 冗談混じりに発したベリルを右肘で軽くこづいた。

「だったら恋人くらい作れよ。ガンガン消えてくぜ」

「遠慮しておく」

 苦笑いで応えて移動準備を手伝うため仲間の元に向かう。

「カタブツめ」

 その顔ならいくらでも女は寄ってくるだろうにと溜息を吐き出した。

「女に興味無いなんて、勿体ねえよなあ」

 ベリルは色恋沙汰にはまるで興味が無い。中にはそういう奴もいたが、特に女で失敗したという訳でもなさそうなのに、あの若さでだとはと驚きを隠せない。

「あのも可愛いと思うんだけどね」

 ミレアを見やる。

「歳は結構、離れてるけどよ。俺に比べれば、許容範囲だと思うんだよな」

 あの赤毛が可愛いじゃないか、大人になったらさぞかし美人になるぞ。ベリルを慕っているようだし。

 そこまで考えて、ふと我に返った。

「──俺のガキでもあるまいし」

 なんだって、あいつの恋愛を気にかけてやらなきゃいかんのだ。

「仕方ねえか」

 それだけあいつが可愛いってことだろう。ジェイクは、ベリルを本当の弟のように思っていた。

 ベリルの持つ雰囲気は独特だ。初めて会う人間は、そのエメラルドの瞳に一瞬、呑まれる。神秘性を秘めているとでも言うのだろうか、小柄な体格であるにもかかわらず自然に目がいき、その動きを追いかける。

 あそこまでの存在感はそうあるものじゃない。

 どんな生き方をしてきたのだろうか。落ち着き払った雰囲気と上品な物腰、そしてその独特の口調。誰もが彼の生い立ちに疑問を抱く。

 とはいえ、彼ら傭兵の間では触れてはならない領域なのだろうか、それとも暗黙のルールなのか。それについて問いかける者はほとんどいない。

 それだけ、過去に何かしらの傷を持つ者が多いということなのだろう。

 ベリルは誰にも増して己の命を重きに置く事はなく、自身の限界を引き出そうとしているのか、はたまた己を犠牲にしたいのか。

 それはまるで──

「まるで、死にたがっているようも、見える」

 ぼそりと宙につぶやいた。

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