*エメラルドの誘い
「大事ないか」
受け止めた感じから華奢な女性だと考えてはいたが、幼い顔立ちにまだ十代なのかと納得した。
十代後半だろうか。どこかの上流階級の家の出なのかもしれない。ぱっと見でも解るほど品のある面持ちをしている。
何かに怯える目で青年を見上げ、目立つ赤い髪と瞳を隠すように地味なローブを着込んでいた。
少女は青年のかけた声にも反応できないほど、彼の容姿に釘付けになる。
目が合った瞬間は多少の驚きはあったのかもしれないが、中性的な面持ちに感情はあまり見られず、切れ長の瞳に上品な鼻筋と薄い唇、まとっている存在感までもが青年を美しく彩っている。
これほど優美な男性がいるのかと、息をするのも忘れて見入ってしまった。
「ミレア様!」
「アレウス」
そんな二人の間を破るように駆け寄ってきた若い男に、ミレアと呼ばれた少女はホッとした表情を浮かべる。
肩までの硬い栗毛に
男は少女が無事であると解ると険しい表情に安堵の笑みを浮かべ、気遣うようにその小さな肩に手を添えた。
それから、アレウスと呼ばれた男に睨みつけられた青年は、何もしていないと肩をすくめる。
「おまえ──」
アレウスは幾つもの大きな足音に開きかけた口を閉じ、逃げなければと少女の手を取ったが、あっという間に五人の男に囲まれた。
いずれも暗めのスーツに身を包み紳士風な装いではあるけれど、黒いサングラス越しからでも攻撃的な感情が伝わってくる。
隙のない動きからも、素人という訳ではない事が窺えた。アレウスは少女を護るように身を引き寄せ、闘う覚悟に目を吊り上げる。
しかし、この人数を相手に少女を護りながら闘えるとは思えない。かといって退路を作る方法も浮かばない。
「──っくそ」
どうにもならない悔しさに奥歯を噛みしめた。
「諦めろ」
男の一人が抵抗するなと威圧的に発する。
諦めてたまるものか、せめてミレア様だけでも逃がさなければとアレウスは弱みを見せないように気を張った。
もちろん、彼は丸腰だ。このまま闘えば死ぬしかない。
この場で見知らぬ青年に目を向ける者はおらず、少女だけが青年の様子を不思議そうに見つめていた。
この人は、どうしてこんなにも落ち着いているのだろう。
極度の緊張状態でも、恐怖に現実逃避をしている風でもない。今にも張り詰めた糸が切れそうな空気のなか、ただ無表情に立っている。
「ふむ」
青年は男たちと二人を交互に見やりつつ状況を把握するべく、しばらく沈黙していたがふいに小さく唸ると、
「どうやら、こちらに付いた方がよさそうだ」
「何?」
今まで黙っていたかと思えば、何を言うんだこいつはとアレウスは目を丸くした。
「お前は左の二人を、私は残りの三人」
助けてくれるというのか?
こいつ一人が加わったからとてこちらは二人、目の前には五人だ。ミレア様をお護りせねばならない手前、どう考えてもこっちが不利な状況に、こいつは勝つ算段でもあるのか。
警察を呼んでもらったところで、到着するまで持ちこたえられるとは到底、思えない。こいつの強さは解らないが、俺一人に比べれば多少はましか。
「あまり深く考えるな」
青年は思考を巡らせているアレウスを一瞥して薄く笑い、構える事もなく
「なんだきさま!?」
男が驚いて銃口を突きつけると、青年はその手首を左手で掴んでくるりと背後に回り、男の首にナイフの刃を走らせた。
「──っ!?」
男は叫びを上げる暇もなく、首から空気が漏れる音と共に血が噴き出し人形のごとく転がる。
いきなりの事に驚きながらも、アレウスは言われた通り左の男たちに回し蹴りを繰り出した。
一人は避けたが、一人はもろにこめかみに食らって倒れ込む。予想しなかった青年の乱入で男たちの集中は途切れていた。これなら勝てるかもしれない。
「き、きさま! 何者だ!? どうしてこいつらを助ける!」
「さあね」
青年は声を荒げて掴みかかる男の腕を払いのけ、素早くナイフを心臓近くに突き立てる。だめ押しに突き入れたナイフをねじると、男の体がビクンと痙攣した。
そうして声もなく崩れ落ちる男から視線を外し、腰の後ろから
「なんだ、こいつ」
鮮烈かつ容赦のない闘いに、アレウスもミレアもあっけにとられた。
相手だって武器を持っていたはずなのに、いくら同じように武器を持っているからと言っても、これはさすがに強すぎる。こいつは一体、何者なんだ。
「死んだの、ですか?」
「ミレア様。お気になさらず」
アレウスは慌ててミレアの目を隠す。ひとまずは助かったものの、助けてくれた男が本当に善人なのかは疑わしい。
青年は転がっている五人の男を確認するとハンドガンを仕舞って二人に向き直る。
「ここから離れた方が良い」
「あ」
それだけ言うと遠ざかる青年に、少女は思わず手を伸ばしかけたがその手をすぐに戻した。
「銃声に通報した者がいるかもしれません。ミレア様、行きましょう」
「そうですね」
アレウスの声に応えつつ、やはり諦めきれないのか、小さくなっていく背中を足早に追いかけた。
「ミレア様!?」
少女の行動にアレウスは呆然とした。しかし、ここにいては危険だ。不本意ではあるが、ここから去る目的も兼ねてミレアを追いかけるしかない。
──青年は駐車場で足を止めると、後ろにいる二人に怪訝な表情を浮かべた。
「何か用か」
「名前は?」
アレウスは何かを言いたげなミレアを一瞥し先に口を開く。
「ベリルだ」
「あなたは──っ」
言いかけて声を詰まらせる。
しかし、ベリルはそれに面倒な顔はせず、次の言葉を待っているようだった。無表情ながらも
「何か、されているのですか?」
「ああ」
ベリルは、「そんな事か」というように二人を見やった。
「
「傭兵?」
とてもそうは見えないとアレウスは眉間のしわを深く刻んだ。
先ほどの闘いを見ていても、ベリルという青年は抱いていた傭兵のイメージとはあまりにもかけ離れ過ぎている。
「敵が追っているのなら、早く逃げた方が良い」
淡々と告げて再び遠ざかる。
「事なかれ主義か?」
アレウスは苦い表情を浮かべた。
詳しい事も訊かず、見放すような人間なのかと思ったけれども助けられたことを考えると冷淡な奴でもない。
休暇中だからなのか、傭兵には正式に頼めということなのか。とにかく、自分から離れてくれるならこちらとしても有り難い。
「待ってください!」
そんなアレウスの思惑はミレアの声で虚しくも崩れ去る。
呼び止められて、まだ何かあるのかと立ち止まったベリルから若干の苛つきが見て取れて、少女は少し躊躇いつつもゆっくりとフードを取り払った。
さらりと流れ出た赤い髪は背中まであり、後ろで一つに束ねられ少女の幼い顔立ちを大人びて見せている。
複雑に揺れている大きな瞳はルビーを思わせる輝きを宿していた。
攻撃的な色とは対照的な柔らかい存在感に、あのときはつい驚いてしまったとベリルは互いに見合ったときの事を思い起こす。
ミレアは鋭いベリルの瞳に怖々としながら、意を決して前に出た。
「わたしたちを、助けてくださいませんか」
「ミレア様! いまなんと!?」
これにはベリルも驚いた。
追っ手を倒したとはいえ初対面の人間に、ましてや本当に傭兵なのかと疑うこともなく助けを請うほど困窮しているのか。
この二人、気にはなっていた。
しかし、訊かれたくない事もあるだろう。私はそれほど世話焼きでもない。そうは言えど、求められるなら応じるまでだ。
「私に要請するという事か」
「そうです」
「何をおっしゃるのです。ミレア様!」
「アレウス。わたしたちは外に慣れていません。この先もわたしたちだけで逃げ続けるのは、無理だとは思いませんか」
「それ、は──」
アレウスもそれは解っている。それでも、見ず知らずの人間を加えることには抵抗があった。
ベリルは二人のやりとりをしばらく見つめたあと、
「まずは乗れ」
親指でオレンジレッドのピックアップトラックを差し示した。
ピックアップトラックとは、アメリカでは大型以外のトラックの分類だが、日本ではキャビンと荷台が一体のものをさす。
使い古された車を見た二人は、彼には似つかわしくないなと思いつつ言われた通りに乗り込んだ。しかしふと、彼の職業を思えばそうでもないのかと考え直す。
一緒に後部座席に乗るのかと思いきや、助手席に乗りたいと言い出したミレアに戸惑うアレウスの様子が面白いらしく、ベリルの口角がやや吊り上がる。
助手席を選んだのは、それなりに私の事を知ろうとしているのか。
「状況がいまひとつ掴めんのだが」
「わたしは追われています」
「みたいだな」
「ミレア様は捕まる訳にはいかないのだ」
そのあと、二人は慎重に言葉を選んでいるようで、しばらく沈黙していた。
深刻な状態なのは先ほどの件で大体の理解は出来ている。しかし、どれほどの状況なのかが把握出来ない。
「自分の国から出た事はないのか」
淡々とした問いかけにミレアは驚いて目を丸くした。
「どうして、そうだと?」
目を吊り上げるアレウスをバックミラー越しに見やり、
「彼女が外と言った。そういう意味かと思ってね」
「あ──!」
はっとしたミレアに、そういえばそうだったとアレウスは頭を抱えた。
「我々の一族は、中国の山奥にいた」
例え自分からでなくとも助けてくれと言った手前、何の情報も示さないでは済まない。
「ほう?」
ベリルはそれに眉を寄せる。それもそのはず、彼らの顔立ちは中国を推測するにはほど遠い。
むしろ、西洋人と言った方が納得するだろう。
「俺たちは元々、中国にいた人間じゃない。遙か遠い昔に住む場所が無くなり、流れているうちにそこにたどり着いたらしい」
「国が無くなった?」
「いいえ、大地が沈んだのです」
ベリルは、ますますもって複雑な表情を浮かべた。
「俺たちの祖先がいたのは、大西洋上にあった大陸だと云われている」
「大西洋上──」
昨今、再び地球が活動期に入った
アレウスの話から、遙かな昔に沈んだとされる大陸と呼べるほどの大きな島を思い浮かべた。
「その海域にはアトランティスがあったとされているな」
「言い伝えが本当かは解らないが、
アトランティスには文字がなかったとも言われているが、なるほど大昔の聖書のように彼ら一族には語り継がれているものか。
「平和に暮らしていたのに」
ミレアの手が震える。
中国は広い。政府が全ての部族を把握しきれていないように、ミレアたちの一族もそのなかにあって身を潜めていた。
「突然、何者かがミレア様を連れ去ったのだ。俺はミレア様を助け出すために、そいつらを追った」
アレウスは苦々しく奥歯を噛みしめる。
「相手が多すぎたか」
どうにか救い出せはしたが追っ手の目は厳しく、集落に戻ったところでまた連れ去られるのがおちだ。
どうしていいか解らずに、このオーストラリアにたどり着いた。その矢先、追っ手に見つかり逃げていたところだった。
「あなたに出会えたことは、きっと運命です」
「運命ねえ」
それをすんなりと受け入れて、命懸けで守る対象になる訳じゃない。
「要請なら報酬は頂く」
「当然です」
「我々は恩を知らない
それならばと多少の納得はした。しかし、全てに納得はしていない。
山奥で暮らしている一族に報酬など払えるのかね。こちらは親しい人間でもない者を命を賭けて守らなければならないのだから、小遣い程度で雇われても困る。
衝撃的な出会いではあったものの、単純にそれを運命だと言い切る事は出来ない。
どうにもこれは、ただ働きの予感がする。すぐさまキャンセルしたい気分だ。とはいえ、車から放り出すような行為は自分には出来そうにもない。
「仕方がない」
溜息交じりにつぶやき、我ながら損な性格だよと自分に呆れて肩をすくめた。
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