第5話 千里眼 前


 とある中学校の職員室。

 2限目に続き5限目も授業が入っていないヤマウチは、4限目に行った英単語の小テストの結果をパソコンの表計算ソフトへと入力していた。

 怠い。ひたすらに面倒だと思う。

 生徒に対する建前は、『定期的に行う小テストの結果や提出物は成績に反映される』である。

 しかし実際のところ、やっぱり評価の対象となるのは定期テストであり、小テストは毎回満点かつ提出物も完璧だとして、やはりテストで0点だと評価は2を超えることはない。

 ぶっちゃけてしまえば、単純な成績による評価である『絶対評価』が用いられている体でも、やはり全員に5を与えてしまうと、テストがあまりにも簡単すぎたのではないかと不信感を持たれてしまうために、人数の割合が決まっている『相対評価』を併用しているのだ。

 つまり、仮にクラス30人のうち、絶対評価ならば5が20人いたとしても、それは多すぎるためにそのうち12人程度は4に落とされる場合が多いのだ。

 では、その4と5の差をどこでつけるのかというと、それが単語テストや提出物であり、もっと言えば、教師が生徒に対してどのような印象を持っているかという部分なのだ。

 ならばやはり、『定期的に行う小テストの結果や提出物は成績に反映される』じゃないかと生徒は思うかもしれない。

 だがそこは教師と生徒で認識が違う。

 結局、テストの点数よりも『上に行くことはほとんどない』のだ。

 そのことを伝えてしまうと、生徒のモチベーションはだだ下がりだし、そうなると教師としてもふるい落とすための材料が無くなってしまうため、そしてなによりも、上(主に教頭やさらには教育委員会)へと提出する際の説得力が無くなってしまうために、『仕方なく』データとして残しているのだ。

 だから、本当に面倒くさい。と、あくまでもヤマウチ個人は考えている。

 他の教師がこんな考えかどうかわからない。

 だが初任のヤマウチの指導を担当した教師(今は別の学校へ移動してしまった)のスタンスを受け継いでいるだけだ。

 一通り単語テストの点数を入力し終え、ヤマウチは大きく背伸びをする。

 隣の魔法使いは授業で出払っていていない。

 いや、2年の職員で今現在職員室に残っているのはヤマウチだけだった。

 少し離れた1学年の席では人形遣いが相変わらず骨格標本の膝の上に座り、うつらうつらと船を漕いでいる。

 不思議なことに、人形遣いが眠っているにも関わらず、骨格標本――ルドルフ君はキーボードで何かパソコンに入力しているようだ。

 あれで人形遣いに給料が入るのだから何か腑に落ちない。

 いや、ルドルフ君を操っているのは人形遣いなのだが、それでもやっぱり納得いかない。

 ちなみにその正面では、言霊遣いが机に突っ伏して眠っている。

 ヤマウチは靴下を履いたまま寝ると、朝には必ず脱いでしまっていることを思い出した。

 言霊遣いは寝ぼけて手袋を取ったりしないのだろうか。

 明日まで続く満腹感の元凶が自分と同じようなタイプではないことを願いながら、ヤマウチはスマートフォンのロックを解除する。

 授業が終わるまで、まだ30分近くある。

 煙草でも吸いに行くか。

 そう思い立ち上がると、ガラリと音がした。

 職員室中に響いたその音は、ヤマウチが立ち上がるために椅子を引いた音ではなく、職員室の扉が開いたことで出た音だ。

 扉が開いたということは、当然出入りする人物がいるということで、ヤマウチは立ち上がったついでに扉の方を見る。

 目が合った。

 厳密には、目が合った気がした、だ。

 なぜならヤマウチの視線の先にいる、職員室に入ってきた男の首から上は全て布で覆われており、顔は見えないのだ。

 しかし、テルテル坊主の頭部を被ったかのように丸い頭には、顔にあたる位置の中央に大きく1つ、閉じた瞳の絵が。

 そして額にあたる部分には1つの開いた小さな瞳の絵が描いてあり、ヤマウチはその小さな瞳と目が合った気がしたのだ。

 傍から見て、いや、どこから見ても怪しいその男は、そのまま職員室の中へ歩みを進める。

 この学校がごく一般的な学校であれば、有無を言わせず防犯用不審者防御棒――U型さすまた(通称こない手)――を持ち出す場面であるが、ここは教職員が全員なんらかの異能力者である。

 当然、一見不審者の男も教職員だ。

 「お疲れ様です、教頭先生」

 ヤマウチのその言葉に反応した人形遣いがガバッと頭を上げる。

 机から伸びた涎の糸がキラキラと光を反射していた。

 教頭と呼ばれた不審者(……いや、もう教頭と言い切ってしまう)は、フラフラとおぼつかない足取りでヤマウチへと近づいていく。

 ヤマウチまでの距離が、3歩、2歩、1歩……そして教頭はヤマウチの顔へと自分の顔にあたる部分を近づける。

 ヤマウチの顔までの距離が、30cm、20cm、10cm……

「いや、近い! 近いですって!」

 これが魔法使いや他の女性教職員であれば、ヤマウチも受け入れたかもしれないが、目の前に迫るのはテルテル坊主の頭部。

 ヤマウチが後ずさりをして距離をとるのは当然だ。

「あー、その声はウッチーか」

 教頭の声は、布の奥でしゃべっているせいで、当然ながらこもって聞こえる。

 余談だが、毎日職員朝礼の時に連絡事項を伝達するのは教頭の役目だが、職員室の後方に位置するヤマウチの席までその声が届いたことはない。

 幸いなことに、隣の魔法使いが伝達魔法的な何かを唱えて聞き取ってくれているので、それを聞いている。

 ちなみに教頭までもがウッチーと呼ぶことになった元凶がその魔法使いであるということも記載しておく。

「ごめんごめん、よく見えなくて……」

 頭を布で覆っているのだ。見えなくて当然である。

 という一般的な意見は通用しない。2度目ではあるが、ここは教職員が全員なんらかの異能力者である。

「『千里眼』の教頭先生が見えないって、冗談ですよね」

 千里眼――その場にいながら千里先をも見通すことができる異能。

 教頭は距離だけではなく、人の内面や考えまで見えるという。

 ゆえに例え布で顔が覆われていようが、鉄仮面を被っていようが教頭に見えないものはないのだ。

 しかしその教頭がこともあろうか『見えない』という。

 それでは本当にただの不審者ではないか。

 何とも笑えないジョークだ。

「それが本当に見えないんだよ……ウッチー、ちょっと手伝ってくれない?」

「それは……もちろん構いませんけど……」

 この学校で一番若いヤマウチが、教頭の頼みを断れるわけがあろうか。いや、ない。

 学校という職場もまだまだ年功序列だ。

 もちろんそんな理由でヤマウチが教頭の頼みが何なのかわからないうちから引き受けたわけではない。

 ヤマウチも一応、困っている人がいたら手を貸す程度には、『教師』をしている。

 ましてやそれが顔見知り……いや、厳密には教頭の顔は見たことはないが、知り合いならなおさらである。

「でも、俺に何かできることってありますか?」

 マンガやゲームなら、教頭に怨みを持った悪の術師が、千里眼を封じる呪いをかけたとかいう熱い展開になるのかもしれない。

 いや、ありえないわけではない。実際にそういう異能が使える人間は存在する。

 しかし、そうなってしまった場合、ヤマウチに何ができるというのだろうか。

 負けることはないかもしれないが、自分が勝つ姿もヤマウチは想像できなかった。

 そんなファンタジックな不安を感じていたせいか、ヤマウチは教頭からの頼みごとをうまく理解できずに、聞きなおしてしまった。

「え……?」

「あ、ごめんね、聞き取りづらいよね」

「いや、さすがにこの距離なので聞き取れはしたんですけど、念のためもう一度お願いします」

「だからね……」




「コンタクトを落としちゃったから、それを探してほしいんだよ」

 2度同じ内容を聞いたヤマウチだったが、やはりうまく理解することができなかった。


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