第五話 エルヴィス・クロフォード

「ハァァァァァァァァ…………………」


 草だけが生い茂り、その下にあったものが消えうせたのを確認し、エルヴィス・クロフォードは切なげなため息を盛大についた。

 彼を知らぬ者が見れば、どのような悲しみを抱え込んでいるのかと悲劇の匂いすら感じ取るだろう表情。しかし、実のところ抱いているのはおもちゃを取り上げられた子供のような心境だ。


(……折角面白そうな研究テーマだったのに)


 事の起こりは昨晩、一人の男と共に莫大な魔力を伴って発見された魔法陣だった。エルヴィスをしても見たことのない魔方陣と、そのそばに倒れていた奇妙な格好の男。好奇心をそそられたエルヴィスは話を聞くべく男を屋敷の一室に拘束し、庭の魔方陣を調べるべく注意深く準備を進めていた。

 だが一晩明け、いよいよ調査をと考えていた矢先に一つの事件が起こる。拘束していた男が予想外の強さを見せて脱走。混乱のまま激しい抵抗を見せた末、庭の魔方陣を跡形もなく消滅させてしまったのだ。


(……まあ、あの男、忠継だけでも残ったのは幸運だったと考えておくか。彼自身もかなり興味深い対象だし)


 多少の未練を残しながらも、もう一つの研究対象に興味を向けることで気持ちを切り替える。実際忠継の持ち物は見たことのないものばかりだったし、見せた所業の数々はあまりにも常識はずれなことばかりだった。


「申し訳ありませんエルヴィス様。このたびは我々が近くにいながらみすみす魔方陣を……」


 エルヴィスが立ち上がると、近くにダスティンと共に立っていた白衣の老人がそう切り出した。どうやら魔方陣消滅にかなりの責任を感じているらしい。


「いや、君たちに責はないよ、研究員デリック。相手はうちの騎士たちが束になっても取り押さえられなかった相手だ。むしろ君たちに怪我が無かっただけいいとしよう」


 馴染みの研究員にそう言葉を投げかけながら、エルヴィスの視線は彼の手元に注目する。下手な責任を感じられるくらいなら、むしろその手に持っているものを早く渡してほしかった。


「それであの男が持っていた武器なのですが―――」


「そう、それ!! やはり何か仕掛けがあったかい? 奇妙な武器だとは思っていたけど!!」


「いえ、それが……」


 煮え切らない言葉と共に差し出された忠継の剣を受け取り、鞘から引き抜いてその構造を観察する。だが、


「……見たところ何の変哲もない金属の塊みたいだね。変わった作りではあるけど」


「……はい。残念ながらその通りでございます。刀身から柄、鞘に至るまで調べましたがこれといって何も魔術的な処理は施されていませんでした」


「……そのようだ。でも騎士ダスティン、立ち会った騎士たちの話ではこいつに斬られた魔術はすべて無効化されていたんだろう?」


「はい。そのように報告されています。複数の騎士たちから同じように報告されていますのでほぼ間違いないかと」


「まあ、別に疑ってた訳ではないんだけど……」


 エルヴィスは自身に仕える騎士たちの真面目さに関しては身をもって知っている。主である自分に虚偽の報告をするような騎士たちでない。そうであったなら今よりもっと研究ははかどっている。


「まあ、いいや。それに関しては本人に直接聞いてみよう。御苦労さま。この剣は彼が目覚める前に彼のもとに返しておいて」


「……返してよろしいのですか?」


「お待ちくださいエルヴィス様。彼は曲がりなりにも不法侵入者です。むやみに武器を渡し、さらにお会いになるなど危険すぎます!!」


「一人で屋敷の騎士たちを相手にできる奴を下手に刺激する方が危ないよ。彼はこの剣に酷く執着しているようだし、取り上げたらまた暴れだすかもしれない」


「っ、しかし!!」


「それにね騎士ダスティン彼はたぶん不法侵入者ですらないよ。巻き込まれただけのただの被害者さ」


「……は?」


 疑問の声をあげるダスティンに応えるべく、エルヴィスは空中に文字を書く。マーキングスキルと呼ばれる力によって書かれた魔力の文字は、エルヴィスの手の上で一つ二つと数を増やし、五つになった時点で増殖を止めた。


「魔方陣自体の解析は始める前にできなくなってしまったんだけど、最初にあの陣を見たときにこの五文字は見覚えがあったんだ」


「はて……? 見覚えがありませんな。最近開発された新字ですかな?」


「まあ、そんな感じだ。正確には以前知り合いに見せてもらった転移魔術の基礎構造を支える文字だよ」


「て、転移魔術、ですか……?」


 いきなり突拍子もない単語が出てきたことに、ダスティンが怪訝な声を上げる。それもそのはずだ。転移魔術はその名のとおり離れた場所に一瞬で移動することを目的とした魔術ではあるが、机上の空論と呼ばれ、実現はほぼ不可能と言われているのだ。


「でももし誰かが転移魔術を完成させていたとしたら? 遠くの国にいた人間が突然うちの庭に現れるってこともあるんじゃないか?」


「そんな、それこそあり得ない」


「そうかな騎士ダスティン? この草むらに残っていた魔方陣は、彼が上に乗ったとたん発動した。つまり使用者の接近により発動するものだ。恐らくは通常状態では魔力を陣がため込んでいて、人が乗るなどの条件を満たすと発動する仕組みだろう」


「地雷型の儀式魔方陣と同じ仕組みですな」


「あんな質の悪い魔術と一緒にしたくはないがね。とはいえ、出口であったはずの我が家の庭に、魔方陣がくっきり残っているというのも気になるところだ」


「一応調査したところ、あの魔方陣は通常の触媒で書かれたものではなく、地面に魔力が焼き付いて、土自体が触媒化することで定着するものでした」


 騎士であるダスティンを置いてきぼりにして、二人の学者は次々に自分たちの推測を展開していく。その会話は筋こそ通っているものの、ダスティンにして見れば転移魔術という架空の技術を前提にしている時点で眉唾な代物だった。

 だが、ダスティンのそんな疑いをものともせず、エルヴィスは結論へとたどり着く。


「もしもあの魔方陣が出口となった場所に焼きつくように残って、上に乗った者を別の場所に送り飛ばすような代物だったら、誰かが使った転移魔術の出口によって、関係のない人間が別の場所に送り飛ばされても不思議ではない」


「なるほど、確かに……」


「いや、しかし転移魔術ですぞ? そんなものの存在を前提に物事を考えるのは――」


「ひどいな。研究している人間は結構多いのに……。まあ、それに関しては実際に移動したかもしれない人間に聞いたほうが早い。彼が目覚めたら客間に通しておいてくれ。当然ながら彼は客人として扱うように」


「危険すぎます!! あんな不審者に、それも武器を持たせたままお会いになるおつもりですか!? 仮に奴がエルヴィス様の言うとおり被害者だったとしても、あれだけ混乱して暴れ回るような相手に直に会うなど!!」


「大丈夫。それに関しては考えてあるよ」


 そう言うと、エルヴィスは後ろで縛っていた髪を解いて下ろす。肩のあたりまで広がる金髪をなびかせながら振り向くと、声を妹のそれにがらりと変えて一言口にした。


「彼は自分で|女は斬れない≪・・・・・・≫、って言ったんでしょう?」


 そう言ってエルヴィスは、女の服を着て化粧を施せば十人中十人が騙される魅力的な笑みを浮かべた。






「正直俺は、次に目覚めるのは獄中だろうと思っていたんだがな」


 なれない寝床で目覚め、起き上がった忠継は、目の前の光景に思わずそう呟いた。

 目覚めた場所は見たところ獄中ではなく、目の前には奇妙な器具を抱えたエミリアと、白と黒の服を着た赤い髪の女だった。二人の印象は対照的で、エミリアはこちらが目覚めたことに気が付くと嬉しそうにこちらによってくるが、女の方は困惑を隠せないと言った表情だ。


「目が覚めましたかタダツグさん!! 気分はどうです?」


「気分は……、悪くはない。よくもないが」


「そうですか。それは良かったです!!」


 果たして良かったと言っていいのか、忠継は心底疑問だった。見れば離れて立つ女の方もそんな表情をしている。髪の色が赤くなければ気があったかもしれない。

 忠継の目覚めた部屋の中は先ほどの目覚めた部屋を倍以上広くしたような部屋だった。忠継の使う寝床以外にも複数の寝床がならび、他にもいくつか見慣れない椅子と机がある。相も変わらず寝床はかなり高く作られており、要人でもない忠継がなぜこのような高い寝床に寝かされているのかはなはだ疑問だった。


「俺はいったい何様だ……?」


「えっと、一応お客様という扱いですね」


「いや、そうではなく……、客だと?」


「はい」


 思っていた以上に扱いがいいことに、忠継は困惑する。そもそも忠継の記憶が正しければ、忠継は侵入者だと思われ、挙句には裏庭で大暴れしていたはずだ。それを客扱いとは言うのはどういうことか。


「よほど余裕なのか、あるいはとんだ大物か……」


「はい?」


「いや、なんでもない」


 忠継の頭の中でわずかに疑いが湧きあがるが、ここまで来て変に勘繰るのはやめることにした。こちらをどうにかする気ならこうして目覚められなどしなかっただろう。


「とりあえずお茶でも飲みながらお話しましょう。それともコーヒーの方がいいですか?」


「こーひー?」


「知りませんか? 最近外国から輸入されるようになった飲み物なのですが」


「聞いたこともない」


「では、サロンさん。コーヒーを少し注いでください。実際に見た方が早いでしょう」


「待……、いや何でもない」


 以前にもあった流れに不吉なものを感じるが、その考えを無理やり押しとどめる。もう勘繰るのはやめると誓ったばかりだ。

 だがその決意は出てきたこーひーによって粉々に砕かれる。


「……これは泥水ではないだろうな?」


 出てきた液体に思わず忠継は苦言を漏らす。出された液体は黒く濁った禍々しい液体で、茶と同列に並べるには余りにも似つかわしくないものだった。


(いや、勘繰るな。ここで勘繰っては話が進まなくなる)


 それでも忠継は必死に自分に言い聞かせる。寝ている間に特に何かをされたわけでもないようだし、今回は刀も寝床のそばの壁に立てかけてあった。相手の側には悪意はないものと見るべきだろう。むしろこちらに対して最大限の敬意を払っているとも言える。


(ならば、ここでむやみに疑うのは礼に欠ける)


 意を決し、忠継は出された茶碗をつかむ。やたらと白っぽく、すり鉢のような形をした茶碗は、何やら飾りがついていて邪魔だったが、それでも茶と同じように手を添えて飲み干した。


「……!! ……ク……グ……ウ……」


 口の中にあふれた猛烈な苦みに、忠継は思わずこーひーを噴き出しそうになる。だが直前で忠継はそれを意思の力で強引に押しとどめた。ここで噴き出すのはあまりにも失礼な行為だろう。

 毒を飲み干すような気分でこーひーを飲みほし、忠継はようやく一息つく。体内に入り込んだこーひーが忠継の身を内側から侵していく錯覚を覚えたが、忠継はその妄想を強引に振り払った。


「どうでした?」


「……茶を、貰おう」


 流石にここでこーひーを頼むほど、忠継は無謀ではなかった。






 出された茶は忠継の知るそれとは大きく違うものだったが、それでも得体の知れない泥水よりははるかにましだった。ひょっとすると慣れれば旨いと感じるようになるかもしれない。


「――それでまあ、兄様はタダツグさんをあの部屋に運ばせたわけですよ。まあ、どうやって何の目的で入ってきたのかは分からなかったので不審者扱いでしたけど。忠継さんも知っていると思います」


「なるほどな……」


 そうしながら行ったのは、まずは今忠継が置かれている状況を聞き出すことだった。忠継は攫われてきたと思い、この家の人間は侵入者だと思っていたことが裏庭での出来事の原因だ。まずは誤解が生まれないように話し合う必要がある。


「では、次は俺の番だな。とは言ってもエミリアにはとうに話してしまったか」


「一応もう一度きかせてもらえます? あのときは聞けなかったことがありますし」


「まあ、いいだろう。ことの起こりは俺が旅の途中、天狗のうわさを耳にしたことにはじまる」


「気になってたんですけど、天狗って何なんですか?」


「お前たちのこと、といっても通じんのか? 俺が知る天狗というのは顔が赤く、鼻が高いお前たちのような奴らのことを言うのだが……」


「まあ、確かにタダツグさんに比べるとその特徴は当てはまりますが……」


「加えて妖術を使うだろう? お前たちはまさしく天狗だ」


「妖術じゃなくて魔術なんですけどね……まあ、いいです。それでうわさを聞いてどうしたんですか?」


 どうやらエミリアは天狗や妖術に関する議論を棚上げにするらしい。とはいえ忠継もそれを始めるときりがないとは分かっていたため話を進めることにした。


「天狗のうわさを聞いた俺は、その天狗が悪さをするなら斬ってしまおうと考えた」


「……物騒ですね?」


「あくまで悪さをするのならだ。実際天狗を神として祭っているところもあるからな。だが、天狗が出るという歴葉村の外れにある山にさしかかったあたりで、俺の記憶は一時的に途切れている。その後目覚めたらあの部屋だったと言う訳だ」


 改めて説明してみるとやはり自分は天狗に連れ去られているのではないかと思ってしまう。だが、もはやそれを疑っても話は進まない。ここは疑いを捨て歩み寄りの姿勢を見せるべきだろう。


「それで、俺はこれからどうなるのだ? さっき客と言っていたが……?」


「あ、はい。取り合えずタダツグさんにはこのお客様としてこの家に滞在していただきます。疑いの方はまだ完全に晴れたわけではありませんので、完全に自由と言う訳にはいきませんが、そっちに関しては兄様が何か掴んでいるようなのですぐに晴れて解消されるでしょう」


「要するにしばらくはこの家にいなくてはならないのか?」


「はい。その代り衣食住は保証しますよ。私たちとしてもいろいろ聞きたいことがありますし」


「聞きたいこと?」


「はい! まずは基本的なことから、タダツグさんの国の気候風土文化風習政治経済科学幾何学技術特産、ええっと他には……」


 まくしたてるような口調でそう言われ、忠継は自分の背中に言いようのない寒気を感じる。考えてみれば目の前の女は忠継に対して随分と興味を示していた。

 と、忠継が先ほどまでとは別の危機感を抱いていると、部屋の扉からなにやら叩くような音がした。


「な、なんだ?」


「ノックですよ。そっちの国にはないんですか?」


 言いながらエミリアは席を立つともう一人の女と共に扉に近寄り、その向こうにいた兵士らしき男と何やら話し始める。

 いやな予感がした。


「あ、タダツグさん。兄様がタダツグさんに会いたいそうです」


 エミリアが放った、ただの伝言であるはずの言葉に、忠継はなぜか猛烈な寒気を覚える。

その瞬間、忠継の直感はその兄をとんでもない曲者であろうと予測した。

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