9-6


「おうじさまー? あなたほんとうはおうじさまだったのー?」

「……水月みつきさん、ちょっと休憩しようか?」


 吟遊詩人を名乗っていた男の正体が、実は王子様だったと判明する衝撃的なシーンを、まったくの無感動な口調と、まるで壊れた操り人形のような微妙すぎる身振りで演じてみせた水月さんに、俺は声を振り絞って、そう言うしかなかった。


 すでに文化祭まで二週間を切っている。

 状況は、切迫し始めたと言ってもいいだろう。


 俺はすっかり通い慣れてしまった水月さんの部屋で、思わず頭を抱えてしまった。




 水月さんと一緒に演劇の練習を始めてからずっと、俺と彼女はサボることなく、演技の向上のためにならば、一切の努力を惜しまなかった。


 単純に台本を読みこむだけではない。


 演技関係の書籍を読み漁り、レンタルビデオ店で本格的な舞台演劇の作品を何本も借りてきて、二人で一緒に見続けたり、桃花ももか火凜かりんには客観的な意見を求め、延々とディスカッションを繰り返し、自らの演技を録画しては確認するを繰り返しながら、ただひたすらに、演技を磨くことだけに注力した。


 その成果は、どうやら未だに、花開いてはいないようだが。

 最近、雨の日が続いているせいだろうか?


 いやいや、現実逃避してる場合ではない。


「すいません……、私のせいで、十文字じゅうもんじさんにまでご迷惑を……」

「いや、迷惑だなんて、思ってないよ」


 俺なんかに頭を下げながら、申し訳なさそうにしている水月さんを見ていると、なんだか胸が苦しくなってしまう。


 そう、迷惑だなんて、微塵も思ってはいない。


 ただ、努力が実らないのが、歯がゆいだけで。



 水月さんは頑張っている。


 頑張っている……、なんて、他人が勝手に言うのは失礼なほどに、精一杯の努力を続けている。


 しかし、上達しない。

 全然、まったく、これっぽっちも、進展しない。


 努力に見合った成果が、どうしても得られない。 


 なにかが根本的に間違っているのか、俺たちの努力は、間違っているのか。

 考えても答えは出ないが、このままではよくないのは、分かっている。


 どんな些細なものでもいいから、この状況を打ち破る打開策が、今は必要なのだ。



「十文字さん、どうぞ、冷茶です」

「あ、あぁ、ありがとう」


 考えすぎて黙り込んでしまった俺を、水月さんが心配そうに見ていた。


 いけない、いけない。これは一度、落ち着いた方がいい。

 何事も根の詰めすぎはよくないと、ローズさんにも言われたではないか。


 俺は、水月さんから受け取ったほろ苦い冷茶を一口飲んで、煮詰まった頭を冷やすことにする。



 なぜ水月さんの演技は、上手くならないのか?

 答えは単純だ。


 水月さんは、そういう自分以外の誰かを演じるということが、極端に苦手なのだ。


 台本の読み込みが足りないとか、登場人物の心境をいくら読んでも理解できないとか、そういう話ではない。


 むしろ、彼女のそういった台本に対する理解力や読解力は、人並み以上に優れていると言ってもいい。ずっと水月さんの隣にいた俺が言うのだから、間違いない。


 問題は、水月さんはそうやって深く理解したキャラクターの心境を、自分に重ねられず、上手く表現することができないということだ。


 こればかりは感覚というか、本人の中の折り合いの話なので、俺はなんとも言えないのだが、どうやら水月さんは、自分とそういう創作上の登場人物を、明確に分けて考えてしまう性分のようだった。彼女は、少し真面目すぎるのかもしれない。


 どうにもここら辺に、あの棒読みの原因がありそうな気がする。


 これまでは、無暗に演技論やメソッドを追いかけてきたが、問題の本質は、もう少しシンプルな、感情的な部分にあるのかもしれない。


 つまり、水月さんがもう少し、今回の劇で演じるキャラクターに感情移入することさえできれば、もっと自然な感情表現が、可能になるのではないだろうか?


 劇的にとは言わずとも、少しでも、なにかが変わるのではないだろうか?


 なんとも頼りない打開策だが、とりあえず試してみるしかないのかもしれない。


 俺はもう、わらにもすがりたい気分なのだ。



「水月さん」

「なんでしょうか?」


 真剣な表情で台本を読み返していた水月さんが、眼鏡をかけ直しながら、こちらに向き直ってくれる。


 さて、一体どう切り出したものだろうか?


「水月さんは、このお姫様の役に、なにか共感を覚える部分とかって、ないの?」

「共感、ですか?」


 俺の突然の質問にも、彼女は真面目に答えようとしてくれる。

 本当に、なんとかしてあげたいなぁ……。


 俺が思い付いたのは、キャクターと自分の共通点でも見つかれば、自然と感情を重ねることもできるようになるのではないだろうか? という、単純な考えだった。


「そうですね……、同じ女性という以外には、特には……」

「いやほら、どんなに小さなことでもいいんだけど」


 どんなに些細なことでもいい。

 とっかかりになるようなものが掴めれば、なにか変わるかもしれないのだが……。


「そう言われましても……、私は中世のお姫様ではありませんし、意地悪な継母ままははも義理の姉もいませんし……、動物ともお喋りできませんし……」

「いや、そういう設定の話じゃなくてさ、もうちょっとこう、心情的な部分で」


 どうやら水月さんは、キャラクターと自分の共通点と言われたら、まず境遇的なものから考えてしまうらしい。


 真面目な水月さんらしいとは思うが、少し杓子定規しゃくしじょうぎすぎるとも言えた。


「……心情、このお姫様の心情。……自らの不幸への嘆き? 不条理への不満? いえ、違う。このお姫様が、一番大切にしてるのは、そう、王子様への……」


 水月さんが堅く目をつむり、自らの思考の海に飛び込んでいく。


 心情、感情、なんでもいい。キャラクターと自分の心が少しでも重なれば、それがなにかの切欠になるかもしれない。


「あぁ、なるほど」


 水月さんが再び目を開いたその時、その目には、確かなモノを掴んだという確信が芽生えているように、俺には見えた。


「なにか分かった?」

「はい。なるほど。確かに私とこの姫には、共感できるところがありました」


 水月さんが小さく微笑みながら、眼鏡越しに、俺を見つめている。 

 どうやら、彼女は彼女なりの答えを導き出せたようだ。


「よかった……。じゃあ、その共感を上手く重ねて、このお姫様を自分だと思って、演技してみようか?」

「分かりました。……なるほど。そういうことだったんですね」


 自分の出した答えに、なんだか深く納得したような様子の水月さんが立ち上がり、演技の準備に入る。


 その様子は、今までとは明らかに違っていた。


 俺はその空気に思わず息を潜めて、彼女の演技の始まりを待つ。


 演じてもらうのは、先程と同じ、王子の正体を知ったお姫様が驚くシーンだ。


「王子様? あなた、本当は王子様だったの?」

「おぉ!」


 水月さんの口から出てきた、棒読みではない演技と、ぎこちなくはあるが、感情を乗せた動きに、俺は思わず、驚きの声を上げてしまう。


 劇的、とまでは言わないが、確かな進歩が、そこには見えた。


「凄いぞ、水月さん! さっきとは、まるで別人みたいだ!」

「はい。私もこの感覚には、確かな手応えを感じています」


 まるで、これまでの努力が全て報われたような興奮に駆られて、俺は思わず水月さんの手を握ってしまう。水月さんも俺の手を握り返し、彼女にしては珍しい、満面の笑顔を俺に見せてくれた。


 俺たちはしばらく、互いの手を取り喜びを分かち合う。


「本当に、これまで自分が悩んでいた原因が、ようやく分かって、非常にスッキリとした気分です」


 水月さんの嬉しそうな笑顔を見ているだけで、俺は、これまでの努力は決して無駄ではなかったのだと、なんだか誇らしい気持ちになるのだった。




 そこからの水月さんの成長は早かった。


 糸口を掴んだ彼女は、その日のうちに、これまで蓄積した知識と経験を見事に駆使して、どんどんと、その演技を自然なものにしていく。


 まさに、努力が花開く瞬間を、俺は目撃したのだった。


 日も暮れ始め、もうすぐ俺が帰る時間も近づいた頃には、水月さんの演技はすっかり上達していて、学校の文化祭で、演劇部でもない者が披露するには、十分すぎると言えるほどになっていた。


 努力家な彼女のことだから、当然、このくらいで満足はしないだろうけど。


「それでは、十文字さん。本日は最期に、ラストシーンの練習もしましょうか」

「そうだね。よし! 最後だし、気合入れるか!」


 水月さんの成長を、なんだか自分のことのように喜んでしまったが、俺は俺で、彼女のパートナーとして、成長しなくてはならない。


 彼女の努力に置いて行かれないように、俺も気合を入れ直す。


 って、うん? ラストシーン?


「それでは、どうぞ」 


 水月さんはそう言うと、目を閉じて、少し尖らせた唇を、俺に差し出した。

 完全に、デジャブである。


 そうだった、すっかり忘れていた……。

 ラストシーンは、キスシーンだということを……。


「どうしたんですか? しないんですか?」


 なんだか、凄い無防備な姿の水月さんを前に、俺は困ってしまう。


 果たして、文化祭のクラス発表の演劇という舞台で、キスシーンで実際にキスをしてしまうのは、是か非か。


 俺は、この命題をすでに、この舞台の監督兼演出に、問いただしていた。



 ちなみに、この監督兼演出なる人物は、何を隠そう、俺たちのクラスで演劇をしようと言い出した、演劇部の女子その人である。


 どうやら、どうしても監督と演出をやりたいがために、演劇というプランをゴリ押ししたらしい。まったく、凄まじいバイタリティーだ。



 そんな監督の答えは、本当にするかどうかは、本人たちに任せるが、監督かつ演出としての意見は、ぜひ本当にして欲しい。濃厚なのを一発。


 という、微妙にこちらの心情を考慮したかのような建前に隠された、とんでもなくいやらしい笑顔だった。


 ちくしょう……、無責任に楽しみやがって……。



 というわけで、実際にキスをするかどうかは、完全に俺たちの自由なのだが、どういうわけだが水月さんの方は、このキスに対して、随分と積極的な様子だ。


 彼女の生真面目な性格がそうさせるのか、水月さんは、台本で求められたことを、完璧にこなさなければ、気が済まないのかもしれない。


 正直、俺は困ってしまう。


 いや、もちろん彼女とキスをするのが嫌だとか、そういう話ではない。

 むしろ、ぶっちゃけた本音を言ってしまえば、思い切り、してしまいたい。

 こう、濃密なのを、一発。


 しかし、ここでキスしてしまうのは、なんだか違うというか、それでいいのかというか、なんだか微妙なモヤモヤが、俺を包み込む。


「キ、キスするかどうかは、また今度ということで……」

「そうですか。残念です」


 なんだか本当に残念そうに目を開けた水月さんが、ふわりと俺に近づいてくる。

 まるで、本当にキスするような距離感に、俺は内心、ドキドキしてしまう。


「それでは、ラストシーンの台詞部分だけでも、練習しましょう」

「お、おう! 俺、頑張る!」


 俺の腰に手を回し、密着してきた水月さんの暖かい体温と柔らかさ、そしてなんとも言えない、爽やかで心地よい香りに、俺は骨抜きになってしまう。


 しかし、そんな俺とは対照的に、彼女の顔に照れや動揺は、一切見えない。


 凄い、なんて凄い平常心なんだ、水月さん!


 これも彼女の努力の賜物たまものなのだろうか? 素晴らしい女優魂だ。

 俺は自分の不純な心に恥じ入り、深く深く反省する。


 俺は水月さんの努力に応えるために、自身のより一層の努力を、固く心に誓うのだった。


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