6-1


「新婚旅行に行く?」

「あぁ、ようやく、まとまった休みが取れそうだからな」


 親父は新聞を読みながら、それがまるで当然のことのように、落ち着いていた。


 ジーニアと共に、敵対組織ブラックライトニングを壊滅させてから、数週間。


 季節はもう夏、そして学校も夏休みに入って、すぐのことだ。

 家族揃って朝食を食べていると、親父が突然、そんなことを言い出した。


「新婚旅行って、ついこの間、結婚二十周年だとか言って、お祝いをしたばかりな気がするんだけど」

「まぁ、そうだが」


 親父……、十文字じゅうもんじ隼斗はやとは、こちらの方を見ようともせず、熱心に新聞を読みふけりながら、ジルジルとコーヒーをすすっている。


「結婚してからずっと、お父さん忙しかったから、新婚旅行に行けなかったのよ」

「まぁ、確かに今まで、家族旅行もしたことないけども」


 黙り込んでしまった父に代わって俺の母……、十文字安奈あんなが、食べていたトーストをきちんと皿に戻してから、その口を開いた。


 親父は、ただの公務員だが、今までなんだかんだで忙しく、確かにまとまった休みを取っている様子はなかった。


 前述の通り、俺は家族旅行どころか、近くの遊園地にすら、連れていってもらった覚えがない。まぁ、別にそのことで両親を恨んでるとかでは、ないのだが。


「お母さんの方も、丁度一緒の時期にお休み取れたから、折角だし、この機会に旅行がしたいって、私がお願いしたのよ。ねっ? お父さん?」

「あぁ、そういうことだ」


 うちが生活に困っているから……、というわけでもないように思うのだが、母は俺が幼い頃からずっと、パートで働いてた。


 このように、両親ともに忙しかったために、俺は小さい頃から、よく祖父の元に預けられていた、というわけなのだが……。


「ふーん。まぁ、いいんじゃないの」


 俺としては、特に反対する理由は無い。


 わざわざ新婚旅行なんて言わずに、普通に旅行に行くと言えばいいのに。

 とは思ったけど。


「というわけで、新婚旅行だから、お前は置いて行く」

「……はぁ?」


 なるほど。新婚旅行と言ったことには、ちゃんと意味があったようだ。

 どうやら俺を家に置いて、二人だけで、旅行に行きたいらしい。


「ごめんね? でも統斗すみとも部活で忙しいだろうし、それに高校生になってから、家族と旅行するのも、嫌かなと思って」


 母が俺にフォローを入れてくれるが、そう言われると色々と辛い。


 俺は、悪の組織の総統としての活動を、桜田たちには塾通いだと言っていつわっているが、両親に対しては、新しく部活を始めたと嘘を吐いていた。


 流石に両親に対して、俺の独断で塾通い始めたぜ! なんてことは言えない。

 というか、即バレるだろうということで、部活ということにしたのだが……。


 そうだよな、部活なら夏休みでも活動するか。塾でも夏期講習とかあるけど。


「幾ら囲碁将棋部でも、夏休みに、なにもしないってこともないだろう」

「……おいおい、囲碁将棋部を舐めるなよ? そりゃあもう、毎日毎日、ひたすらに打ちまくりだからな? 囲碁とか、将棋とか」


 親父のボソリとした呟きに、俺は思わず、言葉が詰まってしまった。


 運動系の部活だと、母が様子を見に行くとか言い出しかねないと思って、文科系の部活を適当にでっち上げただけなのだが、なんだか失敗だった気もする。


「それとも、なんだ。お前、ついて行きたいのか、新婚旅行に」

「いや、それは……」


 そう言われると、悪の総統がどうこう以前に、純真な高校生男子としては、素直に頷きづらい。俺だって、人並みに思春期なのだ。


「はぁ、分かったよ。夫婦水入らず、仲良く二人で行ってくるといいよ」

「ごめんね? お土産はちゃんと買ってくるから」

「別にいいって、それで、いつ行く予定なんだ?」

 

 母から旅行の日程など聞きながら、父の様子をうかがうと、相変わらず新聞とコーヒーに夢中なようだ。


 俺は心の中で、このことを祖父ロボに言うべきか否か決めかねて、少々憂鬱な気分になるのだった。




「新婚旅行ですか? そうですね……、私は統斗様が行きたいところでしたら、何処へでも、ついて行きたいと……」

「あぁ、いや、俺たちのじゃなくて、俺の両親がですね? というか、俺たちまだ、そういう関係じゃないですよね?」


 いつものように、インペリアルジャパン本社ビルへと向かう黒塗りのリムジンの中で、俺はけいさんに、つい先ほど起きたばかりの、家庭の話をしていた。


 学校は夏休みに入ったが、悪の組織の活動に休みはない。


 俺の悪の総統としての研修というか、修行というか、講習は、当然だが、まだまだ続いている。


 むしろ夏休みになって、時間がかなり空いたので、これまでより更に濃密に、俺は悪の組織に関わってると言えるだろう。


 なので、朝食を食べ終わった俺は、そのまま家を出て、こうして悪の組織の総本部へと向かっている、というわけだ。


「でも、ロマンチックな話だと思いますよ。二十年越しの新婚旅行なんて」

「そういうもんですかねぇ」


 契さんは、相変わらずのビジネススーツ姿だ。季節が夏になったからか、いつものスーツからサマースーツに変わり、多少短くなった気がするスカートが、なんだかセクシーだった。


「まぁ、俺の両親のことは、いいんですよ。問題は、これを祖父に伝えるかで」

「そうですね……。ちょっと困ってしまいますね……。統吉郎とうきちろう様は、ご子息のこととなりますと、色々抑えが効きませんから」


 契さんが、本当に困ったように、頬に手を当てる。


 彼女は俺の真横に座っているのだが、なんとも言えない良い香りが漂ってくる。

 柑橘系だろうか? 俺が好きな香りだ。


「無理に伝える必要はない……、とは思うんだけど、隠しておいたらおいたで、いざバレた時のことを考えるとなぁ……」

「隠していた分だけ、怒りが増しそうな気はしますね……」


 俺と契さんがお互いの顔を見ながら、深い、深い、ため息をついてしまう。


 彼女にしては珍しく、疲れた表情が表に出てしまっていた。なんだかレアな表情が見れて、ラッキーな気もするが、今はそれ以上に、祖父ロボと親父の関係に、どうにも気分が落ち込んでしまう。


 祖父ロボと親父は、本当に仲が悪い。

 それはもう、本当に仲が悪い。

 思わず二回言ってしまうくらい、本当に本当に仲が悪い。


 祖父ロボと親父は、血が繋がった本当の親子である。

 いや正確には、だった、か。


 今はもう、血は繋がっていない。

 祖父ロボに流れているのは、血ではなく、オイルだし。 


 まぁ、そんなことはどうでもいい。祖父と親父の仲が悪い、という話だ。

 

 祖父はどうやら、親父が自分の後を継がなかったから……、というよりは、親父の職業の方に、納得がいかないらしい。

 親父は、ただの公務員なのだが、悪の組織の創立者としては、国の為に働く公務員全般が、好きではないのかもしれない。


 親父はどうやら、自分で選んだ道を、徹底的に否定してくる祖父のことが、心底嫌いだったようだ。

 親父は確か、祖父が悪の組織の総統をやっていたことは知らないはずなので、もっと単純に、祖父の会社を継ぐ継がないの問題で、揉めていたのかもしれない。


 祖父と親父は、近所にこそ住んでいたが、お互いの家を行き来するようなことは、まったく無かった。皆無と言ってもいい。


 幼い俺を預けるにしても、必ず母親の方が、俺を祖父の家へと連れて行っていたし、逆に祖父の方が、俺の家を訪ねてきたということも無い。


 というよりも、俺の記憶が確かならば、祖父と親父が直接会っているところを、俺はこれまでの人生で、一度も見たことがない。


 祖父の葬儀を行った時も、準備も葬儀中の対応も、全て母が行っていた。

 親父は、なにもしていない。涙すら、流さなかった気がする。


 結局親父は、祖父の遺品整理も拒否し、遺産も含めて、一切合切を祖父の会社に任せてしまったほどだ。まぁ、これは祖父としては、望ましい展開だったんだけど。


 しかし祖父も祖父で、親父の結婚式にも出なかったというのだから、筋金入りだ。


「親父の話を、出したら怒るし、かと言って親父のこと話さないと、それはそれで、怒るんだよなぁ……」


 正直、厄介な祖父である。


「まぁ、この件はとりあえず保留にして、統吉郎様の様子を見ながら……、ということで、どうでしょうか?」

「そうだなぁ……、まぁ、それがいいかな……」


 両親が結婚したのは、親父が祖父の家を飛び出して、すぐらしい。


 そんな息子夫婦がようやく新婚旅行に行く、なんて伝えても、祖父は当時を思い出して、怒り狂うだけな気がする。


 ここは、下手に触れない方がいいと判断しよう。

 触らぬ神に祟りなし、である。


「いやぁ、でもすいません。変な相談しちゃって」

「いいえ、統斗様のお役に立てるのでしたら、喜んで」


 契さんが、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべてくれる。


 ずっと思ってるけど、本当に美人だよなぁ、契さん……。


 見た目はクールなのに、中身は柔らかいというか、大人っぽいのに、可愛いところがあるというか。


 俺はそれとなく、契さんの瞳を見つめてしまう。


「統斗様……」


 そして契さんも、潤んだ瞳で、俺を見つめている。


「あの、統斗様……。恥ずかしいのですが、私、その、欲しくなってしまって……」

「……辛くなったら、いつでも言ってくれって、言いましたよね?」


 俺は、恥ずかしそうにしている契さんを見つめながら、少しづつ顔を近づける。


「あっ」


 契さんも、そんな俺をトロンとした瞳で見つめ、嬉しそうに顔を近づける。


 お互いに近づけあった顔は、当然の帰結として、重なり合った。


「んっ、ちゅ」


 互いの唇を触れ合わせ、互いの体温を感じ、互いのぬくもりを分け合う。

 契さんの塗っているリップから、甘い香りを感じた。


「んあ、んむっ、ちゅ、じゅる」


 そして、互いに口を開き、より深く繋がり合う。

 俺は契さんの口内に舌を差し出し、契さんはそれを受けて、舐めしゃぶる。


 俺は契さんが……、いや、契さんが契約している悪魔が望む、契約の代償、悪魔の供物くもつ、人の精を提供するために、この身を捧げる。


「あぁ……! 統斗様……!」


 周囲の音すら遮断する、互いの唇が発する水音しか聞こえない、濃密な口付けは、この黒いリムジンが目的地に到着するまで、溺れるように続くのだった。



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