1-4


 帰った。

 風呂に入った。

 夕飯を食べた。

 寝た。

 起きた。

 身だしなみを整えた。

 朝食を食べた。

 学校に行った。

 学校が終わった。


 放課後になった。


「お待ちしておりました。統斗すみと様」


 ……やっぱり、夢じゃなかった。




「…………」


 学校の校門前に待機していた、非常に目立つ、妙に長い黒塗りのリムジンに乗り込んだ俺は、ぼんやりと後ろへと流れていく窓の外の景色を眺めていた。


 あぁ、見慣れた風景のはずなのに、妙に遠く感じる。


 非常にゆったりとしたスペースを確保した車内だ。シートもフカフカ。そんなリラックス空間で、先ほど出迎えてくれた女性と俺は、仲良く並んで座っていた。


 車の中は正直、庶民の俺が驚くほどの広いスペースがあるのだが、なぜか彼女は俺の直ぐ側、というかピッタリ真横に座っている。色々と慣れていない俺は、思わずチラチラと隣に座っている美しい女性に、不躾ぶしつけな視線を向けてしまう。


 スカートタイプのオフィススーツを微塵の隙もなく、パリッと着こなしているが、自己主張の激しい肉体、具体的には、おっぱいとお尻が内側からスーツを押し上げ、本人の醸し出している、どこか冷たい空気と絡み合い、なんともアンバランスな色気を放っている。


 一見して有能な秘書を思わせる……、所謂いわゆる、できる女オーラが、バリバリと発生していた。


 プロポーションは完璧で、顔も美人さん。

 あっ、その上なんか良い匂いもする。


「どうかなさいましたか?」


 こちらの視線に気づいたのか、相手の方から声をかけてくれた。

 どうしよう、あなたのことエロい目で見てました、なんて言えません。


「あっ、いや、その、どこかでお会いしたこと、あるかなとか思いまして……」


 まるで始めてのナンパみたいに、しどろもどろになってしまったが、これは別に俺の下心を誤魔化すためだけに言った、というわけでもなかった。


 この女性を学校の校門で初めて見た時から、前にどこかで会ったことがあるのではないかと思っていたのは、本当である。


「……? 昨日、ご挨拶させて頂きましたが」

「……昨日?」


 きのうってなんだっけ?

 なにかあったっけ?

 なにもなかったよな?

 うん、なにもないなにもない。


 と、一瞬現実逃避しかけたが、それと同時に脳内では、その昨日の記憶を冷静に洗い出していく。


 確かに昨日、俺はあの祖父ロボから、三人の美女を紹介されてはいた。

 

 いずれも、一度見たら二度と脳内から消えることはないような、非常に個性的なビジュアルとキャラクターはしてはいたけど、でも、こんな人いたかなぁ……?


「お忘れになられているのなら、仕方ありませんね。もう一度改めて、ご挨拶させて頂きます」


 彼女の瞳が、こちらをしっかりと捉える。

 俺は思わず、居住まいを正した。


 出会ったはずの相手を忘れるなどと、大変非礼なことをしてしまったのだ。

 これは、真剣にならざるをえない。


「悪魔元帥デモニカです。以後お見知りおきを」


 俺は思わず、正した居住まいを崩した。

 ずっこけたとも言う。


 悪魔元帥?

 デモニカ?


「ええええええええええええええええええええええええ!」


 そして思わず、叫んでしまった。


 確かにそう言われれば、その顔に見覚えはあるけども! 

 その爆乳にも! 豊満なヒップにも! 見覚えはあるけども!


「肌、青くないじゃん! 目の色もなんか違うし!」

「あの姿は、戦闘を行うために、魔術を使って姿を変えているだけです」

「魔術で?」


 魔術かー、魔術ときたかー、じゃあ仕方ないなー。


 いや、心情的にはまったく納得できないし、そもそも魔術ってなんだよ! どんなファンタジーだよ! なんて、思わずにはいられないのだが……。


 それについてはこの後、詳しく説明を受けることになっている。


「はい。この姿の時は、大門だいもんけいと呼ばれておりますので。どうかお気軽に、けいとお呼びください」

「……大門さん」

「契、です」

「いや出会ったばかりの女性を、いきなり下の名前で呼ぶのは……」

「契、です」

「……」

「契、です」

「……はい。契さん」

「はい。よろしくお願いします」


 有無を言わせぬ空気をにじませて、それだけ言うと大門……、契さんは、こちらをジッと見つめる。


 俺はなんとなく気恥ずかしくなってしまい、また窓の外を眺めるのだった。




 微妙な沈黙が流れる車が、止まる。

 契さんは素早く車を降りると、車のドアを外から開けて、俺を待ってくれていた。


「あっ、どうも」


 俺はただ、まぬけなことを言いながら車から降りる。


 その目の前には、巨大なビルがそびえ立っていた。

 本当にデカイ、見上げれば首が痛くなりそうな程の高層ビルだ。


 日本有数の複合企業であるインペリアルジャパン、その本社。


 それが俺の、本日の目的地だった。




 巨大なビルの中では、スーツと言う名の戦闘服を着たビジネスマンたちが、キビキビと働いていた。


 契さんに案内されながら、このバカでかい会社の社内を見せてもらっているが、男性も女性も関係なく、全員一丸となって、そつなく仕事をこなすその姿は、正直、俺なんかが見ても、一人一人がなにをしているのか、さっぱり分からない。


 だが、ただの学生の俺から見ても、その様子は素晴らしいの一言だった。


 会社という大人の世界の空気に気後れし、おのぼりさんみたいにオドオドしてる俺に対しても、こちらを邪険にするでも、馬鹿にするでもなく、キチンと礼節のある態度で挨拶してくれる。


 正直、格好いい。これが日本の企業戦士か。


「彼らにも昨日会いましたね。みんな覆面をしていたので、個人の特定はできないでしょうが、彼らが、我々の組織の戦闘員です」

「……戦闘員?」

「はい」

「会社の利益のために、身を粉にして働くビジネスマンの比喩表現とかではなく?」

「はい。そのままの意味で、戦闘員です」

「全身タイツで戦う?」

「はい」

「……そうですか」


 俺が格好いいと感じた企業戦士たちは、昨日俺が変態だと感じた、全身タイツの集団でした。




「ここが、本社警備部です」

「なるほど」


 契さんに社内を案内してもらい、俺たちは今回の目的地、その一つ目に到着した。


「我が組織において、警備部はかなり重要な部署になります。基本的に戦闘エリートが所属しており、その役目は主に、我が組織を狙う敵の排除ですね、現在は、その殆どの所属戦闘員が、任務に出て留守にしております」


 契さんの説明に頷きつつ、俺はその扉の上にデカデカと掲げられた、この近代的なビルの近代的なオフイスに似合わない、古風な木目の看板を眺める。


 そこには妙に達筆、かつ豪快な筆字で、と書かれていた。


 大丈夫なんだろうか、色々と。


「どうぞ」


 契さんが優雅な仕草で扉を開くと、俺に中に入るよううながす。

 俺はおっかなびっくり、それに従った。


「えぇ……?」


 そこは……、そこは一言で言ってしまえば、道場だった。

 武道を学び、極めんとする者が己を鍛錬する、そのままの意味で、道場だ。


 床には畳が敷き詰められていて、かなり広い。

 

 ここに来るまでがの光景が、ザ・オフィスみたいな風情だっただけに、突然異世界に迷い込んてしまったような違和感が、俺を襲う。


 道場のすみの方に申し訳程度だが、いくつかのデスクや椅子がひっそりと置かれているのが、この空間があくまでも社内の一部署であることを、控えめにだが主張している。


 そしてこの道場の中心に、まさにこの空間の主といった風情で、一人の女性が仁王立ちして、俺たちを待っていた。


「よっ! 来たな!」


 その女性は、入り口に立つ俺たちの姿を確認すると、清廉な道場の空気に相応しく引き締められていた表情を、一気に破顔させる。彼女の顔は精悍と言ってもよいほど整っていたが、その笑顔は非常に女性らしく、柔らかなもので、どこか相手を安心させる包容力に満ちていた。


 道場にはイマイチ似合わない、薄いペラペラのジャージを着込んでいたが、その上からでも、彼女の身体が非常に鍛えられているのが分かる。


 彼女を見た瞬間、俺はまた既視感を感じる。

 やはり、彼女とも、どこかで会ったことがあるのだろうか?


「会いたかったぜー!」


 なんて俺が考えるより早く、そして風よりも速く、彼女はこちらに飛び掛かり、俺を抱きしめた。相手の身長が俺よりも高いため、彼女の胸のふくらみに、俺は顔を埋める結果となる。


 あっ、柔らかい。


「本当に立派になったねー! うりうり~!」


 名も知らぬ彼女が、なにか言ったようだが、美人に思い切り抱きしめられているという現実が、俺の思考を溶かしてしまった。暴力的なまでに押し付けられるその弾力に、俺はされるがままだ。


 鍛え抜かれながらも、同時に女性らしい柔らかさを残した神秘的な肉体は、非常に魅力的な感触をもって、俺の身体を包みこむ。


 思わず声が出てしまいそうになる、天国のような心地良さ……。


「うりうりうりうりうり~!」

「痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいい!」


 思わず別の声が出てしまった。これが地獄か。


 俺を抱きしめている大柄な女性が、少し力を込めてきただけで、俺の身体は真っ二つになるかと思うほど強烈に締め上げられてしまう。


 まずい。

 死ぬ。


「おっと、ごめんごめん!」


 絶望的に現実的なラインで、俺が死を覚悟したまさにその時、慌てて彼女が力を緩めてくれたおかげで、俺はなんとか、一命を取りとめる。


「嬉しすぎて、思わず力入りすぎちゃったよ。ごめんな?」


 ジャージ姿の美人は笑いながら謝るっているが、どうやら俺の身体を手放す気はないようだった。力を緩めたと言っても、俺が逃げ出せないレベルでの、熱烈なハグという名の拘束は続いている。


 まるでマーキングするように、スリスリと俺に身体を擦り付ける、彼女のまるでネコ科の動物を思わせる瞳と、至近距離で目が合った。


 再びの既視感が、俺の中で一つの答えとなって浮かび上がる。悪魔元帥デモニカの正体を事前に知らされていたおかげで、その答えは割と簡単に出すことができた。


 今は毛皮こそ生えてないが、おそらくこの女性は……。


「もしかして、昨日お会いしました?」

「おう! 破壊王獣はかいおうじゅうレオリアだ! この姿の時は獅子ケ谷ししがや千尋ちひろって言うんだ! よろしくな!」


 ニカっと音がしそうなほど快活な笑顔に、俺は思わずドキドキしてしまう。


「よ、よろしくお願いします。獅子ケ谷ししがやさん」

千尋ちひろでいいって~」


 そう言って笑いながら彼女……、千尋さんは、俺をニコニコと抱きしめ続けるのだった……。




「ここが本社開発部です」

「なるほど」


 再び契さんに案内してもらい、人数が一人増えた俺たちは、ようやく次の目的地へと到着した。


 あの後、千尋さんが俺を抱きしめるのに満足してくれたのは、あれから十分じゅっぷん以上も経ってからだ。時間をたっぷり浪費した本人は、今は俺の後ろで、なにやら鼻歌なんて歌っている。


「開発部はその名の通り、組織に関わるあらゆるものを開発する部署です。複合企業として活動するためのあらゆる商品はもちろん、悪の組織として活動する際のあらゆる兵器、武器、機材なども開発しています」


 開放的だった他の部署とは違って、この本社開発部とやらは一目で分かるくらい厳重なセキュリティで、しっかりと守られていた。


 契さんが扉の横のスリットにカードキーを通し、更にかなり長いパスワードを入力した上で、網膜、指紋認証まで終えてようやく、その扉が開いてくれる。


「おぉ……?」


 そこは……、一言で言ってしまえば、廊下だった。

 一本の長い、長い廊下。それが第一印象だ。

 しかしよく見れば、そして耳を澄ませば、それは間違いだとすぐに分かる。


 廊下の両側には、この部署に入るための扉と同じように、厳重なセキュリティが施されたドアが整然と並んでいた。


 そして……。


「ねぇ、契さん」

「なんでしょうか?」

「なんか両脇の部屋から、不穏な声が聞こえてるんだけど……」


 そう、耳を澄ませば聞こえてくる。

 まるで呪詛のような呟きが、あるいは悪夢のような叫びが、あるいは狂気のような笑い声が。


「生みの苦しみというやつでしょう」

「ここは相変わらずだなー」


 表情一つ変えない契さんと、のほほんしてる千尋さんだった。

 正直、恐い。


「本当に、そういうものなのでしょうか……」

「さぁ、こちらです」


 俺の疑問には答えず、契さんは廊下を真っ直ぐ歩き、突き当りまで進む。

 そこには他の部屋より大きな扉と、主任室と書かれたプレートが掲げられていた。


「どうぞ~、開いてるわよ~」


 今までのどの扉よりも厳重な、まさに難攻不落に見えるセキュリティに守られた扉だったが、俺がその前に立つと同時に、中から聞こえた間延びした声により、あっさりと開かれてしまった。


 彼女のことは、一目見て分かった。前の二人とは違い、昨日と今日とで、その身体的な特徴に、大きな違いがなかったからだ。


 彼女を取り巻くようにして、部屋中で乱雑に積み上げられている機械の山々も、容易に昨日の彼女を連想させてくれた。


「無限博士ジーニアさん、ですよね?」

「せいか~い。でもこの姿の時は~、才円さいえんマリーって呼ばれてるの~。だからワタシのことは~、マリーって呼んでね~?」

「……はい、マリーさん」


 昨日と変わらず、ぱっと見た感じでは、白衣しか着ていないように見えるマリーさんは、そのセクシーな足をチラつかせながら、俺に向かって堂々と歩き出す。


 ボディのメリハリという点では、マリーさんは契さんや千尋さんに劣るかもしれない。だが、眩しいほどに白く、そして長い、完璧なバランスをさらけ出したその足は、もはや凶器だった。

 

 そういう趣味の方ならば。思わず踏まれたいと思ってしまう程の美脚だ。

 正直、俺も触ってみたい。


「う~ん」

「な、なんでしょうか?」


 俺の近くまで来たマリーさんは、なぜだか俺を超至近距離で観察し始めた。それこそ頭のてっぺんからつま先までといった風に、入念すぎるほど入念だ……、というか近い! 近い! 近いです! それこそ肌と肌が触れそうな距離で、こちらを見つめるマリーさんに、ドギマギしてしまう。


 眼鏡の奥の瞳はどこか眠たげだが、それと同時に、非常に研ぎ澄まされた知性を感じさせる。実に知的な美人さんだ。うわ、まつ毛長い。


「うんうん、やっぱり~、データと直に観察するとじゃ~、全然違うよね~」

「データ? 直に? それってどういう……」

「じゃあ~、ご褒美あげるね~。ちゅっ!」


 俺の疑問に答える代りに、マリーさんは俺の頬にキスをした。


 ……へっ?


「ちゅっ! ちゅっ! ちゅっ!」


 というか、俺の顔にキスの雨を降らせている。あまりの事態に俺の思考は完全に停止してしまい、マリーさんにされるがままになってしまう。


「そこまでです」

「あぁ~ん! 契ちゃんのいけず~!」


 完全に固まってしまった俺の代わりに、マリーさんを引き離してくれたのは、これまで黙っていた契さんだった。


「時間が押しています。次に行きますよ」

「はぁ~い」


 助かったよ、契さん!

 みたいな感謝の言葉をかけようと思ったのだが、俺はそれを口に出せない。


 表情こそ変わっていないが、契さんから滲み出す空気に、何か恐ろしいものを感じたからだ。


 ……契さん怒ってる?

 そう思っても、口には出せないチキンな俺なのであった。




「ここが社長室になります」

「なるほど」


 そしてマリーさんを加えた俺たち四人は、最後の目的地へと到着した。


「どうぞ」


 いかにも、ここから先は偉い人の部屋です、と言わんばかりの重厚な扉を、契さんが優雅に開けてくれる。


 そこには……。


「おう! よく来たな、統斗!」

「おう、来たよ……、じいちゃん」


 死んだはずの俺の祖父……、だと言い張っている、ブリキの玩具みたいなレトロなロボが、余裕綽々な態度で、俺を待っていた。


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