13-8


「ここか……」


 すっかり夜の闇に沈んでしまったオフィス街、その中央に鎮座する、巨大な高層ビルを見上げながら、俺は息を呑んだ。


 時刻はすでに、丑三つ時を回ろうとしているために、この辺りには、人影一つ確認できない。歓楽街に出れば、年が明けたことに浮かれ、騒いでいる一般市民の皆さんもいるかもしれないが、本当にここは、静かなものだった。


 静かすぎて、自分の心臓の鼓動が、妙に大きく聞こえてしまう。もしかしたら、緊張しているのかもしれないが、大丈夫、手足も、頭も、そして心も、全てが正常に働いていると、頼れるカイザースーツが、太鼓判を押してくれていた。


「――よし! 行くか!」


 最後に一つ、気合を入れて、俺は覚悟を決めながら、自らの意思で歩き出し、目の前の超高層ビルへと、堂々と正面の入り口から、足を踏み入れる。


 妨害は、一切ない。実にスムーズに、俺は目的の場所への侵入を果たした。


 そう、俺にとって、最大とも言える目的の場所……。




 ワールドイーターの本拠地へ。




 事態はまさに、急転直下だった。


 龍剣山りゅうけんざんの頂上で受け取った、祖父ロボからの緊急通信の内容は、一瞬で状況を、大きく変化させてしまうようなものだった。


 ワールドイーターのトップである海良かいら伊人いひとが、ヴァイスインペリアルの総統であるシュバルカイザーを、自らの根城へと呼び出している。


 言葉にすれば、たったこれだけ……、しかも祖父ロボによれば、その宣戦布告は、あくまで文書によるものだったらしいのだが、これは決して、無視できない内容だ。


 状況だけを考えるならば、ワールドイーターは現在、八咫竜やたりゅうとの総力戦ともいえる大規模な戦闘に敗北した直後で、非常に疲弊しているはずだ。


 そんなタイミングで、敵である俺を、自ら本拠地に招き入れようとするなんて、どう考えても罠だと警戒するべきなのだが、しかし、ワールドイーターが莫大な戦力を消費したのは事実であると同時に、すでにワールドイーターの関連施設は、殆どが閉鎖され、目立って稼働しているのが、その本拠地のみであるという情報を、事前に掴んでいたという状況が、俺の心中に、ある閃きを生み出してしまう。



 つまり、このまま俺が、ワールドイーターの本拠地に直接乗り込み、陥落させてしまえば、この戦いはもう終わり……、俺たちの勝利だ、という楽観的、かつ短絡的な思い付きである。



 もちろん、俺だって心の底から、そんなに都合よく事が運ぶとは、思っていない。


 まだワールドイーターには、ボスである海良伊人に加えて、その側近であるゴードン・真門まもん……、そして彼らに雇われている凄腕の傭兵、アラン・スミシーも控えているし、彼らの他にも、まだ俺の知らない隠し玉的な戦力が存在するのかもしれない。


 だがしかし、少なくとも敵の懐に飛び込むことで、それらの戦力を削ぐチャンスが得られるかもしれないという打算と、いざとなったらワープで逃げればいいという算段が、俺の決断を軽くしてしまっていた。



「すまない。急用ができてしまった。協定については、後日改めて……」


 八咫竜とは、ようやく交渉を始められそうだったのが、俺は俺の中に生まれてしまった思い付きを、無視することができない。


 ワールドイーターを叩くなら、今が好機なのだ。


 悪の組織同士が協力関係を結ぶのならば、そのためには、非常に綿密な取り決めが必要となることだろうし、それを決めるためには、数日……、あるいは数カ月にもわたる、根を詰めた話し合いが必須となるはずである。


 残念ながら、それだけの時間を取る余裕は、確保できそうにない。


 こちらから交渉を持ちかけておいて、こちらの都合で後回しにするなんて、非常に後味が悪いというか、心苦しかったが、仕方ない。八咫竜との協力関係は、どう考えても結んでおいた方が、今後のためにも安心だろうが、タイミングが悪かったと、今回は諦めるしかないないようだ。


「そうですか……、分かりました。私たちは、この戦いで受けた傷を癒すことにしますので、どうか、そちらのご都合がよろしい時に、またいつでも、ご気軽にいらしてください」


 こちらの非礼を、笑顔で許してくれる竜姫りゅうひめに、本当に申し訳なく思いながら一礼し、俺はきびすを返して、夜の闇を駆ける。


 本当は、それこそ八咫竜に対して、これから一緒にワールドイーターを倒しに行こうと協力を仰ぐべきかとも思ったが、しかし、八咫竜もワールドイーターほどではないにしろ、かなりの被害を、もうすでにこうむってしまっている。流石に、そこから更に戦力を俺に貸せとは、なかなか言い出しづらいものがあった。


 だから俺は、一人で駆けた。


 それはもう、駆けに駆けて駆け尽くし、がむしゃらに足を動かして、ひたすらに東を目指し、もういやになるほど、駆け抜けた。


 なぜなら、もうとっくに、電車もバスも飛行機もタクシーも、本日の営業を終了している時間だったからだ。


 ……それもこれも、金種の破片を片付けるために、思ったよりも時間を使いすぎてしまったせいなのだけれども。




「本当に、誰もいないっぽいな……」


 いくらカイザースーツのサポートと、魔術と命気プラーナの力があるとはいえ、この国の西側から中央付近まで、一気に移動するのは、流石に骨が折れたし時間もかかった。


 スーツが不調とはいえ、マシーネモードなら使用可能なので、その音速飛行で移動するべきかとも考えたが、深夜とはいえ目立ちすぎるし、なにより。今使える数少ない切り札を、これから敵の本陣に乗り込もうというのに、そんな移動のためだけに消費するのは、どうしても避けたかった。


 敵が体勢を立て直す時間を、少しでも減らすために、最大速度で急ぐべきか。

 それとも、常に万全な状態を維持するべきか。


 非常に難しい問題だが、俺は慎重に、安全策を選択した。万が一にも、俺が敗北するような事態は、避けるべきだ。


 俺は責任ある、悪の総統なのだから。


「罠のたぐいも……、見つからないな」


 龍剣山での戦いから、この高層ビルに侵入するまで、俺は一度もカイザースーツを脱いでいないため、かなりの長時間、無茶な連続使用を、万全とは言い難いこのスーツに強いてしまっている。


 それでも、優秀すぎるカイザースーツは、最高のパフォーマンスを持って、俺のためにセンサーを働かせ、周囲の状況を探ってくれたのだが、その結果は、先ほどから俺がブツブツと呟いている通りである。


 誰もいない真っ暗なオフィスに佇んで、独り言を延々と喋っているなんて、傍から見れば完全に危ない人だが、甲斐甲斐しいカイザースーツが、俺の呟きが外に漏れるのを完璧に防いでくれているために、その心配は無用だ。


 外には漏れていなくても、口から実際に独り言が漏れてしまっていることについては、敵陣に一人突入したことによる緊張のせいだと、どうか目をつぶって欲しい。 


「しかし、どういうことなんだ。これは?」


 こちらが最大限警戒し、緊張までしてやっているというのに、ようやくたどり着いたワールドイーターの本拠地は、拍子抜けしてしまうくらい、もぬけの殻だった。


 そう、どこもかしこも、もぬけの殻だ。

 もぬけの殻で、すっからかんだ。


 罠が無い……、どころの話ではない。罠どころか、このビルの中で稼働していると思われる部屋は、一つしかない。


 人影が見えない……、なんてレベルでは、片付けられない。そもそも、生きている人間らしき熱源を、探知することができない。


 俺たちヴァイスインペリアルや八咫竜と並ぶ、巨大な悪の組織の本拠地だというのに、この呆れるほど立派な超高層ビルは、ゾッとするほどの沈黙に支配された、まるでさびれた廃ビルのような有様だった。


「とりあえず……、行くしかないか」


 ここまで異常な状況ということは、やはり、俺をここに呼び出すこと自体が罠だったという可能性が高まるが、だとしても、その陽動に引っかかったのが俺だけで、我らが地下本部には、最高幹部の三人が全員待機していることを考えれば、まだそれほどまでに、致命的な事態だとは言えないだろう。


 いざとなったら、俺もワープで戻ればいいわけだし。


 というわけで、俺はもう少し状況を詳しく見極めるために、このビルの探索を続行することに決めた。


 目指すは、今この超高層ビルの中で、唯一稼働していると思わしき、僅かな熱源が探知できた、最上階の一室だ。



 さあ、鬼が出るか、蛇が出るか……。



 俺は、ひしひしと感じる不吉な予兆を、胸の奥に押し込めながら、自らの超感覚による警告から、目を背ける。


 ここまで来て、逃げるわけにはいかないと、自分自身に、言い訳を重ねながら。




「……ここって、社長室、なのか?」


 残念ながら、エレベーターの電源も切られていたために、俺は再び、自らの脚力に物を言わせて、ひたすらに階段を上りまくることになってしまったが、それでも、ここまできたら、それくらいの運動は、誤差の範囲内だ。


 それほど時間をかけることなく、目的の場所へと到着した俺の目の前には、随分と立派な両開きの扉が、しっかりと閉じられている。


 カイザースーツのセンサーを使って、ざっと内部を探ってみたが、幾つかの電源が使用されていることは確認できたが、トラップの類だとか、生物的な熱源などは、なにも見つからなかった。


「――よし!」


 一応の安全を確認できたことだし、俺は気合を入れ直し、そっと扉に手をかける。


 どうやら、鍵はかかっていないようで、俺がそれほど力入れずとも、ただ腕を前に押し出すだけで、重厚な扉は、音もたてずに、あっさりと開いてしまう。



 そう、あっさりと、地獄の釜は開かれたのだ。



「……なっ!」


 カイザースーツのセンサーによれば、このビルの中に、一切の生体反応は、確認できなかった。本当に、欠片も、微塵も、一部の隙も無く、確認できない。


 そして、それは正しい。まったく、正しかった。


 しかし、このワールドイーターの本拠地、超高層ビルの最上階に位置する最上階では、確かに、そう、確かに、誰かが……、いや、が、俺を、待っていた。



「ど、どういうことだ……!」


 真っ暗な部屋の中で、じっと、じっと、俺のことを待っていたのは……。



 ワールドイーターのトップ……、海良伊人のだった。


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