11-6


「あれ? 統斗すみとじゃん。こんなところで、なにしてんの?」

「わあ、凄い偶然ね! こんにちは、統斗君」


 駅前広場のベンチに座り、のんびりと人を待っていた俺に声をかけてくれたのは、火凜かりん樹里じゅり先輩だった。


 本日は土曜日、学校は休みだ。

 時刻は午前九時四十五分。約束の時間まで、あと十五分である。


 天気は快晴。


 相変わらず、厳しい冬の寒さだが、それは同時に、どこか爽やかな清廉せいれんさを、俺に感じさせてくれた。


「よっ。二人揃って、こんな朝から、どうしたんだ?」

「あたしと先輩は、ちょっと買い物でもしようかな、ってね?」


 赤いマフラーと、カーキ色のモッズコートを颯爽と着こなしている火凜が、嬉しそうにトコトコと、俺の側へと寄ってくる。なんだか微妙なギャップが発生していて、非常に可愛らしい気がする。


「最近、ひかりちゃんの元気がないでしょ? だからみんなで話し合って、なにかプレゼントでもしようかなって」

「おぉ、なるほど……」


 深い緑のチェスターコートが大人っぽい樹里先輩から飛び出た、なんとも慈悲深いお言葉に、俺は軽く感動してしまった。


 この前のサボタージュのせいで、ひかりはみんなに迷惑をかけてしまったのだが、マジカルセイヴァーのメンバーたちは全員、そのことを責めるどころか、可愛い後輩をそれぞれ心配している。愛されてる。愛されてるぞ、黄村きむらひかり。


「それはなんとも、良い考えだ。あいつなら、そうだな……、甘いお菓子とか、喜ぶんじゃないかな」

「おっ、いいね。チョコとかクッキーとか、好きだもんね、あの子」


 火凜が俺の右隣に座りながら、こちらに向かって、その眩しい笑顔を寄せてくる。

 微妙に距離が近いというか、殆ど密着してるといった感じだ。


「そうね。プレゼントって言っちゃうと、逆にひかりちゃんに気を遣わせちゃうかもしれないから、美味しいお菓子、一杯買って、みんなでお茶会にしてもいいわね」

「あっ、それいいですね、樹里先輩。その時は是非とも、俺も呼んでください」


 樹里先輩は俺の左隣に座り、やはり火凜と同じように、その身体を俺に寄せた。


 突然、それぞれ魅力的な女性二人の体温を身近に感じることになり、なんだかドキドキしてしまう。


 この冬の寒さを和らげるには、あまりに贅沢すぎる温もりだったが、その心地良さには抗えず、俺は黙って、受け入れることにした。


 男というのは、弱い生き物なのだ。


「それで、統斗はなにしてんの? これからどっか行くの?」

「まぁ、どっかには行くかな。どこに行くかは、まだ決まってないけど」


 すっかり俺の横に腰を落ち着けた火凜と、楽しく無駄話に花を咲かせる。

 待ち合わせまでは、まだ少し時間があることだし、ここは素直に会話を楽しもう。


「……もしかして……、誰かとデート……?」

「いや、そういうんじゃないんで、だから、その眼は止めて下さい樹里先輩……」


 まるで地獄の釜が開いたような、虚ろな眼をこちらに向けられ、楽しい気分が一瞬で凍り付いてしまった。先輩、恐いです。


「そうなの? じゃあ良かった!」


 素早くフォローしたおかげか、先程までの悪夢のような表情から一変、樹里先輩が天使の笑顔を見せてくれる。いやはや、よかったよかった。


 あのコテージの一件から、樹里先輩は自分の感情を貯め込まず、かなりストレートに表に出すようになった……、のは良いのだが、どうも色んな意味で、ストレートすぎる気もする。


 気はするのだが、その原因は大抵俺だと分かっているので、どうにも強く指摘することができない。まったく情けない限りだが、前より確実に、俺と樹里先輩との距離は縮まっているとも思えてしまうのが、なんとも困りものである。


「ふーん。でも、誰かと待ち合わせはしてるんでしょ?」

「まぁ、そうだけど、どうしてそんな、意地悪な顔をしてるんですか、火凜さん」


 にやにやと邪な笑みを浮かべた火凜が、俺の頬を突いてくる。


 ええい、面白がるな! 先輩が、また恐い眼になってるだろうが!

 

「――統斗君?」

「あぁ! 違うんです先輩!」

「本当にー? 本当に違うのー? っていうか、なにが違うのー?」

「はっはっは、やめてくださいよ、火凜さん。――いや、本当にやめろ! お前は、妙な煽り方をするな!」


 小悪魔的な笑みを浮かべる火凜と、コロコロと表情を変えて俺に迫る樹里先輩。

 そんな二人に挟まれて、俺は駅のベンチで、四苦八苦するのだった。




「そんじゃ統斗、また今度ねー!」

「統斗君、またね。お茶会には、必ず来てね?」

「あーい……。二人とも、気をつけて……」


 ニコニコと、笑顔で手を振りこの場を立ち去る二人に、俺はなんとか手を振り返すのがやっとだった。彼女たちと話し込んでいたのは、あまり長い時間ではなかったのだが、なんだか、随分と疲れてしまった……。


 時刻は九時五十五分。今日の本番は、まだこれからなんだけど……。


「…………」

「って、うお、びっくりした。来たなら声くらいかけてくれよ、ひかり」


 謎の疲労感からベンチに座り込み、俯いていた視界に入った、見覚えのある可愛らしいスニーカーが、俺に待ち人が来たことを知らせてくれた。


 そう、本日はこの前の約束通り、これから可愛い後輩、黄村ひかりと、二人で遊ぶ予定なのだった。


「…………ふん!」

「いやいやいやいや、なんでいきなり、超不機嫌なんだよ?」


 ようやく待ち人に会えたというのに、ベンチから立ち上がった俺を出迎えてくれたのは、絵に描いたような、ひかりのふくれっ面だ。こちらの方を見ようともせず、完全にそっぽを向いてしまっている。


 イエローのリボンを使い、いつもよりお洒落に結んである髪だとか、少し大きめのダッフルコートだとか、そこから伸びる小さな手足だとか、全体的に非常に愛らしいコーディネートなだけに、その不満気な顔だけがなんとも惜しい……。いや、あれはあれで、可愛らしいような気も……。


「キモい目で見るな!」

あぶね!」


 不躾ぶしつけな俺の視線を、鋭敏に感じ取ったひかりが、鋭く地面を踏みしめる。


 正確に言えば、ひかりが俺の足を踏み潰そうとしてきたのを、ギリギリで避けたわけだが、危ない。本気すぎて、まともに喰らっていたら、足の指くらいは、粉砕されたかもしれない……。


「オイオイオイ、突然どうした? なに怒ってるんだよ?」

「――知らない!」


 キッと一瞬こちらを睨んだひかりが、またぷいっと、俺から顔を背けてしまう。

 追撃こそ無さそうだったが、その完全に不機嫌な様子に、俺は困惑を隠せない。


「……先……、な……」

「うん? なんて?」


 完全に俺から視線を逸らしたままで、ひかりがなにやら、ボソボソ呟くが、俺の耳には上手く届かない。というか、ぶっちゃけよく聞こえなかったので、俺は一歩だけ前に出る。


「――先輩たちと、なに話してたのよ!」

「……はあ?」


 俺の呑気な問いかけが気に障ったのか、凄い勢いでこちらを向いたひかりが、突然出した大声に、俺は面食らってしまう。


 いやしかし、それにしても、こいつは一体、なにが聞きたいんだ?


「随分楽しそうだったじゃない! そんなに楽しいなら、あんたも先輩たちと一緒に行けばよかったのに!」

「……はあ?」


 さっきは、一体なにを聞きたいのか分からなかったが、今度は、言葉の意味そのものが分からなかった。まぁ、俺の口から出た言葉は、一緒なんだけど。


「お前なぁ……、一体なに言ってんだ?」

「分からないわよ!」


 お前も分からないのかよ!

 と心の中でツッコんで見ても、状況は、よく分からないままだ。


 ひかりの顔を見る限り、自分がなにを言ってるのか分からないというよりは、自分がどうして怒っているのかが分からない、といった風に見えるが、そうは言っても俺だって、これでは一体、なにを言われてるのか分からない。


 ……いかん。なんだか俺自身も、なにを言ってるのか、なんだかよく分からなくなってきた。


「あのなぁ、これからお前と遊ぶって約束してるのに、それほったらかして、向こうに行くわけないだろうが」

「……本当に?」

「本当、本当。というか、実際、俺はここにいるだろ。落ち着け」


 落ち着け、と言いながらも、まずは俺が落ち着くべきだろう。

 折角の楽しい休日を、なにもいきなり、喧嘩から始める必要は無いのだから。


「こう見えても一応、今日はお前と二人で遊ぶの、楽しみにしてたんだからな?」

「う、嘘よ! この嘘吐き十文字じゅうもんじ!」

「いや、なんで嘘になるんだよ……。というか、なに拗ねてるんだよ、ひかり?」

「す、拗ねてな……、ひっ!」


 自分でも制御できないといった感じでヒートアップしてしまったひかりに、俺は素早く接近すると、その両頬に手の平を当てて、無理矢理引き上げる。


 不格好に口角を吊り上げられたひかりの顔は、なんだか笑えたが、同時に非常に可愛らしくもあった。


「な、な、な、なにすんのよ!」

「いや、なんか怒ってるから、無理矢理にでも笑わせようかと思って」

「こ、こ、こ、このセクハラ魔人!」


 慌てた様子で俺から離れたひかりが、赤い顔して、必死の抗議を繰り広げる。


 だが、そう文句を言いながらも、俺から逃げる様子は見せず、一定の距離を保ったままだ。


 よしよし、これは良い兆候……、だと思うことにしよう。


 それにしても、セクハラ魔人は酷いな。

 せめてセクハラ怪人、くらいにして欲しい。


「はいはい、それじゃ、行きますか」

「ちょっと! まだ話は終わってない!」

「話って、だからお前は結局、なにが言いたいんだよ?」

「そ、それは……、えーっと?」


 要するに、こいつがどうして機嫌が悪いのか、俺が分からないのと同じように、ひかり本人も、よく分かっていないのだ。だったら、変にその場にとどまらないで、さくっと次の行動に、移ってしまった方がいい。


「ほれ、行くぞ」

「えっと……、うん?」


 多少強引だが、俺はひかりの手を取って、とりあえず歩き出す。

 ひかりは困惑しているが、俺の手を振り払うようなことは、してこない。


「昼飯までまだ時間あるし、ゲーセンで時間でも潰すか?」

「……もう! 好きにすればいいでしょ!」

「へいへい」


 なんだか出だしから、おかしな展開になってしまったが、ひかりだって、別に喧嘩したくてここにやってきたわけではないだろう。


 こいつだって、今日は俺と遊ぶために、こうして朝から、めかしこんで来てくれているのだから。


「それにしても、今日のお前、なんか可愛いな。よく似合ってるぞ、そのリボン」

「う、うるさい! あんたなんかに褒められても、全然嬉しくないんだからね!」

「はっはっはっ、照れるな照れるな」

「照れてなーい! もう! 十文字のくせに、生意気すぎ!」


 ほら、こうなってしまえば、もうすっかりいつもの俺たちだ。

 俺とひかりはいつものように、無駄に大騒ぎしながらも、ぶらぶらと歩き出す。


「よし! それじゃ、またゲームで勝負でもするか! 連勝記録を伸ばしてやる!」

「ふんだ! あんたが調子に乗ってられるのも、今のうちなんだから!」


 ひかりと仲良く手をつなぎ、並んで歩きながら、俺はこの後どうするか、ワクワクしながら考える。



 不肖ふしょうの先輩である、この俺と、生意気だけど可愛らしい後輩の、楽しい楽しい休日は、まだまだ始まったばかりなのだから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る