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 柔らかだった日差しは徐々にきつさを増して、軽く汗ばむ陽気になっている。夏、というわけだが日本に比べるとだいぶ過ごしやすい。気温は高くなるが湿度があまり高くないようで、風は爽やかだし木陰で涼めば快適だ。団長さんの家の庭はそれなりに広い。丁寧に刈り込まれた植木や芝生、素朴な花。広いと言っても隣の家の庭との間には塀があるようだが、それが目につかないように計算された配置で木が植えられたり、彫刻が置かれているので実際の広さより大きく見える。

 最近の私のお気に入りはこの庭の奥にある大きな木の下で、エスター先生が持って来てくれる本を読むことだ。たまに読みながらうとうと昼寝をしている。気持ち良くてねぇ。強いて言うなら半袖のシャツを着たいがどうやらこの界隈に住む階級の人間は肌の露出を極力減らしているようなので言い出さないでおいた。

 団長さんにしろ、使用人の皆さんにしろ、みーんな本当に良い人たち、なんだよね。私のためにならないことはしなさそうだから自分から何かを言いだす必要がない。団長さんは衣食住を提供してくれているし、使用人の人たちと一緒になって私を構ってくれるから人寂しい気分にはならない。エスター先生は私の勉強の進度をよく見ているし、疑問に思うところは先回りして教えたり、興味を持った分野の本をすぐに持ってきてくれる。私を見つけてくれたヴィーとレンは非番の度に家に来て私に色々な外の話をしてくれる。本当に言葉と文字があらかじめ理解出来ていて好都合だ。基本スペックがやたら高い体だが、まったくわからない言語と文字だったら本を読めるまでもう少し時間がかかったはずだし。




 文字を通じての知識はだいぶ手に入ったのではないかな、と思う。私の個人的な感覚だが、どうやら本というものはこちらでは高級品のようだ。一冊一冊手作り、手書き、しかも頁や文字には装飾が施されているし装丁だって基本が革、字は金箔。つまり、高級。ということは、読み手も書き手も上流階級ということだ。何が言いたいかって言うと。貨幣制度があって経済活動が行われている以上、身分差が存在するのは確か。というか王制を敷いてるし貴族とかいるし。で、貴族の裕福さを支えるには大量の一般人が必要だろう。上流階級の持つ力は大きいかもしれないが、数は少ない。にもかかわらず私の持つ知識は上流階級から見た世界、なわけだ。

 これが日本であれば。情報というのは読書からのみ得られるものではない。テレビを付ければ世界中のニュースを見ることが出来るしニュースだけではない娯楽番組だってやっている。テレビの特性として不特定大多数の人間に視聴してもらうことを目的としているので広く浅く一般受けする作品が多い。つまりは社会的常識、多少現実からは乖離しているだろうが、一般階級の人間の常識が常識として描かれていることが多いだろう。

 さらにインターネットでは個人個人が情報を発し、得ることが出来るのでこれは完全に個々の視点による世界を理解する手助けになる。もちろん、他者の視点を完全に理解することが出来るわけじゃないけど、助けにはなるだろう。


 うーん。


 この世界では多分、情報伝達の制度はあまり発達していない。そして身分差がはっきりしているということは身分によって取るべき行動や理解すべき知識が異なっているってことだろう。現状私は愛し子、として上流階級……なのかな?たぶんそうだね、うん、上流階級に組み込まれている。運が良い。エスター先生も上流階級の出らしいし、教えてくれる知識は全部上流階級の人間にとって知るべき事柄なわけ。いけないわけじゃないし、下手に他の階級の実情とかを知ってしまうと求められる貴族らしいふるまいを取ることに苦痛を感じてしまう可能性も、あるんだけど……。


 もともと一般市民なわけで。ついでに言えば民主主義国家で暮らしていたわけで。一般階級の感情や世界観を理解したいって言う危機感に似た感情があるんだよね……。貴族制度は基本的に民衆の一斉蜂起によって終わりを迎えるわけだからさ……いや、悪政の果ての結果だからこの国の豊かさを考えるとそんなことはしばらく起らないかな。




 「ノーチェ、寝てるのか?」

 「ヴィー……今起きた」


 声をかけられたから目を開けて見上げると、ヴィーがこちらを見ていた。手を差し出されたので握って、立ち上がる。そうか、今日はヴィーが非番の日だっけ。そうそう。愛し子が名前を呼ぶと、気持ちが晴れやかになって疲れが取れて、とか。そう言う利点があるらしい。ならどんどん呼んであげようかと思ったんだがこれまた常識として、愛し子はあまり他人の本名を呼ばないらしい。逆に、名前すべてを呼ぶ時はよっぽどの時だとか。ヴィーやレン、エスター先生みたいに名前の一部を呼ぶだけでも気持ちいいらしいので、声を掛けられて返事をするときはちゃんと名前込みで返事をするようにしている。

 にっこりというかにやりというか。笑うヴィーは何と言うか面倒見の良いお兄さん、といったところだろうか。はじめてであったときの硬さが取れて、気さくさが前面に押し出されている。レンも丁寧なのは相変わらずだが緊張はあまりしていない。相変わらず貴族っぽのがレンで、平民っぽいのがヴィーだと思うんだけどなー。


 「退屈してないか?」


 質問には首を横にふる。良い声ではあるんだが、自分の口から男性のつややかな声が出るって言うのは不思議でねぇ。あとできるだけ口数が少ないほうがぼろは出ないだろうし、何よりこの国の言語には一人称が複数存在する。「私」「俺」「僕」、のように。また性別によって語尾も変化する。でしょ?とかですわ、とか。男性が口にしたらおかしい言葉も、逆に女性が口にしたらおかしい言葉もある。

 イケメンがなよなよした言葉づかいをするのは私の美意識に反する。というか、現状この体が私である以上、私にとって理想の男性が取るであろう行動をとりたい。が、演技力が足りないし、まだまだ保護してもらっている状態だし周りは過保護なのであまりいきなり理想の男性像としての行動はできない。表情もね。そのうちマスターしたいけどいまはまだ。ということで口数少なく基本無表情で過ごしているわけです、はい。できれば団長さんをお手本にしたいかな。もちろんメイドの女の子には丁寧にやさしい態度を取ってるよ!可愛い子多いしね!


 「そうか…その本面白いか?」

 「面白い」


 手にしているのはやはり歴史書。経済学、というタイプの本があったら読みたいんだが、それは未だに学問と言えるほどのレベルで発達していないような気がする。商人たちは経験に基づいた知識で活躍してるんだろうなきっと。ヴィーはうへ、と言わんばかりの顔で見ている。勉強はあまり好きじゃないらしい。


 「読み終わってないんだったら邪魔だったか?」


 いえいえ。いつでも読めるけどヴィーは四日に一度しか来てくれないからね。首を横にふるふる。だいぶ伸びた髪が視界の端で揺れる。シャンプーとかリンスとか、日本のものほど科学的な効果を持つものじゃないだろうに、自分のものだとわかっていながらほめたたえたくなるさらさら。しかもつやっつや。おっとっと。いかんいかん、ナルシストになるにも限度があるだろう。


 「なら今日は土産も持ってきたんだが、実は団長に許可もらってな。外に出てみないか?店とか覗くの楽しいぜ?」


 なんと言う渡りに船!ぜひ!出来れば一般的な大多数の労働者階級が行くところにも行ってみたいです!

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