イグザ
己が内の声に従って送りだしたヴィヴァルディが連れて帰ったのは、何も知らない愛し子だった。
私の名はイグザ・エイミス。エイミス村出身のイグザであり特に地位もない平民の生まれだが愛し子だ。金の髪に金の瞳を持ち、高い身体機能を有する。愛し子としての【格】はあまり高くはないが、通常の人間が努力しただけではたどりつけない程度の能力は持っている。その能力と、「愛し子であるという事実」の二つが合わさったため、騎士団の団長を、自国だけでなく他国の重要人物を警護することが多い炎狼騎士団の団長を任されることになった。国威を示すのには最適だろうと自分でも思う。考えてみればだいぶ前の話になるな。この地位を先代陛下よりあずかって八十年になるのだから。
ヴィヴァルディはこの八十年の中でも出来の良い部類だ。貴族の出だから礼儀作法や家の間の力関係などは身をもって知っている。堅苦しいのは幼いころから苦手だったらしく、外で遊ぶことが好きなため(長じるにつれて遊び、は夜の町での遊びも含まれるようになり)平民との付き合い方も悪くない。多少団長である自分に対する口のきき方が雑だが、これは気になるようなものではないし、許される範囲は実に賢く見極めている。
思考は早く、身体能力は高く、人間性にも問題は見られない。だからこそ、あやふやな指示を出すしかない任務は彼に任せることが多いのだが。
流石にこれは予想外だ、と報告を受けながら茶と菓子を黙々と消費していくノーチェを見る。仮名、とレンドリアは言うが本人がそう名乗ったのだからこの愛し子の名はノーチェだ。
珍しい漆黒の髪と瞳。名を呼ばれるだけで力のわき出る、高揚感をもたらす声。愛し子である自分でもそうなのだから、唯人である二人はさらに影響を受けるだろう。多少過保護なのもうなずける。ここまで格が高い愛し子に会うのは私としても初めてだ。まぁ、格とは言っても所詮愛し子同士の会話でしか出てこないが。
愛し子を愛し子たらしめる能力、保有する力の大きさは愛し子であれば対面した瞬間に把握できる。数値的なものではないので、自分と同等、少し上、少し下、かなり上、かなり下、というぐらいのものだが。
そしてかなり上、だと思った私の感覚は間違っていないだろう。ノーチェが菓子を食べるのをやめる気配がないのがその証拠だ。愛し子は基本的に食料をあまり必要としない。愛し子について詳しく調べるような人間はいないし、私たちも自分の体の事を深く理解しているわけではないから理由はわからないが。ただ、結界などがはられた場所に入ると通常の人間か、それ以上の量の食糧が必要になることはわかっているので何かを摂取しているのは確かだ。
そして、通常の場所にいても食欲が普通にあるということは、もともと力の保有量が多く、比例して放出量が多いにもかかわらず摂取量が少ない生活を送ってきたのだろう。これほどまでに力の大きい愛し子だ、まともな環境で育ったのなら話せない、反応が鈍い、歩けない、などという事態に陥るはずもない。閉じ込められて周りに力を与えることだけを強要されてきたのかもしれないな、と思う。憐れみだろうか、この感情は。まぁ、もしかしたら珍しい甘味に夢中になって満腹感に気付いていないという可能性もあるので一応尋ねておこうか。
「ノーチェ、そんなに食べて気分が悪くならないかい?」
気分が悪くなるという感覚について考えているのか動きが止まったノーチェの手元から、レンドリアがあわてたように皿を遠ざける。愛し子が少食なのは私を見て知っているだろうから焦ったのだろうね。少しおおざっぱなところのあるヴィヴァルディと相性の良い騎士だ。
そしてノーチェは物足りなさそうな目で皿とレンドリアを交互に見つめている。愛し子の顔は見た目が麗しい。自分で言うと少し気恥ずかしいがそういうものだ。そして力のせいか何なのか、唯人は見惚れる。笑顔を浮かべようものなら卒倒する勢いで見惚れる。幸か不幸かノーチェは表情がほとんどないためそこまでの破壊力はないようだが……それでもレンドリアは負けたようだ。顔を真っ赤にして呻いている。
後、ノーチェ。そんな膝の上に皿を載せてまで確保しなくとももう取り上げられることはないと思うぞ……?
ノーチェは私が一時的に預かることにした。レンドリアは団舎住まいだから人を預かることなど出来ん。仕事があるのに人の面倒をみることもできないだろう。ヴィヴァルディは実家に頼る、という手もあるが、これは本人が渋い顔をした。本心では世話をしたいと思っているようだが、冷静な判断だろう。七貴族であり、さかのぼれば王族の血が混ざっているほどのヴィアトール家が何も知らない愛し子を保護するのはあまりよろしくない。自分で善悪、利益不利益を判断できるならともかくいまのノーチェには悪影響だろう。
そして、愛し子を【保護】することは実はあまり多くの人間に知られてはならない事柄である。愛し子は、世界と女神に愛された子供。そう呼称されるようになったのにはそれなりの逸話がある。荒れた土地が豊かになったり、砂漠に水が湧いたり。愛し子が過酷な環境にさらされないよう、世界のほうがその様相を変えるのだ。また、周囲の人間にも影響を及ぼす。愛情を持って名を呼べば相手の体調が整い、交われば寿命を長引かせる。手ずから調合した薬は強い効果を持つ。才能があるだけではない、周りに対しても良い影響を与える、それが愛し子だ。だからこそ、彼らは愛し子と呼ばれ、尊ばれる。これが、一般的な愛し子に対する知識だ。どんな小さな村であっても、この教育は徹底している。
だがそれは表を見た場合のみ。
この国においては直系王族、騎士団の上層部、そして七貴族にしか伝えられていないが、愛情を持って名を呼ばなくとも効果はある。無理やりに犯そうとも効果はある。獣を飼うように愛し子を飼ったとしても、愛し子の力は衰えることはない。
愛し子に対する愛情と敬意は、洗脳と言ってよいほどに人々の意識に根付いている。どのような悪党であっても、愛し子にだけは良心をもってしまうほどだ。
だが、中にはその事実に気付き、そして実行してしまえる人間もいるのだ。だからこそ、それを取り締まるために一部の人間は知らされている。そしてその一部の人間は、高い教育を受けていることがほとんどなので愛し子に対する信仰心と言っても良いほどの感情が強く埋め込まれているため、むしろ救出することに誇りを持っている。ゆえに、数が少なく異端とみなされかねない愛し子という存在は平穏に尊ばれて生きていける。
もしかしたら女神信仰は過去に愛し子が己の生存を有利にするために作ったものなのではないかと、思ってしまえるほどに。もちろん、これは私個人の考えだ。たとえ愛し子であってもそんな異端のような考え方はしていないだろうし純粋に女神を信仰しているものがほとんどだ。
もちろん、愛し子と唯人の関係のような微妙な話題は、愛し子であれば成長するにつれて徐々に把握していくものなのだがノーチェはおそらく何も知らないだろう。愛し子であるということが他者にどういう意味を持つのかも、理解していない可能性が高い。
唯人と、愛し子の違いを、絶対的な差を理解せずに生きていけるのならばそれでも良いではないか、と私の中で声がささやく。唯人が愛し子をどのような感情を持って見ているのか、想像することは可能だが理解できることはないだろう。同様に、唯人には我々が彼らをどのような気持ちで見ているかは説明されてもわからないだろう。
良くも悪くもそれを知らずに済むのであれば……。
いや、それは私が考えることではないな。知ること、知らない事。それは知識を得たうえでノーチェ自身が判断すべきことだろう。口が固い、信用できる人間を探してノーチェの教師とするべきだな。
私自身がしなくてはいけないことは、事の次第を法務大臣に奏上することだ。ノーチェが今までどこで何をしていたのか、調べられるなら調べ、罰を与えるべき存在がいるのであれば捕縛する作戦を立てねばなるまい。
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