アルド

 わたくし、と自分の事を称するようになったのはいつだったか。わたくしはもともと、ただの孤児でした。ヴァンガルディス王国は豊かな国です。海に面した広大で肥沃な平野、温暖な気候が幸いして農民が食うに困ることはめったに有りません。国境は船で渡るのに一日かかるとまで言われるラシャ川、そして軍を率いて越えるのが難しいイシュカ山脈に接しているため、めったに他国に攻め入られません。しかし、それでも恵まれない人々と言うのは存在しています。

 わたくしは、親に捨てられた子供でした。両親の事はうっすらと覚えています。街から街へと移動していたような記憶もありますので、おそらくは商人だったのでしょう。商いに失敗したのかはたまた子供が邪魔になったのか。孤児院の前に置き去りにされていたのを、職員の方々に保護されました。

 お恥ずかしい話ですが、捨てられたのが子供心ながらに嫌だったのか、あまり可愛げのない子供時代を送っていました。言いつけを守らない、癇癪を起こす……何かに、反抗したかったのです。何に反抗したかったのかは今を持ってしてもわかりません。孤児院の先生がたの手を煩わせました。教会の神父様にはそれとなく懐いていましたが、それでも多大な迷惑をかけていたのは確かです。

 そんなある日、イグザ様が孤児院を視察に訪れました。孤児院は王家の名のもとに運営されているのでその名を汚すようなことがないよう、定期的に視察が入るのです。イグザ様を一目見た時、あぁ、太陽だ。そう思いました。金色の髪、金色の瞳。穏やかな笑顔を浮かべるその人に惹かれずには居られませんでした。ただ……そう思ったときに、酷い、と思ったのです。自分は孤児院にいる、特別な処など何一つない、鼻つまみ者でしかないのに。こんなにも眩しくて素晴らしい方が世界にいるだなんて、と。

 ……醜い嫉妬ですね。他の要素はともかくとして、鼻つまみ者なのはわたくし自身の行動の結果なのですから。ただ、その嫉妬心で少し頭が冷えて。周りを見ると先生方も、わたくしと同様に保護されていた様々な年齢の子供たちも。みなイグザ様を陶然と見ていて、そしてイグザ様をはじめとする騎士団の方々はそれを当たり前のように受け入れている。腹立たしくて、悔しくて、その場から走って逃げました。

 街はずれで冷静になって考えてみると、喪失感に襲われました。わたくしは愛し子様の前に立っていたのだという高揚感。そして自らその姿を拝見する立場を捨ててきてしまったのだという悲しさ。どれだけ嫉妬しようと、愛し子様を目でみたい、声を聞きたい、その目に写してもらいたい、言葉を交わしてみたいという感情は止めようがありません。愛し子様は生まれにかかわらずその尊さから貴族と同等の扱いを受けます。わたくしのような身分の者が近くでお話しするなど、よほどのことがない限りありえません。怒鳴りたいのか泣きたいのか自分でもわからなくなっていた時に、イグザ様がいらっしゃったのです。


 「王都は治安が良いけれどもね。暗くなる前には孤児院に帰ったほうが良いよ」

 「余計な御世話だよ」

 「まぁ、そう言わずに」

 「うっさい、お前愛し子サマだろ!俺なんかに構わなくったって良いだろうが」


 精一杯の虚勢を張って……。今思うとあそこまでの暴言を吐く勇気がよくもまぁあったものだと思いますが。何を思ったのか、その言葉を聞いたイグザ様はわたくしのことをかつぎあげて孤児院に戻って、そのままわたくしを庇護する手続きを済ませてしまわれたのです。

 ……色々と思うところもありましたが。結局のところ一目見た瞬間からわたくしはイグザ様に心酔していたのでしょうね。お世話をさせていただけることが嬉しくて毎日が楽しくて。十年もしない内に執事長を任されるようになりました。そんな自分を誇らしいと思うようになってから、わけのわからない苛立ちは徐々に消えて行きました。

 そうして、イグザ様にお仕えして四十年。そろそろ後進に道を譲ろうかと思い始めていた私を奮い立たせたのがノーチェ様でした。わたくしを庇護し、養ってくださったイグザ様とは対照的に、わたくしが庇護しなくてはならない愛し子様。子を持つ親は、もしかしたらこのような感情を抱くのでしょうか。言葉を教え、動作を教え、彼の人が望むものをわずかな反応から想像し……。ええ、まだまだこの立ち位置を譲る気はありませんよ!






 どうにもノーチェ様は自己主張と言うものをなさらない。もっと色々と注文をつけていただけたらとは思うのですが、好き嫌いを聞いても困ったような空気を漂わせるばかりでいらっしゃいます。困らせたいわけではないのです!女神に誓って困らせたいわけではないのです。むしろ毎日を楽しんでいただきたい。悩むことや苦しむことなく、日々を過ごしていただきたい。それなのに好むものを尋ねると困らせてしまう!この悔しさ!

 わたくしにも長年にわたって使用人をやっていた自負というものがございます。口に出されずとも望みを察し環境を整える、生活を支えている自負です。ええ、些細なことと思われるかもしれませんがそれがわたくしどもの誇りです。が、ノーチェ様は!これまで置かれていた過酷な環境のせいか!良かれと思って何をしても同じように受け入れてくださるばかりで!対応の差がない故に好みがわからない!

 いや、もちろん。まだ好みと言えるほど、物事を理解していらっしゃらないだけかもしれません。ええ。料理は濃い味付けのものから薄い味付けのもの、甘いものから辛いものどれを出しても召し上がっていただけますし。珍しそうな……雰囲気を醸し出しながら……珍しいって!どういうことだ!

 初めのうちはいわゆる庶民的な料理を出していたんだ!この近辺の人間なら絶対食べたことがあるような。それでも珍しそうってどういうことだ!今までノーチェ様の食事を担当していた人間でてこい!挙句の果てにはただのパンでも珍しそうってどういうことだ!イグザ様に確認したら……愛し子なら、飢餓感に苛まされたとしても飢え死にはしないとか……死なないから食わせないなんてことをやってたんじゃないだろうな、ぁあ!?んなことしてたとしたらお前ら全員歯ぁぶち抜いて……。





 ……こほん。失礼。と言うわけでわたくしども使用人も料理人も少しばかり悩んだわけです。代表してわたくしがイグザ様に相談したところ、最近では会話に不自由もしないし礼儀作法も問題ない、ケッセルシュラガー様曰く勉強も問題なく進んでいるそうなので街を歩かせてみようということになりました。

 あまり人数が多いとノーチェ様が気を取られるかもしれませんし。万が一の時の判断役としてわたくし、護衛としてヴィアトール様。三人で街歩きをすることになりました。

 もしかしたら、という言葉を付ける必要もなく楽しんでいただけているのはわかったのですが。なんというか。植物が勝手に生えるわ、荷物を運んでも疲れないわ。ナッサ焼き、という言葉からノーチェ様が普段接していない階層に興味があるように見受けられたので下町にも行くことにしました。

 空気が濃い、というか。愛し子様の空気に慣れたわたくしでも、意識しないようにするのが精一杯としか……。会話の途中でも、仕事をしていても、振り向いて確認しなくてはいけないほどの存在感。相変わらず表情は動いていらっしゃらないのでわかりませんが、街を歩く人々がみな動きを止めてしまっていることにノーチェ様は気付いているのでしょうか。

 購入されるものや他のものより時間をかけて眺めるもの。どうにも脈略のない買い物で良く分かりませんが、普通の食事よりは嗜好品を多く見ていらっしゃるような。甘いものと紅茶はお好きなようですね。装飾品は派手なものより繊細な作りのものを好まれる。布などでしたら手触りのよい暗い色合いを触っていらっしゃることが多いですね。次に仕立屋を呼ぶ時は参考にしましょう。手触りの良さを追求するなら刺繍はあまりないほうが……はて。考えてみれば着衣などはひとそろい毎朝メイドに任せているだけでしたね。明日からは数種類趣が違うものを渡して選んでいただくことにしましょう。

 おや、人だかりが……バイオリンですか。





 考えてみたら音楽に触れる機会は今までありませんでしたね。ノーチェ様は熱心に聞き入ってらっしゃいます。邪魔をするべきでないと思ったのか恐れ多いと思ったのか、数多かった観客は脇に残った数名になってしまいました。収入源を減らしてしまったのなら少しばかり銅貨を渡すべきでしょうか。しかし明日からは愛し子が聞きに来た演奏、と箔を付けることもできますし……。

 それにしても良い少年ですね。演奏そのものは高名な楽団と比べると荒削りですが、愛し子が来ていることに気づかないほどの集中力は稀です。努力すればそれなりの音楽家になれそうな気もします。ああ、音楽、というものがお好きなのでしたら演奏家を家に招いてみても良いでしょう。イグザ様はあまり音を好まれませんから演奏家を雇うこともありませんでしたが……ん?


 ……ノーチェ様……イグザ様のように抑えているならともかくも。祝福をばらまいている状態で目を見て言葉を交わすことは、あまりお勧めできないのですが……、イグザ様、これはもう先に社会常識をとか、もしかしたら力に対する嫌悪感があるかもしれないからとか言っている場合ではありません。自分で祝福を制御できずに体調を崩されるようなことがあっては……帰ったら即刻愛し子様としての力の制御方法……ああ!?物を直すのは時魔法でしょう、なぜ呪文も魔法陣も事前準備もなくさらりと直すのですかノーチェ様!

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