第四部
第20話 パートナー
二人は
「…………」
病室にはひとりきりだった。通常とは異なる設備の病室にいるようだ。自動開閉とおぼしきドアがひとつ。窓もあるがブラインドが下ろされていて、外の様子はわからない。
「…………」
気分がひどく落ち着いている。精神安定剤を処方されたのだろう。怒りも悲しみもあるはずなのに、精神は中庸を保ったままだ。
(すごいな……科学の力は)
薬ひとつで
(でも)
手で探るとわかる。胸の呪印は消えていない。
「起きたかーい?」
明るい声がして、医者が入ってきた。
「担当医の
ウェーブした長髪を、うしろでひとつにまとめている。医者というより、公園のベンチで日がなタバコを吸っていそうな
「はい、じゃあ自分の名前は言えるかな?」
「
「そうだねー。意外と落ち着いてる?」
一磨は無言でうなずく。
「うん、よかった」
島倉がにへらと笑う。不思議と嫌みを感じさせない顔だった。
「うすうす気づいてると思うけど、ここは付属病院内の隔離病棟ね」
「はい」
「反応薄いね」
「薬のせいじゃないですか?」
「よかった、効いてるんだね」
胸ポケットから一枚の写真を撮りだした。
「はい、これ君の写真」
病院で裸にされた一磨を、真上から撮影した写真だった。
胸に大きく「ム」の刻印がある。縦の長さは、鎖骨からみぞおちまで至っている。
「君の胸にデッカく刻まれた鬼児の刻印だけど。呪術検査の結果、キッチリ呪いを受けてることが判明したよ」
「はい」
「今までの報告や研究からすると、この刻印を受けた者は
「ええ、知っています。俺はいずれ……」
「君は人間だよ」
島倉はキッパリ言った。鬼になる自分を肯定するな、と言うように。
だが一磨はわかっていた。
「俺はいずれ鬼になります」
「ホント冷静だね」
「おかげさまで」
一磨は島倉をまっすぐ見据えた。
「島倉先生、俺が冷静なうちにハッキリ言ってください」
島倉はうーん、と考えたあと無表情になる。おそらく彼の真剣な表情なのだろう。
「んじゃ、ハッキリ言うわ。君は貴重なサンプル体だ。鬼児の呪印は、人間の体を急速に造り替える呪い。いったい何が起こるのか、常に観察させてもらうよ」
「はい」
「あ、でもみすみす鬼にはさせないからね。おそらく、怒りが呪いを発動させる
「怒りだけではありません。憎しみや絶望も、呪いの進行を早めます」
「冷静だね」
「おかげさまで」
「んじゃちょっと待って」
島倉は胸から下げたPHSでどこかに電話をかける。
「面会の許可を下ろすよー。君が安定しだい、会いたがってる人がいるからさ」
「面会?」
「立てる?」
「はい」
病棟内を移動し、面会室へ入った。無機質な部屋をガラスで仕分けた部屋だ。
「学園長……」
面会に来たのは学園長だった。職員を二名ほど連れている。
「気分はどうだい?」
「平気です」
元気ではない。深く沈んでいるわけでもない。精神は真ん中にいる、と一磨は答えた。
「らいら……
「全身に火傷を負っている。左肩の傷も思わしくない」
傷による熱のせいで、意識が朦朧として口もきけない状態だという。
「彼女は人間ではない。人間用の薬が効かないのだよ」
「え……!」
「ご家族に連絡を取った。彼女は一族伝来の薬を持ってきているはずだそうだが、なにせ私物だからな。探すのに手間取っている」
一磨は思い出す。
「俺、知ってます。引っ越し、手伝ったから」
「本当かね!」
冷蔵庫の中や戸棚の下、覚えているかぎりの場所を伝える。
「薬の効能や材料を書いたノートは、机の一番上の引き出しにあるはずです。特別だから、そこに入れると言っていました」
「よし、すぐに手配させよう」
学園長は、薬の場所を書いたメモを職員に渡す。職員はうなずいて面会室を出て行った。
「ほかに何か知っているかね?」
「神虫は鬼性のみを栄養とできるそうです。動物の血かなにかを経口で飲ませた方がいいかもしれません」
「わかった、手配できるかやってみよう」
学園長はICレコーダーを取り出した。
「何があったか、話してくれ」
「どこから話せばいいか……」
「観王寺への調査に出る、その動機からだ」
一磨はできるかぎり順を追って話した。
観王寺へ行けば自分の因縁がわかると言われた話。
観王寺で弁才天像の縁起を読んだ話。
父親からの手紙を受け取った話。
らいらと
宿坊が火事になった話。
岡留が鬼にさらわれた話。
岡留が鬼に操られ、一磨も鬼に捕らわれた話。
呪印を受け、らいらが助けに来てくれた話。
岡留を助けることなく戻ってきてしまった話――。
長く話したような気がする。短い話だったような気もする。
「俺は……彼女を責めました。俺の弱さを棚に上げて」
「…………」
「俺たちは……パートナーで、いいんでしょうか」
学園長はジッと黙る。
「彼女はね」
やがて語り出す。
「前の学園で、孤立してたんだ」
「え……?」
「猛勉強したまではよかった。だが友達を作ったり遊んだりなどしなかったようでね。退魔士の資格を取った途端、自分が孤独だったことに気づいたのだ」
「らいらが……?」
一磨もすこしは経験がある。資格を取った時に浴びる、妬みとそねみの風。
ただ一磨には友達がいた。人と交流することもしてきた。だから何を言われても平気だったし、風はすぐ止んだ。努力ともいえない努力が、彼の防御壁になっていたのだ。
らいらにはそれがなかった。
「おまけに彼女の血統を言いふらした者がいたようでね」
「ああ……」
なにがあったかは推して知るべきだろう。
人間ではない血を持つ者へ、人間がなにをするか――。
「聞くに堪えない罵詈雑言、疑心暗鬼を育てる陰口、嘲笑・無視という集団攻撃……彼女はもう限界だった。見かねたマニ学園の学園長から連絡があってね。どうにかならないか、と」
有資格特待生がいじめられる。マニ学園にとってはこの上ない醜聞だ。学園全体の評判にも関わる。同じ特待生を輩出した学園の長に、解決方法を尋ねたのだ。
ヤコージュの学園長は、マニ学園内での解決方法はないと答えた。らいらにヤコージュ学園への転入を勧めた。誰よりも、彼女のためだった。
「初めて会ったとき、『ヤコージュに来ないか』と告げたら、ポロポロ泣かれたよ」
手をさしのべられた迷子のように、らいらは泣いたという。
『わたし、大事なものを忘れてました』
人とコミュニケーションすること。当たり前の信頼関係を築くこと。
彼女は忘れていた。一族と勉強のことばかり考えて、他人との絆を軽んじてきた。
『でも、もうここでは無理なんです。疲れたんです。つらいんです。ここにいるのが』
らいらは泣きながら後悔していたという。
『やりなおせますか? ヤコージュで、やりなおせますか?』
学園長はわずかに笑った。
「君にその気持ちがあるなら、と答えた」
だから彼女は来た。ヤコージュ学園へ来た。そこに彼女と同じ有資格特待生がいた。鬼を探す者、玉石一磨――きっと彼女の助けになるはずの少年が。
「彼女もね」
学園長はぽつりと言った。
「ひとりだったんだよ」
一磨は呆然とした。
竜野らいら――優秀な転入生。
愛想がよくて。人気があって。
従順なまでに、素直で。
彼女の自然体なのだと思っていた。
「妙な価値観にとらわれた教育者なら、彼女を『逃げた』と言うかもしれない」
違う。
「だが私はそうは思わない。彼女は、やりなそおそうとしているのだよ」
彼女は努力していたのだ。できなかったことを、取り戻そうとしていたのだ。
「らいら……」
どれだけつらかったろう。
一磨になら理解できるはずだった。
「俺は……彼女のことを、何にも知らなかった」
知るべきだった。だが、しなかった。
自分のことばかり考えていたような気がする。
「らいら……会いたい」
会ってどうする?
何を言う?
(謝るのか?)
違う。
(助けて、と言うのか?)
違う。
(わからない)
答えは出ない。
「わからない……」
何もわからなくても、たしかなことがひとつだけ。
彼女に会いたいということ。
「……学園長」
「何だね?」
「お願いがあります」
覚悟を決めた瞳だった。
「彼女に、らいらに、伝言を」
「なんと伝えよう?」
決まっている。彼女が自分のパートナーであるならば、伝えることはひとつ。
「次に会ったとき、俺が鬼になっていたら――俺を喰ってくれ、と」
「それで、よいのかね?」
「はい」
学園長は立ち上がった。面会時間が終わった。面会室を出て行く。
ぽつ、と一磨の手の甲に雫が落ちた。
「らいら……」
一磨は泣いていた。
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