第10話 鬼児

 二人はもと来た道を歩いていた。

 例の事件の影響だろう。夜が深まるにつれ、人通りも少なくなっている。本来ならば仕事帰りのサラリーマンなどでごったがえす繁華街に、どことなく寂しさが満ちていた。

「……あ!」

 前から歩いてくる人間の顔を見て、一磨かずまが足を止めた。

 鬼の襲撃があった夜、一磨たちに絡んだ大学生グループがいた。その中の一人だ。

「……どうします?」

 らいらも気づいたらしい。

「面倒だ、どっか迂回して……」

 一磨はらいらを促して、きびすを返す。

「ま、待ってくれ!」

 向こうも気づいていたらしい。

 大学生は片足をかばいながら、ヒョコヒョコと小走りに近づいてくる。引きとめる声に悪意を感じられず、二人は足を止めた。

「……なんですか?」

「こないだは悪かった」

 大学生は頭を下げた。

 一磨はようやく思い出した。

 襲撃の混乱の中、一磨が助けた学生だった。

 彼に喧嘩をふっかけた大学生を、一磨は危険を顧みず助け起こした。「人命第一」――退魔士の心得に従ったまでの行動だったが、大学生の中では心境の変化があったらしい。

「あんたのおかげで、オレは助かったんだ。ありがとう」

 大学生は深々と頭を下げた。

「それから……二人とも、早くここから逃げた方がいい」

 学生はいきなりそう告げた。

「どういうことです?」

 一磨はいぶかしげに眉を寄せる。

 らいらもよくわからないらしく、首をかしげている。

「おい、菊谷きくや。何してる?」

 三人の背中に、威圧的な声がかかった。学生が表情をこわばらせる。

「せ、先輩……」

 菊谷と呼ばれた学生はおびえたようにつぶやいた。

 菊谷に声をかけたのは、二人に絡んだ大学生グループ、そのリーダー格の男だった。

玉石たまいし、だな」

「…………」

「ちょっと顔貸せや」

 あの夜よりも剣呑な雰囲気だ。今にも殴りかかってきそうな殺気を振りまいている。

「らいら、逃げるぞ」

 一磨は小声で告げる。

 らいらもうなずく。

 二人は駆け出した。バラバラのルートで逃げたいところだが、らいらはまだこのあたりに不案内だ。一緒に逃げるしかない。

「逃げるなァ!」

 男の声が響く。

 裏通りへ入る。並ぶ店舗のあいだを抜け、狭い道を入る。

「待てェェッ!」

「くっそ、しつこいな!」

「一磨さん!」

 らいらが声を上げる。二人は立ち止まった。

 道がない。工事中の建物が道をふさいでいる。

「しまった、行き止まりだ」

 すぐに撒けると思っていたのが油断だった。途中で道を間違えたらしい。

 建物を覆う灰色の養生シートが、夜風に波打つ。

「いーところに逃げてくれたじゃねぇか」

 男が追いついた。

 その男に、菊谷と呼ばれた大学生がすがりつく。

峯崎みねざき先輩! もうやめましょう、こんなこと! いいじゃないですか、もう!」

「うるせェッ!」

 峯崎と呼ばれた男は、菊谷を殴り飛ばす。

「話し合い……って雰囲気じゃないな」

 峯崎は完全に頭に血を昇らせている。血走った目に理性はない。

「一磨さん、殴られるのはダメですよ」

「大丈夫。下がってて」

 先日のこともある。油断しなければ負ける相手ではない。

「ジャッ!」

 峯崎がパンチを繰り出す。

 一磨はパンチをかわすと同時に、峯崎の手首と肩をつかむ。相手の体が流れる力を利用して、そのまま肩を押さえこんだ。

 峯崎は地面に倒れる。一磨は峯崎の肩をガッチリ押さえたまま、手首を背面へ引く。

「ぐああっ!」

 関節をめられて、峯崎は動けなくなった。

「ちょっとは頭を冷やせ! なぜ俺たちに絡む!?」

「くう……」

「一磨さん、見てください!」

 らいらが指さす。

「鬼児の印……!」

 峯崎の手首に「ム」の刻印がある。鬼に協力する者のあかしだ。

「呆れたな、退魔士になれなかったら次は鬼か」

 ふつふつと怒りがわいてくる。一磨には許せないことだ。

「テメエ! どこでこの印を受けた!」

「…………」

「答えろ!」

 極める力を強める。ミシミシと骨のきしむ音がしそうだった。 

「いっぎ……!」

 峯崎は苦痛に息を詰まらせる。

「て、手引きしてくれた人間がいるんだよ! 力をくれるって!」

「誰が手引きした!? 吐け! さもなくばァ……」

 ギリギリと力を強めていく。

 峯崎の顔が苦悶に歪む。

「待って、一磨さん! それ以上はダメ!」

 一磨の腕を、らいらがすがるようにつかむ。これ以上やれば峯崎の骨が折れる。そうなれば一磨が犯罪者になってしまう。

「離せ、らいら!」

 一瞬、一磨の力がゆるんだ。

「オオオオッ!」

「!?」

 突然、峯崎からすさまじい力が放たれた。

 二人は弾き飛ばされる。

 峯崎が跳躍した。数メートルの高さを一挙に超え、ビル壁に手足をつく。

「シイイ――……」

「な……!」

 峯崎の体がべったりと壁にはりついた。クモかトカゲのように、垂直の壁に四つん這いになっている。人間ではできない芸当だ。目つきも尋常ではない。人間らしい光を失っている。焦点が合わないようでいて、標的はしっかり捕らえている。

「シイイ――……」

 峯崎の口から音がほとばしる。もはや声でさえない。

「シャアアアアアッ!」

 峯崎が飛びかかる。

「神虫!」

 らいらの影から神虫の腕が伸びた。峯崎を受け止めるように、神虫の手が捕まえる。五本の長い指のある手だった。神虫はそのまま、ビル壁に峯崎を押しつける。

「グム……ヒイ……!」

 峯崎が悶える。ただ抵抗しているのではない。明らかにおびえていた。殺気が消え、神虫の手の中でじたばたと暴れる。

 やがて峯崎の首がガックリ垂れた。

「下ろしてあげて」

 らいらに従って、神虫が峯崎を地面に下ろす。神虫はそのまま彼女の影に消えた。

「どうしたんだ、いったい?」

 うつぶせに下ろされた峯崎は、ピクリとも動かなかった。

「!?」

 突如、峯崎の体が反り返った。まるで糸を引きすぎた操り人形だ。

「何だ!?」

 首のうしろから、ベリリと何かがはがれ落ちた。

「蜘蛛だ!」

 赤色の蜘蛛が、峯崎の体から逃げ出す。

 その途端、峯崎の皮膚に赤い線が走った。無数の細い線が皮膚に刻まれる。血が噴きだす。峯崎の体が赤く染まった。

「せ、先輩!」

 菊谷が峯崎にすがる。

 峯崎は意識を失っていたが、息はあるようだ。

 一磨は即座に蜘蛛のあとを追う。

「糸か……!」

 赤蜘蛛は首筋にとりつき、糸を峯崎の体内に張り巡らせていた。神虫におびえた赤蜘蛛は糸を乱暴に切ろうとしたか引き抜こうとしたか。そのせいで、峯崎の体中に裂傷が走ったのだ。

「あなたは助けを呼んで!」

 らいらが菊谷に言い放つ。

「神虫!」

 らいらの影から、中型犬サイズの神虫が飛び出す。らいらも一磨を追って走り出した。

「妖怪だ――!」

 妖怪と聞いて、通行人があわてて道を開ける。

 赤蜘蛛は繁華街に入り、土曜の怪異事件の現場に走っていく。

 現場にいた警官が、走ってくる二人に気づく。

「なんだ、君たちは! ここは立入禁止だぞ!」

「妖怪です!」

 らいらが叫ぶのと、警官の足下を赤蜘蛛が走り抜けるのは同時だった。

「うわっ、何だ!?」

 蜘蛛がマンホールの中に飛びこむ。先日、鬼が出現したマンホールだ。

 一磨もためらわなかった。誰が止める間もなく、暗い穴へ飛び下りる。

「一磨さん!」

 さすがにらいらは止まった。神虫がグルグルとうなりを上げる。

「どうかしたのか!? 君は?」

 退魔士とおぼしき男が声をかける。らいらは学生証を示す。

「ヤコージュ学園有資格特待生、退魔士の竜野らいです。妖怪が出ました。あのビルの向こうに、怪我人がいます。早く救護を!」

「あ、君!」

 言うやいなや、らいらもマンホールへ飛びこんだ。

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