第2話 一磨にあうモノ

 土曜日は午前中で授業が終わる。

 正午の鐘が鳴った。

 一磨かずまは校門前で友人を待っていた。

「おーい! 一磨、おっ待たせー!」

「遅いぞ、才二さいじ

「わりーわりー。一般生は授業があるからさぁ」

 才二はへらへらっと笑う。彼もヤコージュ学園の三年生だ。ただ一磨と違って退魔士の資格はまだ取っていない。

「うらやましいよなぁー、有資格特待生! 国家試験に受かったから、卒業までほとんど授業受けなくていいんだぜ?」

「卒業までにやる授業を、一年二年で集中的に受けただけだ。二年間、朝から晩まで勉強と鍛錬漬け。忘れたのか?」

「そーいや、無理しすぎて倒れたこともあったっけ! うわー無理だわ」

 退魔士の資格を取るには、国家試験を受ける必要がある。その合格率を上げ、より優秀な人材を育成する専門機関が、退魔士養成高等専門学校だ。そこでは普通、五年かけて専門的な教育を施す。一磨はそれを二年で修め、国家試験にも合格した。だから彼は、ホームルームと特殊な授業以外は受けなくてよいのだ。

「はーマジで無理! オレはのんびりやるわー」

「のんびりしかできないんだろ? こないだの術式学、何点だったんだ?」

「そ、それは言いっこナシ!」

 男子二人は笑いながら学園を出る。

「久しぶりだなー、外でメシ食うなんて」

 街中の定食屋、「加良屋からや」に向かう。店に近づくにつれ、油の匂いが漂ってくる。

「いらっしゃい!」

 店内は混んでいた。サラリーマンや大学生とおぼしき若者もいる。彼らの前には、一様に揚げ物が山盛りになった定食が置かれている。

 一磨と才二はカウンター席に座った。

「オレ、鳥天定食!」

「俺は……からあげ定食」

 メニューは見事に揚げ物メインだ。ゆえに男性から大人気の店だった。

「十五分くらいかかるけど、いいかい?」

「あ、はい」

 油のはじける音、揚げ物の匂い、にぎわう店内。待つ時間さえごちそうだ。

(おい、一磨)

 才二が極端な小声で話しかけてきた。

「なに?」

(あそこ、何かいる)

(ん?)

 調理場の隅に、うごめくモノがある。十センチほどの小さな体で、壁にできた油のシミをなめている。体は半透明で向こう側が透けている。

(小鬼か……餓鬼の亜種だな。もっと大きければ天井舐めとかいうけど)

(ほっといて大丈夫か?)

(精気がこごったモンさ。あの程度じゃ人には見えないし、害もそんなにないよ)

(退魔士が小鬼見逃していいのか?)

(今ここで鬼がいるって騒ぐか? 俺だって見過ごしたくはないけどさ……時間が経てば消えるレベルだって)

 小声でこちゃこちゃ話していると、小鬼が壁を舐めるのをやめた。

 鬼の首がぐるりとこちらを向く。目が合う。小鬼は壁から離れ、四つ足で這い出した。まっすぐこちらへ向かってくる。

(お、おい、一磨!)

 一磨の表情がこわばる。

 小鬼はカウンターに飛び乗り、身をクッと屈めた。

『シャッ!』

 聞こえない音とともに一磨に飛びかかる。

 ぱちん!

 一磨は両手で小鬼をつぶした。

 店員の視線が一磨に向かう。

「ああ、すみません。蚊がいたもんで」

「もうそんな季節ですかねー」

 五月の空気は、初夏を含んでいる。

 一磨は和やかに笑ったあと、ゆっくり席を立つ。

「ちょっと行ってくる」

「あいよ」

 一磨は店の奥にあるトイレに入った。水道の蛇口を指先でひねる。流水で丁寧に掌を洗う。小鬼だった精気のカスを洗い落とす。

「……くそっ」

 一磨は舌打ちした。

 小鬼は一磨を見て、一直線に向かってきた。


 ――君の因果が鬼を引きよせる。


 誰に言われた言葉だったか。

 鬼を引きよせる体質。一磨は厄介な質を身に帯びていた。付喪神と人間のハーフだからか。それとも別に理由があるのか。一磨にもわからない。

『十を待とうぞ、二十を待とうぞ』

 あの時、鬼が言っていた言葉が脳裏をかすめる。

 何を待つと言ったのか。年月か。年齢か。仲間か。どのみち、あの鬼は一磨を狙ってやると宣言したのは間違いない。

(死ぬ思いで退魔士になったのは……)

 自分の身を守るため、という理由もある。

「ふう」

 手を清め終わって、一磨は席に戻った。両手がひんやりする。

「はい、お待ちどー」

 二人の前に定食が並んだ。

 唐揚げが山盛りになっている。二十個はあるだろう。これで七百円というから、人気が出るのもうなずける。

「いただきまーす」

 一磨は最初のひとつを頬ばった。

 また店のドアが開いた。

「いらっしゃい! 何名様?」

「ひとりです」

「カウンターでいいかい?」

「はい」

 一磨の横に客が座った。

 一磨はちらりと新しい客を見る。少女だった。一磨たちと同じくらいか、年下に見える。

「何にする?」

「からあげ定食、お願いします」

「お客さん、大丈夫? ウチのは量多いよ。そこのお兄さんと同じ物だよ?」

 少女は一磨の前にある定食をちらりと見る。

「大丈夫です。たくさん食べられますから」

 一磨は思わず箸を置いた。隣の少女をまじまじと見つめる。

 細身の少女だった。果実と菓子だけで生きていけそうだ。とても唐揚げを二十個も平らげそうにない。少女は一磨の視線に気づくと、彼に向かってにっこり笑った。

「す、すみません」

 気まずくなって、一磨は小さく不作法を謝った。

 少女は気にした風もなく、視線を前に戻した。

「な、一磨。今度、転入生が来るって知ってるか?」

 鳥の天ぷらをがっつきながら、才二が言う。

「転入生? 珍しいな」

「だろ? 退魔士の養成校ってさ、学校ごとに校風が違いすぎるから転入してくる奴ってフツーいないよな」

「どんな奴なんだ?」

「そこまでは知らないよ。でも、三年生ってウワサだぜ」

「同じ学年か……」

 とはいえ、特待生で授業がない一磨にはピンと来ない。転入生と顔を合わせることは少ないだろう。

「はいよ! からあげ定食、お待ち!」

 一磨の隣から、新しい揚げ物の匂いが立つ。

「いただきます」

 少女が手を合わせる。嬉しそうに山盛りのからあげに手をつける。

 一磨はなんとなく少女の様子をうかがう。

 かつかつかつ、と少女は食事を平らげていく。カリカリ、シャクシャク、もぐもぐ。小気味のいい食べっぷりだ。「たくさん食べる」というのは嘘ではなさそうだ。

「んじゃ、そろそろ出るかー」

 才二が席を立つ。

「一磨、これからどーすんの?」

「二時までには学園に戻るけど。本屋かどっか行こうぜ」

「お、いいね」

 レジの前で財布を開きつつ、二人は暇つぶしの相談をする。

「ごちそうさまです」

「――!」

 一磨の隣にいた少女が、立ち上がるのが見えた。彼女の席の膳は、皿も茶碗も空になっている。食べるペースが一磨よりかなり早かったことになる。

「どした、一磨?」

「あ、何でもない」

 二人は店を出た。

「ふー満腹満腹!」

 才二が伸びをした。二人は本屋へ足を向ける。学園とは反対の方向だ。

「ありがとーございましたー!」

 店のほうから店員の声がする。少女が出てくるのが見えた。

 少女は、一磨たちとは反対の方向へ歩き出す。

(……学園の方へ行くのか?)

 一磨はなんとなく、少女の背を見つめていた。

「おーい、一磨! 行こうぜー」

「あ、ああ!」

 才二に呼ばれて、一磨はもう少女の背を見なかった。

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