それは誰がために #44 ミラージュリポート

「…ライさん、相変わらず神出鬼没だなあんたも。いつ帰ってきたんだ?」

「三時間前。まだ任務中だから、学院には戻ってないけどね。元気してた?」

「まあな。それはそうと、何でこんなところにいるんだ」

ジャスの口調に幾分呆れが混じる。

見知った顔とはいえ、人気のない場所で出くわせばそれも自然な反応だ。

もっとも自分も人のことは言えないが。

「君を追っかけてきたんだよ」

少年と言い換えても差し支えない見た目の青年はにっこりと笑った。



薄暗く陰気なこの一帯の雰囲気ほどこの男に似合わないものもないだろう。

ジャスは六つ上の先輩であるライ=デュールマールが笑っているところを目にしなかった日はない。

身体能力の割に身長には恵まれなかったジャスだが、その自分よりも彼はもう少し背が低かった。

だがこの屈託のないベビーフェイスとは裏腹に、実際はイーギスが誇る最高戦力に付けられた《フェンリル》の一人だ。

彼らが打ちたてた武勇伝は数年経った今でも、現役学生たちの間で語り草である。


耳を覆うホワイトブロンドの髪が頬を撫でている。

良く言えば野性的、悪く言えば粗野な自分自身とは違い、童顔の青年はあらゆる意味で全く真逆だ。

色素の薄い中性的な見た目は魔術科二年のイケ好かないあの男にも共通するが、先天性白皮性であるやつと違って、柔和な笑みを浮かべる目の前の男はそうではない。

自分に課せられた任務の遂行力を高めるためにはあらゆる手立てを講じる。

現在の髪の色も枠の太い眼鏡もフェイクに過ぎない。


「いやね、倉庫街に入る君を見かけてさ、びっくりさせようと思って離れて歩いていたんだ。でも、なんか三人組が君の後を付けてるじゃない。こっちのほうが面白そうだったから尾行してみたんだ」

尾行者を尾行。

相変わらずでたらめなことをする。

自分の後をつけていたやつらもまさか自分たちが後をつけられているとは考えもしなかっただろう。

事実自分もライの気配には全く気づいていなかった。


「どんなやつか顔を見たのか?」

「いやここまで暗いとね。何かで素顔を隠していたし。でも一人は僕たちよりも背の低い人間だった。足取りも軽かったし、体の線から判断すると女性なのかもね」

ライは背中に背負ったケースを静かに地面に下した。

彼の観察眼には信頼を置いている。

他の人間なら見落としてしまう些末な情報も、ライにかかればそれはあり得ない。

単に記憶力や集中力の問題ではなく、膨大な情報の海から効率的に必要なものだけを取捨選択できる習性を身につけているのだとロキから聞いたことがある。


とはいえ、予期せぬ邂逅も手放しで歓迎する気にはなれない。

「…んなガキみたいなことしてんじゃねえよ。しまいにウリカのバカが真似をするぞ」

「あは、相変わらずみたいだねウリカちゃんも」

憎まれ口を叩いても呆れかえってみても、対するライは楽しげな表情を浮かべるのみで、この男の前では意気がもたない。

恐ろしく有能なのは認めるが、どうにもならない性格の不一致は最早ウリカ以上ではあった。


「っとそうだ。イーギスでちょっとしたことがあったみたいだね。ちょうどその場に居合わせたんだって?」

「ああ、ガーベラの新型かもしれない。何か知らないか?」

イーギスを不在にすることのほうが多い彼は自らが開拓した独自の情報源を複数持つ。

彼を経由してもたらされる貴重な情報が、深謀遠慮渦巻く権力の中にあって、時に予断なき舵取りを迫られるイーギスの進路に多大な貢献を果たしていることは知っていた。

この男の人脈は広く、そして深い。


「あれは新型じゃないよ。ガーベラって元々ああなんだ」

「どういうことだ?」

「君たちの前で使われたガーベラが本当のガーベラってことだよ。市場に流通しているのはガーベラであってガーベラじゃない。ざっくり言っちゃうと、本来の効能の部分だけを取り除いた限定的なものなんだよね」

「なに」

思いがけない事実にジャスが顔を顰める。


「一か月前にもジェリカで似たような事件があったんだ。使ったのはジェラルドから出所したばかりの格闘家。あれはびっくりしたなあ。だって身体能力の向上に痛覚の鈍化だよ?おまけに意思疎通が困難になったりするんだもん。ジェリカ支部の鏡鷹隊と協力して無力化したけど、それと同じなんじゃない?」

「ああ、全く同じだな。どういうからくりなんだ?」

観光業とカジノで有名なジェリカはマーセルからは列車を乗り継いでも二日の距離にある。

第三の州都として知られ、夜の活況だけ見れば、聖シオンの経済力を下支えするマーセルに勝るとも劣らない。

組織にいた頃、仕事で何度か立ち寄ったことがあり、連れの若い衆はカクテルライトの下で生まれる熱狂に魅入られていた。


「そうだなー。隣国のマクシミリアでは重兵器の開発が盛んでしょ、特に戦車とか。でもね、砲台に装填するロケットは信管っていうのを抜けば着弾しても爆発しない仕組みになってるらしい」

「聞いたことがあるな。セーフティがかかったままの拳銃のようなものか」

昔も今も隣国の軍事力は不安の種だ。

それは市民に忌み嫌われるシシリー・マッツとて例外ではない。

国防という言葉を明確に意識するようになったのはこの学院に入学してからだが。

「うん。つまり、そういう発想をガーベラにも流用してるみたいだね」

「なるほどな」

「うん、一般に流通しているのは、リスクを取り除いた安全な品物なのでどうか安心してください。問い詰めたら、サイファーは十中八九そう答えるだろうね」


「そんな建前が通用するほど甘くはねえだろ。王立情報局ギューゲルベルハーが情報操作してるとはいえ、シラを切り通してもどこかで必ず足が出る。現にあんたたちは動いて、そこまで掴んだ。どうしてそんなものが存在するんだ」

黒いジャケットに両手を突っ込み、ライは軽く嘆息する。

「学長からのオーダーの一つにその調査がある。これは僕の推測だけど、例の《国民総魔術師計画》に関係あるかもしれない。そう、近代戦の準備を着々と整えているマクシミリアに対抗するための有効な手段として開発されたのが、案外本当の狙いだったりするのかもしれないね」


それが憶測であれ推測であれ、ライの口を突いて出る言葉が意味するものは不穏に満ち、ジャスの表情を顰めさせるのに十分だった。

星の輝き一つ見えない曇った夜空の中、淡く滲んだ月光が男たちの居場所を照らしている。

シャッターの下りた無愛想な倉庫街、その静寂に息づくのは二人の静かな息遣いのみだ。

「…それをなぜシシリー・マッツのやつらが使う?少なくとも俺がいたころにはそんなものはなかったはずだ」


「それが二つ目の謎でね。ジェリカで起きた件も含め調査中なんだ。手を借りるようで悪いんだけど、シシリーのほうは君たちで探ってくれないかな」

「ああ、それは構わないが。実際、今ロキさんを中心にそれに絡んだカリキュラムの再編成が行われてるところだ」

「あ、そうなんだ。でもこの調子じゃ帰るのはもうちょっと先になりそうだな。もう少し裏を取らないとお土産にもなんない」

この青年が裏付けに手間取るということは余程慎重を要するのだろう。

彼が開示した情報は全く一般に知られていない。

イーギスの隠密活動を一手に引き受けるライがどうやってその真相に辿りついたのか考えるだけ時間の無駄だが、仮に周知の事実になった場合を考えると、これが王立魔導学研究所、サイファーイストハイムの重要機密である可能性は高い。

だがライは深刻とは無縁な表情でやれやれと苦笑している。


「ジャス君。話しかえるけど、どう、ノエル元気にしてた?」

唐突に話題を変えたライが身を乗り出すようにして質問する。

自分がした質問への答えを早く聞きたくて仕方ないらしい。

誕生日にプレゼントを心待ちにする子どものような邪気のない笑顔を浮かべているが、基本的にこの男はいつもこんな感じである。


苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てたジャスは建物に背を預ける。

「…元気どころか、俺に一発ヘッドバッドくれやがったよ」

「うそ!てかイタそう!うわー、でも見たかったなあそれ。元気いっぱいじゃない!」

驚いた拍子に髪が揺れる。

どこまでも純粋で屈託がない年上の男に、ジャスは鼻を鳴らし恨めしそうな目線を向けた。

苛立たし気に煙草に火をつける。

「どこがだよ、あのじゃじゃ馬が。注意力も散漫だし足手まといになるぜ?」

「まあまあ。僕にとっては手のかかる妹ほど可愛いものはないってね。どう、結構可愛いかったでしょ?」

「知らねえよ」

「ははは、そっかあ。あーあ、早くイーギスに帰りたくなっちゃったなあ。てかノエルに会いたい」

不機嫌になり始めたジャスをさらにからかうことはせず、ライは肩を揺らせてひとしきり笑った後、すぐ隣の鉄柵に腕をかけ飛び乗った。


「…なら帰ってくればいいじゃねえか」

「残念だけど、今回帰ってる暇はちょっとなさそうなんだよね。この後、いくつかアポを入れてるし」

「今回のはいつ終わりそうなんだ?」

学長専属秘書のロキや専属護衛のルカと違い、ライ=デュールマールは一年のほとんどをイーギス外で過ごしている。

彼の評判は知っていても実物の彼を知らない生徒が数多いのはここに理由がある。

「もうちょっとかかるかなあ。今回はね、ちょっと調べ物があったから一時的に戻ってきただけ。始発で次の目的地に向かうよ」


「ねえジャス君。悪いけど、一つ頼まれごとを受けてくれない?僕の代わりに学長に伝えておいてほしいことがあるんだ」

「ああ、何だ?」

神妙な話が始まるのかと思いきや、ライの表情は相変わらず素のままだ。

「シンポジウムの開催に先駆けて王都の役人がイーギスを訪ねてくる。男の名はフォイヴォス=ミルバーン。知ってるでしょ?」

「知ってるも何も急進派の一角じゃねえか。そんなやつがどうしてここに?」

その男は王都きっての論客として知られているが、肝心の中身は意味もない主張や提案ばかりで人気は高くない。

本来の職務である政策立案は二の次三の次らしく、自身の存在価値を誇張する労力にかけては寝る間も惜しむ狸のような中年男だ。


「何かを仕込むつもりだよ。王都での彼の最近の言動を見てると、どうもイーギスに着せた恩を摘み取りにかかろうとしてる感がある。ここぞとばかりにね」

「くだらねえことばかり思いつくオッサンだな。案外小物の人気取りじゃないのか。ミロさんに殴られた時も物見遊山で来てたんだろ」

腕組みをしたジャスはくくと口角を上げる。

結果的に刑務所送りになってしまったミロには悪いが、今思い出してもあれは傑作だった。

周囲にいた市民が彼に晴れ晴れとした喝采を挙げる中、神ならぬ、お上をも恐れぬ不敵な面を浮かべたミロは地面に転がる役人を睥睨し、ずっと哄笑を挙げていた。

彼の捕縛の報をイーギスにもたらしたのは、彼と共に現場にいたジャスである。

「そ、懲りないよねーあのおじさんも。でも油断は禁物だよ。相手は小物でも彼のバックは大物揃いだ」

「了解した。学長の耳に入れておく。他に何か用事があるならついでに聞いておくが」


「そうだね。用事じゃないんだけど、話を最初に戻すと君はなんでつけられてたの?」

「色んな所に恨みを買ってんだ。組織に対しても、俺個人に対しても。俺をつけ狙うやつは多いからな。だから今もこうして一人でいたんだ」

毎回というわけではないが、ほとんどの実地研修は単独でこなしている。

尾行されたのも別に今回が初めてではない。

返り討ちにしたケースも何度かあるが、自分以外の誰かが隣にいれば巻き込まれかねない。

「事情や背景は違うが、それをする理由は単独で動くあんたと変わらねえよ」

避けられるはずの面倒なら最初から無用だった。


最後の紫煙を目で追い、吸殻を足裏で潰そうとするジャスは小さな袋を手渡される。

「?」

「携帯用の灰皿。吸うならマナーは守らないとね」

「意外だな、あんたが吸うなんて」

ライは同じ銘柄の小箱を内ポケットから見せる。

「任務を終えた時だけ、ね。ちょっとしたお祝い」

「そうか」

似合う似合わないではなく、吸っていたとしても別に問題はないが、彼がこれまで口に咥えている姿は見たことがなかった。

しかし、何のことはない、それをするにも自分の中のルールに従っているだけのようだ。


「まあー、確かに特殊だもんね君の場合。てっきりまた始まったのかと思ったな」

「何がだ」

「イーギス狩りだよ」

思わせぶりに吐かれた彼の言葉の続きが意味するものはジャスも知っていた。

響きの悪さは互いの間でしばしの無音を生んだが、ライの表情に変化はない。

「…確かあんたが現役の時から起きてる事件だよな」

「やめてよ現役なんて言い方。年取ったみたいじゃない」

「実際そうだろうよ。ミロさんらと一緒だと兄と弟にしか見えねえ」

「あ、傷つくなー。でも、自分の身長と顔はコンプレックスだったけど、今ではいいカモフラージュにはなってるんだよ」

ジャスに向けて、ライはぷくーと頬を膨らませる。

年甲斐もないその姿は子どものハムスターが怒っているようにしか見えなかった。

「とにかく、それについてはイーギスにいない僕から言えることは特にないし、何よりロキたちが十分気を付けてるはずだからね」


「せいぜい用心するさ。あんたの仕事は疑ってねえが、一人で十分なのか?」

身の危険を心配しているのではない。

実際、この男ならどれほどの窮地に陥ってもなんとか掻い潜ってしまうだろう。

どちらかというと、座視のできない様々な問題が起こる中で数多くの任務をたった一人で捌けるのかという懸念だ。

危険なヤマにも単独で潜入し切り抜けてきた実績と経験は貴重な知見に変換され、ライはいつも遅滞なくイーギスに還元している。


「ありがと、でも大丈夫。まあ、これには向き不向きがあるから。現役時代の名残でたまにミロとツーマンセルでやってるけどさ、肝心のミロが今はああだしね」

残念そうな表情を覗かせたライだが、手を打って顔を輝かせた。

「そうだ、何かあったら君が手伝ってよ。人手を借りたいときはあるし」

「何を。あんたがやってる仕事はおれには向いてないさ」

「そう?僕の考えだと君はこの上なく向いてると思うんだけど」

口を閉じて笑う青年の髪が建物の隙間から舞い込む風にさらりと吹かれた。


「さてと、そろそろ時間かな。先方を待たせちゃ悪いし、僕は失礼するよ。もう少し君とは個人的な話もしたかったけど」

「…個人的な?」

鉄柵から飛び降りるライを怪訝な目で見つめる。

ただどれだけ問い詰めても、彼からの答えは聞けそうになかった。

ライの顔が仕事のそれに切り替わっていたからだ。

「夏が終わったら一段落つくと思うからその時にでも。ミロを連れて戻ってくるから楽しみにしててね。あ、ノエルとみんなにもよろしく」


ギターの形をしたケースを再び背に担ぎ、ライは手を振りながら元来た道を戻っていく。

闇夜に馴染む青と黒のケースが見えなくなるのはすぐだった。

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