仮初の玉座 #38 黒い花言葉
ジャスは落ちた二本の鉄パイプをノエルの方に蹴とばした。
「これでも使ってろ。そんなもんただの飾りだ」
基本的に学内で武器の携帯は許可されていない。
間違いが起こるのを未然に防止するためだ。
イーギスナイフを袖から取り出していたノエルが不承不承といった顔で元に戻す。
チンピラ上がりとはいえ、確かに刃渡り十五センチのナイフ程度では威嚇にもならないだろう。
一週間前に支給されていたナイフの出番は今回はなさそうだ。
ロフタスパークでは在籍証明にもなるナイフを所持していなかったがためにシシリー・マッツの男たちに疑いの目を向けられもしたが、自分目当てにここにわざわざ乗り込んできたことを考えれば改めて身分を証明する必要もないだろう。
それにエプロン姿とはいえノエルはイーギスの制服を着用している。
アリアンが拾い上げるのを見て、ノエルも落ちた鉄パイプに手をかけた。
ナイフよりはいくらか格闘向きだし、ないよりはましだ。
男たちはみな武装しているが、刀を持ったジャス以外は魔術科のフランを除いて自分もアリアンも丸腰のまま来てしまった。
まさかこんな事態になっているとは想像もしていなかったし、だが確かにこのままでは魔法を使うフランを背後で守りきれない。
猫背の男を筆頭に報復だの復讐だの言っているが、むしろ返り討ちに会う可能性が極めて高いのは彼らの方だと言える。
完全アウェーに乗り込んできたことはご苦労なことだと思うが、だからこそ男たちの意図するところが当事者のノエルにはいまいちよく分からない。
「ノエル、多分わたしも今同じこと考えてるよ」
警戒心を露に正面を見つめたまま小さく呟くアリアンにノエルは頷き返した。
「フラン、ガーベラだ。そいつで侵入した可能性が高い」
「うそ?でも一番説得力があるんでしょうねその線が」
離れた位置で警戒を促すジャスの声を受けて、フランはノエルたちに振り向いた。
「私の正面はファーストガードにノエル、防御に徹するだけでいいわ。セカンドガードはアリーで。機を見て遊撃もよろしく。二枚で行くわ。細かいことは授業に任せるとして、今はとりあえず感覚でもいいから。ぶっつけ本番のバディシステムだけど、あなたたちならできると思う。どう、いける?」
「うん、分かった!」
「オーケーさ」
魔術を唱えるフランを守るのは自分の役目で、少し離れた位置に攻防を兼ねたアリアンが立つ。
武芸科は魔術科の盾となり剣となる存在だ。
詠唱の間、彼女は全てに対して無防備になる。
余計な思念は魔術の生成を阻害になるばかりか、行き場を失った魔力がリバウンドとして跳ね返る危険性もあり、だからこそ武芸科の人間は一太刀も銃弾一発も己の後ろに通してはいけない。
イーギスにおいて魔術に専念するということは、言い換えれば仲間に命を預けるということと同義であり、ノエルの役割はフランの正面で彼女の盾になることだ。
自分の持ち場からアリアンの背中に語り掛ける。
「まさか実戦がこんな形で訪れるなんて、流石に予想できなかったわ」
「そうだね。だから準備が大事ってことなんだろ」
「あー、今になってマルコ教官の言ってることがめちゃくちゃ理解できるよ」
ノエルに応じたアリアンが前に出る。
あの赤モヒカン頭の教官はマッドな見た目の割に準備や計画という慎重な言葉を好んでいる。
今回のように、いつどんな手を使って襲撃されるか分からないのだ。
事前に予測を立てることはできるかもしれないが、だからこそ準備という言葉の意味がより大きくなってくる。
親切な襲撃者などいないのだから。
練習でいくら上手く魔術を行使できても実戦で使いこなせなければ意味がない。それは武芸科にしても同じことだが、こと魔術科に限るとその差はとどのつまり集中力の差になってくる。
だが先ほどの
ノエルは彼女がどういう魔術の使い手なのか知らないが、一般的に防衛魔術は攻撃に比べ、陣図構成や理論に複雑な理解を求められるだけに習得難易度は高いと言われている。
アリアンの言葉通りなら、彼女はなかなかの使い手らしい。
ノエルの視線を一手に集めたフランは表情を引き締め、年下の同級生二人に視線を配った。
「ガーベラを使われたら面倒なのよ。でも、アタッカーがジャスだけじゃ足りない。ウリカは私が叩き起こすから、二人は自分の役割を全うして。速攻でカタをつけようね」
今や男たちの標的は刀を持つジャスに完全に集中したようだ。
それを見届けたフランがウリカに走り寄る。
「ウリカ、ほらウリカ。あなたの大好きなパフェを後でイザイアでご馳走してあげるから、この子の発言は忘れて」
「うぅ、あたし死ぬべきかな?」
何やら自分が決定的なことを言ったがためにこの巨木のような先輩を崖から蹴落としてしまったのは分かったノエルである。
悪気はもちろんないのだが。
「そんなことないわ。ほら、今月号のキュートに書いてあったことを忘れたの?あなたが憧れるメニフィス教官はインタビューで何て言ってた?」
その女性誌は女子寮の雑誌棚に過去の発行分も含め完備されているので、ノエルも一度見たことがある。
何気なくパラパラと捲っていると、本人写真とグラフィック付きでメニフィスの言葉が二ページに渡り掲載されていた。
同室の先輩に聞いたところによると、彼女への雑誌社の依頼は随分前から殺到していたらしく、キュート最新刊の発光部数はうなぎのぼりだという。
まあ確かにモデル顔負けのあの美貌と丁寧な話し口を思えば分からなくもない。
「女だって気合と根性って」
「でしょ。ウリカはそういうのを目指してるんじゃなかったの?今のウリカはメニフィス教官が言ってるのと真逆のことをしてるように見えるわよ」
「そんなあ…でも、今のわたしは再起不能だし」
「大丈夫よ。ほら、鉄パイプでジャスを助けてやって。得意分野でしょ」
「でもこれ握りにくそうだし」
そういう問題か。
ノエルは内心で突っ込みを入れる。
今フランの仕事を邪魔すべきではないだろう。
見れば、アリアンは腕組みをしており見るからにイライラしていた。
体育座りのまま渋るウリカに、フランは仕上げとばかりに焚き付けにかかる。
「ねえウリカ。多分憧れのロキ先輩、ここに来るよ。イジイジしてるとこ見られたい?どうせならさ、頑張ってるところ見てもらいたくない?努力を見せるチャンスだよねえこれって」
駄目押しの一撃を放ったらしい。
その言葉を受けてウリカは立ち上がったが、彼女の顔はあいにくノエルの位置からは見えなかった。
「大丈夫かい、あれ」
「なんかフラフラしてるよ?」
アリアンとノエルが満足げな表情を浮かべるフランに向き直る。
「大丈夫よ、あれでジャスに勝ったことがある唯一の生徒だから。同年代ではね」
フランはにこりと笑い、ウインクした。
男たちを着実に減らしていき今や九人。
そこでジャスは一息吐いた。
実際のところジャスの相手ではない。
完全に浮き足立ち狼狽する黒服たちだが戦闘意欲はまだ萎えていないらしく、手には獲物を抱えたままこちらを睨み付けている。
ここまで圧倒されれば早晩心がへし折れてもおかしくないはずだが、そんな様子もない。
リスクに見合わない因縁をふっかけにきているのは誰の目にも明らかなのに、逃走する気配もなかった。
なんとかなると思われているならそれこそ癪な話だが、そんな余裕を感じさせてやるほどジャスは甘くはない。
戦闘開始からそろそろ五分が経過し、異変に気付いた者たちも間もなく駆けつけてくるだろう。
もちろん一人たりとてイーギスの敷地から出すつもりはない。
滅茶苦茶に叫びながら、鷲鼻の男が諦めずに突っ込んでくる。
その男の後ろにはもう一人いたが、ジャスはそれを無視した。
振り下ろされた凶器を抜き放った鞘の表面に滑らせて勢いを完全に殺す。
前につんのめる男の頬にジャスはクロスカウンターの拳を炸裂させた。
地面に叩きつけた直後、ウリカの鉄パイプに薙ぎ払われた男がジャスの視界を覆う。
軽く舌打ちし、姿勢制御がままならない男の右脇腹に刀の柄頭をねじ込んだ。
呼吸困難に陥ったか、声にならない叫び声が上がる。
そして左手に持ち替えた刀をギリギリまで溜めて、背後の空間に迷うことなく一閃。
半円を描く横薙ぎの一振りに鉄パイプが紙のように切断された。
尻もちをついた男の腕に赤い線が走り、血が滴り落ちた。
「う、うわああ!」
「皮を切られたくらいで喚くな。本来なら腕を飛ばされてもおかしくねえんだぜ」
吹き出る血を抑えようともせず、顔色の悪かった男は顔をさらに真っ青に変えた。
刀に付着した血を振り払ったジャスが鉄パイプを円舞のように振り回すウリカに向き直る。
「おい。お前の分までこっちに寄こすな」
「えー、だって鉄パイプ握りにくいんだもん。扱いづらいよこれ」
「関係ねえだろ」
「そこまで言うならそれと交換して。使ったことないくせにそんなこと言われたくないー」
「馬鹿、誰が交換するか。棒切れで我慢しろ」
戦闘の最中だと言うのにどうでもいいことばかりを言う同級生の女にジャスは冷たく当たる。
ウリカの足元には二人が転がっていた。
これでさらに五人減った。
「フラン!どいつがガーベラを持ってるか分かったか?」
「お待たせ。あの猫背の男がそうよ。あの男にだけ魔力反応がある」
防衛魔術の一つである、
頷いたジャスが方針を決めるのは早かった。
「俺がやつを叩く。使われる前に無力化する。ウリカ、お前は残りにいけ。一人残らず檻の中に戻すぞ」
「はーい。いってらっしゃい」
気の抜けるようなウリカの返事に小さくため息をついたジャスは自分の狙いを猫背の男に絞った。
最初から印象に残る男だったが、ガーベラを持っているのもやはりこの男で間違いないらしい。
「さてしまいだ。覚悟はいいな」
「ちっくそが、予定より随分早えぜ」
猫背の男が怒りに顔を歪ませ歯切りする。
見上げた妄執だが、落とし前はつけてやらねばならない。
「ガーベラは使わせねえ。使う素振りを見せればその腕を切り落とす。大人しくしたほうが身のためだぞ」
「…バレたらしょうがねえ。このタイプは使いたくなかったけどよ」
「どういう意味だ」
「へははは、勉強が足りねえぜ?」
そう言った猫背の男は口の中で何度か音を鳴らした。
直後微かに聞こえた小さな破砕音にジャスが眉を動かす。
「カプセル化したか。周到な」
不審な真似をすれば言葉通り腕を吹き飛ばすつもりでいたが、頭の悪そうなチンピラの割には手の込んだ準備をしていたらしい。
元々の粉末状からカプセルにして歯に仕舞い込んでいたのだとしたら防ぎようもなかった。
「一つだけじゃねえぞ」
ぎょろりとした目でジャスを睨んだ男の顔は赤い舌を見せつける。
舌の上に寝かせたカプセルは一つや二つではなかった。
赤、青、緑といった色違いのカプセルの魔力効果はジャスには分からない。
薬包紙の状態で流通しているガーベラをわざわざカプセル化したことといい、複数個を忍ばせていたことといい、いちいち不明瞭な目的にジャスは苛立たしげに舌打ちした。
男が全てのカプセルを口内で圧し潰し、喉を鳴らす。
「もうあの女なんざどうでもいいぜ。イーギスをぶっ潰してやる、そのほうが面白いどうだん…ん?…ぎ、ぎょわぁぁぁうぁぁあ!」
ろれつが回らなくなったかと思った直後、口や鼻、耳から黒い蒸気を噴き出した男の異様な姿にここにいる全員の視線が注がれた。
「よけろ!」
「…くっ」
弾けるようなジャスの言葉が耳に入った瞬間、反射的にアリアンは体を捻った。
すぐ隣を凄まじい速さで飛来してきた炎の塊が通過し地面にめり込む。
もう少し回避が遅れていれば、ブスブスと焼けただれていたのは自分だったかもしれない。
この衝撃度なら骨のニ、三本など軽くイカれそうだ。
たまらず、アリアンは足元の小枝や落ち葉を燃やす高温の塊から距離を取った。
「うわなにアレっ!」
ノエルの悲鳴で我に返り、火球を放った男を直視する。
アリアンの視線の先では男から先ほどまでの三下特有の雰囲気はガラリと抜け落ち、顔中に何本もの血管が浮き出ていた。
「げは」
歪な発音が猫背の口から洩れる。
「お、おい。ロホ、大丈夫か?」
「あー?」
「ロホ?…ぎゃあ!」
心配げな声をかける仲間の男たちに拳を振るう姿に躊躇はなかった。
黒い蒸気を吐き続けながら、手近なところにいる男たちを手当たり次第に殴り倒している。
「うぇぇぇ?!」
素っ頓狂な声を上げるウリカにジャスは冷静に応じた。
「落ち着け。ただ事じゃねえのは確かだが」
「確かなことは言えないけど、症状からしてリバウンドが一番近いんじゃないかしら。彼の中で何が起きてるか分からないけど」
「ガーベラでそんなことがあるのかい?」
アリアンの疑問にフランは苦虫を噛み潰したかのような顔を見せる。
「ガーベラ自体、市場に出回ったのはまだ半年にも満たないのよ。詳しいデータはまだ十分じゃないからまだ確かなことは言えないの。製造元のサイファーは別だろうけど」
「歯に仕込んでるのは一つじゃなかった。全部いっちまったようだ」
ジャスの鋭い視線は見境なく暴れる男に注がれたままだ。
「…冗談でしょ。全部一気にいったら、もうリバウンドどころの話じゃないって」
ジャスとフランを中心に意見が交わされる中、ノエルの視線の先で男の様子はますます常軌を逸してきた。奇声に次ぐ奇声。
異様な事態に、流石に緊張は隠せない。
「あの、なんか身体がでかくなってる気がするんだけど、気のせいじゃないよね?」
「いや、確かに膨れ上がってるよ。こうなったら、ほとんどドーピングだね」
アリアンの褐色の肌が赤くなっている。どうやら彼女も同じ心境らしい。
「ち、質のわりぃ。と話し込んでる場合じゃねえか」
仲間を全て殴り終え地面に這わせた後、男が猛烈な勢いでこちらに迫ってきた。
「お、おれは魔術師だー!こんな爽快な気分になれるならもっと早くやっとけば良かったぜ!」
「構わねえよ何言ってもな。洗いざらい後で吐かせるだけだ」
言動が怪しくなってきた猫背の男に向けてジャスは躊躇いなく刀を振り下ろした。
それを鼻先でまともに受け、鼻から血が噴き出す。
「ぎゃあ、いてえよ!いてえいてえ!…てめえぶっ殺す!」
痛みながらも愉悦の色が濁った双眸に灯っている。
「ラリったやつに俺はやれねえよ。見境なく仲間までやりやがって、てめえから話を聞くしかなくなっただろうが」
ジャスの蹴りが男の腿を強襲した。
叩き折るつもりで振り抜いたが、どうやら先ほどよりも筋肉の強度が上がっているらしい。
目の前で上がる叫び声に顔を顰め、手にした愛刀を男の腕に向けて横薙ぎに一閃する。
もはや理性が保てているのかどうかも定かではないが、痛みで理性が戻せるなら刀を振り続けるまでだ。
「…
「フランもうやめときな。それだと最後までもたないよ」
「…ん、これが最後だよ」
フランの顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいる。
縫い合わせたように唇を噛み、手は膝につき、息は荒い。
身体は傷一つついていないが、身体の中では生命維持に必要な血液が魔術の対価として確実に消費されているのだ。
炎から身を護るための冷気がノエルたちを覆う。
魔術への対価を提供し終えたフランがアリアンにもたれかかる。
ノエルの脳裏で先日のライムの一件が蘇り、一瞬身体が硬直した。
だから、察知に致命的な遅れが出た。
「ノエル、危ない!」
「え?…わぁ!」
緊張を孕んだアリアンの鋭い声でノエルが顔を上げた時には頭上に火球が迫っていた。
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