仮初の玉座 #32 昼過ぎのトラッシュトーク

「お昼なのによくそんなに食べれますね、ノエルさん。午後から戦技訓練が二回あるのに」

「普通だよこれくらい。午後を乗り切るためのエネルギーだよ。デュオはさ、あんま食べないんだね?」

「夜はこれよりは食べれるんですけど、本当はお昼はパン二つと牛乳くらいで十分なんですけどね」

「あたしの朝ごはんじゃんそれ。あ、でも欲を言えば、果物とポタージュも欲しいとこね」


デュオの食の細さを知る食堂のおばちゃんからあれやこれやとつぎ足され、気づいた時には彼のトレイの上は皿と皿が角を突き合わせるほどの大渋滞を見せていた。

この量を平らげなければならないと思うと胸焼けしてくる。

小食ぶりは祖国の先輩騎士からも指摘されていたので体作りのためにも食べなければいけないと頭では分かっていてもどうにも食が進まない。

対面に座るノエルは大盛りのガーリックライスに加え、大盛りのチキンライスにサラダと目を疑うような量を美味しそうに食べており、見てるだけでなんだか食欲が満たされてしまうデュオであった。


このところ快晴日和のイーギスでは生徒たちの気分も自然弾むのか、イーギスに一つしかない食堂のランチタイムは腹を空かせた生徒たちでごった返す。

武芸科は戦技訓練を、魔術科は魔術訓練を終えた者たちが次々に食堂を訪れ常時フル回転の厨房にノエルは一人で三人前近い注文をし周囲を戦慄させた。

彼女の底知れぬ食欲に刺激を受けた厨房のおばちゃんが食べられるものなら食べてみろとばかりに大盛りにしたのをデュオはしっかりこの目で確認している。


そして今チキンライスが目の前から綺麗に消えた。

どこに消えたのかというと、それはもちろんノエルの胃袋の中である。

ごくっと水を飲み干し、次の獲物を仕留めにかかる大食漢の女をデュオはフォークを手に固まりながら半ば畏怖の眼差しで見つめた

「あ、これとか良かったらどうぞ」

「デュオはもっと食べないといつかあたしに背を抜かれちゃうよ?」


少年の憧れである母国の騎士団員には体格の良い者が多く、その中で縦も横も小柄な部類に入るデュオは女性にしては背の高いノエルとさほど身長は変わらない。

そう言われるとそれはマズイなと思うので明日からは牛乳の摂取量を倍にしようと心に誓うが、この歳になればもう身長が劇的に伸びることはないだろう。

あれほど病弱だった自分が今や風邪一つひかない健康な体を手に入れ、重装備をつけての重労働を日課にする近衛騎士団に入れたのだから、これ以上を望めば罰が当たりそうだ。


「でも今はお言葉に甘えて、これとこれももらっちゃおうかな」

底なしの食欲を見せつけられ、おまけにソーセージと卵焼きを皿の上からかっさらわれたデュオだが、実のところ胸は幸せでいっぱいである。なぜならこんな近い距離で彼女の幸せな顔を正面から堪能できる贅沢にありつけていられるのだから。

ただこうして平和な午後を過ごすことができているのも教官の温情措置のおかげだ。

自分はともかく、ノエルは本来なら謹慎処分を受けていてもおかしくなかったからだ。




昨日の最終講義終了後、様々な感情を含んだ視線を一身に浴びながら教室を出た後、ノエルは今最も会いたくない男に遭遇した。

何もしてないのに、ぶっきらぼうで神経を逆なでするような言葉ばかりを言ってくるその男のことがノエルは死ぬほど嫌いである。

それは誰あろう、剣術科二年のジャス=シシリーだ。

自分が学長なら二秒で辞めさせるだろう。


ソフィアでないが、平和のためにイーギスを辞めていただきたい。

そして、再び始まる不毛なトラッシュトーク。

ただならぬ雰囲気を察知してか、ノエルが仕掛けた時点でそこに居合わせた周りの生徒が事態を教官に知らせたらしく、すぐに血相を変えたマルコ教官とジェフレン教官が現場に駆けつけてきた。

罰則覚悟でノエルも殴りかかっている。学校は学校でもイーギスは軍事訓練校だ。

良くて腕立て伏せ百回を言い渡されるか、悪くて数日間の謹慎処分で当然お咎めなしがあるわけもない。


だが、武芸科と魔術科をはじめとした生徒同士の衝突を見ない日はないと言われるほどで、その度に処分を連発するわけにもいかないからか、はたまた生徒同士の喧嘩をいちいち見咎めていれば自分たちの身が持たないためか、ノエルとジャスに対する喧嘩両成敗の罰則は厳重注意を与えられただけで済まされた。

ジャスを跪かせたアリアン自身にしてもこれ以上騒ぎを大きくする気はなかったらしく、半分呆れ顔の教官たちの指示に大人しく従い、気づいた時には姿を消している。今日、彼女は一日寮謹慎だ。


「ここ数年にうちに来たガキどもは血の気が多すぎる。おめえらもっと大人しくできねえのか」

「俺の代もそうでしたし偉大な先輩方に顔向けできませんね。どうにかできないものか」

マッドな見た目のマルコ教官に言われてもと思うが、二年前まで現役だったジェフレンの諦め口調に自虐の色は濃い。


だからノエルは思うのだが、悪く言えば融通が利かない頑固頭、良く言えば生真面目で規則に忠実なマクシミールが今年の新入生たちの代表に抜擢されたのも納得できるものがある。

二科に対する重石として彼以上のうってつけもいないだろう。

ノエルは別にマクシミールのことが嫌いでも苦手でもない。

ただ口煩く思っているだけだ。


「アリアンさんでしたっけ、彼女はジャス先輩をどうやら知っているようでしたけど。なんかただ事じゃなかったですよ」

危険人物であろうが要注意人物であろうがデュオから見れば一年先輩であることに変わりはないらしく、騎士団の英才教育を受けた彼はやはり上下関係というものをきちんと守っていた。

「あいつなんて、ただのムカつくやつだよ」

「あ、いやそれはなんとなく分かるんですけど、じゃなくて、シシリー・マッツの人間なんですよねジャス先輩は。彼とアリアンさんの間に何かあったのかなと」

あれを見せつけられて無関係と思えるほどノエルも純朴ではない。


「確かに何かあったっぽいよね。普通はあんな思いっきり殴んないもんね」

それはノエルも同じだが、自分のことはすでに高い棚の上である。違いは当たったか当たってないかだけでデュオはそこには触れてこなかった。

「何があったかは分かんないけど、でもなんとなく、そうねー、似てる気がしたかな。あの二人」

「似てる、ですか?」


目の前の青年がノエルの空のコップに水をつぎ足しながらおうむ返しに問う。

性別も違うし見た目も違う。

ただ身に纏う雰囲気は酷似していたとノエルは思うのだ。

とはいっても、あくまで勘に過ぎないが。

「夜にアリーの部屋行ったけど何も喋ってくれないし。まあ、ほとぼり冷めたらっていうしね」

ノエルがデュオの皿に残っていた最後のサンドイッチに手を伸ばした。


「人の皿に手を出すな、フロリアン」

「げっ、説教くさい男が来た」

マクシミールは場所も時も選ばず説教をするので、顔を見るだけでノエルは条件反射で身構えてしまう。

そしてそれはデュオにとっても身構えるという意味では同じであった。

ただしノエルが一緒のとき限定で。


彼の至福の時間はマクシミールの登場で終わりを告げようとしていたが、青年の幸せなど気づかぬ様子で、同い年の統士長は眼鏡に手をやるいつもと同じ仕草で座ったままのノエルを見下ろした。

「昨日言ったことをもう忘れたのか」

「いいじゃん別にこれくらい」

「二週間でもうそれか、だらけすぎだ。その腕輪も外せ。俺たちには必要ないだろう」

「やだよ」


先日ロフタスパークで買った腕輪を見咎められたがノエルは素知らぬ顔だ。

「ネクタイはちゃんと上まで締めろ。誰が見てるかわからんぞ」

「アリアンにもいいなよー、あの子はスカートの丈短いじゃんか」

制服がスカートなのは正直慣れないがノエル的には実は嬉しかったりする。

なぜなら長年の懸念であった男に間違えられるという心配を払拭できるからだ。私服で登校した編入初日こそ失礼千万な上級生に野郎扱いされてしまったが、スカートさえ忘れずに装備していればまず見間違いは防げるはずだ。


昔から緩い服ばかり着ていたノエルは遠目からだと男の子に間違えられることもしばしばで、勝気と活発が同居する性格も手伝って一度スカートを履いて学校に行った時には先生も含めて全員が衝撃を受けたものだ。

頭の片隅にほんの少しだけ残っていた乙女心というやつを傷つけられたノエルはスカートを収納の一番奥深くに封印している。

無論、そんな黒歴史は母親とロキ以外には誰にも語っていない。

ミロあたりに知られれば一生からかわれて生きることになるだろう。


がさつで向こう見ずで感情的で突発的なノエルだが、例え男の子に間違われようが何だろうが、これでも性別的には完全無欠の女の子なので、そんな恥辱と屈辱には耐えられないのである。

だがここでは誰もノエルの過去を知らない。

思う存分念願のスカートを履きたおせるとあってノエルの鼻息は荒い。


過去を乗り越えるために明日があると偉人は言う。

敗北の涙は勝利の涙でしか消せないとロキは言う。

デビュー失敗はデビュー成功でしか取り返せないとノエルは鏡の前の自分に言い聞かせた。


そんな充実感もとい解放感を全身で噛みしめていた矢先に突如現れたマクシミールの指摘だ。

イーギスで学生に支給されている制服は男女ともに上下の色は同じだが、男子は無論ズボンで女子はスカートである。

当然体格に合わせた支給物なので長さや幅も一定になるはずだが、中にはそれを微妙に変えてる生徒もいた。

ただアリアンのスカートの短さは確かに目につく。

ノエルとしてはそっちはどうなんだと言いたいのである。


ただマクシミールの返答は素っ気ない。

「だから自分もそうしたいのか、色気づくな。お前のようなやつがいるから真似をする奴が現れる。風紀を乱すんじゃない」

二人の様子を見守っているデュオが悲しそうな顔をするが、毎度のことながら、言い合う二人の視界には入っていない。

「ひいてはイーギスのブランドを落とすことにもなりかねん」

「なによ、ブランドブランドって。マクシミールはそんなに体面を守るのが大事なわけ?」


「大事に決まってるだろう。おれたちは見られる立場でもあるんだ。ブランド、ステータス、体面、そして見た目。全部に気を付けるのは当然のことだ。来月のシンポジウムでそれを晒すつもりか。新聞社も来る。間抜けな顔を全国に出せば、イーギスの価値に疑いが生じるだろ」

「そんなのさ、上級生なんかおかしな人いっぱいいるでしょ。そっちにも言いなよ」

「俺はいまお前に言ってるんだ。話を逸らすな。上は上の仕事だ」

ノエルはもういいよとばかりに最後の一口を急いでかき込み、無言で席を立った。

一理あるかもしれないが、ここまであしざまに言われると腹も立つ。

我慢の限界を振り切る前に退散したほうがよさそうだ。


「待て」

「…何?まだ何かあんの?」

うんざりするノエルに眼鏡の縁を上げながら真顔になったマクシミールが問う。

「さっきのは心に留めておけ。本題はこっちだ。選抜にはちゃんと申請を出したのか。お前は剣術だろう?参加はもちろん任意だが」

「選抜?あ、すっかり忘れてた!でも、まだ大丈夫じゃないの?」

確か夏ごろに選抜が行われるとライムが言っていた。

あれから色々あったのですっかり忘れていたのである。


「てことは参加ということでいいんだな。なら、どうしてすぐにしないんだ」

「申し込みは確か今日から一週間でしょ。全然平気じゃんか」

忘れていたのは確かだが、別に遅れているわけでもない。

難癖をつけられる覚えなどないのだ。

容赦の欠片もないマクシミールの詰問口調がノエルの口を尖らせる。

「こういうのはすぐにやるんだ。後回しにするから後から大変になる。やれるときにやっておけ。おれが言わなかったら確実に忘れていただろお前」


「分かった分かったって。デュオはどうするの?」

一刻も早くマクシミールの小言から遠ざかりたいノエルが二人のやり取りを黙って見ていたデュオに話を振る。

話を振られた彼は途端に嬉しそうな顔をしたが、いつも通りノエルはその理由には気づかない。

「僕はこれからするつもりでしたよ。ほら申請書も持ってますし」

ポケットから取り出した用紙をノエルに見せつける。


明日出来ることは今日やらないがモットーのミロの影響をモロに受け継いでしまった格好だが、今それを言っても始まらない。

先日のライムのリバウンドの件でフランが言っていた教訓が頭を掠める。

放っておくから後からもっと大変になるのだと。

「でもなんであんたがそんなこと教えてくれるの?もしかしてお人好しさん?」

「誰がお人好しさんだ。おれの仕事は風紀を締めるだけじゃない。選抜運営も統士長の仕事のうちだ」


武芸科の選抜試験は夏前に開催される。

優勝から四位までに与えられるのは栄誉だけではない。

地方都市エッシャーで開催される聖ランスロット儀剣模擬試合への挑戦権を彼ら彼女らは求めるのだ。


由緒正しき聖人の名を冠するこの大会への切符の獲得競争は毎年熾烈を極め、チケット価格がほぼ間違いなく高騰する聖シオン随一の巨大イベントでもあった。ただの見世物興行でも腕試し大会でもない。

猛者同士の本気と本気が連日繰り広げられる決死戦に国中の注目は高く、国外からの観客数は毎年膨れ上がる一方で注目度は高い。

ノエルも子供の頃から知っている。


イーギスでは魔術科を除く剣術科、槍術科の生徒たちが男女関係なく挑戦権を賭けて任意で参加できる。

年次無関係の選抜になるので余程の波乱が起きない限り、一年生が四位までに食い込むことはまずない。

七年前に起きた唯一の例外を除いては。


「確かライさんとルカさんは毎年出場していたんですよね。僕の国でもランスロットに参加できると嬉し涙を流していた人がいましたが、十八歳の少年二人が参加していると知って呆然としてましたよ。聞けば二人はイーギスの在学生で、おまけに新入生。そんな二人の卒業生がいる場所にいられて、なんだか誉れ高いで気持ちになれますね」

そのことをデュオが誇らしげに指摘する。

幼少時代のノエルが常に誰と一緒にいたかを彼はまだ知らない。

「まあねえ、ライ兄とルカ兄はインチキくさいほどホントに強かったよ昔から」

しかも二人揃って一年生の時から、まさかあのランスロットに出場していたとはノエルも初耳である。

別格過ぎる二人が自分の兄であるのはやはり優越感に浸れるが、同時に高すぎる壁に改めて二人の凄さを痛感するばかりだ。


「ん、なに?」

結果はどうだったのか聞こうとするノエルにマクシミールが怪訝な顔を向けていた。

「ライ兄、ルカ兄?お前、誰のことを言っている?」

「あー、二人ともあたしと同じレーンヴァルト出身なのよ。で、ロキ姉、えっとロキ=ハンナとミロ=ハイヴェリーも同じく。みんな家は近所だったし、血は繋がってないけど兄代わり姉代わりとして色んな意味で可愛がってもらいました、ええもう」


「…」

時を止めたかのように、二人が静止している。

大きな声を出して会話しているわけではないし、周りはそれ以上にざわついているので、衣擦れの音も息遣いの音さえもなくなったこの突然の沈黙はノエルには何十秒かにも感じられた。


「はあ?!」

おかげでノエルはマクシミールの顔が信じがたいものでも見るかのように、ゆっくりと、そしてじわじわと歪んでいく様を見る羽目になった。

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