禁忌と規律 #26 白い嘘

扉の向こうで誰かが話をしている。

トニーオが戻ってきたのだろうか。

意識を外に向けていると、規則正しいノックの後、静かに扉が開いた。

ルゼルと入れ替わりで現れたのは頭にターバンバンドを巻いた女性だった。

「あれ、オリバーさん何やってるんですか?」


「おお、フランじゃねえか。久しぶりだな。何ってライムの見舞いに決まってるだろう」

「見舞いって。別に病人じゃないのよ」

朗らかに苦笑する女性をノエルは知らない。

「あれあなた、ノエル?ノエル=フロリアンじゃない?」

「えっ?そうですけど、あたしのこと知ってるんですか?初めて会う気が」

戸惑うノエルを前にフランがくすくすと笑う。

「うん、会うのは初めてなんだけどね。でも知ってるよ。あなた結構有名人だもん」

「はい?!」

心当たりはまるでない。


「あーあれだ。おおかた、初日の騒ぎとジャスとの一件のせいだろ」

他人事なのをいいことに、オリバーがくっくっくと肩を揺らせる。

「そうなのよー。なんでもあのジャス=シシリーにローリングソバット決めたとか」

何だそれは。尾ひれがつきすぎだ。

確かにヘッドバッドなら一撃かましたが、それの間違いではないのか。


今朝の出来事なのにもう噂は拡散してしまっているようだが、確かにギャラリーがいたので無理もない。

「ノエルは初対面だろ。肝っ玉母ちゃんみたいな先輩の名は、フラン=カーニーと言う」

「勝手に妙な他己紹介しないでくださいよ。わたしはフラン=カーニーって言うの。魔術科よ。うん、まあ先輩と言ってもあなたと同じ一年なんだけどね」


フランが袖捲りされた手で鼻の頭をかく。

「あたしはえっと、ノエル=フロリアンです。最近イーギスに来たばっかです」

「そうなんだ。よろしくね、ノエル」

「いろいろあって二年に上がり損ねちまったんだよ、こいつ」

オリバーが冗談めかした声で言う。

「ああオリバーさん、今それ言っちゃう?」

上がり損ねたとはどういうことだろうか。

だがノエルの興味は今そこではなかった。


「えっとフランさんってライムの、知り合いなの?」

「そうだよ、去年一緒に魔術を勉強してたから」

イーギスにおいて再び同じ学年を繰り返すことは本来許されていないはずだ。

理由を聞きたかったが、フランはあいにくそこには触れなかった。

「あー、でもびっくりしたわよ、あのルゼルがここにいるんだもの。どうして?」

オリバーが顎でノエルに話を促す。

「えーっと、話せば長くなるんですけど、あたしとライムが今日の午後にロフタスパークに遊びにいったんですけど、そこでシシリー・マッツとひと悶着あって。それでその時ルゼルが演奏してて、ボーカルの彼が殴られて。あたしこういうの初めてだったんですけど、なんとかライムであいつらを撃退して」


「おまえ、もうちょっとうまいこと話せよ」

「…あなたたちに怪我はなかったの?」

オリバーの指摘を無視するノエルの顔をフランは覗き込んだ。

くっきりした二重瞼を持つ茶色の瞳が心配げに輝いている。

「はい、なんとも」

「ああよかった。うん、まあ話は分かったわ。災難だったわね。でも勤めを果たしたわけだ、初めてだったのにすごいよ」

「え、いやそんなあ。あ、あの、ライムとはお知り合い、なのでしょうか?」

「へたくそな敬語を使うからそうなる。それより、なんで年上の俺には敬語じゃねえのに、一個違いのこいつには敬語なんだ?」

「それは親しみを込めてるからじゃないですか?ねえ、わたしにもそういうのいらないから。ダブってるけど同じ学年なんだしね」


今朝の光景がデジャブした。

似たようなセリフを自分がライムに言った気がする。

「え、じゃあお言葉に甘えて」

「去年は一緒にいる時間が長かったけど、わたしがまあ二年にあがれなくってさ。ここって学年が違えば接点が減るじゃない?だからこの子のこと心配してたんだけど」

友達はいないといっていたライムだが、フランと名乗った女生徒はそうではないらしい。


ノエルと同じくらいの身長があり、久しぶりに目線を下さずに済んだ。

細身の自分よりも全体的に肉付きの良い体格をしていて、彼女の場合それは包容力と言い換えられるかもしれない。

血色の好い額はいかにも健康的で、そばかすのある表情からは愛嬌の良さが滲み出ている。

無理のない自然な笑顔は表情筋が普段からそうさせているらしかった。


「ほら、ライム。いつまでも顔を隠していないで、友達に懐かしい顔を見せてくれないかな」

何も言わないライムの側に寄り、フランはノエルが座っていた椅子に腰かける。

そしてテーブルに小瓶を二つ置いた。

「これはお土産。久しぶりの再会に手ぶらなのも何だしね。欲しがってたでしょ。新しいアロマだよ」

「それ、ティーツリーとローズ?」

ノエルの言葉に頷いたフランは天井を見上げるようにして呟く。

「知ってるよリバウンド。というか気付いてた。あなたが言わないから黙ってたけどね」


その言葉にライムの肩が大きく揺れる。

だが驚いたのはノエルも同様だ。

「てことだそうだ、ライム。ここにいるやつは全員本当のおまえのことを知っている。言っとくが、お前が何か喋らん限り、誰もここを出ていかんぞ」

普段は冗談を言ったり軽口を叩いたりと大方不真面目な部類の発現が目立つのがオリバーという男だとノエルは認識していたが、時折放つ言葉にはずしりと相手の懐まで踏み込む重さがあった。


何かを思案していたのか、数秒後ライムは手を下し始めた。

細い肩が小刻みに震えている。

ノエルは久しぶりにライムのオッドアイを見た気がした。

焦点が定まらない瞳に決壊寸前の泣き顔。

動揺は誰に目にも明らかだった。


「…何かあったのね。良かったらわたしにも教えてくれない?」

フランがノエルに向き直る。

直接ライムに聞くよりもノエルを選んだのは配慮だろうと思った。

「ライムがここを辞めるって。リバウンドが他の人に向くかもしれないからって」


かなりの部分を省略したが、フランは察しの良さを見せた。

「はあ、やっぱりね。そんなこと考えてたんだ、また一人で」

ライムの猫目が上目遣いでフランを見ている。

そしてか細い声を上げた。

「…だって、みんな嫌ですよ。術者本人ですらどうなるか分からないのに」

陰影のせいで見ようによっては、事情を知らない子どもなら怯え、大人なら白眼視するかもしれない。


異形の目というのはそれほどまでに見る者に様々な解釈を与える。

だが、当のフランは全く意に介した様子もない。

小さな溜息をついた彼女はむしろライムの顔を覗き込むようにして言った。

「わたしはあなたの性格を知ってるから言うけど、それライムの悪い癖だと思う。一人で抱え込んで結論出すのはお勧めできないなあ」


「なんでそうなるんだろ」

ノエルは誰ともなしに呟く。

「ん?だってそういうものだもん」

「え?」

「それを誰も指摘してあげられないでしょ。例えばほら、いまお前の考えはどんどん暗い方に走ってるぞ~って、周りはそれを簡単に気づいても自分はそれに気づかないの。てか気づけないのね」

ノエルも一人で悩んでしまうほうだ。そして誰にも話さない。

ノエルの胸中を読んだかのようにフランがさり気なく付け加える。


「で、だんだん始末に終えなくなるのね。もっと早く手を打ってれば、もっと簡単に解決できたかもしれないのに」

図星だ。

後回しにすればするほど、問題が大きくなっていることなんてざらにあった。

手に負えなくなり最終的にロキたちに打ち明けると、なんでもっと早く言わないのとよく叱られたものだ。思い当たることが多すぎて返す言葉もない。


「でも一人だとわかんないの。だから一人で悩んじゃだめなの」

「な、なるほど」

唸るノエルにフランが質問してくる。

「ねえ、確認だけど魔法を使ったのはライム?」

「うん、あたしは武芸科なんで。ダメだって思ったときにライムが魔法で助けてくれたの」

「そうなんだ。でもなんでかなあ。ライムは自分のことを過小評価しすぎなんだよね。ライムのおかげじゃない。これからなんとかなるかもしれないのに」

それはさっき自分も言った。

だが、ライムに跳ね除けられ、その先の言葉を続けられなかったのだ。


しかし、フランは事もなげに言い放つ。

少々呆れ顔なのは見間違いではないだろう。

「リバウンドが怖くて魔術科なんかやってられますか。先輩方に比べればまだまだだけど、わたしだって実質二年目なんだよ」

そこまで言ってフランはおもむろに袖をさらに捲った。

肘の辺りの皮膚が明らかに他の部位と色が違う。

それは火傷の跡だった。


「救護課のおかげでこの程度で済んだけどね。これがわたしのリバウンド」

肘をさすりながらフランは苦笑いだ。

「確かに嫌がる人もいると思うのよ。でもね、そうじゃない人だっているかもしれない。みんなそうだって決めつけてしまうのはよくないよ」

「でも…」

ライムが抗っているのが分かり、何かが変わりつつあるのをノエルは感じた。


「まあこの世は公平じゃねえわな」


ふいにオリバーが口にした言葉にノエルが振り向く。

「相変わらず狂気は多い。だが、同時に歓喜も多い。だから人生は楽しい、とは言わねえ。けどな、一度決めたことを心配ばっかしててもしょうがねえんだよ」

壁に寄りかかっているオリバーはタトゥーの入った腕を組んだ。

「ライムよ。一人で結論出して勝手に納得するな。オルヘで習ったのは魔術のことだけか?もっと周りを見ろ」

俯いたままライムは応答しない。

だが彼女の耳はオリバーの声を一字一句漏らすまいと聴音しているのが分かった。

二人に触れ、何かが決壊しそうになっている、そんな印象だった。


「俺たちが向き合ってるのは非日常の連続なんだ。わけわかんねえことなんざ、ウンザリするほどたくさんある。その度に立ち止まって打ちひしがれてるわけにはいかねえんだよ。状況はおれたちの都合なんかこれっぽちも考慮してくれねえんだから」

乱暴な言葉遣いはオリバーの常だ。

だがシンプルだからこそ入ってきた。

「ライムよ。そろそろお前の本心を聞かせてみろ」

「え?ライムはイーギスを出て行くって」

「ノエル、お前本当にライムが心の底からそんなことを思ってると考えてんのか?」


男の呆れ顔にノエルは言葉に詰まる。

「え、だって」

「お前もまだまだだな。じゃあノエルよ、お前はライムにどうしてほしいんだ?」

「あたし?決まってるじゃん、辞めて欲しくないよ。一緒にがんばっていきたい」

「だったらそれを最初から言えよ。ライムの都合や考えなんかどうでもいいだろ。それとも何か。お前の意見は人の考えに左右されちまうくらい、ヤワであまっちょろいものなのか?」

「そんな」

「何に遠慮している。言いたいことも言わずに、勝手に納得面するにゃ十年はええ。ルゼルのおにいちゃんは何て言ってた?あの優男のほうがよほど自分の気持ちに素直だったぜ」


青年の訴えを思い出す。

辞めてほしくないと真剣な表情を浮かべていた。

「確かに魔法にリバウンドはつきものだ。自分に跳ね返ってくるだけじゃねえし。ライムがリバウンドを人一倍呼び込んじまう体質なのも知ってる。だから何だ?」

「わたしと同じような目にあわせてしまうかもしれない。それが嫌なんです」

細々とした声だが芯は通っている。

ここにきて状況に向き合える余裕が心の中に生まれたのかもしれない。

それはフランに叱咤され、オリバーに直視されたからに違いなかった。


「お前が嫌なのは分かった。だが、ノエルはどうなんだ?」

「あたしは嫌じゃないよ。だってそれも含めてイーギスなんでしょきっと」

「ふっ、悪くないぜその強引さ」

ニヤリと笑うオリバーにライムは声を荒げた。

「良くないですよ、そんなのっ」


「ライムよ、それが良くないって誰が決めた?お前が勝手にそう決めつけてるだけじゃないか?お前がそう考えるのは自由だ。だが全員がお前と同じようにそう思っているとでも?たとえばコイツも」

オリバーはノエルの頭に無造作に手を置く。

「え、どういう」

ライムの真摯な問いには答えず、手を置いたままオリバーは続ける。

「ノエル、もう一度聞く。お前はライムにどうしてほしいんだ」

「辞めてほしくないよ、ったりまえだよ!」

頭に掌の大きさを感じながらノエルは勢いよく断言する。

「なるほど。じゃあ、もう一つ聞こう。お前はどうすりゃいいんだ?」


何かがすっと腑に落ちる感触。

ノエルは大きく息を吸いこんだ。

「ライム、あたしとバディを組んでよ!」


「え?」

「ライムが心配してるのは次にリバウンドが起きたときにどうなるか分からないからでしょ?だったらあたしがバディを組むよ。そんなら問題ない」

そうだ、自分がバディに名乗りを上げれば済む話なのだ。

「そんな、ノエルに何かあったらどうするんです?!」

「いいよ別に。あたしが決めたことだもん。なんとかするし」

「なんて無茶な…」

「いいじゃないライム。それともこの子と組むのは嫌なの?」

「そんな。嫌なわけないじゃないですか」

フランの言葉にライムは大きく首を振った。

それを見て取ったノエルは思い切って攻めに出た。


「ここで辞めてしまったら原因が分からなくなる。でも続けてさえいれば、いつかは分かる時がくるかもしれない。あたしもリバウンドってやつを勉強する。だからライムはあたしとバディを組むの。どう、これなら完璧じゃない!」

完璧かどうかは自分でも正直自信はない。

ただ言うに任せた格好だ。

もとより深く考えるのは得意ではない。

勢いだけが頼りだった。

でもこれは限りなく自分の本心を言い表せた言葉ではあった。


「オリバーさんとフランに言われて分かった気がする。あたしも好き放題言わせてもらうよ。あたしはあたしの決定に責任を持つ。ロキ姉たちにはあたしから言っておく。誰にもこの決定は変えさせないよ」

「オリバーさん、わたしこの子がなんとなく分かった気がする」

「ははは、おもしれえヤツだろ」

フランとオリバーの顔は明るい。


「教えてよライム。ライムは本当にイーギスを辞めたいの?」

「わたしは…」

「わたしは、何?」

「さあ、どうなの?」

「もう観念しとけ」

三者三様の言葉に詰め寄られ、ライムは目を丸くし肩を震わせる。

そして目を瞑り、震えた声を出す。


「…いたいですよ、もちろん」

「え、なんて?なんて言ったの?ごめんもっかい」


ノエルの耳はライムの細い声はしっかり聞き取れている。

ただわざと聞こえないフリをした。

先輩に向かってなんて言い草だ。

我ながら意地悪だと思ったが構わなかった。

温厚で物静かなライムの童顔がノエルを睨む。

ただいつの間にか瞳は元に戻っていた。

顔全部を真っ赤にして。

瞳に大粒の涙を溜めて。

口をめいっぱいヘの字に曲げて。

嗚咽で喉を鳴らして。


「ここでやりたいことはたくさんあります!夢だってあるの!これの原因だって究明したい!わたしだって本当は納得してないんですから!」

ライムは肩を激しく上下させた。

涙が流れ落ちるのを必死に堪えている。

ノエルはライムに近づき、両肩を抱いた。


筋肉がつき骨ばった自分と違い、驚くほど華奢で、細く小さかった。

「落ち着いて、体に悪いよ。もうさ、一人で苦しまないでね。今日イーギスにきて初めての友達ができたんだから」

自分の声にも微量の震えが混じっているのを自覚していた。

ベッドの反対側ではフランが微笑んでいる。


「じゃあー、そろそろ締めるか」

三人がオリバーに注目する。


「一人でやれることなんざ限られてるさ。人ってよ、嬉しい時はみんなと分かち合うのに、なんで悲しい時や悩んでる時はみんなから離れていくんだろうな。かっこ悪いところを見られたくないってか?おれにはさっぱり意味がわからん。違うだろ。しんどい時こそ誰かを頼るんだよ。人はそんなに強くねえんだ。だから普段から一緒にいてくれる仲間が必要なんだよ」

自分よりも倍は年下の女生徒三人をオリバーは順に見渡していく。


「おれは辞めたいというやつを引きとめはしねえ。これまでにもそういうやつを何人も見てきた。どんな理由があれ、おれは結論を尊重する。進級するたびに進退伺いの機会があるが、本来自主退学に時期はねえ。そう、辞めるのは簡単なんだよ」

大きく息を吐いた後、オリバーはさらに続ける。


「イーギスを続けるのに能力は関係ねえ。大事なのはここだ、気持ちの強さだ。ここがなければいくら天才でも使い物にならない。いいか、ライム。事情は分かる。だが、仕方ねえんだ、そうなっちまったものは」

男の目は力強い光を湛え、発される言葉には熱量があった。


「嘆いてもどうにもならんことはこれからたくさん出てくるだろう。その度に立ち止まることは俺たちには許されてねえんだ。だったら、それとどうやったらうまく付き合っていけるかを考えるほうが、よほど誰かのためになる」

フランは真剣な表情で耳を澄ましている。


「もっと感情に忠実になれ。イーギスだからどうのとか責任がどうのとか、俺に言わせればしゃらくせえ。禁忌も規律も、だ。イーギスである前に一人の人間だろうがよ。素直になって何が悪い。弱音を吐けるのも強さなのさ」

ライムが信頼を置く男の独演は続く。


「自分の気持ちに正直になれないのはな、この際だからはっきり言ってやろう。それはただの逃げだ。それは誰のためにもならんばかりか、もっと言えば、自分を惨めにするだけで後々の後悔は大きい」

強烈な人生訓にノエルは喉を鳴らした。


「学生とはいえ、いつ落とすかも分からん命だ。それでも我慢していたいか?どうせ後悔するならな、やれること全部やってから死ぬほど後悔しろ。中途半端な後悔はタチの悪い自己満足も同じだぜ」



ライムとオリバー。

傍目から見れば接点が何一つなさそうな両者。

何から何まで違いすぎる二人の男女。

だが、風来坊のような男に彼女が全幅の信頼を置く理由が、今ようやくハッキリと分かった気がする。


尊敬にも似た眼差しを浮かべるノエルの視線に気付いたのか、突然オリバーが相好を崩し始めた。

「そんな熱い目で俺を見るな。惚れちまうのは無理もねえが、おれにはすでにお前らの百倍はべっぴんな嫁がい」

何を言い出すのかと思ったら。

最後まで聞くこともなくノエルは瞬発力を見せる。

「あーはいはい。ま、かっこいいとは思うけどね」

「せっかく決めたのにもったいない。全部台無しですよ。零点です」

フランの辛い突っ込みにオリバーがおいそりゃあないぜとか口走っている。

その芝居がかった大仰な仕草にライムが微笑んだ。

ふとノエルはライムの横顔を覗き見た。

視線に気づいたのか、目が合ったライムが口に微笑を湛える。


「ごめんね、それから、ありがとう」

彼女が口にした謝罪と感謝。

それだけで心の中の淀みが全て洗い流された。

自分はまだ何か特別なことができるわけではない。

そんな立派な人間ではないし、間違うことも迷うことも多い。

オリバーはもとより、フランのように包み込めるような優しさも持ちあわせていない。

現に一人だったら、ライムは目の前から本当にいなくなっていたかもしれなかった。

苦しかったけどこの経験は得がたい。


「こっちこそ、ありがとう」

だから自分も感謝を口にできる。

強さを求めてきた。

それが何なのか、具体的には分からない。

一つ明確なのは、守れる強さということだけ。

だけど、今はそれがなくともきっと大丈夫なのだ。

顔をあげれば前には誰かがいる。

首を巡らせれば左右にも誰かが。

振り返れば、後ろにも誰かが。

そう、自分の周りには誰かがいる。


そして、そうして繋がりはこの先もきっと増えていく。

強い絆を持つ幼馴染の兄と姉を頼りにイーギスの門を叩いた。

「がんばるから、あたし」

そんな力強い言葉を聞いてくれる相手が少なくとも目の前に一人いる。

頷いた友達の頬を一筋の涙が零れ落ちていった。

色んな出会いを経て、そうして成長していくのだろう。


イーギスに来て良かった。

今、ノエルは心の底からそう思うことができた。

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