饒舌と寡黙のブラックマンバ #14 背中合わせの狂気

「問題なのは他の連中だ。さっきジャスのやつにぶっ飛ばされてたろ。ここ数年荒れに荒れてる原因というやつだな」


休みにもかかわらず律儀に制服を着ていたので同級生でないのは一目で分かっていた。

上着の袖口に赤いラインが三本刺繍されていたからだ。

人覚えの悪いノエルにとって、話したこともない人間の名前と顔を一致させることなど困難な作業でしかない。

「なんか仲間に引き込もうとしてるというか、そんな感じにあたしには見えたけどね。あいつは拒否してたけど」

「そうなのか。まあ、今や俺は現場を離れたカフェのおやじなんでな。詳しいことはあまり知らねえが」


オリバーが経営するイザイアというカフェはイーギスの敷地内にある。

ノエルはまだ顔を出したことはないが、学生の憩いの場の一つよとロキに教えてもらっていたので、いずれお邪魔しようと思っていた。

とはいえ、まさかこんな形の初対面になるとは思いもしなかったが。

「俺は本当は放任主義を取りたいんだが、そうも言ってられなくてな。ガキの喧嘩に大人が首突っ込むなんて本来はしたくねえんだが」

「でもヱテンナさんは学校の大きな問題になってるって言ってたよ。ほっといたらマズイことになるのは、来てばっかのあたしにだって分かるよ」

肩を竦め溜息を吐く男の様子にノエルの口調は少し熱くなった。


「まあもちろん、今回みたいに目の前で起きたのっぴきならねえ事態なら止めに入るさ」

それは逆を言えば、目の前で起きたことでなければ、その限りではないということだろうか。

つれないとは思いつつも、ノエルはこれ以上言葉にはしなかった。


四人の男子生徒を一瞬にして無力化したあのジャスを退けられるほどの影響力を持ち、実際にこうして話してみれば強面な外見とは裏腹に、親しみやすさで長い時間を共にできる。

だが自分はオリバーという男を隣にいるライムよりも知らない。

そんな自分が色々言うのはまだ早い気がした。


「だから、お前みたいなやつが必要なんだろうさ。見たところ、確かにお前はどちらでもねえな。それにな、学内の問題解決はもう俺の役目じゃねえよ」

「え、それってどういうこと?」

オリバーは口元に小さな笑みを刻んだ。

ノエルだけでなくライムも顔を上げ、精悍な男の顔を見つめている。

「お前らが大人を巻き込んで動けってこった」

腑に落ちない表情を浮かべるノエルはさらに首を傾げた。

その説明では正直よく分からない。


「ノエル、イーギスでは学内で起きたトラブルの解決は基本的には学生の手に委ねられてるんですよ。そこに教官たちは介入しないんです」

ライムは落ち着き払った様子でノエルの顔を覗いていた。

「あっ、そう言えばそんなことが書かれてたわ」

入学前に取り寄せた学校案内のカタログにはイーギスの教育方針などが大量に記述されていた。

細かなルールに至るまで小さな文字がびっしりで、途中で何度か放り投げそうになったほどだ。

そしてそれもその時に何度か目を通しただけで、それ以降は鞄の奥深くに閉まったままである。

ノエルは椅子の背もたれに体重をかけた。


「それって簡単に言えば、自分たちのことは自分たちでなんとかしろってこと?」

「ありていに言えばそうだ。そういう伝統でな」

「ふうん。そんなのがあるんだね」

「お前はもうちょっとイーギスを勉強しろよ」

頬杖をつくオリバーは少し呆れたような口ぶりだ。

流石に不勉強を恥じるノエルである。


気恥ずかしさを取り繕うようにコホンと咳をした。

「でもさ、自分たちでやってなんとかなるもんなのかな」

「さあな。それはお前ら次第だよ」

「そんな投げやりな」

オリバーの即答にノエルはぼやく。

「ちげえよ。とっとと自立しろってことだ。いざって時に何かに頼らねえといけねえようじゃ、イーギスの看板しょって誰かの役に立つことはできねえぜ」


オリバーの諭すような口ぶりにライムが続く。

「ほとんどのカリキュラムもこうした考えに沿って作られているんですよ。わたしは最初慣れるまでかなり大変でしたけど」

居心地悪そうに苦笑いを浮かべるライムにオリバーは口元を緩め、白い歯を見せた。

「ま、普段できねえのに本番でできるわけねえからな」

「うーん、なかなか」

言われた通りのオーダーをこなすだけでも訓練校として求められる水準を満たすことはできるかもしれない。


実際ノエルはイーギスを”そういう”学校の一つだと見ていた。

ただ今聞いた話によると、随分と違うらしい。そしてオリバーの言葉には説得力があった。

自分が主体的に動くということはともかく、周りを巻き込んでいくという考え方は、これまでのノエルの価値観にはない。

「まあ細かいことはやりながら知っていけよ。今あれこれ言ってもしかたねえ。なあライムよ」

「そうですね。私も全然まだまだですけど。でも、ノエル向きだと思いますよ」


「武芸科と魔術科の間で緊迫感が以前より高まったのは、クロエのやつが入学してきたからだろう。それまでも衝突はあったが、今ほどじゃあない」

「クロエって女の子?」

聖シオンでは女性につけられる名前だ。

ノエルの姪っ子に同じ名前の女の子が一人いる。

「いや男だ。お前、本人の前でそれ言うとキレっから、気を付けろよ。さっきのジャスじゃねえが、それで何人も病院送りにされてるからな」

「うえー、なんかそんなんばっかじゃん」

心底嫌そうな表情を惜しげもなく全開にする。

「ただまあ、自分から何かしでかさない分、ジャスのほうがまだマシかもな」

「具体的にどういうこと?」

「クロエさんはバラミストなんです。それもかなりの」

ライムが苦い表情で口走る。

正直それはあまり耳に入れたくなかった言葉だった。


優性思想を持つ人間をバラミストと呼ぶ。

強者と弱者。

持てる者と持たざる者。


彼らはそこに優劣を持ち込み、欠けたる者の存在価値を嘲笑い、時として攻撃も辞さない。

このような二律背反した思想の存在をノエルは嫌っている。

考えてみれば、貧富の差が激しい華やかなりし第二の州都マーセルに本学を構えるイーギスならば、それは十分にあり得る話だと思えた。

魔術科には富裕層の出が多く、武芸科には中間層、低所得層の出が多い。

ここでまず表面化するのが出自の差、家柄の差だ。

それだけならまだしも、魔術科という存在自体がそもそも問題を孕んでいる。


魔法は才がなければ使えない。

これはこの世の絶対的な真理だ。

ゆえにここで才を持つ者と持たざる者という次の対比が発生し、再び優劣が持ち込まれる。

そんなことを鼻に掛けてどうする。

ノエルからしたらバカバカしいことこの上ない。

しかし、入学時に目撃した一触即発の言葉の応酬はいまなお記憶に新しかった。


「クロエさんは魔術科の二年なんですよ。両科の対立関係が激化してきているのはクロエさんの影響を受ける人たちが増えているからだって言われていますね。さっきの人たちは、多分それに対抗しようとしている武芸科の人達じゃないでしょうか」

ライムの表情には決して小さくはない不安の色が見え隠れしていた。

「ライムはそのクロエって人と同じ学年、同じ魔術科でしょ。どんなやつなの?」

「話をしたことがないので、これはわたしの印象でしかないですけど、ジャスさんとはまた違った怖さがあります。うまく言えないですけど、一つ間違えば何をされるか分からないという感じというか」

「見た目は?」

予め情報を仕入れておくに越したことはない。

無風状態のまま四年近い学生生活を過ごせると思えるほどノエルは楽観的ではないが、それでもやはりそんなやつとは遭遇せず過ごしたいものだ。


「白い肌に白髪。青と赤のピアスを両耳にされてますね」

「…」

「あとは、珍しい型の黒いハットを被っていますよ」

「えーと、そのクロエってヒト、目元に隈があったりする?」

恐る恐る尋ねるノエルにライムが表情を変える。

まさかといった顔つきだ。

二人の様子を満足そうに眺めていたオリバーが割って入ってきた。

思わせぶりな表情にノエルはドキリとする。


「なあ、ノエル。お前はもうそいつのことを知ってるよな?」

「えっ」

「お前だろ。入学初日にクロエとリンの口論を止めに入ったやつって」

日に焼けた肌に詮索するような笑みが覗きだす。

「え、知ってたの?」

オリバーは笑みを浮かべたまま答えようとない。ノエルの反応を楽しんでいるようだった。


代わりにライムが驚いた表情を向けてくる。

「そ、それってノエルのことだったんですか。ジャスさんが言ってた時は何のことか分からなかったんですけど、本当だったんですね。リンさんの拳が折れたと大騒ぎでしたよ」

「んー、まあ不可抗力と言いますか」

ノエルが痒くはない鼻を掻く。

「でも結構、もう噂になってますよ。上級生に喧嘩を売った新入生って」

「うわー、なにそれ!?」

オニオンガールという変な渾名が定着してしまうことに比べれば何百倍もマシだが。

それに声を大にして抗議したいが、断じてこちらから喧嘩を売ってはいない。

ノエルは自称平和主義者だが、噂に尾ひれがつくのは世の常らしい。


できれば避けたい話題だったので、深く追及してこないライムの気遣いが有難かったが、まさかそんな噂が立っているとは思わなかった。

同じ女子寮のアギナとユーリはそんなことを口にしなかったが、単に一般科なので知らないのだろう。

「ははは。早速目立ってきてるな新入生よ」

「茶化さないでよ。てか人が悪いよ。知ってたなら話引っ張らないで早く言ってよね」

どこまでもご機嫌な様子のオリバーにげんなりする。


慣れない生活に少しでも早く順応するため、ここ数日のノエルは目の前の授業や訓練に集中していた。

だから全く気付かなかったのだ。

「すまんすまん。今朝嫁から聞いたんだわ」

「えー!結婚してたんだ、オリバーさんって」

今度はノエルが驚く番だ。

声を出してから必要以上に驚いてしまった気がしたが、すぐにまあいいだろうと思い直す。

いじられた仕返しだ。


「何だお前その反応は。俺が結婚してたらまずいのか」

「いえいえ、なーんも。そんなことはないですよ」

ニコニコと笑いながら男の険しい視線をやり過ごす。

「ものすごく綺麗な方ですよね」

「ふ、お前はやっぱり分かってるなライム。そうなんだよ、俺にはもったいないくらい別嬪な女でな。今度うちに来たとき自慢してやるぜ」

別に自慢はいらない。


「美女と野獣ってやつ?」

「まさにそうだ。でな、聞けよ。俺がどうやってそんな美女をモノにできたかっていうとだな」

あてこすったつもりが全く効いていないようだ。

「あー、ストップ。今はその話は良いよ」

「なんだよ、こっから面白くなるんだ」

身振り手振りを交えて話をしだしたオリバーは途中で話を遮られたことに不満げだ。

「だって、今はシリアスな話をしてる最中でしょ」

「そうだな。いや、ていうかそもそも話を逸らしてのはお前だろ」

「ごめんね、でもまた今度ね」

止めていなければ長いのろけ話が始まりそうだった。


「けっ、あー何をどこまで話したか」

手元のコップに水を注ぎ、不機嫌さを隠そうともせずオリバーは一気に呷った。

「リンさんを病院送りにしたというくだりですよ」

腕で口元の水を拭う男にライムが優しい口調で助け舟を出す。

そつのない彼女にノエルは内心感謝した。

「あ、そこか。まあすでにあいつに会ってんなら話ははええ。出血大サービスでもう一つだけ教えてやろう。あいつは否定に始まり否定に終わる。以上」

咳払いし話を再開し始めたオリバーにノエルは居住まいを正したが、男は唐突に言葉を切った。

「…あのさ、なんで最後、めっちゃ雑なのよ」

「学生生活はこっからだろ。そういうのは自分で見つけろ、俺は放任主義なんだ」

彼の口から出てくると、なんだかとてつもなく都合の良い言葉に聞こえてしまうから不思議だ。


「それにさ、そんな危ないやつがなんでイーギスにいるの?さっきといい」

ジャスの時と同じ台詞が勝手に口をついて出てくる。

そしてそれに対するオリバーの返答も先ほどと違わぬものだった。

「さあな。じゃあそれもお前、確認してこいよ。しめて二人分だ」

軽い調子で言い放つオリバーに、ノエルは盛大なふくれっ面を見せつける。

「だからいやだって。そんな危なっかしいやつの近くに好き好んで寄るわけきゃないでしょ。あー、でもやだなあ。あたしの一個上には武芸科と魔術科に一人ずつ要注意人物がいるんだね」

「一人ずつならいいけどな」

「え?」

オリバーの思わせぶりな発言に振り回されている自覚はあるものの、同時に自分が新参者であることも認識しているので、自動的にいちいち反応してしまうところが辛い。


「ノエルが来る前に色々あったんですよ。気を付けてくださいね」

ライムの中ではノエルはそういう風に見られつつあるらしい。

自分のことをトラブルメイカーだとは思わないが、気が付けばトラブルに首を突っ込んでしまっている自覚は残念ながらある。

なのでノエルは強引に話題を変えることにした。

「そういえば、ライムは魔術科だけど、その、ライムの方こそ大丈夫なの?」

ノエルの知らない一年間の中で、様々な気苦労もあったに違いない。

線の細いライムがジャスやらクロエやらがいるこの学校であと三年間を平穏無事でいられるか、ある意味で自分事以上に心配だ。


「うん、大丈夫ですよ。周りがどうこうより、わたしの場合はまず自分自身ですから。ありがとう、気遣ってくれて」

気丈に微笑み返すライムにノエルはなんだか癒される思いだ。

おちゃらけるように、ノエルはわざと明るい声を出す。

「あーあ、みんなライムみたいだといいんだけどな。バラミストとかさあ、なんでそう他人と比べたがるかなー。みんな一緒じゃんね」

何の混じり気もない清涼感あるライムの笑顔を見ていると、自然と不満が零れた。

「根深い問題なんだ。移民でできた街だから純粋なシオン人だけじゃない。色んな人種がいるからこそ、色んな考えや価値観がぶつかりあう。うちはマーセルの縮図なんだよ。そこはもう受け入れろ」


その時オリバーの腕時計が音を立てた。

それに反応したオリバーがゆっくりと立ち上がる

「おっと悪いな。そろそろ市場に行かなきゃいけねえ」

「いいよ、気にしないで。ありがとう、オリバーさん」

「おう。ま、難しい話をするのもアリだが、お前らは体を休めることも大切な仕事だぜ。天気もいいようだし、マーセルの空気でも肺に溜めて、体中を換気してきな」

「なにそれ。でもまあ、そのつもりだよ。ライムと一緒に後から出る予定だったから」

そうかと言い残し、鼻歌交じりに男は去って行った。


「あの、これおきっぱなんだけど」

「あ、いつものことですよ」

残されたオリバーのトレイが所在無げにノエルの前に置かれたままだ。

くすくすと肩を震わせるライムによると彼は常習犯らしい。

片づけておけと言うことだろうか。

はぁとため息をついたノエルは食堂から颯爽と姿を消した男のトレイに恨めし気な表情を向けた。

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