饒舌と寡黙のブラックマンバ #9 荒ぶる心音

ノエルの視線は男を真っ向から捉えて離さない。


目深に被った白いフードの下にかろうじて見える鋭い眼が物騒な光を宿している。

目は口ほどにモノを言う。あいにく表情の全ては見えない。

だが無表情ゆえ、その眼光は雄弁だった。

「次からはその名で俺を呼ぶなよ。女でも俺は容赦しねえぞ」


吐き捨てられた硬質な声には熱を奪うような冷たさがあった。

少なくともそこに友好的な響きは微塵もない。

「ちょっとあんた何いきなり。なんか用?」

初日に大柄な男子に胸倉を掴まれ拳を振り下ろされたあの一件は今もハッキリと覚えている。

ノエルの記憶を打つのは不愉快な思いだ。

身体に緊張が走る。

強い警戒がノエルの顔を強張らせた。

ただし、先日のそれとは比べ物にならなかった。


「ふん、お前だな」

男は両手をポケットに突っ込んだまま、ぶっきらぼうに言い放った。

ライムは俯き押し黙っている。

完全に委縮しているようだった。

友人の豹変した姿を受け、ノエルは眦をあげた。

「何がよ」

ノエルのぞんざいな反応も意に介した様子は見せず、男は再び口を開いた。

敵意は全く届いていないようだ。


「ノエル=フロリアンだな?リンのやつをやったんだろ」

「ノエルはあたしだけど、あいつをやったのはあたしじゃないよ。勝手に自滅しただけじゃん。あたしはされたこと忘れてないからね」

交錯する互いの視線が張りつめた空気を生み出す。

「それよりあんた誰よ?」

「おれはジャスって名だ。自滅したというお前の意見には同意するが、お前が首を突っ込まなければ、リンはああはなってなかったのも確かだ」


学内の出来事なのでこの男も自分と同じ学生に違いない。

臙脂の制服に純白のパーカー。

そのコントラストは嫌でも目立つ。

一度目にしたら簡単に忘れられることはないだろう。

あのリンでさえまともな着用をしていただけにこの見た目は一層際立つ。

もっとも、あの一件で顔を見せたクロエという男はさらにエキセントリックな風貌だったが。


「どっちにしたって喧嘩は始まってたでしょ。それを止めたあたしが何でこんな因縁つけられなきゃいけないの。この前といい今といい」

「早合点するな。わざわざ敵討ちにきてやるほど、やつに肩入れしてるわけじゃねえんだ」

面白くなさそうにジャスが吐き捨てる。


小馬鹿にしたような物言いにノエルは感情を露わにした。

「あんたも武芸科なんでしょ?何があるか知らないけどさ、暴れたいならよそでやってくれない?無関係な人間を巻き込まないでよね」

「武芸科全員がやつらと対立してると思っているのか。気が済むまで勝手に吼えさせておけばいいさ。俺はその問題に関知するところじゃねえ。お前もそうだろうよ」

「え?」


不意を突くような問いにノエルの気勢が削がれる。

「お前も別に魔術科とやりあってるわけじゃねえだろ?それと同じだ俺も」

「あっそ。だったらなに。あたしたち出かけるんだよねこれから。回りくどいことばかり言ってないで、要件あるならさっさと終わらせてくれない?」

「お前が決めるな」

「…っ」


なんなの、コイツ。

目的が分からないやつを相手にするのはひどく疲れる。

この問答には何の意味があるのか。

ノエルにとっては全く無意味でしかない。

無用な足止めを食わされ、ノエルは無性にイライラしてきた。

腰掛けていた椅子を脇にどけ、一歩進み出たノエルはジャスをぐっと睨みつけた。

「あたしに用があるなら、もっとそれらしくできない?いきなり出てきて、随分高いところから好き勝手ばっかり言ってくれちゃってさ、こっちはワケわかんないっての」

傍らにいるライムが袖を掴んできた。怯えが伝わってくる。

ノエルは安心させるように反対の手で彼女の小さな手を包み込んだ。


改めて見ると、背丈はほぼ同じ。

細身の体格もそう変わらない。

決定的に異なるのは身に纏った雰囲気だ。

気に食わなければ何人たりとも許さない。

フードの下の陰影がそんな鋭利な危うさを際立たせている。

いつ爆発するか分からない炸裂弾を相手にしているような圧力があった。


知らず知らずのうちに、ノエルの掌にうっすらと汗が滲み始める。

「聞こえてるなら返事くらいしたら?」

「…」

無言を保っていたジャスは小さく嘆息し、ポケットからようやく手を出した。

黒い指ぬきのレザーグローブを着用した手にノエルの目が釘付けになる。

甲の部分が鈍い光を反射していた。

「あんたそれ」

「お前も似たようなものだろう。もっとも、俺は本を鉄で巻いたりはしねえがな」


そう言いのけたジャスは大げさに肩を竦める。

その小馬鹿にするような仕草に一瞬にして頭に血がのぼった。

「あんたさ、さっきから何その態度?喧嘩なら買ってやるわよ」

「…さっきも言ったがな、俺は女だからといって手を抜く男じゃねえ。威勢が良いのはいいが、そう、構えるな。俺の態度や言葉は基本的に周りを不快にさせるらしいが、性分なんだこれは。だからいちいち気にするな」

「馬鹿かあんたは。ここまでズケズケ言われて、気にしない方が無理でしょうよ」

「ノ、ノエル。そんな言い方したら」

か細い声のライムの手を掴み、自分の後ろに回す。


「ライム、大丈夫だよ。あたしの後ろにいて」

「ふん。おれは別に後ろのやつに用があるんじゃねえよ」

鼻で笑ったジャスは首に手を当て音を鳴らした。

ライムの震えが服越しに伝わってくる。

目の前の男の何が彼女をこんなにも怖がらせているのか、ノエルには全く分からない。


「それにしても俺に向かって、馬鹿と言えるヤツがいるんだな。お前本当に威勢がいいよ。面白いヤツだ」

「あんたなんかに褒められてもちっとも嬉しくないんだけど。あんたホント何しにきたの?用が済んだら、とっとと向こうに行って」

「阿呆が。だからお前が決めるな」

「あんた!」

だめだ。

自分の意思を止められない。こんなに気が立ったのは何年ぶりだろう。


殴りかからないまでも、吠え面はかかせてやる。

そう思い、ノエルは踏み込んだが、肝心の体は前に進まなかった。

ライムが自分の両腕をノエルのお腹に回して飛び出すのを止めたからだ。

「ノエル、やめて!」

「え、ちょっと、ライム?放して」

「だめ、だよ。絶対だめ」


この手を振り解くのは簡単だ。

力を込めているとはいっても、根本的に日頃の鍛え方が違うノエルにすれば解くのは造作でもない。

「だからって…」

全身の力を総動員しているのが分かった。

そんなにまで顔を赤くして。

自分を止めるためだけに。

勢いを削がれたノエルはどうしてよいか迷った。


「ジャ、ジャスさん」

泣きそうな顔を浮かべたライムは冷たい視線で見下している男をみやった。

「ジャスさん、謝りますから。こ、ここは引いてもらえないでしょうか?」

「ライム、なんでこっちが謝るの!」

いいから、とライムは言うが、こんな終わらせ方には到底納得できない。

卑屈になっているとまでは言わないまでも、ライムの過剰な反応は自らの非を認めるようなものだった。

冗談ではない、こっちは何もしていないのに。

それは、そう思った矢先の出来事だった。


ノエルの耳朶を打ったのは怒声だった。

ジャスではない。

彼は涼しげな表情を変えないまま、両手を所定の位置に突っ込み、小さく嘆息した。その様子は何か心当たりがあるように見える。

「次から次に、なんなの全く」

ノエルは状況が読めず独りごちる。

食堂の入り口には何人もの男たちがいた。

どうにも和やかではない雰囲気を撒き散らしている。


「ジャス、探したぞおまえ!」

「ちっ、うるさいやつらがきたな」

強く舌打ちしたジャスは忌々しげに吐き捨てた。

ノエルから視線を外し、そして背後をゆっくりと振り返る。

「相手にされたいヤツには袖にされ、相手にされたくないヤツには付きまとわれる、か」


「な、なに言ってんのあんた」

思わせぶりに口角をあげたジャスの言葉にノエルが怪訝な顔を返す。

その間に四人の男子生徒たちが息を切らし詰め寄ってきた。

鷹揚に構えるジャスが機先を制すようにして彼らに向け腕を伸ばす。

そしておもむろに黒い掌を向けた。

「おっと、先に一言言っておく。俺への言葉には気を付けろ。ださいことを言わせるなよ」


「な、なんでやってくれねえんだよ!やつらに下に見られて悔しくねえのか。お前が入ってくれれば、やつらに一泡吹かせられるんだぞ!」

ジャスに気圧されたのか、その怒声に勢いはない。

「五点以下だ、お前ら。進歩もなければ創造性の欠片もねえな」

ジャスは再びポケットに手を突っ込み一方的な採点を下した。

「な、なんだと。てめえ調子乗るんじゃねえぞ!」

「うるさいやつらだ。お前らにはわめくか、人を頼ることしかできる事はねえのか」


その一言に男たちがみな一様に顔を歪めていく。

ジャスはというと、相変わらず感情の読めない表情を浮かべていた。

人数で勝っていても、彼らはジャスを恐れているのが如実に分かった。

今一つ踏み込みきれない何かがあるらしい。

このまま行けば衝突は不可避のようだが、何しろ両者の雰囲気には差がありすぎた。完全に迫力負けだ。


眼前で起きている出来事の意味がノエルには全く分からないのだが、ハッキリ言って割とどうでも良かった。

先日首を突っ込んだからといって、今回も同じように乱入する道理はない。

変に目を付けられることほど面倒なものはないのだから。


ノエルはこの数日の間で生徒同士の荒事を数回目撃していた。

魔術科と武芸科の間に存在する軋みが原因のこういう光景はイーギスではもはや日常茶飯事らしい。

学長やロキには悪いが、どうにも荒みまくっている。

この学校に対するノエルの第一印象は良くない。

もっと仲良くしなさいよと思うが、いくら新参者のノエルがそう声高に訴えてみたところで仲たがいの溝がそう簡単に埋まるわけもなく。

まあ、ここでもまた何かが決裂したのは理解できた。


前後関係を知らないノエルは背後にいるライムの様子をそっと窺う。

他の誰よりも接点がなさそうに見えるが、どうやら見当違いらしい。

ライムの先ほどの口ぶりから察するに顔見知りかどうかはともかく、彼女はこの物騒極まりない男のことを少なからず知っているようだった。

だが、当の彼女の表情を見てノエルはすぐに諦めた。

ライムも今起きている事態を飲み込めていないようだったからだ。

ここまでジャスの出方を慎重に様子見していたノエルだったが、ここでふと我に返った。


今のうちに退散してしまおうと。


よく考えればこれは好都合かもしれない。

ジャスの注意は完全に自分たちから逸れ、今や完全に部外者である。

これを利用しない手はない。

ジャスも両方をいっぺんに相手にするのはしんどいだろう。


蚊帳の外の自分はライムを連れてここから早く去りたい。

一方、この四人組はいかにも緊急度が高そうだ。

だったらこの場を黙って譲ればすんなりと退散できそうだ。

それに元々自分は無関係なのだ。

一人熱が冷めきった自分がいつまでもここに留まっていれば男たちに無粋というものだろう。


よしそうしよう。

ムカついていたが、それはもうどうでもいい。

ノエルは自分の考えの出来に満足し行動に移そうとしたが、目の前の褐色の男の横目が自分をじっくり捉えているのに気が付いた。


「…分かりやすいやつだな。そこで大人しく待ってろ」

「はあ?!」

そのあからさまな呆れ声にノエルが赤面する。

考えは完全に読まれていたようだ。

そんなやり取りを交わしているうちに、男たちはジャスの四方を取り囲んだ。

みな一様に殺気立った顔をしており、今にも飛び掛かりそうだった。

「馬鹿なやろうだ。いくら腕が立つと言っても、四人相手にいつもの舐めた口が聞けるか、ジャス」

ジャスの胸元が抉られるように掴まれる。

その拍子に白いフードがはだけ、ジャスの顔が露わになった。


切れ長の目は刃物のように鋭い。

浅黒い肌に青みがかった短髪は一見するとスポーティな印象を覚えるが、鋭角に尖った薄い眉が与える印象もあり、この男に限って言えば元々の剣呑さが増すだけだ。

「俺を仲間に引き込みたいのか、殴りたいのかどっちだ」

右の目尻に裂傷の跡があった。それが一層の凄味を感じさせる。

男たちが一瞬動じた様子がノエルには分かった。


「これは警告だぞ。お前、おれらを敵に回すつもりか」

「なら俺からもひとつ忠告しておいてやる。俺が潔癖症なのを知っているか?」

ジャスは薄目になり不敵な笑みを浮かべた。

全く慌てた素振りも見せず、平然と言い放つその様にノエルはひやりとしたものを感じ取った。

こいつ、キレてる。


「ちょっとあんたたち。もういいじゃん、こんなやつに構ってないで」

放っておくとまずい気がする。

知らぬ存ぜぬを決め込むつもりでいたが、ジャスの物騒な目つきを見るとそうもいかなくなった。

ノエルは自分の性格を呪う。


さらに運が悪いことに自分以外にこの場に割ってはいれそうな人間はいなかった。

遠巻きに心配げな顔を浮かべる女生徒が何人かいるくらいだ。

誰かに期待するのは難しそうだった。

「あ、なんだてめえ!一年のくせに上級生にタメ口きいてんじゃねえぞ」

小突くように男に肩を強く押され、ノエルは椅子に尻をぶつけた。

ライムが小さな悲鳴を上げる。

全く、なんでこんなに血の気の多いやつばかり自分の前に現れるのか。

一言言ってやろうとした直後、ジャスの胸元を掴んでいた男が突然くぐもった声を漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る