ミューレ海渡航篇

第一章

第10話 船出と声

 そうしてその後は丸一日買い物に費やし、結局三人がカルビナを発ったのは、その翌日のことだった。日が昇ってからそれほど経たないうちに、港のある入江から船は出航した。


 雲一つ無い快晴の下、船の甲板でリーシャは大きく背筋を伸ばした。

「んっ~~! 絶好の船出日和ね!」

 その隣ではミィナも舷縁から身を乗り出し、涼しげな風に当たっていた。ふと振り返ってリーシャを視界に収めると、舷縁に寄り掛かるような形で立ち、遠慮がちに口を開く。


「あの、お二人は……どうして旅をなさってるんですか? そういえばまだお聞きしてなくて……」

「あれ、まだ言ってなかったけ」


 共に旅をすることになった以上、ちゃんと聞いておかねばなるまい。

 確か二日前、リーシャと森を歩いているときに話していたのは、“ドラゴンを探しに来た”ということだ。そしてキメラを撃退した時には“自分たちが追っていたのはアイツだ”とも言っていた。そこから大体の理由を推測は出来るのだが、しかしやはりミィナは真実を知りたかった。

 問われたリーシャは、どう答えれば良いのか迷っている様だった。眉間に谷を刻んで腕を組む。


「うーん……ちょっと説明が長くなるかもだけど大丈夫?」

「はい」


 ミィナが返事をすると、リーシャは一度だけ小さく頷いて話し始めた。


「うん。じゃあまず、レイクスティアが三つの地域に分けられてるのは知ってるでしょ? 一つは今私たちが向かってる“ノーザニス地方”――北部一帯の山岳地帯がそうね。もう一つが、レイクスティア東部に広がりエルフ族が住まう“大森林”。そして最後に、レイクスティア南部から西部まで国土の半分以上を占めてる“人域”。……まぁそれが差別的な言い方だっていう人は、ただ“平野”って呼ぶこともあるけど」


「はい、それぐらいは一般常識ですしちゃんと分かってます」


「うん、なら良いの。で、三分割されてるレイクスティアなわけだけど、大昔に大規模な戦争があって以来三種族が平和協定を結んだお陰で、何百年もの間大きな争いも無く歴史が継がれてきたのよね。でもそれが成り立ってるのって、互いの力関係の釣り合いが保たれてるからなの」


「釣り合い……ですか」


「人間は“数”、竜人族はドラゴンとの“意思疎通能力”――要するにドラゴンを味方に付けられるってことね。で、エルフは“魔法”」

 と、そこまで話したところで、ミィナが何か納得がいかない様子で口を挿んだ。

「えっと……でも人間にも魔法は使えるんじゃ?」

「ううん、人間が魔法を使えるのは魔法道具があるからなの。それに対してエルフは魔法道具無しでも魔法が使える……。たぶん保有魔力上限の違いが理由だと思うんだけどね」


 リーシャが質問に答えると、ミィナは感心したような顔で満足げに頷いた。リーシャはそれを確認して、話題を元に戻す。


「でもいくら力が拮抗しているって言っても、いつその均衡が崩壊してもおかしくないじゃない? だからエルフ族は、各種族に戦争を引き起こさんとする不穏な動きが無いか監視する意味で、レイクスティア各地に散らばって暮らしてるのよ。もちろん皆じゃなくて、選ばれた人だけだけど。あ、これ本当は人間に話しちゃいけない決まりになってるから誰にも言わないでね」


 小悪魔めいてそっとウインクをするリーシャだが、それって結構重大なことなんじゃ……と、ミィナの方が心配してしまう締め括りだった。しかしリーシャはそんなこと気にも留めず、更に言葉を紡ぐ。


「で、そのエルフの仲間たちから相次いでドラゴンの死体の発見報告があって……、それで私がその原因を調査するために旅に出たわけ。まぁ、この前ようやくそれを突き止めたし、これからはキメラの討伐……になるのかな、目的は」


 他にも、何故その役目を担ったのがリーシャであるのかや、ラトと共に旅をすることになった経緯など、リーシャは幾つか話を省いた。

 それはまた次の機会で構わないだろう、という考えの下でだ。とは言え、ミィナに訊かれたなら別に隠す必要もないので素直に答えようと思っていた。

 しかしミィナが食い付いたのは、リーシャの予想から少々外れたポイントだった。


「でも……王国全体でドラゴンの数が減っているのでしたら、キメラの所為だとは言い切れないんじゃないですか?」

「え? ああうん、その通りだけど……。でもよくそこに気が付いたわね。確かに、発見されたどのドラゴンの死骸も、全てが何者かによって食い散らかされてたらしいんだけど、でもだからと言ってそれが全部キメラの仕業だっていう証拠にはならないわよね。だからそれをそのまま、おじ――……里の長老に報告するわけにもいかないし、だったらキメラを討伐しちゃえば手っ取り早いじゃない? まぁ、そんなところかなー」

「な、なるほど……」


 そもそもドラゴンとは、王都の対ドラゴン戦のプロである竜討伐部隊でさえ十人掛かりで挑むほど強大な存在なのだ。きっと小さな村程度なら一晩で焼き尽くせる力を持っている。

 相手はそんなドラゴンをも倒してしまうキメラであるのに、“討伐しちゃえば手っ取り早い”などという発想が浮かんでくることに、ミィナは唖然とする外なかった。

 だがそうも言ってはいられまい。ラトとリーシャと行動を共にすると決めた以上、二人に迷惑はかけられない。自分も強くならなければ。その意志を、ミィナは一層固く心に刻んだ。

 その時ミィナの胸の前で、何かがキラリと陽光を反射して、それに気付いたリーシャが彼女の名前を呼んだ。


「あれ? ミィナちゃん、それ――どうしたの?」


 言いつつリーシャが指差したのは、ミィナが首から下げている首飾りだった。何のことは無い、小さな金属板に鎖を通しただけのネックレスである。


「ああ、これですか? 昨日露店で売っていたんですけど、気に入ったので買ってしまって……」


 ミィナが少し照れくさそうにはにかみながら返答し、リーシャにも見えやすいよう顔の前へそれを持ち上げる。

 しかし改めて見てみると金のメッキが剥げている箇所が所々あり、所詮露店売りの品物かと納得できる程度の代物だ。だからミィナがそれのどこを気に入ったのか、リーシャは即座に理解しかねた。そのリーシャの心中を察してか否か、ミィナが苦笑と一緒に言葉を添えた。


「この文字、随分久しぶりに見たから懐かったんです」


 差し出された首飾りの金属板をよく見ると、その表面に何やら文字のようなものが彫られていた。


「何て書いてあるの?」

 リーシャが尋ねるとミィナは心なしか不思議そうな表情を浮かべた。

「えっと……“貴方に幸運を”ですね。たぶん御守りのようなものでしょう。……リーシャさん、読めないんですか?」


 さきほどミィナが文字と断言したこの彫刻を、リーシャが“文字のようなもの”と表現したのには理由がある。最初、それが文字だと思えなかったのだ。


「うん、こんなの初めて見た」

「やっぱり、リーシャさんもですか……」


 ミィナがリーシャの返答に、残念そうに溜め息を吐く。リーシャがその言葉の意味を視線だけで問うと、ミィナはそのネックレスの文字を見つめながらぽつぽつと答えた。


「私、読み書きなどは全て祖母から教わっていたんですが、その時にこの文字も教わったんです。でも誰に訊いてもそんな文字は見たことないって言われてて……。実際に街中でこの文字を見かける機会も無かったですし。勝手にエルフ語か何かかと思っていたんですけど……」

「あー……なるほどね。少なくともエルフ語じゃないのは確かだけど、でもこうして文字そのものは存在するわけだし、旅してればそれもそのうち分かる日が来るんじゃない?」

「ですねっ! もし竜人語だとしたら、ランゴード村へ行けば分かるかもしれないですし」


 ミィナは元気良く首肯して胸の前でぎゅっと両手を握り、意気込んだ。

 そんな彼女の様子を見たリーシャが微笑ましげに目を細める。それから足元にあった荷物を持ち上げると、船内へ降りる階段を指差した。


「まぁ取り敢えず、私たちの船室にこれ、置いてきちゃいましょー」

「あ、はい! ……あれ? そう言えばラトさんはどこに行ったんでしょう?」


 ミィナがきょろきょろと甲板を見回してラトを探すものの、もちろんどこにも彼の姿はない。きっと先に船室へ行っているのだろうと、勝手に早合点しそうになったミィナだったが、リーシャの大きな溜め息によってそうではない事を悟った。

 リーシャが無言で頭上を振り仰ぎ、それに釣られて見上げたミィナも思わず苦笑う。

 本来一人しかいないハズの見張り台に、何故か二人分の人影があった。


「なぁおっさん、何か見えんのか? 俺にもその望遠鏡貸してくれよ!」



             ********


 カルビナからノーザニス地方までのルートは、まず船で二日掛けて王都へ行き、そこで別の船に乗り継ぎ、ノーザニスの玄関口と呼ばれる“レーン港”へ向かうというものだった。ランゴード村までは、更にそこから馬車で一日の陸路を行かねばならない。


 そんな王都までの航路の途中、カルビナを発ってから一日と少しが経過した時分のことだった。


 船室にいても道具の整備ぐらいしかすることが無く、暇を持て余していたリーシャは仕方なしに船室を出て、ゆっくり甲板へと足を向けた。外へ出た所で見渡す限り水に囲まれているだけだから、暇なことに特に変わりがあるわけではないのだが、そのまま船室に籠っていると気が滅入りそうだった。


 甲板には他の同乗客も散見された。筋トレをしたり、自分の武器を磨いたり、各々が思い思いのことをしている。今更ながら、何だか血の気の多そうな人ばかりだと感じる中、舷縁に寄り掛かるように座り込むラトの姿を見つけた。

 歩み寄って行くと、ラトが顔を上げた。


「おう、リーシャ。どした?」

「ちょっと気分転換に出てきただけ」

 答えながらラトの隣に腰を下ろすが、しかしラトは怪訝そうに首を傾げていた。

「そんなに中が嫌ならずっと外にいりゃ良いじゃねぇか」

「……だって、外にいるとオジサン達がじろじろ見てくるし……」


 実際、今もそうだ。それ程あからさまではないにしろ確かに視線を感じる。けれどラトはきょとんとして更に小首を捻るだけだった。


「そうか?」

「だから見られてんのはあんたじゃなくて私だってば。まぁ確かに? 私ってばエルフのハーフで顔だって良い方だし? 自分で言うのも何だけど結構ナイスバディだから、しょうがない部分はあるんだけどね~~」


 言いながら、リーシャがフフンっと鼻を鳴らして得意げに胸を張る。わざとらしくそれっぽいポーズをとって見せると、それを一瞥したラトはすぐに視線を外して小さく頷いた。


「おう、そうだな」

「何か突っ込みなさいよ……。このままじゃ私、ただのナルシストじゃないの」


 いやしかし、よく考えてみたらラトにツッコミを求める時点で自分が悪かったのだ。その結論に至ったリーシャは、それ以上の咎めを諦め深く息を吐いて脱力した。


「それにしても、この船の客って皆なんだか血気盛んよね……。筋肉隆々っていうか、戦いに備えてる感じっていうか。これから戦争でも始まるのかってぐらい」

「確かに、言われてみりゃそうだなぁ。……あ、そうだ。話は変わるけどよ、“トウギタイカイ”って何だ? さっき近くを通ったおっさん達が話してんのが聞こえてきたんだよな」

「え? あ――……うん、何かしらねそれ」


 微笑交じりの返答は心なしか白々しくなってしまったものの、ラトはそれに気付くことなく陽気に口笛を吹き始めた。


(そっか……もうそんな時期か……)


 先ほどリーシャが口にした疑問の答えこそがそれだった。

 “闘技大会”とは、三年に一度、王都の闘技場にて開かれる大会のことだ。命の保証はされないという超危険な大会であるにも拘らず、己の技量を競い合うために毎大会百人以上もの腕っぷしに自信のある戦士たちが出場する、というレイクスティア“人域”における最大のイベントである。


 何故そのことをラトに話さなかったのかというと、それをラトが知ってしまうと出場したいと言い出しかねない気が、咄嗟にしたからだった。とは言え、これから行くのはその王都であり、きっと城下町全体がお祭り気分に満ちていることだろう。なのでラトにバレてしまうのも時間の問題かもしれない。


 そんなどうでも良いことを考えつつ、無意識に隣の口笛に耳を傾けていたのだが、不意に、その口笛のが途切れた。

 どうかしたのかと見やると、ラトは真剣な面持ちで床の一点を凝視していた。けれどその目が見つめているのは床ではなく、どこか遠くだ。


「どうかし――」

「しっ」


 口にしかけた言葉をラトに遮られ、思わず少しだけむっとしてしまう。そんなリーシャの心中を察してか否か、ラトがふと顔を上げた。


「何か……聞こえる」

「はぁ?」


 言われるがまま、耳の脇に手を当てて耳を澄ます。

 聞こえるのは波に揺られて軋む船の音と、船の前部竜骨が裂く波の音、そして頬を撫でる風の音だけ。……いや、今一瞬、風に乗って微かに別の音が混じった。

 あれは――……声?

 何と言っているのかまでは分からないが、それは確かに人の声だった。だが船の同乗客のものではなく、もっと遠くから聞こえてくるものだ。


『……たすけ……れ……』


 リーシャの耳が今度ははっきりと、悲鳴にも似た色を含むその声を捉えた。ラトと顔を見合わせ、揃って素早く立ち上がった。


「殺してくれ、つったのか……?」

「いやそんな訳ないじゃん……。助けてくれ、でしょ」


 ラトがあまりにあんぽんたんな事を言うので、リーシャは呆れ交じりに答えてから、声のした風上の方角である船の反対側へ小走りで移動する。舷縁から身を乗り出し、じっと水平線に目を凝らした。


 そして見つけた。


 船の左前方。僅かだが水平線に突起物が視認できる。それが何かは分からないが、悲鳴はほぼ間違いなくあそこから聞こえたものだ。

 その時、ラトとリーシャより少し遅れて発見したらしい、中央マストのてっぺんで見張りをしていた船乗りが、望遠鏡を覗き込みながら声を張り上げた。


「左前方の湖面に物体を発見! あれは……転覆船です!」

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