第7話 高級宿と彼女の目的

 受付で伝えられた号室の扉を開けると、ラトは荷物やら何やらをぽぽーいっと放り出して一目散にふっかふかのベッドへダイブした。


「うほほーっ! 気持ちいい~~」


 ミィナの村でも宿に泊まったが、寝床といっても恐ろしく簡素なものだったため、とてもじゃないが寝心地が良かったとは言えない。しかしこれなら久々にぐっすり眠れそうである。

 そんなベッドでごろごろしているラトを、ミィナが手前の通路付近に立ったまま心配そうに見ていた。


「あの……食事代どころか宿泊費までお世話になっちゃって、本当に良いんでしょうか……」

 すると後ろからリーシャが彼女の肩を優しく叩く。

「そういうのは気にしなくて良いのー。せっかく良い宿に泊まれるんだから、ほら、ミィナちゃんもリラックスリラックス! ……ラト、あんたはくつろぎ過ぎ! せめてシャワー浴びてからにしなさいよ……」

「お――」


 という適当な返事で、ラトがリーシャの忠告を流す。そんな二人の様子を見て、ミィナがふふっと微笑を零した。が、すぐにその表情を曇らせてしまう。

 リーシャが真ん中のベッドに腰を下ろして一息吐きつつ不思議そうに首を傾げる。


「ミィナちゃんどうしたの?」

「いえ……、ただ、お二人と一緒にいるとすっごく楽しいなーって。たった二日間お世話になっただけなのに、なんだか寂しくなってしまって……」


 確かにミィナの言う通り一緒に旅をしたのは僅か二日間だが、リーシャも不思議と彼女の言葉に納得していた。ベッドに寝転がって天井を見上げながら感慨深げに呟く。


「そっか、明日の朝にはミィナちゃんとお別れかぁ~……」

「そういえばお二人は、カルビナを発った後はノーザニス地方に行くんでしたよね?」

「うん、そうそう。でも私、まだ自然の雪っていうのを見たことないのよねー。魔法で生み出した雪なら故郷の里で見たことあるんだけど」

「私も見てみたいです、雪……」


 羨ましそうに呟いたミィナの表情はどこか物憂げだった。だからリーシャは彼女を元気付けようと、二ィッと無邪気に笑ってわざと冗談めかして言う。


「じゃあ、ミィナちゃんも一緒に来る?」

「い、いえっ、そういうつもりで言ったんじゃなくて――……その、すみません……」


 だがミィナは、とんでもないとでも言いたげに胸の前で両手をわちゃわちゃ振った後、やっぱり心苦しそうにまた俯いてしまう。完全に逆効果だ。

 ラトは既にいびきを掻いているし、ミィナは黙ってしまうしで沈鬱ちんうつな空気が垂れ込めそうになるのをどうにか防ごうと、リーシャはわざと大きめの声を出して立ち上がった。


「じゃあ、私はお風呂入ろっかな! ミィナちゃん、次で良い?」

「あ、はい。私は最後でも大丈夫です」

「いや……その寝てるのが最後で良いでしょ。ミィナちゃんが出てきたら起こせばいいわよ。じゃ、お先ー」


 着替えだけ持ってから、肩越しにひらひら手を振りバスルームへ。脱いだ服やら下着やらを取り敢えず籠の中に入れ、いざ浴室に入ると、驚いたことにさっきスイッチを入れたばかりであるにも拘らず、もう浴槽にお湯が張られていた。


「早っ! やっぱり高級宿だと設備が全然違うわねー。お風呂も魔法道具であっと言う間に沸いちゃうなんて」


 感心しつつバスチェアに腰かけるとソッコーで頭と体を洗って湯船に入った。ふぅ~~~~と深く息吹いて、鼻の下までしっかり浸かる。じんわりと体の芯から温まる心地に自然と表情が緩んだ。

 ぶくぶくと泡を作りながら、キメラの鱗を売却した折のギルド員との会話をもう一度思い出す。


『こんなにお金になるんだったら、尚の事追いかけなきゃダメねっ!』

 というリーシャの言葉を耳聡く聞き付けた彼が、唐突にこんなことを言い出したのだ。

『あの、お客様。もしキメラを追うに当たって何も手掛かりが無いのでしたら、ノーザニス地方のランゴード村へ行くと良い。きっと、役に立つ情報が得られるはずですよ』


 標高の高い山々が連なり、一年を通して常に雪に覆われた山岳地帯。その一部を含む、レイクスティア領最北地域全体を示す呼び名――それがノーザニス地方。竜人族の居住域でもあるため、そのランゴード村とやらが竜人族の里だろうことは想像に難くない。


 カルビナを発ってからの行く当ても特に無かったので丁度良い。ただ闇雲にキメラを探して放浪するより、遠くとも情報を得られるかもしれない場所へ一度赴いてみた方が、よっぽどマシである。

 と、そんな感じで色々頭を巡らせていたリーシャだったが、突然、浴室の折り戸がガラッと開け放たれた。


「おい、リーシャ!」

 ひょこっと顔を覗かせたのはラト。

「ひあっ!?」


 ばっ! と咄嗟に隠すべきところは隠したものの、あまりに唐突な出来事に反応が遅れ、声も出せずに口をパクパクしてしまう。


「は……え……? ちょ……――」

「お前、こないだ買った俺の干し肉、どこにあるか知らねぇ? 腹減っちまってよー俺」


 取り乱してしまったこちらがおかしいのか、と思ってしまうほど当然の如き振る舞いに、思わず反射的に答えてしまう。


「それなら、私のバッグの一番外側に入ってるけど……――って、それ今聞かなきゃダメなこと!? 私今お風呂入ってるの分かるでしょ!」

「お? ああ、わりわり。おっけー、外側のポケットなー」

 と軽く謝って踵を返す。さらっと扉を閉めようとするラトを、今度はリーシャが呼び止めた。

「ち、ちょっと! あんた何かコメントは無いわけ!?」


 入浴を(堂々と)覗かれたことよる怒りや恥ずかしさよりも、プライドを傷つけられた事が何よりリーシャを憤らせた。

 自分が飛び切り美人だとは言わない。それでも故郷の里でだって、“その容姿は例外なく美形である”と人間から称えられているエルフ族の、同年代の女の子の中でも別段見劣りしている訳ではなかったし、普段からそれなりにスタイルには気を使っているつもりだ。

 それなのにラトは自分の入浴姿を見ておいて、顔を赤らめるでもなく、まじまじと見つめるでもなく――


 まさかのノーリアクション。


 それはまさに、“お前には魅力が無い”と明言されているようなものだった。

 呼び止められたラトは、んー? と天井の隅に目をやり顎に手を当てて思考を巡らせる。そして何かに思い当たったようで得意げに指を鳴らした。


「ああ、お前も食う?」

「違うわッ!」

 目にも留まらぬ速さで飛んだ風呂桶が、スコーンッ! と軽やかな音を響かせてラトの眉間に命中した。



                ********


 時計塔が日付変更を告げる鐘を鳴らしてから数時間が経過した頃――空が白み始める少し前に、彼女は目を覚ました。目が覚めてしまったのではなく、起きるべくして起きたのである。

 身を起こして左を見ると、隣のベッドではリーシャがすぅすぅと寝息を立てており、さらにその向こうではラトが鼾を掻いて眠りこけている。


 音を立てないよう素早く身支度を整えると、荷物を持って立ち上がった。ジャラリ……という金属同士が擦れる音が微かに響く。カルビナへの道中は一日分の着替えと少々の小物ぐらいしか入っていなかった荷物は、今はずっしりと重たい。そしてそれに負けないぐらい気持ちも、また。


 抜き足差し足で二人のベッドの前を通り過ぎて、ゆっくり、丁寧に、そして慎重に部屋の扉を開ける。


「本当に……ごめんなさい……」


 きっとそれは、声にすらなっていなかっただろう。開けたときと同じように、細心の注意を払って扉を閉める。

 耳が痛くなるほどの静寂が、部屋に降りた。

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