第6話 鱗と小金持ち

「いやぁ~~、食った食ったぁ! すっげぇ美味かったな!」


 とっぷりと日が暮れた夜の街を歩きながら、ラトがぱんぱんに膨れた腹を叩いて屈託なく笑った。その隣ではリーシャが、ラトの気分とは反比例してガックリと肩を落としている。


「お金が無い……。今日の宿代が……」

「んなもん、別に野宿で良いじゃねぇか」

「あんたねぇ……誰の所為でこうなったと思ってるのよ。私なんか、エルフの里から旅立つときに友達から貰った首飾りを、代わりに引き渡すことになっちゃったんだからね」

「リーシャだって美味そうに食ってたじゃんか。なぁ、ミィナも美味かったよな?」

 と突然話を振られたミィナが、どう答えたものかと若干狼狽える。

「えっと……リーシャさん、そんな大事なものだったとは知らずにごめんなさい……。でも、その……とっても美味しかったですっ。今まであんなに美味しいもの、食べたことありませんでした!」


 心底申し訳なさそうに謝られた上に、そんなにキラキラした目で感謝されてしまっては責めるわけにもいくまい。それにむしろ、どんどん頼んで良いと言ったのはリーシャ自身なので、ミィナが謝るというのも変な話だ。


「ううん、ミィナちゃんは悪くないから大丈夫。……でも、やっぱり宿に泊まれないっていうのは痛いなー」


 無気力に呟いて夜空を仰ぐ。そんな、ほぼ十割方諦めていたリーシャの横で、不意にラトがごそごそと自分の荷物を探り始めた。探るほど多くの物をラトが所持してただろうかと、リーシャが訝しげに彼を見やる。


「ラト、あんた何やってんの?」

「あーいや、そういや折角こいつら取ってきたけど、どうしようかと思ってよ」


 言って無造作にそれを取り出すと、リーシャの前に差し出した。暗くて見え辛いが、ラトの手の上には掌より少し小さい程度の木葉が何枚か。リーシャは思わずラトを殴りそうになって、ぐっと堪えた。


「こっちがお金の心配してるときに、よくもまぁ呑気に葉っぱの心配なんかしてられるわね」


 するとラトが不思議そうに眉を顰め、ずいっとリーシャの顔の前へさらに突き出した。


「何言ってんだ、よく見ろっての」

「はぁ?」


 言われるがまま葉っぱの表面を注視すると、心なしか光沢があり、近くの鉱物灯の光を鈍く反射している。見間違いかと思ったリーシャは確認しようと手に取り、その見た目にたがう重さに目を丸くした。


「これって……鱗?」

「おう、森でキメラの尻尾ぶった切っただろ? あんとき落っこちてきた尻尾から何枚か剥ぎ取っといた。あれ、尻尾じゃなくて頭か。ん? やっぱ尻尾?」

「どっちでも良いし。っていうか、こんなの持ってたんだったらさっさと言いなさいよ! 私の首飾り、無駄に売っちゃったじゃない」

「まぁ良いじゃねぇか、今度新しいの買えば」

「そういう問題じゃないでしょ……」


 まぁこれ以上言っても無駄なのは分かり切っていることだ。リーシャはラトへの糾弾を諦め、鱗をより一層顔に近づけて更に詳しく観察する。

 しかし喜ぶリーシャとは裏腹に、ミィナはどちらかというと不安げな表情で彼女を見上げていた。


「水を差すようですみませんが、でもそれ……お金になるんでしょうか? キメラの鱗って言っても誰も信じてくれなさそうですけど」


 確かにミィナの言う通り、そもそもその存在すら知られていないキメラの一部などと信用する人間はほとんどいないだろう。だがリーシャはこれに似た素材を以前、見たことがある。

 うふふ……と不敵な微笑みを浮かべて、耳打ちをするように口元に手を当ててこそっと囁いた。


「これ、“ドラゴンの鱗”だって売ればだいたい一〇万ギルぐらいにはなるんじゃない? ドラゴンの鱗なんて見たことある人の方が少ないだろうし、きっとバレないわよ」

「……リーシャさん、それって詐欺なんじゃ……」

「細かいことは良いの、これだけ大きければ蛇の鱗も竜の鱗も大差ないでしょ。取り敢えず、商人ギルド目指しながら宿も探すわよー」


 よほど田舎の村や集落でもない限り、各町には大抵、商人ギルドと呼ばれる商業連合組織が存在する。そこでは商品の卸売り、また物品の鑑定・買取や物々交換取引の仲介なども行っているのだ。

 故に、施設の規模は町の大きさに比例する。時計塔に次ぐ高さを誇るその巨大な建造物は、カルビナのどこからでも拝むことが出来た。

 どーんと聳える、富豪の屋敷のようなギルドの前まで来ると、ほえ~~とラトが感嘆の声を上げた。


「でっけぇなぁ~~。よし、そんじゃ行くぞ」

「……あんた、柑橘類といい勝負しそう」

「ふふ、本当にさっぱりしてますね」


 入口のどでかい両開き扉は開け放されており、まだ沢山の人間が出入りしている。その流れに任せて三人も中へ入っていった。

 矩形の大広間。そして壁際に沿ってコの字に広間を囲む数々のカウンター。予想以上の人口密度だった。


「物品買取は奥と右のカウンターみたいね」


 ちなみに、向かって左は物々交換取引のカウンターで、二階が卸売りのフロアである。が、卸売りの時間帯は早朝なので、現在は二階への立ち入りは禁止されているようだった。

 物品鑑定・買取のカウンターはそれぞれ種類ごとに分けられているらしい。カウンターごとに、窓口の上部に“動物素材”や“植物”、“鉱物素材”、“武具類”など彫刻された金属板が貼られている。

 三人が“動物素材”の列に並ぶと、それを見た近くのギルド嬢が突然声を張り上げた。


「本日の動物素材買取はこれにて終了とさせて頂きまーす! 他の窓口のご利用はまだ可能ですので引き続きご利用くださいませー!」


 マジかよー、と小さく悪態を吐きながらすぐ背後で引き返していく客を後目で見送って、リーシャはほっと安堵の吐息を零した。


「うわ、実は結構ギリギリだったんだ。これで間に合わなかったらホントに野宿する羽目になるところだったのね」



              ********


 しばらくの待ち時間は少々手持無沙汰だったものの、そんなこんなで彼女らの順番がやってきた。


「お待たせいたしましたー。それで、どういった物をお持ちでしょうか?」

「えっと……これなんですけど……」


 鞄から数枚のキメラの鱗を取り出してカウンターに並べて置いた。こうして明るい場所で改めて見ると、仄暗く緑がかっているのが分かる。係の若い男性ギルド員はそれを手に取ると、顔の前に持ち上げてまじまじと見つめる。


「ふむ……これは鱗ですね? しかしこれ程大きな物となると、竜鱗でしょうか」

「ですっ!」


 もちろん嘘だが、勝手に早合点してくれたのに便乗して、思いっ切り首を縦に振った。隣のミィナの目がちょっと痛いが今は気にしない。

 と内心舞い上がっているリーシャの前で、ギルド員がおもむろに虫眼鏡を持ち出した。鱗を裏返したりして、細かく観察している。

 嘘がバレやしないかと、リーシャが固唾を吞んで見守る中、ギルド員はどこか納得のいかないような表情で首を捻った。


「申し訳ございません、私よりも詳しい人間を連れて参りますので少々お待ちください」

 一言断って、足早にカウンターの奥へと去っていった。

「……これ、バレそうかも」

「だから言ったじゃないですか……」


 げんなりした様子でミィナが呟く。確かに、さっきはお金に目が眩んでいたけれど普通に考えれば、鑑定を仕事にしている人間に見破れないはずがないのだ。

 ドラゴンの鱗じゃないって分かったらきっと怒られるだろうなー。などと考えている内、奥から先ほどの若いギルド員とは別の、大柄な初老の男性が現れた。


「お待たせいたしましたお客様」


 ギルド員はカウンターの向こう側の椅子に腰かけると、虫眼鏡を手にして入念に観察を始める。ギルド員は時折「ふむ……」やら「むむう……」と呻り声を漏らしつつ、鱗を凝視し続ける。それを見ていてふと思ったことがあった。


(他のお客さんもこんなに長いのかな……)


 きっと、鑑定も含めてとなると案外時間がかかるものなのだろう。ドラゴンの鱗のような希少な素材ともなれば、それが偽物でないとも限らない。――実際、偽物なわけだが。


「なぁ、おっちゃん、まだなんか?」


 とラトが空気も読まずに催促するが、ギルド員の耳には全く届いていないようだった。単に耳が悪いのか、気付かないほど集中しているのか……。

 リーシャはラトを軽く睨み付け、気を悪くしてはいまいかとギルド員の顔色を窺う。

 そのとき、急に彼の表情が強張った。

 双眸そうぼうをかっと皿のように見開き、それから、ばっ! とものすごい勢いで顔を上げた。


「お客様、一体どこでこれを!?」

「え!? も、もも森で拾ったん……です、けど……」


 出し抜けな問いに、思い切りどもってしまう。何とも煮え切らない返事だった所為か、ギルド員は真剣な面持ちのまま静かに目を落とした。鱗をじっと凝視したまま微動だにしない。


「あの……どうかしました?」


 心地の悪い沈黙に耐え切れずリーシャが恐る恐る尋ねると、彼は虫眼鏡をそっと置いて、鱗の一枚を彼女に差し出した。


「これは竜鱗などではありません、お客様……」


 浮かない表情で囁かれた言葉に、どきっと心臓が跳ねた。リーシャは咄嗟に言い訳が出てこなくて、何の意味も持たない言葉を吐き出す。

「あー……それはその~~」


「――合魔獣の尾鱗びりん。キメラと呼ばれる魔獣の尻尾から採れる鱗素材です」


 半ば重ねられるように言葉が継がれた。ミィナとリーシャの二人は思わずはっと息を呑み、それまで詰まらなそうにしていたラトすらも、興味深げに彼の話に耳を傾ける。


「……ですが、キメラは、遥か西方の地――どの国の領土にも属さない不毛な高原地帯にしか棲息していない生物です。お客様は先ほど“森で拾った”と仰いましたが、それは間違いありませんか?」


 流石はその専門の鑑定士といったところだろう。そこまでお見通しであるならば話は早い。リーシャはまず最初に、嘘を吐いてしまったことを詫びた。


「ごめんなさいっ! 本当は拾ったんじゃなくて、そのキメラから直接手に入れた物なの」

「というと、キメラと戦った……ということですか……?」

「おう! 勝ったぞ!」


 リーシャが答えるより先に、勝手にラトが宣言する。黙ってなさいの意思を込めてラトに眼を飛ばすと、何をどう勘違いしたのか誇らしげに胸を張った。もう突っ込むのも面倒になって、はぁ……と盛大に溜め息を吐いてから、ちゃんと説明するべくギルド員に向き直る。


「いえ、勝ったといっても、倒したわけじゃなくて撃退が精一杯で――」

「勝ったぞ!」

「……だそうです」


 撃退にしろ討伐にしろ、勝利した事実は変わらないのだから別に良いだろうと思うのだが、そこはラトなりに謎の拘りがあるらしい。

 ギルド員にとっても、そんなことがどうでも良いのはリーシャと同様らしく、ラトの主張を尽くシカトしていた。


「……何故キメラが……――いや、もしかしたら……しかし……――だとすると……うーむ……」


 顎に手を添え何やらブツブツと呟いている。すぐ手元を見ているのに、その目はどこか遠くを見つめているようである。完全にリーシャらの存在を忘れていた。


「あのぉ~~」

「ん? ……ああ、申し訳ない! わたくし、集中すると他人の声が耳に入らなくなってしまう性分でして。えー……それではこの“合魔獣の尾鱗”ですが、お売りして頂けるのでしたら、一枚につき二〇万ギルで買い取らせていただきますけれども……どう致しますか?」


 そうさらっと告げられた鑑定結果であったが、信じられない金額が聞こえた気がして思わず聞き返してしまう。


「ええっと、もう一度お願いします」

「はい。わたくし、集中すると他人の声が耳に入らなく――」

「いや、あの、そこじゃなくて売却額の方を……」


 このギルド員も思ったより濃いキャラしてるなーと今更ながら感じる中、ギルド員は再度その金額をはっきりと口にした。


「ああ、すみません。一枚につき二〇万ギルでございます」

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