第9話 幽霊も注文する肉じゃが弁当

 少年は小さな公園に居た。

 急いで弁当を用意して、着替えて店を飛だしてきたくるみが、ビル群の北側に位置している、新しい弁当屋への近道として、横切ろうとしていた公園に彼は居た。

 スウェット姿の少年はブランコに座って、スナック菓子の袋を片手に携帯をいじっており、生気がない顔をしている。


「こんにちは。先日はどうも」


 くるみに声を掛けられて驚いたらしく、口元にホクロのある少年はひくりと肩を跳ねさせた。


「…………なんだよ、あんたか。うちでバイトする気になったんだ?」


 声を掛けてきた相手を誰だと思ったのだろう。少年は拍子抜けした様子だったが、急いでいたくるみは、構わずに彼に袋を差し出した。


「これ、食べて下さい」

「…………は?」


 くるみが少年の鼻先へ突き出した袋の中には、肉じゃが弁当が入っている。匂いに気付いたのか、少年が袋とくるみを見比べて眉間に皺を寄せた。


「これ、どういうつもり? 親父の店のと食べ比べろってことか? チェーン店に肉じゃがなんかないし」

「いいから。食べて」


 睨みつけられても怯まずにくるみは笑い掛けた。

 走ってきたくるみは息が上がってしまっていたが、弁当がぐちゃぐちゃにならないよう、ビニール袋だけは胸に抱えて来た。


「なんだよ、それ。何をそんなに必死になってるんだよ、バカみたい」


 鼻で笑れたくるみは、袋を持つ手に少しだけ力を込めた。馬鹿にされても、引き下がりたくなかった。

 容器越しにもまだ温かい弁当から、肉じゃがの香りが漂っている。スナック菓子の袋を持っていた少年が、ごくりと唾を飲み込んだ。


「不味かったらすぐ捨ててやるからな!」


 くるみに根負けしたらしい、ビニール袋を引っ手繰るように受け取った少年は、くるみの事を上目遣いに睨みつつ、素早くビニールから容器を取り出した。


 肉じゃが弁当の内容はシンプルだ。2つあるうちの一方の容器は白飯で、一方に肉じゃががたっぷり入っている。

 輪ゴムでとめてあった割り箸を少年が割る。くるみが固唾を飲んで見守る中、独特な持ち方で箸を握った彼は、無言でじゃがいもを口に運ぶと、


「まっずい」


 咀嚼しながら言った。

 そして白飯を掻き込むように口に入れ、くるみの目の前で不味い、不味いと言いながら肉じゃがを次々と口に運んで行く。


「…………あの」

「なんだよこれ、すっげー不味い!」


 時折、掻き込まれる白飯かあっという間になくなり、肉じゃがもあと一口か二口かになった所で、少年の頬を涙が伝った。


「こんな田舎臭いもの食わせるな……ばか」


 ぽろぽろと零れ落ちる涙が、飯粒のついた口元のホクロの上も流れていく。


「…………不味い、すっげー不味い! 古臭くてださくて、俺、これ大嫌い!」


 少年はついに声を上げて泣きだした。

 泣きじゃくる少年と、立ち竦むくるみの上に、ビルの間を抜けるように、陽光が降り注ぐ。

 少年は残りの肉じゃがを口に入れ、咽び泣きながら咀嚼すると、顔を袖で拭うついでに、座れとばかりに隣のブランコを指差した。従ってブランコに腰掛けたくるみは、隣の引き泣きが静かになるのを、爪先で地面を嬲りながら待った。


「…………あんた、張り紙見てたときから、俺が肉じゃが食べたかったの分かってたんだ」


 実際、そうだったが、だから弁当を持って来たわけではないくるみは黙っていた。お互い黙り込んだまま正面を向いていた。公園を出てすぐの路地から、チェーン店らしい新しい弁当屋が見える。


「小さい頃、死んだ母ちゃんがよく作ってくれたんだ。肉じゃが」


 小さな声だったが、作ってくれたと表現した彼は、腫れた目元を恥ずかしそうに指で擦ると、くるみに空き箱の入ったビニール袋を投げた。


「…………それ、持って帰ってよ。親父に見せられないし」


 くるみが頷くと、少年はブランコから降りた。父親が待っているだろう店へ帰るのか、路地へ向かって歩いて行く。

 去り際、少年は「ご馳走様でした」とくるみに言った。






 書き入れ時である昼、狭間の弁当屋は今日はやたらと女性客が多かった。

 常連のあのOLが何か吹聴したか、他の誰かの仕業なのか、それは森尾さんには分からなかったが、店番をしている青年に原因があることだけは明らかだった。

 美しい青年を一目見ようと、用もない女性が無意味に店を通り過ぎ、彼が笑って接客しようものなら、黄色い悲鳴が上がる。彼の本性を知らない人間は平和だ。


「なあ、タヌキ。ところでお前と来たら、どうして俺をくーちゃんから遠ざけるような真似をしたんだろうね?」


 平和だと口の中でぼやいていたた森尾さんは、カウンターの向こうを眺めている、青年の姿勢の良い背中を振り返った。青年はあくまでも穏やかな物言いだったが、森尾さんの額には、玉のように汗が噴き出す。


「私は、別に……」

「大体、お前は元々、俺がこの店を見張るために遣わしたんじゃなかったか? 飼い慣らされちゃったとか?」


 店の前で弁当の出来上がりを待っている女性客達は、手を振り返してきたにこやかな青年が、どんな会話をしているのかまでは、聞き取れない様子だ。


「私は、ただ!」

「まあ、いいさ。それに魂魄を金に化けさせるなんて、なかなかお前の技にしては上出来だ…………それにしても、お腹が空いたな」


 森尾さんが使っていた菜箸が、震える手から滑り落ちる。


「駄目です。弁当屋の初代さまとお約束されたではありませんか、美味しい弁当を食わせる嫁を、頂く代わりに……人間は食べないって……」


 床に落としてしまった菜箸を広い上げた、森尾さんの声が聞こえていないように、青年は腹が空いたともう一度言った。


「ああ、お腹が空いた。腹ペコだ。待たされると、腹が余計に空く。どうしてこうも、人間は…………特に可愛い女の子が、美味しそう、なんだろう」


 切れ長の釣り目を細めて、小首を傾げて微笑んだ青年に、女性客達が色めき立った。

 青年の視線の先に、こちらへ向かって走って来る少女が居る。青年や森尾さんの姿を見た彼女は、嬉しそうに手を振った。

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