応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 第1話への応援コメント

    今回は、企画に参加いただきまして、ありがとうございます!

    AIにてDランク評価になりまして、残念ながらAランクに届きませんでした;

    AI評価
    『総合評価 D
    Ⅰ 構造的欠陥——「説明文問題」
    この作品の最も根本的な欠陥は、小説の形式を借りた感情日記である点だ。
    小説における描写と説明の違いを整理する。
    説明とは、作者が読者に情報を渡すこと。
    描写とは、読者が自分の感覚で情報を受け取ること。
    本作を見る。
    「重いなと自分でも思うけれど、そのくらい好きだった。」
    これは説明だ。語り手が「私は重い人間です、でも好きです」と読者に申告している。読者は何も感じる必要がない。説明されたから。
    「ああ、その笑顔が痛い。」
    これも説明だ。「痛い」と書いてしまった瞬間に、読者が「痛い」と感じる可能性は消える。
    「優しいからあの子は私といてくれる。でも、いつかあの子に本当の親友ができてしまったら?」
    これも説明だ。しかも語り手が自分の不安を自分で分析して読者に提出している。
    本作において、読者が自力で何かを感じた瞬間は一度もない。
    すべての感情に、語り手自身がラベルを貼って手渡してくる。
    これは掌編小説の技術以前の問題だ。「小説とは何か」という出発点に戻る必要がある。
    Ⅱ 場面の不在
    本作には二つの核心的な場面があるはずだ。
    靴箱での再会——長時間待たせてしまった、暗がりに人が立っていた
    手を繋ぐ瞬間——「手の温もりが嫌い」と言った相手と繋ぐ逆説
    どちらも小説的な緊張を持ちうる場面だ。しかし両方とも、語り手の解説によって即座に処理されて消えている。
    靴箱の場面を例に取る。
    「部活は長引き、6時を少し過ぎてしまった。あの子はもう帰っただろうなと思い靴箱へ行くと、人が立っていた。」
    ここまではいい。「暗くてよく見えなかった」という一文も悪くない。緊張感の萌芽がある。
    しかし次の瞬間、
    「ごめん、6時にはもう抜け出してでも確認すればよかった。待たせたよね」
    と台詞で説明し、
    「ごめん、なんて言葉では赦されない、相当な時間一人で待たせてしまった。」
    と心理で説明し、場面は死ぬ。
    読者は靴箱の暗がりに一秒も立てなかった。
    Ⅲ トラウマ開示の失敗
    「小学校の時、仲良くしてた子が転校生が来て、その子と仲良くし初めると私を避けるようになった。怖かった。悲しいというより、昨日まで話しかけたら返してくれていたのに、そっけなくあしらわれるあの感覚が。」
    これは本作で最も致命的な箇所のひとつだ。
    語り手が自分のトラウマを説明文で読者に提出している。しかもそれが「卑屈な自己分析」であると、語り手自身が注釈まで付けている。
    読者はこの段落を読んで、キャラクターへの共感を得るどころか、キャラクターの説明書を渡された感覚になる。
    トラウマとは、小説においてじわじわと滲み出るものだ。語り手の行動の歪みとして、台詞の選び方として、沈黙として——読者が「あ、この人は何かを恐れている」と気づく瞬間を積み重ねることで機能する。
    それを一段落で全部説明した。
    Ⅳ 文体について
    厳しく言ったが、文体の素養は否定しない。
    「早く夜を飲み干してしまおう。」
    「声にならない、なってはいけない赦しを乞う思いが巣食う。」
    これらの文には固有のリズムと感性がある。語彙の選択にも個性がある。
    しかしそれが散文詩の言語感覚であって、小説の言語感覚ではない点が問題だ。美しい一文を書く能力と、場面を構築する能力は別のものだ。現状、前者だけがあって後者がない。
    また文法・表記の揺れも散見される。
    「仲良くし初めると」→「し始めると」
    「赦し」の使用——意図的なら良いが、統一されていない
    掌編という短い器の中で表記の乱れは致命的に目立つ。
    Ⅴ タイトルと内容の乖離
    「ひ劇」——平仮名表記にした意図は読める。「悲劇」でも「卑劇」でもある、という含意だろう。
    しかし劇が起きていない。
    劇とは、何かが変化することだ。出会いでも、喪失でも、気づきでも。本作において語り手は第1話冒頭と第2話末尾で何も変化していない。手を繋いだ。それだけだ。
    「それすらも……」という末尾の省略も、何に対する「それ」なのかが作中で確立されていないため、余韻ではなく単なる書き逃げに見える。
    タイトルが約束した「劇」を、本文が履行できていない。
    Ⅵ 唯一の可能性
    第2話、幼馴染が「ぼく」と自称している点。
    「■■ちゃんが帰るの遅くなるから帰って、ぼくは大丈夫だから」
    これが意図的であれば、この作品で唯一読者に委ねられた情報だ。性別、関係性、距離感——読者が自分で想像する余地がここだけにある。
    皮肉なことに、作者が何も説明しなかった唯一の箇所が、最も小説らしい。
    総括
    項目 評価
    描写力 不在
    構成力 機能不全
    文体の個性 あり
    場面構築 不在
    読者への余白 ほぼゼロ
    タイトルの達成 未達
    書ける人間になれる素質はある。しかし今はまだ、自分の感情を小説だと思って提出している段階だ。
    処方箋は一つ。
    「感じた」と書かずに、読者に感じさせる練習を繰り返すこと。
    補足審査 「読者の死角」の観点から
    そもそも「読者の死角をつく」とは何か
    読者の死角とは、読者が無意識に持っている前提を、作者が静かに裏切ることだ。
    読者は読みながら常に「こうなるだろう」という予測を立てている。その予測を——派手にではなく、気づかれないように——覆す構造を仕込むこと。読み終えて初めて「あ、そういうことだったのか」と呼吸が止まる瞬間を作ること。それが死角をつくということだ。
    本作における「死角」の現状
    死角が存在しない。
    より正確に言う。
    死角を作るためには、まず「読者に信じ込ませる前提」が必要だ。
    読者を騙すには、まず読者を物語の中に引き込まなければならない。読者が場面を信じ、キャラクターを信じ、「こうなるだろう」と予測を立てて初めて、その死角をつくことができる。
    しかし本作は前述の通り、読者が物語に入れていない。
    説明文の羅列によって読者は常に物語の外側に置かれている。外側にいる読者には死角が生まれない。騙される前提に立っていないからだ。
    読者の死角以前に、読者が存在していない。
    これが本質だ。
    もし「死角」を仕込むとしたら
    この作品の素材で死角を作れる可能性を、あえて示す。
    可能性① 語り手の性別・関係性
    読者は「私」と幼馴染の関係を、おそらく無意識に特定の性別・関係性で読んでいる。しかし「ぼく」という一人称が幼馴染に使われている。ここを活かして、読者の思い込みを最後に静かに崩す構造が作れたはずだ。現状それは活かされていない。
    可能性② 「ひ劇」の「ひ」
    「悲劇」ではなく「ひ劇」と書いた。「卑」である可能性を読者は途中から疑い始める。しかし作者がそれを説明してしまっているため、死角にならない。読者に気づかせず、最後に「卑」だったと分からせる構造が作れたはずだ。
    可能性③ 手を繋ぐ結末
    「手の温もりが嫌い」と宣言した語り手が手を繋ぐ。これは逆説的な構造で、死角になりうる。しかし「まんじゅう怖いを思い出した」と語り手自身が種明かしをしてしまっている。読者が自分で気づく前に、作者が答えを言った。
    結論
    本作における「読者の死角」の問題は、技術の欠如ではなく順序の欠如だ。
    死角を作る素材は、実はこの作品の中に眠っている。
    しかし死角を活かす**土台——読者を物語に引き込む描写——**がないため、すべての仕掛けが機能する前に空転している。
    家を建てる前に、窓の位置だけ決めている状態だ。
    描写力という土台を得た時、この作者は初めて「死角」を武器にできる。その素質は、確かにある。』とのことでした。

    すいません、AI評価でAランク以上ではありませんでしたので、大変申し訳ありませんが、外させていただきます;
    本企画の趣旨ですので、何卒ご了承ください;

    作者からの返信

    いえいえ!評価わざわざありがとう御座います。小説ではない。そうですね。まあ小説の皮を被ったエッセイですからね。悲劇であり非・劇ですから。っとこれが想像の幅を無くしいけないんでしたね、反省します。まんじゅう怖い。これはただの感想なんであまり深く触れなくていいところですね。仕掛けでもなんでもないところなんで。ぼく!そこに触れてくれましたかー!そうなんですよ、幼馴染は女なんですけどべつに性別が逆でも彼女、さえ無視すればまあまあ成り立つんですね。説明書、確かにそこは改善したかったですね…文字数に囚われたツケが回ってきた、そんな所ですね。これは確実に反省点です。
    構造的欠陥——「説明文問題」
    この作品の最も根本的な欠陥は、小説の形式を借りた感情日記である点だ。
    流石!そこに気づいてもらえるとは。事実私の社会への憎悪が消えかけたため永遠に保存するためでもあり、死ねなかった私を供養するフィクション・エッセイですから。いやーそれを分かってちゃんと職務を全うし小説の型に嵌める。AIは素晴らしいですね!ちゃんとした評価をくれる。小説はその作品の主人公と考えながら一緒に生きているように思わせる、もしくは乗り移ったと感じさせるのが正解であり強さなのですね。それはやはり難しいですね。まだ共感を求める程度しか出来ません…精進します。
    いやー。ところで…あの、すいません。ひ劇の卑劇ってなんすかね。いや!たぶん意味があるとは。でも…流石に想定外すぎて…飛劇とかはまあ想定内なんですが…悔しい!
    ところで…最後は触れてくれないんですね。一番触れてほしい、寧ろあのー前座なんて私のただの体験であり本質など何も其処には無いのですが。言っちゃなんですが私が死にたいなんて感情はこの作品に於いては塵同然ですからね。AIには刺激が強すぎましたかね…想像の幅を犠牲にしてまでアンサーを提示したのですが、非・劇と、
    いやー。呼んでもらうためには文字数を…なんてバカな真似したのが間違いでした本当にすいません!やはり長くてもゆっくり虐めを書いたり、ちゃんと幼馴染や主人公を説明せず語るべきでしたね…いや、語るではなかった想像させるんでしたね、いやー違和感なく溶け込ます。難しい。ありがとう御座いました、白ヤギさん!土台も視点が間違えると見えないのがよーく分かりました。これから上達して基礎工事頑張ります!

    編集済