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  • 第3話 二秒の死への応援コメント

    コメント失礼します。
    記憶も愛情も同じなのに、本人であることの証明にはならないというのが切ないですね。
    家族との別れを受け入れながら、新しい自分として関係を築いていくユウの姿も印象的でした。
    「主体:継続」という表示が、自分自身の人生を歩み始めた証になる展開が興味深く、描写が素晴らしいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    まさに「以前の本人ではない」とされる側のやるせなさが、描いてみたかったところでした。

    一方で、以前との連続性は失われていても、今ここにいるユウには、そこから始まった彼自身の時間がすでに積み重なっているんですよね。

    最後の「主体:継続」も、以前のユウに戻ったという意味ではなく、新しい関係を築きながら歩んできた現在のユウ自身の人生が続いていることを示すものとして考えました。

    丁寧に読み取っていただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます。

  •  自己の認識を揺さぶられる物語でした。主体さえ継続すれば本人が存続する。でもその主体もまた、選択して使い続けるアセットに影響されるはず。現実世界でも服装や髪型で「変わった」と自覚してしまうのに、この世界の変化の大きさを鑑みると人生の意味、幸せの感覚も大きく異なるのではないかと感じました。

    作者からの返信

    紫瞳さん、コメントありがとうございます。
    まさに、主体が継続しているからといって、その「人」が変わらないわけではないんですよね。
    おっしゃるように、現代人でさえ少なからずあるこの感覚が、未来のテクノロジーによって極端化したとき、どうなるのか。自分とは一体何なのか、という問いから広がった物語でした。
    本作も最後まで深く読んでくださり、ありがとうございました。

  •  古典的には、人類の婚姻形態は乱婚→複婚→単婚とされていましたが現在では原始狩猟採集社会は流動的単婚(数年でペアが変わる)だったとされているようです。この世界は時間スケールは長いものの、そこに戻っているようにも見えて興味深く読ませていただきました。

     そして神もまた様々に変容してきましたが、管理人格が事実上の神となる。これも昨今のAIの進化を思うと、人類の選択として神による管理を選ぶ社会も有り得るのだろうなと(ほの暗く)感じました。

    作者からの返信

    紫瞳さん、コメントありがとうございます。

    流動的単婚という解釈は面白いですね。制度として婚姻が残っていても、技術によって選択肢が増え、自由や権利を重視しながら制度が更新され続ければ、家族や婚姻の実態もかなり違うものになっていくのではないかと想像してみました。

    そして管理人格については、人類があるとき突然「神に管理されよう」と選んだわけではなく、社会をより安全に、便利に、幸福にしようと少しずつ管理を委ねていった。その管理者自身も途方もない時間をかけて変化し続け、それでも一度も主体として途切れなかった結果、いつの間にか神のような存在になっていた、というイメージです。

    倫理も少しずつアップデートされ、その変化を選ぶ側の人間も現代人の感性とはかけ離れたものへ変わっているのかもしれません。

    しかも、その管理者自身もまた、それまで積み重ねてきた価値観から完全には自由ではない。

    いつも深く読んでいただけることが、とても嬉しいです。ありがとうございます。

  • 第9話 中古の天才への応援コメント

     創作は、何処までがオリジナルなのか。いまや先達者だけでなくAIまで加わっておりますし、余計に複雑ですよね。皮肉めいていて、深く刺さってくる回でした。

    作者からの返信

    紫瞳さん、コメントありがとうございます。

    本当に、創作のアイデンティティの境界って難しいですよね。

    今の私たちの感覚も、すでに昔とは大きく違っていると思いますが、AIが創作に関わるようになったその先の未来では、さらに違ったものへ変わっているように思います。

    考えるきっかけになればよいなと思って考えた話だったので、深く読んでいただけてとても嬉しいです。

  • 第7話 君を忘れるへの応援コメント

     全てを覚え続けるのは辛いことは間違いないですよね。でも記録と記憶と思い出は異なりまた重なるものだと思いますので、上手く選択できれば……本話は切なく余韻あるラストでしたが、考えさせられます。拙作も記憶に関しては設定入れておりまして、余計に感じるものがありました。

    作者からの返信

    紫瞳さん、コメントありがとうございます。

    「記録と記憶と思い出は異なり、また重なる」というのは、本当にそうですね。

    技術的に取捨選択の自由を得たとしても、その選択自体がかなり難しいものになりそうです。

    記憶に関する設定、紫瞳さんの緻密に作られた世界ではどのように描かれるのか、読み進めるのが一層楽しみです。

  • 第6話 天然への応援コメント

     生命体は神秘的なまでに上手く回しているとも感じるのですが、合理性という観点からはバグだらけではありますよね。
     でもこの世界だって、ハードもソフトも外部のインフラに依存している訳ですから……今回も考えさせられる回でした。

    作者からの返信

    紫瞳さん、コメントありがとうございます。

    本当に、冷静に考えたら生身の身体って、よくこれだけ複雑なものを自律的に動かしているなと思いますよね。呼吸だけでなく、心臓まで意思で止められる仕様じゃなくてよかったなとも思います。

    この物語の人たちも、決して何にも依存せず生きているわけではなく、身体や人格を維持するためのハードやソフト、それを支える社会インフラに大きく依存しています。

    そう考えると、自給自足に近い暮らしをしていた昔の人々から見れば、現代の私たちも同じように見えるのかもしれませんね。

  • 第3話 二秒の死への応援コメント

     これは寧ろ、完全に生身の人間が脳移植などで外見が別人になった方が、自分も周囲も割り切って受け入れてしまうのではと感じました。

    作者からの返信

    紫瞳さん、コメントありがとうございます。

    この話では、本人には事故の前からそのまま続いているような感覚があり、家族から見ても記憶や人格、振る舞いまでほとんど以前の本人そのものです。それなのに、社会的には以前の本人は死亡していて、今ここにいる人格主体は別人とされてしまう。

    だからこそ、余計に本人も周囲も気持ちの整理がつきにくいのかもしれませんね。

    おっしゃるように、いっそ外見までまったく別人になってしまえば、目に見える境界があるぶん、かえって「以前とは違う存在になった」と割り切りやすいのかもしれません。

    あまりにも以前の本人そのものに見えることが、むしろこの話では一番厄介なのだと思います。

  • 読了いたしました。

    命の在り方が変わった人々の様々な物語を堪能させていただきました。どのお話も興味深く、考えさせられるものでした。
    自分の主体がどういった形で継続しているか、難しい問題ですが、人と人の繋がりこそがそれを保証してくれるのかもしれませんね。
    完結お疲れ様でした。

    作者からの返信

    二ノ前さん、コメントありがとうございます。

    身体も、記憶も、人格も交換できる世界で、それでも何をもって「自分」とするのか。各話で少しずつ角度を変えながら考えてみた物語でした。

    この世界の制度上では「主体が途切れず続いていること」を本人性の基準にしていますが、おっしゃるように、その人がその人として生きてきたことを形づくっているのは、人との繋がりなのかもしれませんね。

    最後まで丁寧に読んでいただき、本当にありがとうございました。

  • 第4話 善人への応援コメント

    コメント失礼いたします。

    人の個を決める要素はどこにあるのでしょうね。自分としては人生の記憶にあると思っていました。ただ、その記憶を保ったまま別の人物になったり、人格だけが変わったらどうなのでしょうね。
    自分という存在の定義は想像以上に曖昧なのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本当に、自分という存在を何によって定めるのかは、考え始めるとかなり曖昧ですよね。これから技術がさらに進めば、この問いは人間にとってますます重要になってくるのではないかと思います。

    この物語の世界では、記憶はコピーできますし、人格も後から変えることができるので、そのどちらも「本人であること」の決定的な根拠にはできない、という前提にしています。

    そのため制度上は、「これまでの主体が途切れず続いているか」という連続性で本人を定義しています。

    この第4話でやりたかったのは、その基準で「同じ人間です」と言われても、人格も価値観も大きく変わった相手を、本当に同じ人として感じられるのか、というところでした。

    定義としては同じ人でも、感情まで簡単に納得してくれるわけではない。そのあたりが、とても厄介なところだと思います。

  • 第3話 二秒の死への応援コメント

    コメント失礼いたします。

    いわゆるスワンプマンですね。落雷で死んだ男の代わりに記憶と人格を引き継いだ泥男。
    ある種の思考実験ですが、本人ではないという線引きはやはり連続性でしょうか。これからの人生は、確実に別の経験が蓄積されていく。
    SFの設定では亜空間ワープする際に自分を分解して再構築するというのもありますね。あれを繰り返すたびに、ワープ前の自分は死んでいるのではないかと、ふと疑問に思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    スワンプマン、第3話はまさにそのあたりを題材にしておりました。

    この物語の世界では、記憶や人格がどれだけ完全に一致していても、それ自体は本人である根拠にはならず、「そこまで一本の主体として途切れず続いてきたか」を本人性の線引きにしています。

    ワープ問題も、この世界で考えるとかなりややこしそうです。

    たとえば一度分解して再構築するのではなく、身体を少しずつ転送する方式だったらどうなるのか。
    右半身だけ転送された途中の状態でも、左半身と右半身のあいだで神経や体液が通常どおり行き来し、一つの自我が転送元と転送先を同時に知覚しているなら、その主体はずっと連続しているとも考えられます。

    そのまま全身が移れば、どこにも「死んだ瞬間」はない。

    逆に途中で接続が切れたり、転送元の分解に失敗して双方が独立して動き始めたりしたら、今度はどこから「分岐」と考えるべきなのか。

    このあたりを考え始めると、ワープだけでもかなり厄介ですね(笑)

  • 第1話 捨てた恋人たちへの応援コメント

    拝読いたしました。

    便利なことというのは思わぬところでデメリットをもたらすものですね。必要に応じて交換したのに古いものにこそ大事な要素がある。
    それに気付けるのは、かなり後だったりするのですよね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    まさに、二人ともその時々では必要だと思って交換していて、実際それによって家庭もうまくいっているんですよね。

    だからこそ、ずっと後になって、別の評価軸の中では「あれも大事なものだったのかもしれない」と気付く。

    便利になったぶん失ったものがあるとしても、変わらないほうが良かったのかというと、それも簡単には言えない。そのあたりは、生きるうえでとても厄介なことだと思います。