応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 読了いたしました。

    命の在り方が変わった人々の様々な物語を堪能させていただきました。どのお話も興味深く、考えさせられるものでした。
    自分の主体がどういった形で継続しているか、難しい問題ですが、人と人の繋がりこそがそれを保証してくれるのかもしれませんね。
    完結お疲れ様でした。

    作者からの返信

    二ノ前さん、コメントありがとうございます。

    身体も、記憶も、人格も交換できる世界で、それでも何をもって「自分」とするのか。各話で少しずつ角度を変えながら考えてみた物語でした。

    この世界の制度上では「主体が途切れず続いていること」を本人性の基準にしていますが、おっしゃるように、その人がその人として生きてきたことを形づくっているのは、人との繋がりなのかもしれませんね。

    最後まで丁寧に読んでいただき、本当にありがとうございました。

  • 第4話 善人への応援コメント

    コメント失礼いたします。

    人の個を決める要素はどこにあるのでしょうね。自分としては人生の記憶にあると思っていました。ただ、その記憶を保ったまま別の人物になったり、人格だけが変わったらどうなのでしょうね。
    自分という存在の定義は想像以上に曖昧なのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本当に、自分という存在を何によって定めるのかは、考え始めるとかなり曖昧ですよね。これから技術がさらに進めば、この問いは人間にとってますます重要になってくるのではないかと思います。

    この物語の世界では、記憶はコピーできますし、人格も後から変えることができるので、そのどちらも「本人であること」の決定的な根拠にはできない、という前提にしています。

    そのため制度上は、「これまでの主体が途切れず続いているか」という連続性で本人を定義しています。

    この第4話でやりたかったのは、その基準で「同じ人間です」と言われても、人格も価値観も大きく変わった相手を、本当に同じ人として感じられるのか、というところでした。

    定義としては同じ人でも、感情まで簡単に納得してくれるわけではない。そのあたりが、とても厄介なところだと思います。

  • 第3話 二秒の死への応援コメント

    コメント失礼いたします。

    いわゆるスワンプマンですね。落雷で死んだ男の代わりに記憶と人格を引き継いだ泥男。
    ある種の思考実験ですが、本人ではないという線引きはやはり連続性でしょうか。これからの人生は、確実に別の経験が蓄積されていく。
    SFの設定では亜空間ワープする際に自分を分解して再構築するというのもありますね。あれを繰り返すたびに、ワープ前の自分は死んでいるのではないかと、ふと疑問に思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    スワンプマン、第3話はまさにそのあたりを題材にしておりました。

    この物語の世界では、記憶や人格がどれだけ完全に一致していても、それ自体は本人である根拠にはならず、「そこまで一本の主体として途切れず続いてきたか」を本人性の線引きにしています。

    ワープ問題も、この世界で考えるとかなりややこしそうです。

    たとえば一度分解して再構築するのではなく、身体を少しずつ転送する方式だったらどうなるのか。
    右半身だけ転送された途中の状態でも、左半身と右半身のあいだで神経や体液が通常どおり行き来し、一つの自我が転送元と転送先を同時に知覚しているなら、その主体はずっと連続しているとも考えられます。

    そのまま全身が移れば、どこにも「死んだ瞬間」はない。

    逆に途中で接続が切れたり、転送元の分解に失敗して双方が独立して動き始めたりしたら、今度はどこから「分岐」と考えるべきなのか。

    このあたりを考え始めると、ワープだけでもかなり厄介ですね(笑)

  • 第1話 捨てた恋人たちへの応援コメント

    拝読いたしました。

    便利なことというのは思わぬところでデメリットをもたらすものですね。必要に応じて交換したのに古いものにこそ大事な要素がある。
    それに気付けるのは、かなり後だったりするのですよね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    まさに、二人ともその時々では必要だと思って交換していて、実際それによって家庭もうまくいっているんですよね。

    だからこそ、ずっと後になって、別の評価軸の中では「あれも大事なものだったのかもしれない」と気付く。

    便利になったぶん失ったものがあるとしても、変わらないほうが良かったのかというと、それも簡単には言えない。そのあたりは、生きるうえでとても厄介なことだと思います。