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    「虎になる前に、誰にも負けない自信作を」からきました。

    拝読しました。
    言い切られないまま残る余白や、言葉の配置にとても惹かれる読者です。本文の中で人と人との位置関係がどう作られていくかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。



    町はずれの、医療行為が正しく行われているかも怪しい診療所から車椅子が出てくる場面から始まって、読み終えたときには、同じ言葉のはずなのに、そのたびに指しているものが少しずつ違っているという感覚だけが残りました。

    最初に「受け入れること」を差し出したのは、アルミサエルの方でした。医者のひと言で、父の愛があっさり少女を遠ざける方へ傾いてしまったあとも、アルミサエルは荒れた家で少女の髪を梳き、食べものを探し、ただ長く傍にいることを続けます。少女はそれを、自分が受け取ったこととして覚えている。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    臍の緒を切ったあと、アルミサエルはそれを自分の首に巻いて、絞めてほしいと少女に頼みます。少女がためらい、アルミサエルが黙り込んだあとに置かれる、

    「もし受け入れることが愛だとするならば。……それなら。それならば」

    という言葉に、何度も目が止まりました。一度そこで文が途切れて、間を置いて、「それなら」が少し形を変えて繰り返されてから、少女の手が動く。存在をそのまま受け止めることと、その人が望んだ終わりを実行することは、たぶん本来同じ行為ではありません。でも、その間をつなぐ言葉は、本文には置かれていないように感じました。少女がその先で「そんなことできないって拒むこともできたんじゃないか」「合ってたのかな」と繰り返し立ち止まるのを見ると、あのときのことは、本人にとっても閉じた答えではなかったんだろうと思います。

    そのあと少女は、「この風穴を受け入れよう」と、永久に埋まらない不在も受け入れようとします。ただ、いまここにある不在を受け入れようとすることと、あのときの行為が正しかったと言えることは、別の話のように読みました。

    少女はまず、臍の緒を「切ってしまうこと」だけを、アルミサエルの祈りとして受け取っていました。絞めてほしいという頼みが明かされるのは、そのあとです。切ることを引き受けた時点では、そのあとに告げられる頼みまでを引き受けていたとは、本文からは読み取れません。

    臍の緒も、ひとつの役割に留まりませんでした。最初は「いのちを永らえるため」の管のようなものとして現れて、二人を繋ぎ、やがて二人の動きを縛る重さになる。「この重いの、切ってしまいましょう」と切られ、ぱちん、と短い音が置かれる。その後で、アルミサエルは切れた臍の緒を自分の首へ巻きます。命をつないでいたはずのものが、拘束になり、切られるものになり、最後には道具になる。この順番は、少女が「受け入れることが愛なら」と考えるよりも前に、もう進んでいた。だから、あの言葉がこの変化を引き起こしたわけではないように思いました。

    それでも、二人の間にあったものが、この臍の緒だけだったとは思えません。

    アルミサエルの死は、はっきりと書かれています。息をしなくなって、土に埋められる。そのことは揺らがない。ただ、その後に残るものが、いくつかに分かれて置かれています。少女は「いまでも私のひとみの裏にいる」と言い、アルミサエルのことを話そうとする。同行の人は「暫くは僕がアルミサエルさんの話を聴きたい」と応じます。

    話すことと、あのときの行為が正しかったと言えることは、同じではないと感じました。

    そして最後、少女ではなく、その人の方が「彼女とその子どもはいまでも共に在るんじゃないか」と思い、少女の微笑みに「愛とはこのような姿をしているのだろう」という見え方を得ます。

    同じ「いまでも」なのに、少女の側にあるのは記憶で、その人の側にあるのは推測でした。その問いはまだ少女のところに残ったまま、少し離れたところで、別の人が別のものを見ている。読み終えてからも、そこだけがずっと引っかかっています。