2026年8月3日 16:48
あるふたりの軌跡への応援コメント
拝読しました。言い切られないまま残る余白や、言葉の配置にとても惹かれる読者です。本文の中で言葉や人と人との位置がどう作られていくかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。栞が一枚、勝手に増えている。最初はそれだけの違和感でした。妻に尋ねても「そんなしょーもないことするわけないじゃん」と返され、語り手も「私が寝惚けて挟んだだけかもしれない」と、いったん自分で流してしまう。数日後に栞が大量に増えても、「豊作」「じゃがいも」と軽口が続いていて、怖さだけに寄らない二人の空気がまず印象に残りました。だからこそ、その本を開いたあと、読んでいたはずの物語の「過去も未来も全て消え」、発行日を記したページだけが残っていた場面が、急に重く感じられます。この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。◇栞が増えたことも、文字が消えたことも、本文の中でははっきり起きています。窓の外には影が落ち、ページを捲るような音と紙の匂いがして、空には橙とも金色とも表現できる裂け目まで現れる。何も起きていないわけではない。むしろ、出来事は次々に大きくなっている。それなのに、語り手の言葉は慎重なまま残っています。最初は「私が寝惚けて挟んだだけかもしれない」文字が消えたあとも、「栞が挟まっているページが全て消えている、という事になるのか」そして裂け目が消えたあとには、「私たちを観察しているようだ」「かもしれない」から「という事になるのか」、さらに「ようだ」へ進んでいくのに、どこにも確定した説明は置かれません。それぞれ少しずつ違う言い方で、言い切れない範囲が残されているように感じました。なかでも強く惹かれたのは、「まるで何かが──」と、語り手の言葉が途中で止まるところです。その未完の言葉の中へ、影や音や匂い、空の裂け目が入り込んでくる。そして、すべてが過ぎ去ったあとで、妻が「何かが、なに?」と、止まったままだった部分をもう一度差し出す。そこでようやく「観察しているようだ」という言葉が置かれますが、それもやはり「ようだ」に留まっています。前半では異常が「私の本」を中心に起きていたのに、ここで初めて、見られているかもしれない対象が「私」ではなく「私たち」になります。「──だったら、精々本に残るような生き方、してやろうじゃん?」この「だったら」は、語り手の仮説を確かに受けています。けれど、見られていることがなぜ本に残ることへつながるのか、どの本に、誰によって、何が残されるのかは書かれません。目の前の本では、物語の過去も未来も消えています。そのすぐあとで、同じ「本」という言葉が、「本に残るような生き方」への呼びかけに使われる。消えたものと、これから「残るように」と呼びかけられる生き方が、同じ「本」という言葉の中で向かい合っています。ただ、一方がもう一方の代わりになったとは言い切れない。その間が空いたままだからこそ、「だったら」という一語が妙に残りました。そして、妻の言葉は決定ではなく、「してやろうじゃん?」という呼びかけです。語り手が何と返したのか、二人がそのあと実際に何かを始めたのか、その生き方が本に残るのかも書かれていません。代わりに置かれるのは、妻が花のように笑った、という一文だけです。最初に挟まっていたのが押し花だったことを思うと、最後に「花」という言葉がもう一度現れるところに、ふっと目が止まりました。ただ、それが何を意味するのかまで決めてしまわず、妻の呼びかけと笑みだけを残して閉じるところがとても好きでした。栞を挟んだのが誰なのかも、「何か」の正体も、本に何が残るのかも、最後まで確定しない。その答えのないまま残ったものと一緒に、「だったら」のあとに置かれた、あの呼びかけが、読み終えたあとにも残りました。
作者からの返信
とても嬉しいご感想をありがとうございます…!自分が書いた物語のはずなのに、成程、そういう読み方が出来るのか…!と思ってしまいました。これを書いた過去の私は、あまり意味を深く考えずに書いたような気がするのに、なんというか、そういう意味を無意識に込めたのかもしれない…!?という気持ちに陥りました。そんなはずはないのに。ですが、少しでも楽しんでもらえたのなら作者冥利に尽きます!それではお読み頂き、ありがとうございました!
あるふたりの軌跡への応援コメント
拝読しました。
言い切られないまま残る余白や、言葉の配置にとても惹かれる読者です。本文の中で言葉や人と人との位置がどう作られていくかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。
栞が一枚、勝手に増えている。最初はそれだけの違和感でした。
妻に尋ねても「そんなしょーもないことするわけないじゃん」と返され、語り手も「私が寝惚けて挟んだだけかもしれない」と、いったん自分で流してしまう。数日後に栞が大量に増えても、「豊作」「じゃがいも」と軽口が続いていて、怖さだけに寄らない二人の空気がまず印象に残りました。
だからこそ、その本を開いたあと、読んでいたはずの物語の「過去も未来も全て消え」、発行日を記したページだけが残っていた場面が、急に重く感じられます。
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
◇
栞が増えたことも、文字が消えたことも、本文の中でははっきり起きています。窓の外には影が落ち、ページを捲るような音と紙の匂いがして、空には橙とも金色とも表現できる裂け目まで現れる。
何も起きていないわけではない。
むしろ、出来事は次々に大きくなっている。
それなのに、語り手の言葉は慎重なまま残っています。
最初は「私が寝惚けて挟んだだけかもしれない」
文字が消えたあとも、「栞が挟まっているページが全て消えている、という事になるのか」
そして裂け目が消えたあとには、「私たちを観察しているようだ」
「かもしれない」から「という事になるのか」、さらに「ようだ」へ進んでいくのに、どこにも確定した説明は置かれません。それぞれ少しずつ違う言い方で、言い切れない範囲が残されているように感じました。
なかでも強く惹かれたのは、
「まるで何かが──」
と、語り手の言葉が途中で止まるところです。
その未完の言葉の中へ、影や音や匂い、空の裂け目が入り込んでくる。そして、すべてが過ぎ去ったあとで、妻が「何かが、なに?」と、止まったままだった部分をもう一度差し出す。そこでようやく「観察しているようだ」という言葉が置かれますが、それもやはり「ようだ」に留まっています。
前半では異常が「私の本」を中心に起きていたのに、ここで初めて、見られているかもしれない対象が「私」ではなく「私たち」になります。
「──だったら、精々本に残るような生き方、してやろうじゃん?」
この「だったら」は、語り手の仮説を確かに受けています。けれど、見られていることがなぜ本に残ることへつながるのか、どの本に、誰によって、何が残されるのかは書かれません。
目の前の本では、物語の過去も未来も消えています。そのすぐあとで、同じ「本」という言葉が、「本に残るような生き方」への呼びかけに使われる。
消えたものと、これから「残るように」と呼びかけられる生き方が、同じ「本」という言葉の中で向かい合っています。ただ、一方がもう一方の代わりになったとは言い切れない。その間が空いたままだからこそ、「だったら」という一語が妙に残りました。
そして、妻の言葉は決定ではなく、「してやろうじゃん?」という呼びかけです。語り手が何と返したのか、二人がそのあと実際に何かを始めたのか、その生き方が本に残るのかも書かれていません。
代わりに置かれるのは、妻が花のように笑った、という一文だけです。
最初に挟まっていたのが押し花だったことを思うと、最後に「花」という言葉がもう一度現れるところに、ふっと目が止まりました。ただ、それが何を意味するのかまで決めてしまわず、妻の呼びかけと笑みだけを残して閉じるところがとても好きでした。
栞を挟んだのが誰なのかも、「何か」の正体も、本に何が残るのかも、最後まで確定しない。
その答えのないまま残ったものと一緒に、「だったら」のあとに置かれた、あの呼びかけが、読み終えたあとにも残りました。
作者からの返信
とても嬉しいご感想をありがとうございます…!
自分が書いた物語のはずなのに、成程、そういう読み方が出来るのか…!と思ってしまいました。
これを書いた過去の私は、あまり意味を深く考えずに書いたような気がするのに、なんというか、そういう意味を無意識に込めたのかもしれない…!?という気持ちに陥りました。そんなはずはないのに。
ですが、少しでも楽しんでもらえたのなら作者冥利に尽きます!
それではお読み頂き、ありがとうございました!