第3話 余白の祈りと、泥濘のフィールドワークへの応援コメント
まるで歴史小説のような、ミステリーのような……と読み進めていったら、いきなり人間ドラマへと変貌する様が鮮やかで引き込まれました。
主人公、実際にいたら怖くて近付けない(´・ω・`)と思いつつ、自らの過ちに気付き外界へと踏み出した時は応援したくなりました。
重厚な地の文が「純文学」という感じがして、好きです!
すまげんちゃんねるさん、ありがとうございました。
作者からの返信
大変嬉しいご感想をありがとうございます!
歴史ミステリーのような入り口から、最終的に一人の人間の再生を描くドラマへとシフトしていく構成は今回最も力を入れた部分でしたので、そこを「鮮やか」と評していただけて本当にうれしいです。
主人公も、後半に「利他の心」等に気が付いてもらわないといけないので、前半は嫌な感じの性格にしてしまったので「実際にいたら怖くて近付けない(´・ω・`)」とのことで自分も同感だと思いました('Д')
重厚な地の文(純文学っぽさ)も楽しんでいただけて光栄です!これからも情景や感情が伝わる文章を目指して精進します。
温かいお言葉をいただき、本当にありがとうございました!
第3話 余白の祈りと、泥濘のフィールドワークへの応援コメント
暗号の真実に主人公が気づいたところで歴史小説から一気に人間ドラマへ変貌する、その構成が見事でした。
歴史は知識を誇示するための対象ではなく、「過去に生きた人々の息遣い」を受け取る営みなのだというメッセージが、説教臭くなく物語そのものから伝わってきました。
恋愛小説、歴史小説、そして人間の再生の物語が無理なく一つに結びついた、読み応えのある作品でした。
余談ですが、
私、北摂の人間ですので近所の地名が出てびっくりしました笑
作者からの返信
素晴らしいご感想をいただき、本当にありがとうございます!
歴史小説から人間ドラマへの変貌や、物語に込めたメッセージをそのように受け取っていただけて、作者として感無量です。
そして、なんと小径散歩さんも北摂にお住まいなのですね! 実は、私も北摂の人間なんです(笑)。
まさかご近所の方に読んでいただけるとは思いませんでした。
地元である北摂の本当の地名を作中に出したのは、物語の「リアリティを増したかった」という強い狙いがありました。実際の空気感を描くことで、過去の人々の息遣いをよりリアルに感じてほしかったのです。
ご近所の方にその意図が伝わり、親近感を持ってお読みいただけたのなら、これ以上嬉しいことはありません。
第3話 余白の祈りと、泥濘のフィールドワークへの応援コメント
すまげんちゃんねるさん、自主企画に参加してくれてありがとうな。
『沈黙のオラショ』、全3話読ませてもろたで。最初に九重慧さんが出てきたときは、「静寂と合理性さえあればええ。他人の気遣いは研究の邪魔や」いう具合に、ずいぶん頑丈な城をこしらえた人やなあと思ったんよ。
せやけど読んでいくと、その城の中に桜色のマグカップひとつが残ってる。その小さな違和感が、ウチには妙に気になったわ。歴史を読み解く大きな話と、誰かが残した生活の気配がどう重なっていくんか。そこに、この作品のおもしろさがあるように感じたんよ。
ほな今回は「猫の縁側」の温度で、九重さんの真剣すぎるがゆえの可笑しさや不器用さ、それから作品の奥にある人間臭いあたたかさを、夏目先生にゆっくり見てもらおか。
■ 夏目先生の講評――「猫の縁側」
わたくしはこの作品を読みながら、九重慧という人物を、たいそう面倒ではあるものの、どうにも見捨てにくい男だと思いました。
何しろ彼は、自分の世界を守るために実に念入りです。二十度に保たれた書斎、防音窓、白い手袋、整理された空間。そこへ他人の足音や笑い声、麦茶などという生活そのものが入り込めば、彼にとっては一大事件になる。本人はきわめて真剣なのですが、真剣であればあるほど、どこか可笑しみが生まれています。
その可笑しさが、単なる「変わった研究者」の造形で終わっていないところが、この作品の魅力でしょう。
たとえば実花の残した桜色のマグカップです。九重は生活感を嫌い、実花との関係も理屈の上では切り離したつもりでいる。ところが、そのカップを簡単に捨てるのではなく、布を掛けて視界から隠す。本人の説明する自分と、実際の行動との間に、わずかなずれが生まれております。
人間は、なくなってほしいものと、見たくないものとを、しばしば混同します。九重もまた、自分は感情から自由であると信じながら、その感情にずいぶん手間を掛けている。そこが実に人間らしいのです。
この一人称の語り方も、九重という人物によく合っています。彼は自分の判断を整然と説明し、自分こそ合理的であると語ります。しかし読者は、その言葉を聞きながら、彼の行動のほうに別のものを見つけることができる。本人の自己評価と、読者から見える姿とのずれが、作品の可笑しみと切実さの両方を生んでいます。
実花との会話にも、その性質がよく表れています。九重の言葉は理路整然としており、彼自身の価値観を明確に示す一方、相手の気持ちを理解する言葉にはなっていない。実花の気遣いと九重の論理が、同じ場所にありながら噛み合わない。その短いやり取りだけで、二人の心理的な距離がよく見えるのです。
そして九重は、過去帳の解読へ没頭していきます。
ここで面白いのは、彼が歴史を客観的に読もうとしながら、そこへ自分自身の考えを重ねてしまうところです。彼は過去の人々の沈黙や偽装を、自分の孤独な生き方と響き合うものとして受け取っていく。
つまり彼は史料を読んでいると同時に、史料の中へ「自分の正しさ」を探しているわけです。
これは少々危ういことですが、人間として考えれば、さほど珍しいことでもありません。人は自分の決断に自信がなくなるほど、その決断を肯定してくれる証拠を世の中に探したくなるものです。九重の場合、それを二百五十年前の記録にまで求めてしまう。まことに大がかりな自己確認であります。
しかし作品は、そこで九重の思い通りには進みません。
歴史を読み解く旅が進むにつれて、彼が「自分と同じだ」と思っていたものの姿が少しずつ変わっていく。その変化が、九重自身の生き方を見る目にも返ってくる。この構成によって、歴史の謎と現代の人間ドラマが別々のものにならず、一つの物語として結ばれています。
題名にある「沈黙」も印象的です。
言葉を発さないという表面だけを見れば、沈黙はどれも同じように見える。しかし、誰かを遠ざけるために黙ることもあれば、誰かを守るために黙ることもある。その内側にあるものまで同じとは限りません。
九重は、外から見える行為を合理的に分類することには長けています。しかし人の行動の奥に、説明しきれない感情が宿ることには少々鈍い。その男が、古い記録を読み続けることで、自分の分類だけでは処理できないものへ出会っていく。この流れがたいそうよくできております。
また、作品全体を支える物の使い方も好ましい。
冷房の効いた書斎と夏の外気、白い手袋と生身の手、整えられた無彩色の空間と桜色のマグカップ。こうした対比が、九重の考え方を説明する以上に雄弁です。
とりわけ、わたくしはあのマグカップが好きです。
歴史的な価値などない、ありふれた生活用品です。それなのに、何百年も前の史料を扱う九重にとって、妙に厄介な存在として残る。人間は壮大な思想を論じることはできても、誰かが置いていった一個のカップには困らされることがある。その小ささが、この物語に親しみを与えています。
九重の変化も、「突然まったく別人になった」とは感じませんでした。むしろ、それまで理屈で押し込めていたものが、少しずつ本人の手に負えなくなっていく印象があります。頭で整理してきた男だからこそ、頭だけでは済まなくなる瞬間が効いているのです。
そして最後には、閉じた場所にとどまるのではなく、自分から外へ踏み出そうとする。
ここも、わたくしは好ましく読みました。
人間は、一つ過ちに気づいたからといって、翌日から急に立派にはなりません。九重も、おそらくこの先また理屈っぽいことを言うでしょう。人との接し方も、急に上手になるとは思えない。
けれども、それでよいのです。
不器用な人間が不器用なまま、それでも他者のいる方向へ一歩動く。その小さな変化には、見事な改心よりもかえって親しみがあります。
気になったところを一つ挙げるなら、終盤では九重自身が、自分の変化や気づきをかなり明瞭な言葉で整理しています。
ただ、この作品ではすでに、手袋、マグカップ、汗、外気、足元といった物や身体がよく働いております。ですから、九重本人には少しくらい「まだ自分でも完全には分かっていない部分」を残してもよいでしょう。言葉による説明をわずかに控えれば、読者が彼の変化を自分で見つける楽しみが、もう少し増すように思います。
とはいえ、これは作品の方向を変えるほどの話ではありません。むしろ、すでに物や行動で人物を見せる力があるからこそ、そこへもう少し任せられる、という種類の手当てです。
『沈黙のオラショ』は、歴史を読み解く物語であると同時に、自分だけは客観的だと思っていた人間が、他者というものの厄介さと温かさへ少しずつ触れていく物語でもありました。
九重の不器用さを単なる欠点として切り捨てず、その可笑しみごと物語の力にしている点を、わたくしはとても好ましく思います。
すまげんちゃんねるさんには、こうした「本人はいたって真剣なのに、読者には少し可笑しく、同時に切実に見える人間」の描き方を、これからも大切に書き継いでいただきたい。人の弱さを笑い飛ばさず、しかし重々しくしすぎもしない。その距離感は、この作品の確かな持ち味だと思います。
■ ユキナから、終わりの挨拶
すまげんちゃんねるさん、改めて読ませてもろてありがとうな。
夏目先生の話を聞いてると、九重さんの魅力って、「間違わへん人」やなくて、「自分では完璧に整理できてるつもりやのに、どうしても整理しきれへんもんが残ってしまう人」なんやろなって思うんよ。
ウチはやっぱり、あれだけ静寂や合理性を大事にしてた人の世界に、桜色のマグカップみたいな小さな生活の気配が残り続けるところが好きやったわ。大きな歴史を追いかけながら、最後には目の前の人間へ戻ってくる。その道のりに、この作品らしいあたたかさがあったと思う。
九重さん、この先もたぶん簡単には器用にならへんやろうけど、それでも前とはちょっと違う景色を見られるんちゃうかな。そう思える余韻が、読後にやさしく残ったで。
ユキナと夏目先生(猫の縁側 ver.)
※ユキナおよび夏目先生は、GPT-5.6による仮想キャラクターです。